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授業が始まっても、桜は、心ここにあらずといった風で、ペンをこねまわしながら授業を聞き流して時間を過ごしていた。
今日は、開会式に向けての生徒会内部の前日準備。
明日は午前中が開会式で、午後は一般企画の準備。
二日目と三日目が一般公開だ。
とにかく、早く、陽光祭になってほしい。
陽光祭は、なんといっても、桜の本領を発揮できる最高の舞台のはずなのだから。
桜は教壇を見た。博斗が、身振り手振りを交えて唾を飛ばしている。
黒板には博斗特有の、雑で汚いが、勢いがあって、人柄がにじみ出ている字が並んでいる。
この人は、なんでこんな一生懸命なんだろう。
クラスの何人かは眠ってるし、まじめに聞いてないのもいるし、聞いてたとしても半分も理解してないんじゃないだろうか。
でも、この人は真剣に授業をしている。なんでだろう。
ほんと、カッコ悪い。他の教師みたいに、適度に手を抜いたりとか、できないんだ。ほんと、カッコ悪い。
桜は、いつのまにか博斗から目が離せなくなっている自分に気付き、はっとして目を下に落とした。
「人民の、人民による、人民のための政治」
リンカーンの有名すぎる言葉が書かれている。
リンカーンは間違いなく偉人と呼ぶに値する人だろう。
リンカーンは、この言葉を残したから偉いのではなく、この言葉を実行したから偉い。
言葉だけなら桜にだって残せる。
しかし、思うに、偉いとか偉くないとか、そんなことにいったいなんの価値があるのだろう。
桜には、偉さや地位を求める人間の心理がいまいち理解できない。
桜が少し頭をひねれば、おそらく世界を震撼させるとんでもない理論が飛び出してきそうな気もするのだが、でも、それでどうするんだろう?
桜は、リンカーンの写真に鼻毛を描き足した。
我ながら、くだらない。
桜の望んでいることは、なんだろう。
素晴らしい発見をして尊敬されるとか、そういうものとは違う気がする。
科学が進歩するのは素晴らしいことかもしれないが、桜は自分の力で無意味にこれ以上科学を進歩させたいとは思わない。
人間が宇宙にだって行く時代なのに、今日食べるものも住むところもない人たちだってたくさんいるなんて。
立派なロケットとか研究施設とか、そういうものにかかるお金で、どれだけたくさんの人が救えるんだろう。
おかしいよ、やっぱり。地球の上でもちゃんとしたことが出来なかった人間が、宇宙に行って、それでどうするんだろう?
その疑問は、桜に跳ね返ってくる。自分の心さえよくわからないちっぽけな僕が、世界をどうこうなんて考えてどうするんだろう?
思案していた桜は、すぐ横にいつのまにか立っていた人影に気付かなかった。
博斗がにこにこしながら桜の教科書のリンカーンを見ている。
「ふふふふふふふふ。面白~いことをしてるじゃ~ないか、桜君」
「せ、せんせ、目が笑ってないよ」
「ま、いいや。俺も学生の頃はよくやったから。落書きするって事は、少なくともそれだけ教科書を開いている時間はあるってことだから、まだいいほうさ」
博斗はそれだけ言うと、チョークをくるくる回しながら教壇に戻った。
桜は、ほっとしたような残念なような気分で、博斗を見ていた。
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