一つの嘘で、時代が動く






 大脳を司る髑髏鴉ニグレドが開発した秘術。公爵たる彼が、数百年にも亘り膠着せざるを得なかった戦況を打破せしめる為に温めてきた大計。その前段階は無事完了クリアした。

 そして第一段階『侵入』は済み、第二段階『輸送』も間もなく完遂するはず。後は第三段階『膳立』と最終段階『再臨』を残すのみだが、ここまで来れば問題なく遂行できるだろう。

 畏怖を誘うのはここまで全ての計画を立案し、成功させる為の布石を打ってきた髑髏鴉の頭脳である。超越者たる御方に次ぐ見事な策謀の結実には、伯爵である彼をして戦慄と感嘆を禁じ得ない。


 その功績は極めて大であると言えた。状況打破の秘術を開発なさしめた叡智、遠大な作戦立案に始まりそれを成功へ到らせる布石の指し手、流石は我ら新人類デウス・プロディギアリス随一の知恵者だった。

 自身はこの儀の結実を以て正式に貴族位へ返り咲く。悲願成就を目前にした実感に、燃え盛る紅蓮の如き赤毛の巨漢は高揚していた。


 ――だがその昂ぶりに冷水を浴びせる者がいる。その報せは魔力無線通信マギア・ナーエによって齎された。


『クラウ・クラウ。問題が発生した』


 それは自身同様、今回の大計に動員された戦闘員。男爵位に在る少女の報告だった。

 この大計に参加するには実力と経験が不足している小娘だ。誇りと高慢を履き違えた青二才である。到底同胞の未来に関わる策謀に参画する資格はなかった。だが『輸送』に欠かせない異能を持つ唯一の存在故に、実力不足であるのにも関わらず抜擢されてしまっている。

 掌に収まる程度の大きさの、淡い碧光を放つ宝玉を背にして凭れ、“アルベドの褥”の深奥にて待機するクラウ・クラウは眉を顰めた。


『……問題だと? いったい何事だ』

白化鳥アルベド公爵閣下の内より下位の人間共を運び出した際だ。私の通った道から劣等の魔人が二匹・・出てきてしまった。一匹は始末したが、もう一匹は見つからなかった。最悪この件がアルドヘルムの耳に入るかもしれない』

『――な、何……?』


 予想だにしなかった事態の発生に、思わず反駁する。一瞬理解が追いつかなかった。

 しかしクーラー・クーラーの報告に理解が及ぶにつれ、クラウ・クラウの頭にカッと憤怒の炎が灯る。瞬間的に沸騰し、クラウ・クラウは怒声を発した。


『戯けッ! なんたる失態だ、貴様自分が何を仕出かしたのか分かっているのか!?』

『……すまない。だが、まだ修正は利くだろう。不審な事態が起こったからと、アルドヘルムとてすぐには的確な手は打てまい。まだ閣下の秘術の全貌は明らかになっていないのだ。少し計画を修正すれば……』

『それを判断し決めるのは貴様ではないッ! 閣下は作戦実行の全権をこの俺に委任している。差し出がましい口を叩くな小娘ッ!』

『ッ……』

『……チッ。貴様を責めても詮無きことか。失態を犯したなら後の働きで挽回しろ。いいな、勝手な判断で動くなよ』

『……分かっている。それで、私はどうすればいい?』


 不服そうな声音に苛立ちが募るも、クラウ・クラウは深く息を吸って吐き出し、努めて冷静さを保つ。クレバーな判断を下さねばならない。失敗は絶対に赦されないのだ。

 作戦を成功させ栄光を掴むか、失敗し無様に死ぬか。二つに一つだ。別段死を恐れはしないが、自分達の失敗がそのまま同胞達への打撃になるとなれば、是が非でも作戦を成功させなければならない。それこそこの命に代えてでも。


『アルドヘルム・ハルドストーンは閣下をして油断のならぬ知恵者と称された男だ。奴の策によって何度苦渋を舐めさせられたか……奴に従った魔人共によって、力ある同胞が何人斃されたか! ……あの男を侮るのは愚かを通り越して白痴の所業だ。下手に判断材料を与えたとあってはいたずらに時を掛けるのは愚策。奴の手が回る前に動かねばならんか』


 クラウ・クラウは武人だ。そんな彼にとって、知恵者と呼ぼれる者の叡智は理解不能の域にある。しかし確信しているのは、些細な痕跡から真相に到達するのが己よりも遥かに早いということ。まだ大丈夫と決めつけるのは油断と言う他にない。

