ひかりが出ていった静かな保健室。


博斗は、こんこんと眠っている由布を見つめていた。


由布は、いつも、どこか遠くを見据えるような寂しげな視線をしていた。


君は、どんな過去を背負っているんだい?

君は、俺の知らないどんな苦しみを味わってきたんだい?

俺は、君に何をしてあげられるんだい?


俺は、ほとんど何も知らない。

由布はもちろん、五人の心に秘められた悩みも、悲しみも、苦しみも。

どうすれば、彼女達のほんとうの心の支えになってやることが出来るんだ?


ふと、博斗はひかりの机を見た。

こういうときのための、仲間達じゃないのかな。


博斗は、受話器を取った。


四本目の電話を終え、受話器を置くと、ちょうどひかりが戻ってきた。

「博斗さん…どうも、気になることが出てきました」

「気になること?」


「由布の父親ですが…」

ひかりは声をやや潜めた。

「前科があり、おととい刑期を終えて出所したばかりです」

「前科? おととい出所?」

「しかも、傷害事件です」


何かが、博斗の頭の中で動きはじめた。

「はじめて彼が逮捕されたのが、四年前ですから、ちょうど、由布の母親と離婚した直後なんです」

「離婚した直後…」


「これが、由布の父親の写真です」

「どれどれ。どんな悪人面してるんだ?」


博斗は由布の父親を見た。

そして、見なければよかったと後悔した。


「こいつは…」

倒れた由布のかたわらにいた男だ。

あの男が、由布の父親だというのか?


「もしやと思いますが…」

ひかりが重く口を開いた。

博斗は、はっとして思わずひかりの言葉を遮った。


「待ってくれ、俺もたぶんそうだと思うけど、ひかりさん! そんなことが…」


一瞬だけ見た由布の父親の視線。

博斗は、その目の輝きに異常さを見て取っていた。


あれは、権力と力、暴力をもって支配する人間の目だ。

博斗なら、理性と誇りをもってしっかりと抑えている、暴力への欲求。


人間の宿命であるが、宿命であると言う理由では決して許されない、特に身近なものへの身勝手で傲慢な愛情表現。


「由布の家、わかりますか? 俺、由布の母親に会ってみます。きっと母親なら、すべて知ってる気がする」

「私もご一緒します。おそらく女がいたほうがいいでしょう」


ひかりは、眠りつづける由布に手を伸ばすと、頬にかかった髪をすいてやった。

「では、由布を、どこか手近な病院にお願いしましょう」


「その必要は、ないですよ」

博斗は言った。

「あと少し待てば、みんなが来るはずです。由布には病院よりも、彼女達がそばにいてやるほうが支えになるような、そんな気がして電話しときました」


「…それは、とてもよい判断だと思いますよ」

ひかりは微笑んだ。

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