痕跡を辿り、予期せぬ場へ





「お一人ですか?」と問われ「ああ」と頷いた。見れば分かるだろうなどと、嫌味を交えて混ぜっ返す気にはならない。

 この四ヶ月で否が応にも見慣れてしまった、受付の男。糊の利いたスーツで身を包む彼は、強制収容所にも等しい闘技場の一労働力に過ぎない青二才にも、慇懃で丁寧な物腰を崩さずに言った。


「アレクシス様が“コールマン”とのセッティングを希望なさっておりますが、いかが致しますか?」


 鼻頭に皺が寄る。ぴくりとこめかみが痙攣した。険を込めてしまうのを堪えきれず、強い語調でコールマンは吐き捨てる。


「フン。“小遣い稼ぎ”はまだ終わっちゃあいないようだね。――冗談じゃない。あんな輩と組むぐらいなら一人の方がいいさ」

「了解致しました。今回もお一人ということで宜しいのですね?」

「ああ」

「では“コールマン”の申請を受諾します。当方グラスゴーフは、貴方の一層の活躍をお祈りしております」


 何が可笑しいのか、笑みを溢した受付が手元の魔導電子モニターを操作し、フロントにダンジョン行きの“迷宮乗降筐体カステン・ライター”を出現させる。

 思い出したくもない少年の名を出され、コールマンはうんざりと嘆息した。

 未だあの少年への嫌悪は薄まる気配がない。なんのつもりでパーティーを組むのを希望しているのかは知らないが、絶対に関わり合いになどなりたくなかった。







  †  †  †  †  †  †  †  †







「“音響sound”」


 人体の頭脳部、魔力炉心に組み上げた魔法式を唱える。

 本当は声を出す必要はない。しかし敢えて口に出しているのは、元々が魔法やら魔術やらの存在しない世界の出身だからだろう。

 言葉にして紡ぐことで、自分の中にある微細な違和感を無視していようとしているのかもしれない、と己の心理について分析してみる。


 魔力波長を発すれば、自身の魔力波の及ぶ範囲内に関してはおおよその知覚が可能である。取得できる情報量と精度は、それこそ視覚をはじめとする人体の五感より遥かに正確だ。

 だが知覚できたからとそれを認識できるかは、個々人の処理能力に依存する。自身の能力に格別の自信を持つわけではないコールマンは、手にする大剣の刀身を手甲に覆われた指先で弾いて鳴らした。発された金属音が波となり、漣のように周囲へ波及する。


 自らの魔力波長と結び付いた魔法式は、それで空間内の物体を把握する助けとなるのだ。いわゆる潜水艦のソナーと同じものである。


「………?」


 薄暗い生体型迷宮内臓部第一層。ぬちゃりとした地面を踏み躙りつつ目を細める。本来なら日の当たらぬ大魔獣の胎内、僅かでも光があるのは不自然なように思えるが、朧気ながらも視覚が機能しているのには勿論理由があった。

 それは魔の大公爵と呼ばれる聖母アルベドが五体に切り分けられ、その胴体が形成した“アルベドの褥”は数多くの魔物・魔獣を増産する関係上、無限に等しい魔力を循環させ、発生したエネルギーが微かに発光しているらしい。胎内のこの光は、謂わばアルベドの褥が生じさせる魔力波長のようなものだという。


 どのような原理で魔力そのものが発光現象に繋がっているのかなどはどうでもいい。興味はなかった。問題はたった今、“迷宮乗降筐体カステン・ライター”でダンジョンに降りてきたコールマンの探知魔法に、引っ掛かった物体が皆無ということである。

 首を捻る。この探知魔法を扱えるようになったのは最近のことだが、魔力波長内の物質をより正確に認識するのをサポートする効果に関しては信用に値すると思っていた。効果範囲は周囲百メートル。内臓部第一層から第三層までがほぼ一本道だから、これだけで何体かのゴブリンは見つかると思っていたのだが……。


 反応がない。つまり、動いている物体――生命体が存在しないということ。


 生物なら呼吸はする。ゴブリンも例外ではない。呼吸の際に人間の胸が上下するが、その生き物として当然の反応も探知キャッチ可能だ。にも関わらず認識上の空間にまるで反応がないのは不自然な気がした。

 今まで数回に亘ってダンジョンに来た時は、割とすぐにゴブリンと遭遇したものだ。遠くにいるとは考え辛い。何か、変だ。そんな気がする。


「………」


 浅い経験しかない。ゆえに“気がする”だけで実際はよくあることなのかもしれない。確証もないのに決めつけるのは何事に対しても浅はかだ。どのみちこの生体型迷宮は異物の侵入に対応して抗体モンスターを産み出す。暫く進んでいけば何某かの魔物が現れるだろう。