 こうなれば断行する他ないだろう。この魔人領へ共に潜入しているのは、頼りにならない小娘のみ。だが腐っても新人類の同胞、氷人クーラーの家を継いだ男爵だ。未熟な身であるのならこちらでフォローすればいい。

 どのみち魔人領に蔓延する空気は人類にとって猛毒である。長期間の潜入は不可能。帰還するまでの道程も計算に入れると、もうそれほど長い時は掛けられないのだ。


『致し方ない、か。予定を前倒しにするぞ』

『……どういうことだ?』

『本来我らは表に出るつもりはなかった。だがアルドヘルムに気取られる可能性ができた以上悠長な真似はできん。クーラー・クーラー、確認するが所定の位置への「輸送」は粗方済んでいるのだな?』

『う、うむ。七割は済ませた』

『ならいい。であれば、それは全て“A地点”に当てろ。“B地点”と“C地点”にはそれぞれ貴様と私で当たる。座標は頭に入れているな』

『ま、待て! そんなことをすれば私達は!』


 狼狽した少女の反駁に、クラウ・クラウは断固として告げた。


『死の危険がある……だがそれがどうした。使命を帯びた者が自らの手を汚すことと、自らの死を厭うてはならん。閣下は我らに死力を尽くせと仰せになられた……此度の計画は絶対に成功させねばならんのだ。いいな? クーラー・クーラー。我らデウス・プロディギアリスのために、身命を賭す覚悟は貴様にもあるはずだ』

『………』

『注意するべき特記戦力は“野蛮人”アレクシア・アールナネスタ・アナスタシア、“臆病者”マーリエル・オストーラヴァ……そして赤薔薇ルベド大公爵閣下の脊髄を抜いた“冒涜者”キュクレインだ。だがそれ以外にも精強な軍が即座に出撃してくるだろう。敵地で孤立している状況だ、ほぼ生き残る芽はない……だが、それでもやるぞ。公爵閣下がおられるならば、後の事に憂いはない』

『そう……だな……』


 言い澱むクーラー・クーラーに、クラウ・クラウは内心嘆息する。やはり小娘だ、鉄火場に在ってはあらゆる未練も即座に切り捨てられる精神性が求められるというのに、覚悟の一つもはっきりと固められない。

 この任務が死と隣合わせな危険なものだというのは言ってあったのに、未だに何処かで甘く見ていたのだろう。まだ死にたくないという思いが声に出ている。

 だが、別にいい。若いのだ、まだ割り切れないのも仕方ない。それに――もしもその時・・・が来たのなら、先に死ぬのは自分の役目だ。どちらかしか生き残れない状況になったのなら、希少な能力を持つクーラー・クーラーを生かした方がいいはずだとクラウ・クラウは考えている。


 アルドヘルムは油断ならない相手だ。魔人共が結成した連合軍、その国ごとの区別はつかないが、アレクシアは帝国とやらの所属だったはず。そんな輩を自身の領国に招き寄せ、遠くの地に駐屯していたはずのマーリエルをも呼び寄せた。あまつさえ見計らったようにキュクレインまで手元に置いている。クラウ・クラウにはない大局的な視座から何かを感じ取っているとしか思えなかった。

 こちら側の些細な不手際の一つですら有力な判断材料として、こちらにとって致命的な一手を指してくる可能性は充分にある。計画を断行するのは間違った考えではないはずだ。


『いずれにしろ……事此処に至っては、貴様が居たのは僥倖だったぞ。アレクシア』


 思考を切り替え、クラウ・クラウは薄く嗤った。

 それは冷酷な、しかし血の滾りを感じさせる武人の笑み。魔力無線通信マギア・ナーエの回線を切り、彼は密やかに呟く。


「もしもこの俺と相見えたのなら……その時こそ貴様の最期だ。我が弟の仇、この手でってやろう」


 ――不敵に嘯くクラウ・クラウは、この時、想像すらしていなかった。


 クーラー・クーラーの齎した報告が、たった一人の少年の取るに足りない嘘に謀られたが故のものであるなどと。

 計画を前倒しするに到ったこの判断が、全くの空回りであるなど――歴戦の勇士ではあるが、同胞を信じ過ぎるきらいのある男には想像できなかったのだ。








  †  †  †  †  †  †  †  †








「現時刻一八三○ヒトハチサンマル。刑事部特殊犯捜査係より入電。緊急事態の発生につき大至急ユーヴァンリッヒ伯爵閣下へ報告されたし。グラスゴーフ・インナーシティ、発掘闘技場の裏通りにて首輪付きの登録者の遺体を発見。氷雪系の魔術行使の痕跡あり。現場状況から殺人事件と断定しました。第一発見者は等級三位の冒険者、名をキュクレイン。その伴侶エウェル・エリンによる通報あり。現在身元の確認と並行して、エリン氏による蘇生を試みている模様」

