02:そんなまさかの連続です

 朝に洗ったシーツや洗濯物がよく乾きそうな、青天の昼下がり。

 シアラは広いつば付きの帽子を被って畑の草抜きをしていた。


 畑は物干し場のすぐ傍にある。

 畑の半分で野菜と果物を、残りの半分で薬草を育てている。


 風にシーツが踊る様を横目に、初夏の日差しを浴びながら無心で草を刈っていたシアラは、玄関先からクルーガの吠え声を聞いて顔を上げた。


 シアラの傍で小さな雑草と格闘していたルーが雑草から前足を離す。


 緊張の証拠に耳が立っている。可愛らしい小鼻がひくひく動いていた。


「何かしら。ルー、ここで待ってて」

 シアラは急いで玄関へ向かった。

 ルーも気になったのか、言いつけを無視して後をついてくる。

 ネズミ嫌いな相手なら悲鳴を上げて追い払おうとするかもしれない。


 シアラは迷った末に「ついてきてもいいけれど、私が良いと言うまで隠れてなさい」と忠告した。


 程なく見えた玄関先では、クルーガと、金で縁取られた漆黒のローブを纏う青年が対峙していた。


(まずいわ。止めないと)

 一触即発の空気を肌で感じ、シアラは焦った。


 青年はクルーガを民家に侵入した魔物と受け取ったのだろう。

 無理もない。常識的に考えれば魔物を飼うなどありえないことだ。


 少し離れた地面に転がっている鞄は、青年が戦闘の邪魔になると判断して放り投げたものか。


 前傾姿勢のクルーガが低い唸り声を上げた。

 いまにも飛び掛からんばかりの猛烈な敵意を受けて、青年が無言で片手を上げる。


「待って! その魔物は私の家族です、傷つけないで!」

 駆け寄って制止すると、青年がこちらを向いた。


 燃えるような紅玉の瞳と目が合い、シアラは呼吸を止めた。

 彼も驚いたように目を見張っている。


(――似てる)

 改めて間近で見れば、今朝夢に見たあの人と、彼はよく似ていた。

 正確にはシアラが思い描いていたあの人の未来想像図だ。


 彼は見惚れるほどの美青年だった。

 一級の芸術品のように整った目鼻立ち、艶やかなとび色の髪。


 しかし、どういうわけか激烈に顔色が悪い。

 この数日――あるいはそれ以上の日数――まともに眠っていないのか、目の下に濃い隈がある。


 クルーガを魔物と見てすぐに攻撃態勢に入ったのも、体調不良による苛立ちが一因かもしれない。


「クルーガも止めて! その人は私のお客様よ! お座り!!」

 クルーガが即座に唸るのを止め、尻餅をついた。犬の『お座り』のポーズだ。


 青年は呆気に取られたような顔をした後、


「……確かに、貴女が主で間違いないようですね」

 呟いて、手を下ろした。


(物分かりの良い人で良かったわ)


「クルーガ、私はこの人とお話がしたいの。散歩でもしてきてちょうだい」

 灰青色の目を見つめて言うと、クルーガは歩き去った。


(……さて)

 何事も第一印象が大事だ。


 シアラは帽子を取った。畑仕事用の継ぎ接ぎだらけの服を纏っているのがなんとも残念だったが、それは愛想で補おう。


 金色がかった鮮やかな緋色の髪をちょうど強く吹いた風に揺らしながら、身体の前に下げた帽子の鍔を両手で握る。


「初めまして。私はこの家の主、シアラ=ローズフィールです。さきほどはクルーガが失礼しました。そのローブからして、相当に高位の魔法使い様とお見受けしますが、こんな森の一軒家までわざわざ赴かれたご用件は何でしょう?」


 にこやかに笑いつつ、シアラは内心ドキドキしていた。

 シアラは癒しの力を持つ魔女。

 魔女とはその力の種類に関わらず、総じて国教会から敵視される存在である。

 もしも彼が教会からの使者だったら逃げるしかない。


(この十数年の間、厳しい異端審問は行われていないはずだけれど……急に方針が変わったのかしら。いえ、たとえ教皇の気まぐれだとしても、清く正しく生きてきたのに、火あぶりにされるのも『魔女の島』に送られるのもご免だわ!)


「シアラ……ローズフィール?」

「はい。どうかなさいましたか?」

 確認するように言われて、シアラは小首を傾げた。


「……いえ」

 青年は魅惑的な笑みを浮かべ、胸に手を当てて頭を下げた。貴族のように優雅な仕草だった。


「こちらこそ貴女のご家族とは知らず、大変失礼致しました。突然の訪問をお許しください。私はカイン。カイン=グラッツと申します」


「カイン様!?」

 シアラはすっとんきょうな声をあげた。


 カイン=グラッツ。それは十年前、シアラを助けてくれた恩人の名前だ。

 カインに似ていると思ったが、まさかその人そのものだとは!


「私、私ですカイン様! 覚えておられませんか!? 十年前、トントリア近郊の森で迷子になったところを助けて頂いたシアラです!」

 シアラは慎みも忘れて歩み寄った。


「はい。覚えています」

 優しい笑みを伴う肯定に、喜びが胸いっぱいに広がる。


(十年の時を経ても覚えていてくださったなんて……!)

 初恋の人が自分を覚えていてくれたのだ。

 こんなに嬉しいことはない。目の端に涙すら浮かんだ。


「お久しぶりです、まさかもう一度お会いできるなんて――」


「悪いがいまそれはどうでもいい」

「ど……?」


(……どうでもいい?)

