「蛹の竜は羽化を夢見て」





 竜とは、力の象徴である。あらゆる生態系の頂点に君臨する、異論の余地が生じ得ない最強の生物だ。


 言うまでもないが竜は巨大だ。小さな砦ほどの巨躯を誇り、広げた翼は空を掴む。王者の如く悠然と宙を飛び、灼熱の吐息ドラゴン・ブレスを吐き出し地上を火の海にする様は、まさしく災厄の化身そのものと言えるだろう。

 筋肉の詰まった分厚い尾の一撃は、突けば城門を崩し、薙げば軍勢を払い尽くす。その身に搭載した質量は、原始の世に於いて比類のない兵器だ。虫の一刺しが鉄塊を傷つけられる道理がないように、人の鍛えた武具など竜の鱗の一枚すら損なわせられまい。

 人の身で紡いだ魔法も児戯に過ぎぬ。天性の抗魔力は、魔法使いの大軍を以て詠唱されたものでも、憂鬱げな吐息の一つで掻き消される物でしかない。古くは荒神とも崇められた暴虐と暴食の生物、それが竜であり、千や万の時を経た竜はもはや生きる天災である。詩を吟じる詩人から一つの世界とまで形容された事もあった。まさに当時の理における超越者と称するに相応しいだろう。


 だがしかし、時の移ろいとは残酷なものだ。讃えられた栄光は所詮、過去のものでしかない。


 竜とは神が産まれる以前の世を統べた種だ。そして剣と魔法の原始時代に王者として君臨し、あらゆる生物に恐れられてきた。

 だが人が図抜けた勢力を築き上げ、叡智の神を信仰より具象化する事で発生した科学文明“西暦”となると、竜の時代は唐突に終わりを告げられる。

 人々の想念が生み出した、森羅万象を司る神々が言ったのだ。これより先は物理法則の時代である、幻想の時代の覇者にはご退場願おう、と。

 竜は、滅んだ。呆気なく滅ぼされた。神々の頂点に立つ黄金の神王と、その伴侶である神の主導の下に、赤子の手を捻るより容易く絶滅させられたのである。


 故に科学文明からルーン文明へ暦を進めた後、新たに発生した竜と、原始時代の古臭い竜が全くの別物なのは自明だ。


 邪神は人を新人類“デウス・プロディギアリス”へ改竄し、品種改良を施した。

 旧来の人類を守護し邪神群と戦った神王は、自らの命を礎に概念位階を生み出して、人を“ユーザー・サピエンス”へと進化させた。

 エルフやドワーフ、巨人をはじめとした人類種や、人が魔族やら魔物やらと呼び、蔑む種もまた起源を辿れば同じ人間である。そこには神王に保護されたか、邪神に支配されたかの違いしかない。そしてルーン文明における竜もまた元を辿れば人間だった。


 人間、だったのである。すなわちルーン文明で語られる“竜”とは、すべからく“真人”を基準として語られるバケモノ・・・・だという事だ。


 ――繰り言になるがコールマンの知識は浅い。その上、狭い。竜とかいうファンタジック・サーガの極みとも言える生物に関しては、ただ単純に“強いのだろうな”という印象しか懐いていなかった。ましてや知識と経験が全くの別物であるのは明々白々。

 コールマンは竜という存在の断片に過ぎない因子を、自らの魔力炉心へ移植された途端にその事を痛感した。甘かった、と。強いなんてものじゃない。普通の人間の尺度で図れる存在ではないと、本能で理解させられ、我知らず喘声を上げてしまう。


「ぁ……ぁあ……」


 それは断末魔にも似た呻き声。純粋な人間として、今に死なんとしている肉体が上げる法悦の悲鳴だ。

 脳裏に去来したのは、見た事もない赤い竜のイメージ。コールマンは自らの頭蓋が内側から膨張し、破裂してしまいそうな錯覚に襲われた。

 どくりと脈打つ心の臓。錯覚を実感してしまう首から上に留まらず、体の内側から膨れ上がり、全身の血管が大蛇の如く暴れ出したかのような、激烈な違和の痺れを脊髄に流し込まれる。


