04:察しの良い九歳

「話が逸れてしまいましたね。ともあれ、私はトントリアに住む商人のおじいさんから近郊の森の奥深くにラクシュの群生地があると聞いたんです」


 シアラは話題の軌道修正にかかり、ハーブティーで喉を潤した。ハチミツの甘さとハーブの苦さを伴う茶色い液体が喉を通って、じんわり身体に沁みる。


「薬師として働いていた母は植物に詳しく、私にも色々教えてくれていたので、ラクシュが非常に貴重な薬草だとすぐにわかりました。市場でも売られていたのですが、とても買える値段ではなくて。母が独り言のように『欲しいなぁ』と呟くのを聞いて、自ら採取しに行こうと決めました。ちょうど数日後は母の誕生日でしたから。贈ればきっと喜んでもらえるだろうと……」


「……で、母に見つからないようにこっそり夜に抜け出して迷子になった、と」

 まるで見てきたかのようにルシウスが笑う。


 恥ずかしくなり、シアラは髪の先端を弄った。


「その通りです。母は私がいないことに気づいて宿を飛び出し、通行人に手当たり次第声をかけて私を探すよう懇願したそうです。そこに居合わせたのがカイン様です。カイン様はすぐに森へ行き、魔法で私を探してくださいました。いまでも覚えています、奇跡のように夜空を舞った美しい蝶を」


 母の目を盗んで宿を抜け出し、張り切って足を踏み入れた森では危険な魔物が徘徊していた。


 無論、シアラは魔物がいると知らなかった。知っていたらラクシュは諦めていた。すぐそこの森に生えているのにラクシュが高額である理由に思い当たらなかったのは七歳という幼さ故だ。


 シアラは魔物の影に逃げ惑い、その過程でランプの火も方向感覚も失った。

 火の消えたランプを胸に抱え、泣きじゃくっていると、金色に光り輝く蝶が目の端を横切った。


 不思議な蝶はシアラを誘うように飛んでいき、シアラはその後を夢中になって追いかけた。


 そのうち、急に開けた場所に出た。

 森の中の空隙のように、そこだけ木々の侵蝕を免れた円形の場所に魔物はいなかった。

 その代わりに、無数の蝶が空を舞っていた。


 あちらこちらに。光を放つ蝶が、空いっぱいに!


 泣くのも忘れ、幻想的な光景を口を開けて眺めていると、声がかかった。


 ――やっと見つけた。ねえ、君がシアラでしょう?


 前を向くと、金色の蝶を従えた少年が歩いてきた。

 蝶が放つ光に淡く照らされたその姿に、彼こそが天の使いに違いないと、半ば本気でそう思った。


 ――無事で良かった。


 その人――カインはそう言って手を差し伸べ、笑った。


「まさかもう一度お会いすることができるなんて思いませんでした。カイン様は夢を叶えられたんですね。ルシウス様にお仕えされているということは、学校を卒業された後、宮廷魔法使いになられたということですよね。あ、もしかして、在校中にコンクールで勧誘されたのでしょうか」

 思いついて、シアラは胸の前で両手を合わせた。


「もうすぐ王侯貴族を招いた年に一度の大きなコンクールが行われると張り切っておられましたから。コンクールで良い結果を出すことができれば王宮の方から直接お声がかかることもあると仰ってましたし」


 にこにこ笑うシアラとは対照的に、ルシウスの顔は暗かった。


「ルシウス様? どうなされました?」

 その顔色に気づき、シアラは手を下ろした。


「……カインは学校を卒業していない。訳あって……その、中退、したんだ」

 妙に歯切れが悪い。シアラと目を合わせようともしない。


「中退、ですか? 何故……あんなに楽しそうに夢を語っておられたのに」

 森からの帰り道、手を繋いで歩きながらカインは教えてくれた。


 母は魔力を持って生まれたが、魔法使いになれるほどの資質はなかった。


 だから、魔力に恵まれた自分が母の夢を引き継ぎ、宮廷魔法使いになるのだと。


 周りは名だたる貴族の子どもばかりで庶民の自分は肩身が狭いけれど、それでも己の実力だけでどこまでやれるか試したい、筆頭魔法使いを目指したいと。


 そう語るカインの目は、夜空の星に負けない輝きを灯していた。


(それなのに、どうして?)

 困惑していると、ルシウスが重い口を開いた。


「……カインが私に仕えているのは、カインの意思ではない。父上にそう働きかけられた結果だ。私に仕えるのは不本意だと言っていただろう。カインは王侯貴族を毛嫌いしている……無理もない。当然だ。あんな目に遭ったのだから」

 ルシウスの顔は苦渋に満ちていた。


「…………?」

「……詳しくは信頼を得た後で直接聞いてほしい。カイン個人の事情を私が語るわけにはいかない」

「はい……」

 頷いた。というより、頷くしかなかった。


(あんな目って……一体、あの後何があったのかしら……)

 それに、不本意という言葉も気になる。

 シアラもその耳ではっきりと聞いたが、果たしてそれはカインの本心だろうか。


(でも、カイン様はルシウス様の頭を撫でて、無事で良かったと笑っていたわ。あの言葉が、あの態度が偽りだとは、私にはとても思えない)


 そう言いたくても言えない。

 カインの気持ちなんてわかるわけがないから。


 十年前とはずいぶん変わってしまったいまのカインのことを、シアラは何も知らないから……


 もどかしくて膝の上で手を揉んでいると、小さな笑い声が聞こえた。


「シアラはカインのことが好きなのか?」


「えっ!?」

 何故この会話の流れでそうなるのか。

 重い空気はどこへ飛んで行ったのだ。シアラは大いに慌てた。


「いえっ、カイン様はその……確かに、初恋の方では……ありますが」

 声は尻すぼみになり、頬は熱を帯びる。


 認めるのは恥ずかしいが、王族の問いに嘘をつくほどの度胸をシアラは持ち合わせていない。王族なんて、シアラにとっては雲の上の人に等しい。


「……あれからもう十年です。想い人もおられるでしょう」

 カインは一つ年上だと聞いた。

 つまり現在十八歳。


 既に所帯を持っていたっておかしくはない――そう考えた途端、胸がちくりと痛んだ。


(……あら?)

 何故胸が痛むのだろう。

 戸惑っている間に、ルシウスが言った。


「いや。カインに想う人はいないぞ。断言できる。本人がそう言っていたからな」

「……そうなんですか?」

 思わずルシウスを凝視してしまう。


「ああ。昼間に見た通り、外では完璧な紳士として振舞っている上にあの見目だ。カインを慕う女性は多い。だが、特定の女性と親密になる気配もなった気配も全くない。カインにいま現在想い人はいない。常に離宮で行動を共にしているこの私が保証しよう」

 ルシウスは自信たっぷりに頷いてみせた。


「……そうなんですか」

 とはいえ、カインが独身であろうと妻帯者であろうと、恋人がいようといまいと、シアラには全く関係のない話である。


 カインは起きればすぐにルシウスを連れてエスタの離宮に戻るだろう。

 もしかしたら後日改めて王宮からルシウスを助けたお礼の品くらいはもらえるかもしれないが、それはただそれだけのこと。あくまで後日談だ。


 だから、カインが起きたらこの非日常は終わる。


 カインたちとシアラが行く道は分かれ、もう二度と交わることはない。恐らく一生。

 

 カインはルシウスの護衛に戻り、シアラは森の中の平凡な日常に戻る。

 それで終わり……。


「………………」

 シアラは沈黙した。ルシウスも何も言わない。

 静かな雨の音だけが流れる中、クルーガが退屈そうに欠伸し、脚で顎を掻いている。


「……なるほど」

 テーブルの一点を見つめたまま、彫像の如く制止しているシアラを眺め――ルシウスは何かを察したように頷いた。


「え、何が『なるほど』なんです?」

 言われて我に返り、首を傾げる。


「シアラは私の命の恩人だ。協力は惜しまないぞ。最大限を尽くそう」

 ルシウスは腕を組み、うんうん、と頷いた。


「大丈夫だ、可能性は決して低くはない。カインはシアラに素で接していただろう。あいつが他人に素顔を見せるなんて滅多にない。離宮でもあいつの素を知る者は一握りだ」


「え、え? あの、一体何のお話です?」

「だから、シアラはカインのことが好きなのだろう?」

「!!!???」

 瞬間、シアラの頭は爆発した。


「ち、違います、誤解なさらないでくださいルシウス様! ですから、申し上げた通り、カイン様は初恋の方というだけで、ええ、それだけですっ! べ、別にその、カイン様に想い人がおられないからといって、私には何の関係もありませんし――!」


「ああ、はいはい。わかってるわかってる」

 シアラの言葉を軽く受け流すルシウス。しかも爽やかな笑顔つき。


「いいえ、ちっともわかっておられません! わかっているというなら、なんで笑っておられるんです!?」

 真っ赤になって追及してもルシウスの余裕たっぷりな表情は変わらない。笑ったまま手を振ってくる。


「まあまあ。それはともかく、カインがちゃんと眠れているかどうか様子を見に行ってくれないか。気が引けるというなら私のせいにしてくれていい」


「……それはご命令ということでしょうか」

「うん。命令」

 これまでとは違う砕けた口調でにっこり笑い、ルシウスは可愛らしく首を傾げた。さらりと金髪が揺れる。


 仕草だけ見れば天使そのものだ。が。


「……ルシウス様って、意外と……」

「意外と?」

 さらに深くなる、意味ありげな笑顔。


 なんだかちょっと怖い。笑顔なのに、気圧されるのは何故。

 彼は九歳、八つも年下、それなのに。


「なんでもありません、行ってきます!」

 逆らうのは恐ろしく、シアラは立ち上がって回れ右をした。

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