生徒会室に近づいた博斗の耳に、桜の淡泊な声が聞こえた。


ドアの前には何人かの生徒がたむろしている。生徒会室に直接なにかを折衝しようとやってきたどこかのクラスを、門前払いしようとしているのだろう。


「…あなたじゃ話にならないわ。会長さんは? 会長さん出してよ」

「会長は風邪でノックダウン。だからいまは僕ら誰もが最終的な責任者だよ」

「陽光祭近いときに風邪ひいてるなんて、ずいぶんいい加減な会長さんねえ」


むっとした桜は、燕に合図した。

「やったって、燕」


燕は進み出ると、いまだにぶつぶつと言っている生徒達をぐいぐいと押して廊下に追い出した。


「出方によっては考えてもよかったけどね。遥のことを悪く言う連中にはお情け無用」

「それにしても、長いですわね。あと一週間でもう陽光祭本番ですわ」

そこで翠はいったん息を継いだ。


「…遥さんがいないと、なんとなく、物足りない気がしますわ。なんとなくですけれど」

「遥は一本気だからね。こういうときには、勢いにのってぐいぐい引っ張ってくれる遥みたいなキャラクターがほしいよ」


「あ、はくとだ」

ドアの前に立っていた燕が博斗に気付き、手を振った。


博斗は生徒会室を覗いて言った。

「体育館のタイムテーブルは、誰が知ってるんだ?」

「翠、お客さん御指名だよ」

「あら、わたくし? なにか?」


「吹奏楽部の搬入はいつやるんだ? 開会式の後?」

「吹奏ですの? 吹奏は…」

翠は雑然とした机の上から、ファイルを探し出した。


「前日準備のときですわね。吹奏の人たちが自分たちで搬入するはずですわ」

「そしたら、開会式の邪魔にならないように設置しとくように言ってあるか?」


「大丈夫ですわよ。吹奏も毎年同じ事やってるんですから。わかっているはずですわ」

「はず、ってことは言ってないんだな? こういうことは万全を期しておいたほうがいい。こんどの企画会議のときいちおう念をおしといてもらえるか?」


「はいはい、ですわ。ということでよろしくですことよ、由布さん」


遥がいない間、由布は、クラスやクラブの各企画の責任者を集めて行う企画会議の担当を代理で努めている。


副会長の翠か由布のどちらかが遥の代理となるということで、当然はじめは翠がやる気満々だったのだが、各企画とじかに接するデリケートな仕事だけに、桜の指摘で由布に白羽の矢がたった。


「…」

由布はさっきから視線を下に落としたまま顔をあげない。何かを考え込んでいるようだ。


「さっきからなにを見てるんだ、由布?」

博斗は生徒会室に入ると、由布の手元を覗きこんだ。


「企画書です…わたしのクラスの」

「なにやるんだっけ?」

由布はファイルを持ち上げて、開かれているページを示した。


博斗は目を細めて文字を読み取った。

「陽光港水質汚染度定点調査報告…」


「うひゃー、メチャクチャ堅そうでございますわね」

翠が悲鳴を上げた。


「教師の俺がこう言うのもなんだが…こんなのよくクラス通ったな」

「担任が仲竹先生ですから」

由布はさらりと言った。


「ああ、仲竹。あの先生の顔、三面怪人ダダみたいだよね」

桜がけらけらと言った。

「仲竹先生のクラスなら、わからないでもないか。あの先生、毎年自分のクラス使って四月から調査してるらしいからなあ。ほら、陽光アワーズにもたまにのっけてるし」


「水質調査も、やってみると意外と面白いですよ。色々な生き物が見つかったり、海の汚れにも周期性があるのがわかったり…」


「生き物? 陽光港にですの? トカゲを入れれば怪獣が育つし、指を突っ込めば腐食するとウワサされるあの陽光港に、生き物ですの?」

「ええ。驚くほどたくさんの生き物がいますよ」


「そうだね。生物の環境適応力というのは人間の理解をはるかに超えているからね。プランクトンとか海草ぐらいならウジャウジャいるんじゃない?」


「魚や貝もいますよ。人間がどんなに汚しても、それでも生命は果てないんですね」


「生命は、俺たちが思っている以上にたくましいのさ」

博斗は微笑んだ。


「海は生命の宝庫だからねえ」

桜はわけ知り顔でうんうんとうなずいた。

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