6
遥は振り返ると、T字路の脇に立つ電柱を指差した。
「そういえばほら、電柱の下」
ひっそりと花束が置かれている。
「なんですか、あの花は?」
「なんですかって…知らないの?」
遥は肩をすくめた。ほんとに、稲穂という子はどうもよくわからないときがある。
「あそこで、誰かが轢かれて死んだってことよ。それで、死んだ人を供養するために花を捧げてるの」
「死んだ…?」
「そう。…オモチャが一緒においてあったから…たぶん、子ども…男の子よね」
「死んだって…それだけですか?」
稲穂が遥をきっと睨んだ。
「それだけって…そうよ。他に、どうするの?」
「人が一人死んだのに、そのままなんですか?」
「一人じゃないわよ。…あの交差点、一年に一回ぐらいは死亡事故起きてるらしいから」
「それじゃ、なおさらです。どうして、事故が起きるってわかってるのに、まだあんなダンプが走れるんですか?」
「それは…」
遥は言葉に詰まった。考えれば考えるほど確かにおかしいのだ。だが、現実はそう簡単には変わらない。
「…あたしにもわからない。そうね、いっそ通行止めにしちゃえばいいのに、ぜんぜん通行止めにならないまんまだしね」
稲穂は、突然向きを変え、交差点に戻った。
「あ、稲穂」
遥は慌てて後を追う。稲穂は、遥が思っていたよりもずっと行動的なのかもしれない。
稲穂は、腰をかがめ、瓶に立てられた小さな花束を見つめている。
小さなロボットのオモチャが、口の開いていないコーラの缶によりかかるようにして置かれている。
遥は稲穂の後ろに立ち、目を閉じた。そして、自分を責めた。
やっぱり、あのとき、なにがなんでも運転手に食い下がるべきだったのかもしれない。
稲穂は立ち上がった。
「もし、この子が生きていたら、きっと、自分を轢いた車を怨んでいるでしょうね」
「…うん」
遥はうなずいた。
「いっそ、車なんかなくなってしまえばいいのに」
稲穂は、もう一度だけ花束に目をむけると、首を振った。
「もう、帰りましょう、遥さん? 今日は、もう疲れました」
「そうね。…あたしも、いろいろ考えちゃった」
遥はうなずくと、稲穂とともに、再び歩き始めた。
「人間って本当におかしな生き物だと思いません?」
しばらくして、歩きながら、稲穂がぽつりと口にした。
「?」
「自分たちの生活を豊かにするために科学を進歩させたはずなのに、その科学の力で、逆に生命を脅かされることもあるんですよ? 理不尽だと思いませんか?」
「理不尽かあ…。でも、自動車とかが生まれて、それで、全体としてみれば発展したことのほうが大きいんじゃない?」
「それは相対的な価値判断です。相対的な価値判断は、物差しによってどうにでも評価が変わります。私がいいたいのは、絶対的に、失われてしまったものがあるということです」
「失われたもの…自然とか、静けさとか、そういうの?」
「それは副次的なものにすぎません。もっと、文明の本質にかかわる欠落があり、その影響の現れた一側面にすぎません」
「なんかわからないけど、でもまあ、ちょっとはわかる気がするな。車社会って、確かに矛盾してると思うもの。教習所でも、けっこうおかしいと思うのたくさんあったもん。…もし、教習所で教えてる通りにみんなが運転すれば、少なくとも事故はぐっと減ると思うわ」
「ではなぜ誰も教習所の規則を守らないのですか?」
「守ってると社会が成り立たないからよ」
「どういうことですか?」
「たとえば、だから、さっきのあれじゃないけど、一時停止とか制限速度とか、生真面目に守ってると、渋滞したり、荷物が時間どおりに届かなかったり…」
「人間の命より社会が優先されるのですか?」
「…そう、かもね。いまの社会は」
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