 痛みとも熱さとも、寒さとも嘔吐感とも取れる悍け。ひと呼吸ごとに起こる体の異変に酩酊にも似た心地を味わって、起立性低血圧の症状に陥った。


 平衡感覚を失った。立っていられず、その場へ蹲り――タワーマンションの上層の壁面に突き刺していた、二本の短槍から滑り落ちる。

 ぐらりと落下し頭から地面に叩きつけられる。だが常人なら脳漿をぶち撒け即死しているはずの痛みや、高所からの落下に伴う浮遊感など意識の端にも浮かばないほど畏ろしい感覚だった。

 循環する血液が、作り替えられているのが分かる。人の血から竜の血へと。それに伴い血の走る血管が破れ、内出血で全身が赤く染まり、急速に治癒するや古い血が蒸気となって破れた皮膚から噴き出した。

 装備している鎧兜の隙間から血煙が立ち昇っていく。

 心臓を基点に血が替わり、血管や内臓が相応の強度を持つように刷新され、改竄されていく工程が仔細漏らさず脳に伝わり――あたかもコールマンへ自覚を促しているかのようだ。お前は今、人間ではなくなったのだ、と。骨密度と筋肉量も増大し、細胞の一片に到るまで人の体が竜の体に書き換えられたのが分かってしまう。


 強烈な自己変革の波。そこに痛みは無い。むしろ、心地よかった。有り体に言って快感ですらあり、味わったことのないそれに絶頂しそうでもあったほどだ。


『生まれ変わった気分はどうかな、マイ・マスター?』

「………新鮮な感覚だ。例えるなら全身を揉みほぐされた後に、スープの出汁にされたかのような………いやこの例えば無いね」


 魔導兵シグルドが有していた竜の因子。人の身には余る絶大な力の流入によって、人よりも高次の存在へステップアップしたかのような全能感に包まれている。地面を転がる魔導兵の残骸への罪悪感が消し飛んでしまうほど甘露で、衝撃的なまでの高揚に精神がかつてない昂ぶりを見せていた。

 この段になって漸く自身が地上に落ちている事へ気づき、コールマンは自身の溢した感想の間抜けさも合わさって苦笑いを溢す。しかしあながみ的はずれな感覚でもないと思った。体を柔らかくされた後に、体内の不純物を絞り尽くされ、純化していくのが分かったのである。気持ちが良い、気分が良い。飾らずに言って、最高だ。

 だが異様なまでに冷たい思考の芯は、全く高揚の熱に侵されず、自らに為された処置へ一握りの嫌悪感を残してもいる。


「……son of a bitch」

『んんぅ……?』


 意味が伝わらない事を良い事に、口汚く罵倒する母国語を口にした。


 聞いていない。因子の移植が、元となった生物に近づく事であるだなて一言も聞かされていない。訊ねられていないから答えなかった、なんて詭弁に傾ける耳はなかった。

 目の高さまで手甲に覆われた手を掲げ、開閉を何度か繰り返す。冷たい鉄の擦れる音を聞きながら、己の肉体の変容を確かに把握した。

 竜の因子の移植。なるほど、確かに凄まじい力を獲得するチートズルだ。コールマン自身の才能や研鑽に由来しない、他者の歴史から収奪した代物である。だがコールマンはあくまで冷静だった。どれほど浮足立ちそうでも、年齢不相応どころか人らしさからも逸脱した落ち着きぶりである。

 その精神状態を一定以内に堅持する力は、明鏡止水の精神に達した武芸の達人にも比するだろう。元々が物静かで向上心に富み、理性の強かった少年だったが、異質特性“天稟増幅グロウス・ブーステッド”で二乗化しているにしても異常な精神力である。しかしそのおかげでコールマンは忘れていなかった。


 シグルドとかいう男は、身体陵辱呪詛だとかいうものを浴びたのが原因であるにしろ、この竜の因子を持ち得ていたが故に、生身の体が完全に竜へ変貌したらしいではないか。

 これから先、どんな未来が待ち受けているのかなんて想像できるはずもない。ないが、だからといって無駄なリスクを断りもなしに負わせるとは、マーリンは何を考えている。

 もしコールマンが身体陵辱呪詛を浴びてしまったら、シグルドの二の舞となる可能性は極めて大きい。何せコールマンははっきりと把握している。今の己の肉体が純粋で脆弱な人間のそれではなく、見た事はないが竜のそれへ限りなく近づいているのだと。

 竜の細胞と力を大幅にスケールダウンし、無理矢理に人の形に押し留めた存在。それが今現在のコールマンなのだろう。基礎的な肉体性能や魔力の絶対量が人の規格を超え、先刻までの自分と比較すると10倍は差が出ているのは解るが、負わされたリスクは決して無視していいものではない。むしろ明確で致命的な弱点を背負わされたと思えば、諸手を挙げて歓迎するべきではなかった。


