3
博斗は自分の椅子に座り、隣の同僚教師の椅子に燕を座らせた。
燕はごそごそと背負い鞄を探り、教科書とノートを取り出す。
それにしても、ずいぶんと色々とぶら下がっている鞄だ。キーホルダー、ストラップ…かれこれ十個はある。
次にノートを見た博斗は、思わずため息を漏らした。
「な、なんだ、それは」
「せかいしのノートだお」
「お、俺にはキャラクター塗り絵ノートにしか見えん…」
「えっへへ、つばめね、これならべんきょうできるもんね」
燕はノートをめくった。
天を仰いでいた博斗は、その一ページ目を何気なく見て我が目を疑い、燕の手にあるノートをもう一度じっと見た。
ノートには、博斗が授業中に黒板に記載した通りの内容が、びっしりと書き込まれ、薄く描かれている塗り絵の図柄など、すでにうかがいしることも出来ない。
実に小さな字で事細かに記されているにも関わらず、丸っこい独特の調子で書かれた燕の文字はすべてしっかりと読むことが出来る。
「こんだけしっかりノートがとってあるのに…」
待てよ。
確か燕は、自分が何を書いているかはよくわかっていないのだな。
果たして「文字」として書いているかどうかも疑わしい。
もしかしたら、燕にとってこのノートは、直線と曲線の集まりに過ぎないのかもしれない。
「まあ、よし、とにかく、ノートがちゃんと取ってあるんなら、このノートの中身をしっかり復習していけば大丈夫! …な、はずだ」
燕に教科書をひと通り音読させた博斗は、その時点ですでに燕が目を回しかけていることに気付き、一時中断することにした。
「燕君、コーヒー入れたぞ…って…おいおい」
博斗は天井を見上げた。
「すー。すー」
燕は教科書を下敷きにして軽やかな寝息を立てている。鼻ちょうちんが、ぷくんと膨らんでは、すぼんでいるではないか。
「なんとかは風邪ひかないというが…俺は、燕君は『なんとか』ってのとは、またちょっと違うと思うからな…風邪ひくなよ」
博斗は、椅子にかかっていたパーカーを、燕にかけてやった。
博斗はにやりとして、コーヒーをすすりながら、燕の横顔を眺めてみる。
寝ているときの燕は、実にしあわせそうな顔をしている。おおかた、食べ物の夢でも見ているんだろう。
こうしてみると、燕も可愛いものだ。いや、こうしてみなくても、燕は可愛いのだ。
博斗達が忘れ去ってしまった、純真さというのだろうか、汚れのなさを全身から溢れさせている。
その顔を見ているだけで、こっちの顔がほころんでくる。
天使というものが、もし実在するとしたら、こういう子なのかもしれない。
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