遥は振り返ると、T字路の脇に立つ電柱を指差した。

「そういえばほら、電柱の下」

ひっそりと花束が置かれている。


「なんですか、あの花は?」

「なんですかって…知らないの?」

遥は肩をすくめた。ほんとに、稲穂という子はどうもよくわからないときがある。


「あそこで、誰かが轢かれて死んだってことよ。それで、死んだ人を供養するために花を捧げてるの」

「死んだ…?」


「そう。…オモチャが一緒においてあったから…たぶん、子ども…男の子よね」

「死んだって…それだけですか?」

稲穂が遥をきっと睨んだ。


「それだけって…そうよ。他に、どうするの?」

「人が一人死んだのに、そのままなんですか?」


「一人じゃないわよ。…あの交差点、一年に一回ぐらいは死亡事故起きてるらしいから」

「それじゃ、なおさらです。どうして、事故が起きるってわかってるのに、まだあんなダンプが走れるんですか?」


「それは…」

遥は言葉に詰まった。考えれば考えるほど確かにおかしいのだ。だが、現実はそう簡単には変わらない。


「…あたしにもわからない。そうね、いっそ通行止めにしちゃえばいいのに、ぜんぜん通行止めにならないまんまだしね」


稲穂は、突然向きを変え、交差点に戻った。

「あ、稲穂」

遥は慌てて後を追う。稲穂は、遥が思っていたよりもずっと行動的なのかもしれない。


稲穂は、腰をかがめ、瓶に立てられた小さな花束を見つめている。

小さなロボットのオモチャが、口の開いていないコーラの缶によりかかるようにして置かれている。


遥は稲穂の後ろに立ち、目を閉じた。そして、自分を責めた。

やっぱり、あのとき、なにがなんでも運転手に食い下がるべきだったのかもしれない。


稲穂は立ち上がった。

「もし、この子が生きていたら、きっと、自分を轢いた車を怨んでいるでしょうね」

「…うん」

遥はうなずいた。


「いっそ、車なんかなくなってしまえばいいのに」

稲穂は、もう一度だけ花束に目をむけると、首を振った。

「もう、帰りましょう、遥さん? 今日は、もう疲れました」


「そうね。…あたしも、いろいろ考えちゃった」

遥はうなずくと、稲穂とともに、再び歩き始めた。


「人間って本当におかしな生き物だと思いません?」

しばらくして、歩きながら、稲穂がぽつりと口にした。


「?」

「自分たちの生活を豊かにするために科学を進歩させたはずなのに、その科学の力で、逆に生命を脅かされることもあるんですよ? 理不尽だと思いませんか?」


「理不尽かあ…。でも、自動車とかが生まれて、それで、全体としてみれば発展したことのほうが大きいんじゃない?」


「それは相対的な価値判断です。相対的な価値判断は、物差しによってどうにでも評価が変わります。私がいいたいのは、絶対的に、失われてしまったものがあるということです」


「失われたもの…自然とか、静けさとか、そういうの?」

「それは副次的なものにすぎません。もっと、文明の本質にかかわる欠落があり、その影響の現れた一側面にすぎません」


「なんかわからないけど、でもまあ、ちょっとはわかる気がするな。車社会って、確かに矛盾してると思うもの。教習所でも、けっこうおかしいと思うのたくさんあったもん。…もし、教習所で教えてる通りにみんなが運転すれば、少なくとも事故はぐっと減ると思うわ」


「ではなぜ誰も教習所の規則を守らないのですか?」

「守ってると社会が成り立たないからよ」

「どういうことですか?」


「たとえば、だから、さっきのあれじゃないけど、一時停止とか制限速度とか、生真面目に守ってると、渋滞したり、荷物が時間どおりに届かなかったり…」


「人間の命より社会が優先されるのですか?」

「…そう、かもね。いまの社会は」

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