 しかしコールマンはその懸念を頭の片隅に追いやる。マーリンがどんなつもりであるにしろ、短期の内に自らの力を高めるという目的は順調に果たされている。ダンクワースはどうか知らないが、少なくともアルドヘルムはマーリエルが教えてくれた“真人”という存在の一人だ。あの男を殺すのに正面から正々堂々決闘を仕掛ける気は無いにしても、まともに殺り合わざるを得ない場合も想定して、確実に殺せるだけの力は欲しかった。

 率直に言えばダンクワースとアルドヘルムが殺せるなら、後の事などどうでもいいのである。後の事は後で考えればいいし、最悪この手であの二人を殺せるなら死んでもいいとさえ思っている。根深く、修復不能なまでに深刻な殺意と復讐心は、コールマンに我が身の破滅をも許容させるだろう。


「じゃあ、行こう」


 今度は“待った”が掛かる事はなかった。解けていた身体強化魔法“誕生ortus”を改めて発動し、レッドカラーの魔力形質を不随意に滲み出させる。

 目標はマーリエルとの合流。何があったのかは不明だが、今の彼女は著しく弱体化しているらしい。放っておく事は出来ないし、彼女がコールマンを強くしてくれる公算が高いとマーリンが言う以上、情に打算を含めてしまえば行かない理由がなかった。


 理想は消耗を避けるために戦闘を回避し、目標地点まで一気に駆け抜ける事だが、生憎とそう上手くはいかない。残念ながら時期を逸している。

 タワーマンション上層から、大剣を所持しコート・オブ・プレートを纏った人間が落下したのである。その激突音は周囲に響き、近くにいた魔物が聞きつけ何事かと押し寄せてきていたのだ。

 そしてコールマンという人間を見つけるなり、全ての魔物が殺気立つ。一帯の人間はほとんど始末をつけたというのに、まだこんなところに生き残りがいたのかと。


 本当なら避けられたはずのエンカウントである。マーリンのせいで無駄なリスクを負わされたのだ。どうにも上手く行かない事ばかりで苛立つも、楽しい事のない日々なのだからせめてポジティブにいこうと思い直す。今の自分の力を把握するための機会を、マーリンがわざわざ作ってくれたのだと解釈すればいいじゃないか、なんて。

 「ハッ………」と、我ながら無理のある考えに失笑し、タワーマンションへ刺さったままの短槍を一瞥した。投擲用の双槍に刻んでいた術式を再度起動して、眼前に描き出された魔法陣から短槍を引き抜く。そうして左右の手で握り込むなり地面を蹴った。


 コールマンが落ちたのは、タワーマンションの駐車場だ。車は無い。住民は自家用車に乗って避難したのだろう、おかげでそれなりに視界と道は開けている。


「ナビを頼む」

『りょーかい、任せて。まずは直進だよ』


 初速から全速力。自らの想像を超えた加速に、他ならぬ自分自身が驚かされた。

 理詰めで戦闘を行なう秀才肌の少年は内心これに慌て、自身のイメージとの擦り合わせに神経を傾ける。しかし動き出してしまったのだ、もう目の前には魔物がいる。悠長に慣らし運転をしている暇はない。

 舌打ちしたい気分を打ち消すため、コールマンの発揮した予想外の速さに面食らっている様子の小鬼ゴブリンの顔面へ短槍の穂先でキスをする。眼球を穿ち、眼窩を抉り、脳を破壊した。ここでコールマンはまたしても己の失態に気づく。ざっくりと魔物が大量にいる、という程度の認識で動き出してしまっていたのだ。


 短槍を振るって串刺しにしていたゴブリンを払う。ドチャ、と水風船が叩きつけられて破裂したかのような、水気を帯びた音がする。


 敵の正確な数を把握しないで始動した事。自らの基本性能が大幅に上がった事で、精密な制御の利かない状態であるのが自明であるのに不用意に飛び出した事。どちらも普段のコールマンには有り得ないミスだ。自分で気づいていないところで無意識に舞い上がっていたのかもしれない。こんなに強くなったんだから大丈夫、と。