 今コールマンは一人だ。一度にダンジョンに潜れるのは、規定で最大三人。それ以上の人数で侵入すれば、極めて強力な個体が津波のように押し寄せるらしい。安全を保全するために、その規定を破ってはならないとされている。コールマンが一人である以上は然程強力な個体が出現してくることはないと思われた。

 グレートソードを片手に進んでいく。なんであれ暗い道行きだ、神経を尖らせ不意の事態に対する心構えを崩さない。五分間隔で探知魔法“音響soun”を発動して常に警戒網を敷く。


 無言で歩き続ける。どれほど歩いただろう。うねる下り坂を辿って下へ、下へと向かうこと二十分は経っただろうか。コールマンは訝しげに呟く。


「……weird (……妙だ)」


 自身の経験上では信じられない距離を進んでいるのに、一向に魔石を核とするモンスターが迎撃に出てこない。

 大剣の使い心地を確認するため、内臓部第一層でゴブリンのみを相手に試そうと決めていただけに拍子抜けしてしまう。だがそれ以上に不穏な沈黙を感じた。

 悍ましいことに巨大な魔獣の胎内にいる状況故、幾らかの心的負荷が働いてストレスを感じ、不穏であると錯覚しているだけなのかもしれないが、そうでないにしても些か気味が悪いのは確かである。コールマンがダンジョンに入る際に、受付が何も言わずにいたことから先刻まで異常はなかったものと考えられるが……。


 もしや、コールマンの前にダンジョンに入った者達が、内臓部第一層のモンスターを狩り尽くしたのだろうか。

 それで一時的であっても枯渇するものなのかは分からない、分からないが……もしもそうだとするなら間の悪いことだと思う。

 いずれにしろ想定していた状況でもないのに進行していくのは不用心であろう。慎重過ぎるぐらいでちょうどいいと、自分の身の安全を守れるのが自身だけの現在は肝に銘じていた。引き返すべきかと立ち止まって思案する。


「………?」


 冷静に判断するなら、このまま引き返すべきである。正体の判然としない危険に対しては、情報もないまま立ち向かうのは愚の骨頂だろう。コールマンはそう判断し、踵を返して立ち去ることにする。収穫は零だが、想定していない事態に直面して進行を選ぶほど無謀にもなれなかった。

 しかし踵を返した瞬間である。念の為、もう一度“音響sound”を使用し索敵をすると、現在地から百メートルほど先に小さな反応があるのを知覚した。

 大きさは、ゴブリンのもの。単独である。撤退を決めた途端に目的の獲物を見つけたのに眉根を寄せた。一度決めたからと撤退するべきか、はたまた当初の目的を果たすべく動くべきか。数秒悩み、コールマンは大剣の使い心地を試すことに決めた。


 ゴブリン以外に何かいれば引き返す、数が多くても同様だ。それでいいだろう、と思う。


 出来る限り気配を抑えて進んでいくと、索敵した通りにゴブリンが一体いた。幸いにもこちらに背を向けて、奥の方へと呑気な足取りで向かっている。気づいている様子はない。背後から襲い掛かる前に、もう一度魔法で索敵する。

 周囲に敵の存在はない――やるなら、迅速に事を済ませる。大剣の柄を握り締め、薄く細い呼気を吐き出し唱える。


「“誕生ortus”」


 身体強化魔法。魔力炉心の内部に魔力のピースを組み合わせ、魔法式を起動する。仄かに赤い魔力が全身から発され、索敵魔法よりも密度の高い魔力波を知覚できたのか、ゴブリンが驚いた素振りで振り返ってくる。

 鋭利な短剣と小さな丸盾を持っている。醜悪な顔は、やはり他のゴブリンとの見分けはつかない。コールマンは踏み込む。咄嗟に構えられた丸盾の上から、脇に抱えて支えていた大剣を槍のように打突する。手応えは軽い、ゴブリンがたたらを踏んだ。反撃に出ようにもゴブリンの剣では間合いが遠くコールマンの大剣の方が倍以上長い。背を丸めながら盾に隠れるゴブリンに、コールマンは畳み掛けるようにして追撃をかける。

 上段からの斬り落とし。颶風を巻いて頭上に迫る鋼の刀身を、ゴブリンは丸盾を掲げ剣を握る手で支え受け止めた。初撃で体勢が崩れていたからだろう、回避を選ぶ余地がない。激突した瞬間に衝撃がゴブリンの小さな体を突き抜け、一撃の重さから両足が地面にめり込んだ。


 そのまま両腕に力を込め、押し潰すように圧し掛かっていく。ゴブリンが顔を歪め、何事かを口走りながら片膝をついた。そうして不意に力を抜き踏み込む。支えを無くしつんのめる形で前傾になったゴブリンの顔面に足刀を叩き込んだ。