 興奮と歓喜のままにまくしたてようとした途端、その気配を察したらしく急に低くなった声でばっさり切られ、シアラの目は点になった。


「お前に会いにきたわけじゃない。お前と再会したのはただの偶然だ」


 さきほどまでの愛想はどこへやら、カインは別人のように冷たい無表情で言い切った。

 だから黙れ、とでもいわんばかりの鋭い眼光で睨みつけられ、目に浮かんでいた涙が引っ込む。


「聞きたいことはこれだけだ。金色のネズミを拾わなかったか」

「え……ええ、はい。確かに。私が保護しています」


 おかしい。覚えているカインと違う。


 思い出の中のカインはいつだって微笑んでいて、物腰も柔らかく、まるで童話の王子様のような人だったはずなのだが……


(……間違っても、こんなぶっきらぼうな物言いをする方じゃなかったわよね?)


 思い出との激しい落差に戸惑いながら頷いたとき、後方から金色のネズミが飛び出してきた。


 シアラの前に二本足で立ち、カインに向かって何やら懸命に前足を振るルー。


「もしかしてルー……いえ、このネズミはカイン様が飼っておられたのですか? 道理で人懐っこくて利口だと思ったんです。人語を理解しているような素振りもありましたし――」

「あははは」

 シアラの台詞を遮って、カインは笑い声をあげた。


 乾いた笑い声だ。棒読みで、ちっとも感情が籠っていない。


 異様な空気にシアラが物も言えず固まっている間に、カインは屈んでルーを片手に乗せ、膝を伸ばした。


 顔の近くまでルーを運び、優しい言葉の一つでもかけるのかと思いきや――カインはルーの髭を摘まんで引っ張り始めたではないか!


「カイン様っ!?」


「このクソネズミ。探査魔法で探し当てるまで俺がどれだけ苦労したと思ってんだ。お前が間抜けにも鳥なんぞにかっさらわれたせいで陛下や妃殿下はもちろん、うざったい貴族連中からどれだけ責められてネチネチやられたか。言ったよな、俺の目の届く範囲にいろ、間違っても俺がいないときに外出するなって。警告を無視した結果がこれだよ。鳥に咥えられて空を飛ぶのは楽しかったか。ああ、この四日間、人に戻れず意思疎通もできず、鳥や獣に追い回されてさぞかし楽しかっただろうな――」


 髭をぐいぐい容赦なく引っ張られても、ルーは健気に耐えている。

 ただし、泣きながら。


「カイン様、なんだかよくわかりませんけどもう止めてください、いまあなたがやっていることは動物虐待ですよ!?」


 見ていられず、シアラはカインの手を掴んで止めた。


 カインは仏頂面で手を離した。

 さすがにルーが怒り、噛みつくくらいはするのではないかと思ったが、ルーが取った行動は逆だった。


 ルーはカインの手のひらの上で立ち上がり、神妙な面持ちで――シアラの目にはそう見えた――カインに頭を下げた。


「…………?」

 何がなんだかわからない。


 けれど、カインには伝わったらしい。


「……ったく」


 カインはほんの微かに口の端を歪めた。

 苦笑と安堵が入り混じった複雑な表情を浮かべて、指先でルーの頭を撫でながら言う。


「無事で良かった」


 その一言には温もりが宿っていた。

 十年前、迷子になったシアラにかけたものと全く同じ調子。同じ言葉。


(――ああ。やっぱりあなたはカイン様なのね)


 知らず、手を握っていた。

 身体の芯がじんわりと熱くなる。


 姿形は大きく変わり、思い出と現実との落差に戸惑ったりもしたが、彼の根底は優しいままだと実感し――それが何故か、とても嬉しい。


 感極まったようにルーがカインの腕を駆け上って首にひしっとしがみついた。


 カインは吐息を一つ零した。

 ルーが落ちないように手を添えた後、改めてその赤い瞳でシアラを捉え、言った。


「ありがとう」


 口調はそっけなかった。

 表情筋も固定されたまま。少しも笑っていない。

 それでも、その言葉が不思議なほど胸に響いたのは、きっと余計な脚色のない、本心からのものだったからだ。


「こいつを助けてくれて。感謝する」


 感謝の印か、カインが目を伏せた。

 ルーが首にしがみついていなければ、頭を下げていたかもしれない。


「いえ、そんな。でも、あの、カイン様」

 どぎまぎしながら、カインの首に抱きついているルーと、相変わらず無表情なカイン――どうやらこれが素のようだ――を交互に見た後、シアラは尋ねた。


「教えていただけませんか? つまり、どういうことなんでしょう? さきほど陛下や妃殿下と仰られていましたが、この国の王と、あなたがそのネズミを飼っていることと、一体どんな関係があるというんです?」

「俺が飼ってるわけじゃない」

 カインは首からルーを剥がして手に乗せ、胸の高さまで持ち上げた。


「わけあってこんな有様だが、こいつはこの国の王子だ」


「……………………はい?」

 思考回路が停止した。


「ルシウス=レード=ジル=クラリア。このエクトラン王国の第七王子。不本意ながら、俺の主だ」

 全く理解できずにぽかんとしていると、ルーがカインの手の上で直立し、一礼した。

 その際に右の前足を動かしたのは、王子らしく左胸に手を当てたつもりだったのかもしれない。


 真っ白になった頭でシアラは思った。


 とりあえず、もしも本当にルーが王子で、仮にも仕えている立場ならば主を『こいつ』とか『お前』呼ばわりは駄目なんじゃないだろうか、と。

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