 自身の中に一握りの冷静さが残っていたから客観的に己の無謀さを省みれた。だが遅すぎる、未熟だ。つい先程にその脅威の程を視認した、巨人を屠殺してのけた魔物――大鬼オーガが眼前で武骨な大剣を振り被っているのに気づいた時には、手痛い授業料を支払わざるを得ない間に至ってしまっていた。


 薙ぎ払われる槍のように長大な刃。初動しか見て取れない。コールマンの胴を二つ並べたほどもある太腕がブレたと思った瞬間には、こちらの胴体は上下に泣き別れるだろう。

 電撃的に閃いた未来予想図に総毛立ち、咄嗟に短槍を十字に重ねて防禦体勢を執るや、刹那より速い弾指の間、ほぼ同時に直撃した大剣の一撃でコールマンは吹き飛んだ。

 両腕が砕けたと錯誤する衝撃。いや、短槍は微塵となり、実際に腕の骨が粉々に打毀されている。のみならず体内まで浸透した威力で内臓が爆ぜた。血反吐を吐きながら地面を転がり、元いたタワーマンションに激突する。跳ね起きるようにして立ち上がった瞬間には、破損した腕と内臓がマーリンによって治癒されていたものの、その痛みは平時の精神状態へ回帰するのに十分なものだった。


『おーい、マスター? らしくないね。闘技場の頃みたく、わざと勝てない土俵で勝負して自分の弱さを再確認しようとしてたの?』

「Shut up! (煩いッ!)」


 演算補助宝珠の揶揄に怒鳴り返し、逆上気味に頭へ昇った血の熱を呼気に乗せて吐き出す。追撃に出てくるオーガを一瞥し、ブッ、と血の塊を吐き捨て、今度こそ敵勢を見渡した。


 まずゴブリンが二十。箸にも棒にもかからない雑魚。脅威ではない。


 次にオーガと、牝鬼オグレスが八。ほとんどが若い個体だが、一体だけ白い顎髭を蓄えている個体がいた。指揮官格だろうか?

 アレらの武器は一様に2mほどもある特大剣。一体のオーガが迫ってくるが、膂力に速度は比例しないらしくなんとか肉眼で見て取れる。

 体躯は3m近い。豚のような醜い顔は獰猛な意志に漲っている。異常に発達した分厚い筋肉の鎧を土気色の全身に纏い、額から伸びた一本の角は三日月のようだ。

 身に着けているのは粗末な腰布のみで防具の類いは装備していないが、その筋肉の鎧には生半可な打撃や斬撃は通じないだろう。柱のように太い首、肩周り、胴。反比例して細い脚。脚が細いように見えるのは、あくまで上半身と比べてだ。スケール感に惑わされないで見極めれば、脚もコールマンの胴体ほどの太さがある。

 感じられる魔力量は微々たるものだが、素の基本性能が馬鹿げたレベルで高い。もしも竜の因子がなければ、コールマンは反応も出来ずに殺されていたに違いなかった。


 他には杖を持ち、ローブを纏ったゴブリン・メイジが三体。上位個体のセージはいないのが救いか。魔法による攻撃しかする気がないようで距離を空けている。魔法にさえ気をつけていればいい。無理をして殺しに行かねばならない相手ではないだろう。


 遠目には骸骨兵。ウィル・オー・ウィスプに取り憑かれ、邪魔な肉をこそぎ落とした完全体だろう。先程コールマンが一蹴した雑魚とは違う。正確な強さは知らないが、未知の敵をわざわざ相手にしてやる義理はなかった。

 他にも岩の巨人とも言えるモノ、蜘蛛女もいるが、コールマンをさしたる脅威とは看做さなかったらしくさっさと次の獲物を探しに行っているようだ。あんな小僧など此処にいる魔物だけで片付けられる、と。


(無視された? “真人”にもなっていない青二才に、構うだけの時間がないって事か……まあ、間違っちゃいないよ。同じ立場なら僕だってそうする)


 だがコールマンは、普通ではない。縦に開いた・・・・・爬虫類じみた瞳孔を収縮し、目の前まで迫るなり大上段から特大の刃がついた鉄板、大剣を振り下ろしてくるのに合わせて、オーガの足元目掛け飛び込んだ。

 太い足首を掴み、今しがたコールマンがいた地点から破滅的な轟音が轟くのを聞きながら、魔力炉心で組んた“Tonitrus”の術式を人差し指に送付。赤い紫電を発した指先でオーガの足首の腱を抉り断絶させた。


