7
夜は更けた。
博斗の布団では、稲穂が静かな寝息を立てている。
稲穂と呼ぶべきなのかシータと呼ぶべきなのか、しばらく博斗は悩んだのだが、甲冑に身を包んでいるときはシータ、そうでないときは稲穂と呼ぶことにした。
マヌに連れ去られたシータが、どうして自分のアパートの前に倒れていたのだろうか。
しかもすっかり疲労困憊した様子で。
逃亡してきたのだろうか?
なぜ陽光学園ではなく、博斗のアパートにやってきたのだろう。
なぜ甲冑ではなく制服を着ているのだろう。
がくんと首が落ちた。
少しばかりうつらうつらと舟を漕いでいたらしい。
稲穂がこっちを見ていた。
首だけをこちらに向け、瞬きもせず博斗を見ていた。
「…お…おはよう」
なにを言えば? 聞きたいことが、言いたいことが、山ほどあって…。
「博斗さん」
「う…な、なに?」
「ありがとう」
博斗は、面食らって瞬きした。
「ありがとうって、な、なにが?」
稲穂は眼を細めた。
「助けてくれて」
「俺は、助けてなんかいないよ。ただ、部屋の中に入れただけで…」
「それだけでもうれしいんです。私にも帰る場所があって。ここに帰ってきてよかった…」
どん。
心臓が重く鳴った。
言葉を止めないほうがよさそうだ。なんでもいいから続けないと。
「ど、どうやって来たんだ? 逃げてきたのか?」
「はい。疲労はしていましたが、彼らの隙をつくぐらいは、なんとか出来ましたので」
「そ、そうか…」
次いで博斗は、自分でも思ってもいなかったことを尋ねてしまった。「身体は…? 奴らにおかしなこととか、その…ヘンなこととか、されてないか?」
「大丈夫です。私はまだ男性を知りませんよ」
「…そ、そ、そ、そうか。そ、そりゃあよかった」
っておい、なにが「よかった」だ! なに言ってんだ俺は!?
「戦いは…? ホルスが倒れたとは聞きましたが…」
「ああ。なんとかホルスは死んだ。こっちは快治さん――理事長が戦線離脱したけれども、被害としてはそのぐらいだ」
「そうですか。では、マヌと戦うときも近いですね」
「そうなるな…」
博斗は陰鬱な気分になった。マヌは、このシータを――いくら心に迷いがあったときとはいえ――寄せつけもしなかった。
「どうしたんですか?」
「いや…。マヌに俺達で勝てるのかなって、ちょっと思ってね」
「不安ですか?」
「そりゃあ、もちろん。…君になら、わかっているんじゃないのか? マヌの力も。それに、俺達が勝てるのかどうか、も」
稲穂は、布団をそっと払いのけると、上半身を起こした。
「ご心配ですね、博斗さん? 戦いのことが?」
稲穂が、不安げに博斗を見つめた。
博斗は、どうも稲穂にまじまじと見られると、心が落ち着かない自分をはっきりと感じていた。
明らかに、自分の思考能力が普段より減退していることは間違いないだろう。
ただでさえオオダコムーとの戦いで肉体的に疲労していて、それに加えて、稲穂と二人だけで自室にいるという状況が、おおいに精神を疲弊させている。
「俺なんかより、君のほうが圧倒的に強いはずだ。その君が、まるで歯がたたなかったということは、俺やスクールファイブが束になってかかったところで、まったく勝ち目がない」
「その通りでしょうね」
稲穂があっさりと肯定してしまったので、博斗はどきりとした。
「イシスはマヌのことをなにか言っていますか?」
「いや。ひかりさんは、特になにも…。ただとにかくマヌは強い、の一点張りで…」
「そうでしょうね。彼女は、なにか策をもっているようですが、自分自身、それがマヌに通じるとは考えていないのでしょう」
「そ、そうか…」
とすれば、いったいどうすればいいというんだろう。
ほんの微細なものでも突破の光明が見えていれば、そこに向けて全力でぶつかっていくことは出来るが、しかし…。
「なにを悩んでいるんですか?」
「…いや…どうにもお先真っ暗だ。勝ち目はない。方策もない」
稲穂はつらそうに眼をそむけて、そこでかすかに口を動かした。
「あれが手にあれば、勝てるというのに…」
「あれ? あれって、なんだ?」
稲穂は、この人はなにを言っているのかしら、と言いたげな眼で博斗を見つめた。
博斗は、きゅっと胃が引き締まるのを感じた。
稲穂がなにを言おうとしているのか、唐突にわかったからだ。
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