「――グラスゴーフ運営本部より架電。了解した、ただちに報告する。追って指示を出す、それまで現場を中心に捜査を進めるように。闘技場の方へ登録者に行方不明者がいないか問い合わせるのも忘れるな」


 アダルバート・バークリーは応じ、風雲急を告げる事態の訪れを感じて表情を引き締めた。


 主人は今本部を留守にしている。国営冒険者組合への根回しの他、ダンクワース侯との対談に向かっているためだ。

 どこまでも最悪の事態に備え、いざとなればダンクワース侯の実子に転生した“鏃の御子”の御業を行使するよう要請しに行っているのである。

 都市部で“鏃の御子”の権能を振るうなど狂気の沙汰だが、それでも必要になる場合もあるかもしれないと主人は考えているのだ。


 発見された遺体の損壊状態は酷く、パッと見で誰であるか判別できない状態らしい。ならばこちらがすべきなのは主人への報告の他、参謀本部への連絡と闘技場の登録者の中に行方の知れない者がいるか洗い出すこと。

 バークリーはそのように考え行動に移った。

 魔力炉心を起動し、グラスゴーフの通信基地コミュニケーション・サーバーを通して魔力無線通信マギア・ナーエを繋ぐ。魔力波長の波形を登録している者になら簡単に繋がる仕組みになっている故に、バークリーの念話の糸は数秒と掛からずにアルドヘルムへ接続された。その感覚を待って、バークリーは念じる。


『――バークリー?』

『はい。閣下、突然の通信、平にご容赦を。火急の事態発生につき報告がございます』

『ああ少し待て。ダンクワース侯と対談している最中だ。断りを入れる』

『畏まりました』


 恭しく頭を垂れ、返答を待つバークリーを他所に、グラスゴーフのインナーシティ、要人居住区の一角に訪れていたアルドヘルムは、軽く目頭を揉む仕草を挟んで告げる。


「部下より念話があった。ダンクワース侯、すまないがそちらに集中させていただく」

「ん……私は構わないよ。多忙の身であるユーヴァンリッヒ伯だ、王国の藩屏である貴殿の責務を果たすといい」


 革張りの椅子に腰掛け、上品な所作で足を組み直す壮年の紳士の言葉に目礼し、アルドヘルムは改めて従者の通信回線に意識を向ける。

 その視界の隅には、ダンクワース侯の実子であるバレット・カステンタールが父の後ろに隠れている姿が収まっていた。

 まだ幼い。十歳になっているか、なっていないかといった年頃だ。鳶色の髪と瞳は母親譲りのものだろう。気の弱い少年は、アルドヘルムを怖がって視線を向けられる度に怯えを見せている。まあ、気に留めることでもない。


『――さて。火急の案件か。バークリー、手短に頼むよ』

『では要点のみを。刑事部特殊犯捜査係より、発掘闘技場の裏通りにて首輪付きの登録者の遺体を発見したとの事。エリン氏が蘇生可能か試み、私の方で登録者の中に行方不明者がいるか調べるように手配しました』

『……うん? 私の記憶に間違いがなければ、首輪付きが外へ脱走できた試しはない。外部へ通じる道は常に運営の管理下にある。平時も人工聖霊端末による監視があり、ダンジョン内にも抜け道はないはずだ。過去ダンジョンを精査した際にも隈なく調べている……アルベドの核の反応、ダンジョン構造の変化の有無、それらに類する異変は? それから遺体の状態も教えてほしい。殺されたのか?』

『報告は挙げられておりません。遺体に関しましては氷雪系の魔術により氷漬けにされ砕かれたものと思われます。現場の考察によると殺人事件であろうとのこと』

『……分かった。捜査を続けてくれ。それと、遺体の発見者は?』

『冒険者キュクレインでございます』

『彼か。流石によく働いてくれる。彼には私が依頼を出したんだ。……遺体の蘇生が可能かどうかも知りたい。キュクレインに通信を繋げてくれ』

『畏まりました。少々お待ちください』


 国営冒険者組合。其処への回線を繋げ、念話を目的の人物に接続するのはそれなりに手間だ。

 バークリーは主人の意向を受けてインナーシティ内にある施設、円筒のような黒い城塔――白銀の猟犬をシンボルとする組合の回線に魔力波長を繋げた。古の科学文明に於ける電話は、受付を介してバークリーの識別反応を受けて回線を回す。