(身長差が激しいから飛び込むのは簡単、と。――この世界の人間は認めたがってないけど、歴史の教科書を見るに魔族も魔物も、竜も悪魔とやらも元は同じ人間っぽい。なら体の仕組みも似通っている可能性はあると思ったけど――ビンゴだ。こいつらにもアキレス腱はある・・・・・・・・。なら他にもありそうだ。試す気はないけどさ)


 異質特性“天稟増幅グロウス・ブーステッド”の特性は、コールマン自身が無意識に必須と看做した己の能力を二乗化している。故にその思考速度・情報処理能力も傑出したものとなっていた。

 鴉の兜を飾る白い房が風に靡く。大鬼のアキレス腱を断絶させ様、地面を転がり両手を突いて虚空に身を踊らせるとそのままバク宙し、着地しながら背部の大剣を抜剣した。

 もんどり打って転倒し、痛みに呻くオーガはもう見ていない。と言っても自身の周囲には常に魔力波長を発し知覚領域としているため、視覚に依存する必要がないだけである。見ていないだけで、捉えている・・・・・のだ。憎々しげにこちらを睨み、倒れたまま己の大剣を投じてくるのを、振り向きもせずに躱せたのはそのためである。


 その際に自身の横をすり抜ける大剣の刀身を、自分の大剣の柄で叩き軌道を調整してやる。オーガの擲った剣弾を、指揮官格と思しき老いたオーガに向かわせたのだ。

 だが超速で飛来した巨大な弾丸を、老いたオーガは裏拳を振るい容易くいなす。

 体幹は揺れず、力みはなく、自然体のまま無造作に捌いた所作の連結。それを見てコールマンは心の中の算盤を弾いた。そしてすぐさま結論する。アレは無理だ、と。一対一でも勝てるビジョンが浮かばない。他の奴らの相手も無理だ。数が多すぎる。

 雑魚と見做していたコールマンの体捌きに、一瞬呆気に取られた魔物達だったが、年老いた風体の個体が一喝すると一斉に襲い掛かってくる。少年は老オーガの声を聞き、(屠殺される寸前の豚みたいな声だ)と失笑した。


 元よりまともにやり合うようなお行儀の良さは望んでいない。コールマンもまた、正々堂々の戦いなんてクソ喰らえと思っている。同時に襲い掛かられても文句を言う気は毛頭ない故に、オーガのアキレス腱を断った瞬間から、並行して術式の構築は済ませていた。

 卑怯卑劣は褒め言葉、罵倒は全て負け惜しみ、勝てば官軍負ければ賊軍。言いたい事は好きに言え。弱者の戦いとは優劣の競い合い、命の奪い合いではないのだ。生き残る事、この一点であるとコールマンは確信している故に、部外者の野次など聞く気はない。


FlammaTonitrus……融合Fusion


 使用する魔力リソースは十分の一。竜化が為される以前なら全魔力に匹敵する量。天に翳した左腕に炎の螺旋が発生し、真紅に帯電する。それを複合させ、組み合わせ、複合魔法を練り上げて。――あ、これ効率悪いなと今気づく。

 燃費と実効果が釣り合ってないじゃないか、効率よくやればもっと凄い事ができるはずだぞ、と。しかし検証している場合ではない、改善点を頭の片隅に押し込んで、後で魔力運用の効率的な方法を学ぼうと決意する。


 Qui  parcit  malis,  nocet  bonis.

「“悪人を許す者はクィー・パルキト・善人にマリース・害を与えるだろうノケト・ボニース”」


 この複合魔法は現在のコールマンが有する最大火力である。

 それは眩いばかりの炎雷の誘導弾。体積にして10mの円形。筒。瞬時の判断で防禦体勢を執る魔物達を無視し、コールマンは左腕を振り下ろし足元で炸裂させた。

 一帯が火の渦に呑み込まれ、火災旋風の禍つ風に巻かれてゴブリンは全て吹き飛んだ。オーガも地面に大剣を突き刺してなんとか堪える。

 魔法式が燃料とする魔力を失うと、自然、火災旋風は掻き消えた。全身に火傷を負ったオーガの群れが怒りを隠しもせず辺りを見渡し、自分達に手傷を与えた敵の姿を求める。

 だがそこには既に誰も居ない。影も形もありはしない。勝てないのが分かりきっているのに、律儀に残って戦ってやる訳がなかった。


 種を明かすと設定した炎雷の形状はドーナツ状だった。地面に叩きつけ、爆炎が生じさせた旋風はベクトルの全てを外側へ向けていたのだ。物理法則上は理屈として成立せずとも、魔法による火災旋風の内側、筒状の内部は完全な無風状態となっていたのである。


