3
放課後、六時を回ってから、博斗は再び生徒会室に顔を出した。
例のケムシムー人形をいじっていた桜が、顔を上げた。
他には誰もいない。
さすがにみな、家に帰って勉強をしているのだろう。
「さ、せんせ、どうするの?」
「まだ日も出てるしな。いまのうちに、一回現場にいってみよう」
「オッケー」
博斗と桜は、生徒会室のある2号館から、教室の並ぶ1号館にやってきた。
ウワサのトイレはここの三階だ。
桜は意気揚々と歩き、博斗を先導していた。実に生き生きとしている。
おかしな子だと思う。
IQ600といわれても、まったくピンとこない。
ただ漠然と、アインシュタインとかホーキングはそのぐらいあるのではないか、と、いいかげんなことを考えるだけである。
「なあ、桜君」
「なに? せんせ」
「ん、いや…」
博斗は言葉に詰まった。いったいどう切り出したものだろう。
結局、博斗は、彼女達に聞いてみたいと思っていた質問をしてみた。
「桜君、いまの高校生活、楽しいかい?」
「楽しいよ、とっても」
その言葉には、ためらいも、言葉を選んだ様子もない。
「スクールファイブに、生徒会に、部活も色々と…忙しくない?」
「そりゃ、忙しいけど…でも、ぜんぶ好きでやってることだからね」
「そっか」
博斗は、頭に浮かんだ次の質問を続けてしてみた。
「陽光学園で、満足してるかい? 君なら、こんな辺ぴなところじゃなくて、もっといい選択があったんじゃないのかい?」
「どうかな? 陽光学園は楽しいし、満足してるよ。…でも、後悔してないかって言うと、それはよくわからない。親に、すっごく文句言われたよ。言う通りに海外の研究所に留学しなかったから」
桜は自嘲気味に笑った。
「いまでも親と別居中だしね。…叔母さんのとこに世話になってるんだ」
桜は、立ち止まった。問題のトイレの前にやってきたのだ。
「ね、博斗せんせ?」
「うん?」
「なんでちゃんとした勉強やめちゃったのかって言うとね」
「ああ」
「…僕ね、疲れちゃったんだ。まわりがみんな、天才天才って、僕のこと言うから」
「疲れた?」
「僕ね、テレビも漫画もね、親が許してくれたのしかみてなかったんだ。頭がいいってだけでさ、とにかく勉強しろ勉強しろ、って。他の子みたいにさ、遊んだりできなかったんだ」
博斗は桜に並んで壁にもたれた。
あのお軽い桜が、こんなしんみりとした話をし始めるとは、いったいどういう風の吹き回しだろう。
「どうして、頭がいいと勉強するのが当たり前って思われちゃうのかな。どうして、他の子みたいに遊んじゃいけないのかなって、ずっと思ってたんだ。小学校の頃から」
「小学校、でね…」
普段、いいかげんなことばかりやっているように見える桜が、並の子どもの比ではない過剰な期待を背負って、その期待に必死に応えようとして、幼い心を痛めつけてきたのだという事実が、博斗の心を締め付けた。
「勉強できて、科学の進歩とかに貢献できて、それが素晴らしいことだって、僕のためになるって、みんな言うんだ。でもさ、そう『しなきゃいけない』って誰も決めてないのにさ。とにかく、僕は偉い研究者になればいいんだって、そればっか」
桜は背伸びして博斗のほうを向いた。
「中学も駄目だった。やっぱりね、みんな、僕を特別な目で見るんだ。試験前、勉強しなくていいなんてうらやましいねっ、て。その点、ここはよかった。みんな、ぎすぎすしてないし。ほんとに、友達になれそうな気がしたし…。でも」
桜が一瞬言葉に詰まった。
「さっきの遥君かい?」
「うん…」
桜の声は消え入りそうであった。
「やっぱり、僕、特別なのかな。ねえ、せんせ?」
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