 その間、実に一分にも及んだ。このなんとも言えない空白の時間はバークリーの苛立ちの元である。余り時を掛けたくはないと思うのは、単に主人を待たせているからだ。


 ややあってバークリーは馴染みのない回線を辿る感覚を得る。キュクレインのものだろう。何か善くないモノに汚染された形跡のある魔力波長を感じ眉を顰めた。

 バークリーの思念に応じ、回線が接続される。

 

『――誰だアンタ』


 不躾な物言いだった。だが、不思議と不快にさせない響きである。力ある冒険者に特有の、声音だ。キュクレインの実績を思い返し、その魔力波長の波形から感じられる姿形を脳裏に描きながら答える。


『私はユーヴァンリッヒ伯へ個人的に・・・・お仕えさせて頂いている、アダルバート・バークリーだ。役職はない。強いて言えば従者だろう』

『バークリー? ああ、闘技場の第一審判の賢人族エルフか。アンタのことなら知ってるぜ。一冒険者のオレなんぞに、アンタみたいなのがなんの用だ?』

『閣下から貴兄へ回線を繋げるようにと言付かっている。訊ねたい事があると仰せだ』

『ああ? 伯爵サマが一体オレに何を……って、そういや直接報告はしてなかったな。あの旦那なら確かにオレから聞きたがるか……ちょっと待て。今立て込んでるんだ』


 言ったきり、なんと呼び掛けてもキュクレインは反応しない。主人を待たせるのが嫌なバークリーとしては、苛立ちが膨れ上がるのを感じずにはいられなかった。

 だがキュクレインとしては取り合う気はない。事実、彼の屋敷ではそれどころではなかったのである。


「わりぃ、気ぃ散らせちまったな」


 硬質な黒髪を腰元まで流し、手慰み程度に整えた青年は、娶ったばかりの妻に対して謝った。

 中性的な美貌を持つ、紅玉のような瞳の青年がそう言うのに。

 同じ黒髪の乙女はふわりと微笑む。


「いえ、構いません。貴方様もお忙しいのです。何やら最近のお国は物々しい雰囲気でもありますし……それに、伯爵閣下直々の指名をお受けしての依頼ともなれば、わたくしから何かを申し上げることなどできませんわ」


 豊満な胸の膨らみと、肉付きのいい腰回りをした、たおやかな風貌の少女である。縦編みの白いセーターと黒いロングスカートで身を包んだ彼女は、青年と比べると一回り年下にも見えた。

 目を瞠るほどの美貌、というわけではない。容姿という一点のみを見れば、傾城の美男子と言えるキュクレインとは到底釣り合いが取れていない。

 だがそのことに引け目を感じる乙女――エウェル・エリンではなかった。キュクレインが見初め、婚姻を求めるに到るほど惹かれたのは彼女の内面である。


 穏やかそうな容貌の通りに家庭的でありながら豪胆な性格であり、また優れた知性と貞淑な倫理を持つ。何より料理や裁縫が上手い。魔術の腕前にも長け、キュクレインの装備するバトル・スーツは彼女の手製である。

 そして――キュクレインにとっては重要ではないが――王国と帝国、双方の大国でも僅か三人しかいない“蘇生魔術”の使い手でもある。士道と魔道の概念位階に収まらないある種の異能持ちだ。


 本当なら国そのものに管理されるべき人材であるエウェルは、しかし彼女を一人の女として求めてくれたキュクレインの偉業によって、その功績に免じごく普通の家庭を築く権利を得られた。

 個人の自由など得られるはずのない身の上だったのだ。そこから掬い上げてくれて、そして誰よりも愛してくれるキュクレインのことを、エウェルもまた同様に深く愛している。


 キュクレインとエウェルの新居は、至ってシンプルで一般的な家屋だった。


 エウェルの家柄とキュクレインの実績を想えば些か質素に過ぎる、インナーシティの住宅街に埋没する切妻屋根。モダンな印象があるが、それだけ。庭も狭く、パッと見で名のある冒険者や名家の令嬢の住む家屋には到底見えない。

 その家屋の居間に、二人はいた。そしてエウェルの眼の前には、一人の少年の遺体がある。頭部は二つに割れ、胴体や四肢は二十五個に分割されている。

 氷漬けにされ、砕かれたからだろう。凍結の影響で内臓は溢れていないが、完全に死んでいる。氷を削り青褪めた肉片が並べられ、エウェルの手によってパズルのように組み合わされて、縫い止めることによって元の姿を取り戻してはいるが、どう言い繕ったところで無残な死を誤魔化せてはいない。