 もんどり打って引っくり返るゴブリンの腕を蹴り、剣を吹き飛ばした。慌てて暴れようとするその胸に足を押し付け、身動きできないように体重と力を掛ける。もがくゴブリンが足を殴ってくるも、背中を地面について踏ん張れず、膂力も身体能力を強化したコールマンに及ばないからか大して痛みも感じなかった。


 コールマンはあっさりとゴブリンを無力化した戦闘結果に一つ頷き、両手で大剣を持ち上げるとその切っ先でゴブリンの頭を突き刺した。

 頭蓋を完全に粉砕し、脳髄を破壊し尽くす。足をゴブリンの亡骸から離して、その心臓に手刀を突き込んで魔石を抉り取った。コールマンの手と魔石に血と肉が付着している。しかしそれは蒸気となって、幻のように消えていった。


 大剣を一振りする。血振り、なんて格好のいいものではない。そもそもそんな必要はない。血糊なんてついていても、蒸発して消えてしまうからだ。

 新たな得物を操った手応えを確かめたまでで、それは一応の満足をコールマンに与えた。


「It's not bad. (悪くないね)」


 ささやかな達成感がある。格闘術はまだお粗末だが、武器を使用した戦闘はそれなりの域に行っているのではないか、と少しだけ自信を持った。

 しかしコールマンは思う。上手く行っている時ほど反省点を探すのが、生真面目な少年の性格だ。短くも実りある戦闘を反芻し、小さく頭を振った。


 ――だけど思ってたほどじゃない。このグレートソードも、あくまで剣の延長線上の物に過ぎないかな。突きの精度が粗いし、剣速もロングソードほどじゃない。間合いの有利と威力でゴリ押しにしただけだ。もし奇襲じゃなかったらもう少し手こずったかもしれないね。


 投擲用の武器として短槍を二本か三本ほしいかもしれない。それと、取り回しのいい打撃用の武器として――鉄棍辺りがほしい。それらを十全に扱える技術を身に着ければ今よりもずっと、コールマンの戦術が形になる。そんな気がした。

 頭痛めいて閃く、直感的な感覚。感性の要求。コールマンは苦笑する。手の中の魔石――純粋な魔力資源である無色石を弄びながら、自らの思い描いた戦術の完成形を笑ってしまった。自分の中の曖昧な直感が嫌に冴えて、そうするのが最善だと感じる己にどうしてか愉快な気分にさせられるのだ。


「ん……」


 そうして笑っていると、ふと視界の隅に何かが過る。そちらに目を向けると、コールマンは怪訝な顔をした。おかしなモノを見つけたのだ。


「hole? (穴……?)」


 それは、穴……としか表現できないものだった。ダンジョンの壁に空いた、小さな小さな穴。今に閉じていこうとしているそれが、どうしてか気になって仕方がない。

 塞がっていくそれを凝視する。――その奥に、深い闇があるような気がして。無意識に、コールマンは大剣を突き刺していた。


 ほじくり返すように切っ先を動かし、肉の壁に空いた穴を広げると、無理矢理に縦に切り裂いた。血飛沫が舞うのにも構わずコールマンは目を見開く。

 その穴の先には、一本道があったのだ。


「………」


 なんの道だ、と意識の片隅で懐疑する。しかしコールマンの直感が――そう、この世界に来てから異様に冴える第六感が訴えかけてくる。進め、と。行け、と。この道が塞がるのを見逃してはならないと。

 強迫観念に等しい思いに駆られ、コールマンは踏み出した。段々と狭まっていく通路を大剣で切り開きながら進んでいく。そうして突き当たりまで行き着くと、コールマンは壁に手を触れた。


 生体型迷宮の肉壁にある生暖かさはない。硬質な、金属。そんな手触り。


 しかし薄い。だが瞬く間に分厚くなっていくのを感じる。放っておけばコールマンでは砕けなくなる。そう察するや即座に大剣を振り翳し、渾身の力で壁に叩きつけた。

 割れる。高価な壺が割れたような音と共に、そうして不意に、強烈な光に襲われて咄嗟に目を庇った。凄まじい光が差し込んでくる。呻いた。


 そして徐々に眼が慣れてくる。肌に感じる風の動きに、恐る恐る翳した手を下ろして――絶句した。


「は……?」


 呆然としながらも、兜のバイザーを上げる。明瞭な視界で現実を見据えようとした。そして、克明に刻まれる。コールマンの目は、信じがたいものを見た。


 雑多な喧騒を遠くに感じる。それは四ヶ月前、一度だけ見た――発掘闘技都市グラスゴーフ。闘技場の外・・・・・


「―――」


 コールマンは、ただただ呆然と佇み。そして、立ち尽くした。






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