 炎の竜巻の中にいたコールマンは、火災旋風が残っている間に地面に潜り・・、大剣で土を掻き分けながら地中を走り・・・・・逃走した。自らの有する大魔法が、ただの目晦ましにしかならないと判断したからこその割り切りであり。常人の常識を超えた存在だからこそ選べた逃走ルートだ。

 魔法の属性が炎と雷のであるため、水分の多い眼球を焼かれる訳にはいかないだろう。オーガやその他の魔物が目を守る隙を突いて一目散に逃げたのである。


 地上に上がり、遁走する少年を探している気配を背中に感じながら、コールマンはマーリンの案内に従い一直線に駆け続ける。次は右、その次の信号を左――といった具合に。

 グラスゴーフ。異世界の大都市。その景観を楽しむ余裕があるわけもなく、コールマンは全速力で駆け続けた。人間の居ない魔物だらけの地点を。

 もちろん無駄な戦闘は全て避けている。マーリエルが通った道には魔物の残骸が散見されるため、もともと敵の数が少ないというのもあった。不用意に走らない限り敵に見つかる事はない。


 しかし、コールマンに降り掛かる災厄は、何も魔物からだけ齎される訳ではなかった。


『あっ。上空注意、晴れ時々火の粉プロミネンスが落ちるでしょう!』


 天気予報のような調子でマーリンが警告を発する。意味が分からなかったが、とりあえず上を見上げた途端だ。走る足を思わず緩め、コールマンは驚愕する。

 

 夜の空が、完全に真昼のそれへ塗り替えられていた。


 雲の上の高さに太陽が二つある。小さな太陽だ。人の形をした太陽が、極超音速で残像を多数残して飛び回り、激突を繰り返している。

 まるで世にも名高いジャパニーズ・アニメの戦闘パートを見ているかのようだ。差し詰め今のコールマンは飲茶視点という奴であろう。

 夜空に浮かぶはずの月が、激しい極光の乱舞に照らされ見た事がないほど輝いている。もう何がなんだか、さっぱり分からない。あれはなんだと馬鹿みたいに空を見上げ、不意にコールマンは気づいた。


 二つの太陽が激突を繰り返す度に飛び散る火の粉。その内の一粒がこちらに跳ねて来るではないか。


「―――あ」

『ちょっ、なんばしよっとね!? 防禦しようよぼーぎょをぉぉぉ!!』


 白痴のように気の抜けた声を漏らして。

 慌てすぎて完全に我を見失ったマーリンが、コールマンの魔力を勝手に使い魔力障壁を展開する。


 “火の粉”と形容するのが憚られる、太陽の欠片が後方50mの距離に着弾した。すると沸騰させた油を全身に浴び、鉄の塊で殴り飛ばされたような衝撃に襲われ屑の如く吹き飛んでしまう。

 魔力障壁はほぼ全損。辛うじて防禦が間に合い即死は免れた。だが意識が白熱し、思考が混濁とする。その間に今度は黄色い稲妻が天高く奔り、二つの太陽の片割れを穿つ。更には極めて大規模な竜巻が数秒発生したりして。あちらこちらに転がりながら、少年は第三幕壁“メデューサ”に激突させられた。


 幸か不幸かそのショックで意識を取り戻したコールマンは、自失気味に上方を見上げた。


「な………にが………?」


 呟いてから、ああ、と納得する。得心がいった。なるほどね、と。


「―――あれが、彼女達・・・の強さ、なのか」


 あの太陽は、アレクシア。

 このアホみたいに高い城壁の上にいるのが、マーリエル。

 その強さを肌で感じて、コールマンは渇望した。


 あれだけの力が自分にあれば、もはや何者にも縛られずにいられるのではないか、と。


 そんなはずはないのに、夢想して。そして心から欲する。あの力を手に入れられたら、復讐は簡単なものになるのは疑いようがない。

 肉体が発する痛みの信号が、今は福音のように感じられた。コールマンはマーリエルの許へ急ぐ。熱病に浮かされたように。誘餓灯に誘われる羽虫のように。








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