「――途中までは終わりました。後は仕上げだけ……この方は運がよろしいですわね。蘇生適正をお持ちなんですもの」

「そりゃあ良かった。死んで甦れる奴なんざ百人に一人でもいたら御の字だからな」


 エウェルの言葉にキュクレインが相槌を打つ。

 彼女の言うように、希少な蘇生魔術の使い手に掛かれば誰もが生き返れるわけではない。

 魔族との大戦に突入する以前。神々の加護が厚かった古代に於いて、蘇生“魔法”は珍しくはあれど難易度の高いものではなかった。それこそ技量さえあれば誰でも使える、ポピュラーな代物だった。


 しかし神々の大半が人類を見放し、半数以上の人類を魔族へと生まれ変わらせて支配して以降は話が変わってしまう。魔族に与する魔神達による蘇生魔法の封殺。魔法システムの改竄によって生死の重さ、価値が変わってしまった。

 世界法則の変化、世界中に散布され未だに蔓延する蘇生妨害術式。これにより人類は死より逃れる術を失い、蘇生魔法・魔術を実用レベルで使用できる術者は片手の指で数えられる程度にまで減じてしまったのだ。


 極一部の稀な才能と適正を持つ者のみが、蘇生魔術を扱える。士道位階という人類の守護神の加護によって増幅した魔術でのみ、人は失った黄泉返りの奇跡を再現できるのだ。

 そして蘇生には、蘇る側にも適正を要求する。誰しもが生き返れるわけではない。

 ――何かに・・・愛された・・・・、神に選ばれた者のみが生き返れるのだと、嘗て人類最初の蘇生魔術の使い手は言い。そしてその言語化できない感覚はエウェルを含めた蘇生魔術の施行者も持っている。

 『何かに愛されている』のが蘇れる条件で。そしてそれを、彼らは蘇生適性と呼んで曖昧に濁しているのだ。


 正確なところは誰にも分からない。何かとは、なんなのか。――どうでもいいわな、とキュクレインは他人事のように思う。


 エウェルが施術を再開する。ふぅ、と溜め息を吐いて。両手を無残な遺体に翳し、青い魔力が粉雪のように降らされる。

 幻想的な光景だった。どこか機械的に、しかし厳かにエウェルが唱え、蘇りの最後の仕上げに移る。


「人体の再構成再開します。組成物質、不足分の補填を実施。後は損傷細胞の修復を並行して――酸素・炭素・水素・窒素・カルシウム・リン・イオウ・カリウム・ナトリウム・塩素・マグネシウム・鉄・フッ素・ケイ素・亜鉛・ストロンチウム・ルビジウム・鉛・マンガン・銅・アルミニウム・カドミウム・スズ・バリウム・水銀・セレン・ヨウ素・モリブデン・ニッケル・ホウ素・クロム・ヒ素・コバルト・バナジウム――必要量精製完了。損壊パターン『凍結』の定義付け、蘇生法を恒常的な記録として保存。遺伝子情報閲覧、モデル……ヒューマン。遺伝子情報の参照元の復元を開始……構成――」


 じわ、とエウェルの額に汗が浮かんでくる。キュクレインは手拭いを持って、それを拭ってやると乙女は柔らかく微笑んだ。


「――完了」


 砕け散って、壊死していた37兆以上の細胞が活動を再開し、心臓が鼓動を打ち血液が全身に巡り始める。

 脳細胞もゆっくりと機能しはじめ、呼吸が行われる。意識のないまま少年が咳き込んだ。喉に詰まっていた氷が溶け、吐き出したのだ。青いゼリーのようでもあるそれを、エウェルは総て吐き出させるために少年の上体を起こしてやり、背中を優しく叩く。

 やがて規則正しい呼吸が行われるようになると、再び横たわらせてやってエウェルは苦笑する。


「疲れましたわ」

「おう、お疲れさん。休んでていいぜ。後はオレの仕事だ」

「お言葉に甘えますね。この方の体と心、普通の方の倍は重かった気がしますもの」


 エウェルの愚痴を、キュクレインは聞き流した。さらりと告げられた言葉が意味するものを、とうのエウェル自身も理解していなかったから。


 ――夜が更けていく。


 死んで、その生命に課せられた運命より解き放たれたはずの少年は、こうして黄泉還る事となる。

 少年、アルトリウス・コールマンが眼を覚ましたのは翌日だった。

 エディンバーフ領ユーヴァンリッヒ伯爵の統治下にある発掘闘技都市グラスゴーフ。王国の第二の心臓と謳われる大都市の、長い一日が始まろうとしていた。





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