03:王子がネズミに変わる理由

 陽が落ちた夜。

 天気は夕方から崩れ、雨が降っている。


 耳に届くのは雨が森と大地を打ち付ける音と、風の音ばかり。

 生き物の声はしない。


 近くの動物たちは雨を避け、どこかに息を潜めているようだ。クルーガも湿気で身体が重いのか、部屋の隅で丸まっていた。


「シアラ。どうか顔を上げてくれ。私の正体を知ったからといって、そんなに恐縮しなくていい。敬語も使わず、これまで通り気楽に接してほしいんだ」

 燭台を灯した居間で黙し、顔を伏せたまま夕食後のハーブティーを飲んでいると、テーブルの向かいに座るルシウスが言った。


 ネズミの姿から人へ変化したルシウスは一見少女のように愛らしい少年だった。


 柔らかそうな金髪に、美しいアーモンド形の大きな青い瞳。

 通った鼻筋に、苦笑を刻んだ薄紅色の唇。

 身に纏う服はカインが持参したものだ。


 ルシウスはその手にカップを持っている。

 中身はシアラの淹れたハーブティー。庭で摘んだ薬草を煎じた。


 そこらの商店で売っている安いカップを片手に笑う、ただそれだけで絵になる。

 九歳という若さでこの魅力。溢れ出る気品。


 これが王族というものなのだろうか。

 とりあえず、老朽化の進んだ森の中の小屋にいるには全く不釣り合いなのは確かだ。木製の椅子では尻が痛いのではないだろうかと思い、クッションを差し出したが断られてしまった。


 ハーブティーを美味しいと評してくれたが、本当に口にあっただろうか。他に何か失礼はないか。緊張のあまり息苦しい。視界の端で呑気にくつろいでいるクルーガをこれほど羨ましいと思ったのは初めてだ。


「そんなわけにはいきません、殿下。知らなかったとはいえ、私はとんだ無礼を働いてしまいました」


 この国の宝である王子を肩に乗せ、頭を撫で、気安い口調で話しかけ、草抜きまで手伝わせてしまった――いや、草抜きはルシウスが自発的に行ったものだが。


 不敬罪という単語が頭に浮かぶ。

 鞭打ち、投獄、拷問、処刑。

 次々と嫌な単語を連想し、シアラはより深く項垂れた。


(神様は意地悪だわ)

 一体全体、何をどうしたら助けたネズミがこの国の王子だなんて話になるのだ!


 いや、理由は既にルシウス本人から聞いている。


 事の起こりは九年前。

 少数の従僕と兵を連れて狩りに出かけたルシウスの父、国王リチャード三世は森で凶悪な魔物に襲われた。


 護衛は全滅し、あわやというところで現れたのは一人の魔女。


 魔女は助ける代わりに七人いる王子のうちの誰か一人を差し出せと言った。

 果たして王はこの要求を呑んだ。


 魔女に救われた王は城に戻り、協議の末、ルシウスに白羽の矢が立った。


 ルシウスを産んだ第四王妃は身分が低かった。実家は爵位持ちとはいえど貴族の末席。宮中に頼れるような後ろ盾もなく、とても決定に否をつきつけられる立場になかったのである。


