快治は、卑屈っぽく見える笑いを浮かべた。

「受け取ってくれてありがとう、瀬谷君。さて、パンドラキーだが…」

快治は、指で空を指差した。


「ものを隠すのに最もよい方法は、隠さないことだ。隠さずにいて、それでいて気付かれることがない、そのような場所が最も望ましい」


「…?」

博斗は、つられて見上げた。

時計塔が空に伸び上がるように立っている。


「パンドラキーが、ほんらいどんな形をしているか、覚えているかね?」

「IDカードのような形だったはず。でも、どんな形にでも変えられると…」


博斗の答えを聞き、快治は、満足げにうなずいた。

「形は変えていない。盲点だよ。だれもがこの学園に足を踏み入れれば一度は見る場所に、パンドラキーはそのまま露出したまま存在するのだよ。はじめからずっとね」


「な……! じゃあ、ピラコチャやホルスは…!」

「おそらく、その視線はパンドラキーの上を幾度も通過しているだろう。だが、自分がよもやパンドラキーを見ているとは気付いてもいないだろうな」


「……」

いったい、そんな隠し場所があるというのか…?


「唯一ひやりとしたのは陽光祭のときだ。ピラコチャがサナギムーを時計塔に植え付け、時計塔の小部屋に陣取った。あのときは、いつ気付かれるかと気が気ではなかったよ」


「と、すると、パンドラキーは時計塔に…?」

「その通りだ。文字盤を見たまえ、瀬谷君!」


「文字盤?」

博斗は目を凝らした。

時計塔には、大きなアナログの丸時計が飾られている。

その文字盤には、一時間ごとを示す目盛りが一つずつ刻まれている。


「あああっ! ま、まさかっ!」


「その通りだ瀬谷君! 目盛りだよ。あの時計の一時の目盛りこそ、他ならぬパンドラキーそのものなのだ。他の目盛りもそれによく似せて造ってあるからな、この距離ではまあ、おいそれとは気付かん」


「あの目盛りが……!」

博斗はあらためて時計塔を見つめた。


「パンドラキーの放つ気配は、この学園全体の放つ気配のなかでは消えてしまう。ピラコチャは、パンドラキーのすぐ裏側にいながら、みすみす逃したのだよ」

快治は押し殺した笑い声をあげた。


博斗は、しばらく、ただじっと時計塔を見上げていた。


あそこにある、たった一枚の小さな鍵が、運命を握っている。

あれを奪われてはならないし、行く先を教えることもしてはならないのだ。


両肩にどっしりと重しを載せられたような気がした。

これが理事長の言っている「重み」なのか、と、博斗は歯を噛み締めた。


「理事長。俺がパンドラキーのことを知ったってことは、理事長はこれからどうするつもりですか?」


快治は博斗を上目づかいに見つめた。

「どういう意味かね?」


「理事長は、俺達と違って、奴らと戦う術を持っているわけじゃない。それでも、これからこの学園そのものが総攻撃にさらされるかもしれないこんなときに、あえて学園に残る覚悟ですか?」


快治は突然身体をのけぞらせて笑い出した。

「瀬谷君。私は戦いがある以前に、理事長だよ。学園になにがあろうと、そこに私以外の生徒と教師が残っている限りは、私もひかぬ。なんら戦う術がないのならなおさら、ここ、陽光学園の土を踏みながら名誉ある死に方をしたい。君にならわかってもらえると思う」


まったく、理事長のいう通りだ。

武器があろうがなかろうが、博斗達にとってこの学園はまさに命。

すべてが終わるまで、ここから離れることなど、どうして考えることが出来るだろうか。


「理事長…。いや、快治さん。俺は…」

快治は手を振った。

「構うことはない。君にとても大きな負担と苦しみを与えてきたことは事実だ。それは疑いもなく私の責任だからな。ただ、この危急のときに至って、君と完全にわかりあえたことがうれしいよ。これで思い残すことはない」


「快治さん。縁起でもない言い方はやめてください。心配しなくても怪人の足一本近づけやしない。俺達の手で必ず食い止めてみせます」

「そうか…。ありがとう」


「快治さんは、いつもみたいに葉巻でもくわえて、俺達の戦勝報告を待っているだけでいい」

「私に、なにか出来ることは?」

「いやだな、それこそ奴らの思うつぼだ。戦うことは、戦うこと専門の奴に任せてくれりゃあいいんです」


「…そうか。そう、だな…」

快治は、なんとなく煮えきらない返事をして返した。


博斗には、快治のその返事の鈍さが、わかるように思った。

博斗が同じ立場であれば、やはり歯ぎしりして悔しがっているだろう。

ただ見守るだけというそのつらさは、博斗にはよくわかる。


「瀬谷君。そろそろ戻ったほうがいい。時間だ」

快治が、博斗にそう言った。


博斗は、余計な思考を頭からどけ、気持ちを切り替えた。

最後に頭上のパンドラキーを一瞥すると、「よし!」と一声あげて歩き始めた。

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