「す、すまない、ひかりさん」


ひかりはにこりともしない。

「どうしたんですか、博斗さん? いまになって気が緩んではあまりに危険ですよ?」


「あ、ああ。わかってる。わかってるんだけど…」

博斗は言葉を濁した。


何と説明すればいいんだろう?

第六感めいたなにかが、攻撃の手を遅らせた、とでも?

説明はつかないが、攻撃にためらいがあった、それが事実なのだろうが…。


「博斗さん? なにかためらっているのですか?」


なにをためらったのだろう。

博斗には、自分でも、よくわからなかった。


「わからない」

博斗はつぶやいて首を横に振った。

ため息をついてみたが、それでわかるはずもない。


「わからないんだよ、ひかりさん。卑怯な言葉づかいをすれば、ムーの勘が騒いだ、とでもいうのか?」

「勘…ですか」


「俺が手を出してはいけない、と、そんな俺自身の声が、聞こえたような気がした。グラムドリングは、出来るだけ使っては、いけない、と」

博斗は、言いながら、自分の掌中にある黒い握りを眺めた。


「あるいはそれは、預言であるかもしれませんよ。博斗さん自身が自らに与えた。マヌと対する前に、それ以上使うことは賢明ではない、と、そういう意味かもしれません」


「…そうだろうか?」

博斗は、半ば自問自答気味に言った。

「なにか、マヌと対したあとに、まだ、するべきことがある。そのときのため、だ。そのときのための保険に、いまは、出来るだけ使わずにおいたほうがいい」


博斗はそこまで言うと、自分の唇を押さえた。

ひかりも、博斗を不安げに見つめている。


「…俺は、なにを口走ってるんだ? 自分の考えを、先に口にしている。わけがわからない」


頭をかきむしった博斗の肩に、ひかりが手を乗せ、そして身を寄せた。

「博斗さん…」


ひかりはそれしか言わず、博斗の肩に手を乗せたまま、待った。


「…どうなっているんだ、俺は? 俺の神経が、感覚が、伸びている。わかるんだ、ひかりさん。あらゆる方向に、全身から伸びているんだ。空間に、時間に、伸びている。俺が、拡張されている」


一万年。

一万年は長い。その一万年で欠損していたと思っていた意識が、戻ってきた。


欠損はしていなかった。

博斗は、博斗に血を残してきた者達は、理事長快治と同じく誰もが内部にオシリスを保持したまま生きてきた。


ただ、使う必要がないためにその記憶が呼び覚まされることもなく、ただ引き出しの奥深くへ。

脳の海の深海へと、沈んでいったのであり、発見されることがなかった、ただそれだけのことだった。


だが博斗は、タイタンを動かし、アカデミーを訪れ、確実に記憶を取り戻していき、それでもムー本体から遠い時空にいたために弱かったその片鱗が、完全に現われようとしている、そういうことのようだ。


自分で望んでこんなものを得たわけでもないというのに神経が感覚が拡張して視力は上がるわ音はよく聞こえるわ風の流れは肌で感じられるわ空間を指でつかむことは出来るわこんな狂気じみた力ああそうだ彼女たち五人を足したものと同じか上回るだけのこんなわけのわからない力があろうとは、いったい誰が想像した?


一人だけ、一人だけ。

想像していた人がいる。

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