 生まれたばかりの我が子を抱きしめて王妃は泣いた。


 王は何度も彼女の元に足を運んで慰めたが、王妃の嘆きが止むことはなかった。


 たとえ避けようのない未来でも、せめて抗うことを許して欲しい。

 王妃の涙ながらの訴えは王に許された。


 そして迎えた運命の日――魔女が迎えを寄越すと約束した満月の夜。


 王妃の私室にローブを纏った影がひとつ立った。


 部屋にはルシウスを抱いた王妃と王だけがいた。魔女の力により、城中の者が眠り、城は不気味なほど静かだった。


 いざ王子の受け渡しを要求されたそのとき、不意打ちで王妃が影に挑んだ。


 エクトラン屈指の魔法使いと謳われた王妃が渾身の魔力を紡いで放った風の魔法は影を吹き飛ばした。


 王と王妃の予想に反して、影はあっけなく散った。


 動揺する二人の前で霧散しながら、影は呪いを吐いた。


 ――約束を違えるか。ならば私は王子に呪いをかけよう。王妃よ、お前がこの世で最も嫌いなものに転ずる呪いだ。


 抱いていた赤子の重さと感触が急に変わり、慌てて布の中を覗いた王妃は長い悲鳴をあげた。


 ――呪いを解く方法はただ一つ。霧の谷に来ることだ。王子が私のものになるまで、その呪いは決して解けはしない。


 そう言い残して影は消え――そしてルシウスは人間でありながらネズミとして生きてきた。


 一年前、カインが一時的に呪いを緩和し、月が出ている夜の間だけ人に戻す魔法を編み出すまでは。


「私は無礼を働かれたとは思っていない。むしろ友のように接してくれて嬉しかったぞ。王宮では腫れもの扱い、私のことを口にすることすら禁忌に近いからな。仕方ないことだが」

 ルシウスは悲しそうに笑い、カップをソーサーに置いた。


 陶器は触れ合ってもほとんど音を立てなかった。

 彼はこの一年の間に知識と教養、礼儀作法を学んだのだろうか。だとしたら凄いとシアラは思った。


 ネズミであったことが信じられないくらい、彼の所作は優雅だ。


「……恐れながら、殿下。第七王子は生まれつき病弱で、とても公務に耐えられるお身体ではなく、海を臨む南の保養地エスタで療養していると聞いたことがあります。あれは……?」

 シアラはためらいがちに尋ねた。


「ああ。エスタで暮らしているのは本当だが、身体が弱いというのは受けた呪いを隠し、人目を避けるための嘘だ。この通り、私は健康そのものだぞ」

 ルシウスは背を伸ばし、胸を張った。


「カインが夜の間だけ人に戻す魔法を生み出してからは、王宮に戻っても良いと言われたが、離宮のほうが居心地が良い。なんといっても、あそこでは私が主だからな。誰にも気兼ねすることなく、自由に振る舞える」


「そうなんですね」

 ルシウスが明るく笑ったことに、シアラはほっとした。


 彼の境遇は不遇だが、離宮では楽しい生活を送れているらしい。


「ところで、この家にベッドは一つしかないんだろう? 私はネズミに戻ればそれで済むが、シアラはどこで眠るつもりなんだ? あの疲労困憊ぶりからして、カインはそう簡単には起きないぞ。下手をしたら数日寝込むかもしれない」


 ルシウスの無事を伝えるために王宮に魔法の鳥を飛ばし――伝言を吹き込んだ鳥は魔法使いがよく連絡用に使うものらしい――次いで、月の光を五年以上貯めたという石を使ってルシウスを人間に戻したカインだが、直後に倒れかけた。


 気力と体力の限界だったのだろう。


 聞けば、ルシウスが離宮の庭で鳥にさらわれた四日前からほとんど不眠不休で探査魔法をかけ続けていたそうだ。


 そんな無茶を押し通せば倒れて当然。

 むしろこれまで意識を保っていた現実こそが奇跡である。


 カインはルシウスを連れて近くの村で宿を取ると言ったが、その顔色は蒼白を通り越して土気色だった。


 無理せずここで休め、自分のベッドを使えばいい、シーツも枕カバーも洗い立てだからと心配ないと言ってもカインは頑固だった。


 いい、大丈夫、いらないと言い張る彼をルシウスと二人がかりで説得し、なんとかベッドに押し込むと、彼は気絶するように眠った。強がっても身体は正直だった。


「大丈夫です、ソファで寝ます。背丈の高いカイン様には無理でしょうが、私なら肘掛けに頭を乗せれば足を伸ばして眠ることができますので、問題ありません」


「そうか。シアラとカインは知り合いのようだったな? どうやって知り合ったんだ?」

 興味を乗せた視線を向けられ、シアラは語り始めた。


「十年前のことです。私は母とトントリアに旅行に行きました。母、といっても私は養女なので血のつながりはないんですが」

「そうなのか」

 意外そうな顔をするルシウス。


「はい。私は赤子の頃に村の孤児院に捨てられていたそうです。恐らくこの髪のせいでしょう」

 遥か昔、その凶暴さ故に地下に封じられた災厄の魔物を解き放ち、世に混乱をもたらした魔女と同じ色の髪に視線を落とす。


 金色がかった緋色の髪には特別な魔力が宿るという。

 事実、シアラは魔女だ。


 けれど、自分のことを不幸だと思ったことはない。

 シアラを引き取ってくれたマリーは惜しみない愛情を注いでくれたから。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます