斯くて殺意を懐き、強き者へ至らん






「ああ、やはり……これが最も効果的なのだな」


 悲しげに、頭髪に白いものの混じった紳士は慨嘆する。なんたる悲劇か、なんたる運命かと。

 ――古代。魔道位階と士道位階の確立が成されておらず、たかだか城一つを吹き飛ばす程度の魔法使いが幅を利かせていた時代。戦乱に乗じ台頭した魔の王が、魔族を束ねて人類戦力へと宣戦を布告した。“貴様らを根絶やしにする。貴様らの王であり神である者を打ち倒すために”と。

 果たして万夫不当の豪傑、百戦錬磨の名将、神算鬼謀の賢者が一致団結してこれに抗した。しかし人は敗れ、ついには人類種の奉じる神王は、逆転の一手とするために自らを生贄に捧げた権能を行使した。そうして生まれたのが、士道位階と魔道位階だ。神王の力の一部を手にした人類は、起死回生の逆撃として魔王を襲撃し、これを暗殺。その骸を異界へと封印した。

 以降、魔族は王の仇を討つため、また王の望みを果たさんがために戦争を継続。講和は成らず、血で血を洗う絶滅戦争は延々と続いた。


 現在、世界の約六割もの地を魔族が有している。


 神王の権能を以てして築かれた士道と魔道の概念位階。それを武器にしてなお、人は魔族という強大な存在に脅かされ続けていた。

 もう数百年も戦争は続いている。妥協も手抜きも有り得ない、殺し殺されの戦乱が。本来ならば人類はとうの昔に絶滅していたろう。人類敗北の結末を阻み続けているのは、純粋な人類の功績ではなかった。


 絶滅の未来より人を護る守護者となっているのは、人の王にして神、神王の系譜の力である。


 概念位階の礎となった神王には、三人の子供がいた。名前は現代に伝わっていない。敢えて残さなかったのだという。その三人の子らは、幾度も転生を繰り返し、人魔の絶滅戦争にて人を守護する機構として顕現する。生まれも育ちも関係なく、無作為に。

 時に村民に、騎士に、兵士に、貴族に。度し難い罪人に憑依することで生まれてきた事例も確認されている。その三人の子らは、それぞれがこう呼称されていた。


 即ち“ほこの御子”と“瞳の御子”――そして“やじりの御子”である。


 当代の御子として、鏃の御子はなんの因果か我が子に憑依転生・・・・してきた。他よりも隔絶した力を保有する御子の存在は、人類の生存圏を確保するための戦略兵器として厚く用いられる。故に彼らの性能を十全に発揮させるのは人類の義務だ。

 ダンクワースは、自身の次男バレットが鏃の御子の力を宿したことに狂喜した。嫡男を得て以来、恵まれなかった子宝を溺愛していた男は、自らの子が人類に大きく寄与する存在の力を得たのである。しかし――健全な少年だったバレットは、鏃の御子として覚醒して以降、全ての感情を失ってしまった。


 原因は不明。これまでに類を見ないエラーである。


 よく笑い、よく泣いて、よく怒る、ごく普通の男の子だったバレットが、笑顔を見せなくなった。喜ばず、悲しまず、怒らなくなったのだ。歴代の御子には見られない事例である。ことに鏃の御子はその感情の起伏の激しさで知られた存在だ。その揺れ幅が力に代わる存在なのである。感情のない鏃の御子など存在価値がない。

 国は命じた。可及的速やかに問題を解決せよ、と。あらゆる手が尽くされ、しかしバレットは感情を取り戻せなかった。いくら汲めども底のない器のように、感情という水は流れ落ちていくのである。

 故にダンクワースは高貴な生まれとしての使命と、親として愛する我が子の感情を取り戻すために、ある仕掛けを施した。


 バレットの心に貯水湖を作ったのである。


 他人の感情を蒐集し、貯める。力を使うごとに、またはバレットの心が揺れ動く度に消費される感情エネルギーを、逐次貯め続けるのだ。

 バレットは笑顔を、感情を取り戻した。ダンクワースは使命を全うしたのだ。他人の心が生むエネルギーを食い物にすることで。


「……ああ」


 しかし鏃の御子としてのバレットは、その力を行使するごとに莫大なエネルギーを要求した。結果として心のない人間と化す周期は短くなりつつある。

 足りないのだ。感情が。訓練された兵士は心の動きを抑制しているため、吸い上げるのに難儀する。かといって他の貴族、無辜の民草から搾取しても大したものにはならない。人間が最も強い感情を発した時でないと、それに同調してバレットの心にエネルギーを貯めるのには量が足りない。鏃の御子としての性能を満足に発揮できないのだ。


 では、人間が最も強い感情を発揮するのは、いつなのか。


 残念ながら幸福に暮らしている人間では弱い。過酷な戦線に身を投じる戦士達では物足りない。覚悟の決まっている人間では全く無意味。

 人は愛する者を失った時、最も強い感情を発する。そのエネルギーは膨大だ。その慟哭と悲哀、憤怒が最高水準のエネルギーを生むのである。

 故にダンクワースは目をつけた。この発掘闘技都市に。


 そう。愛する者を・・・・・己の手で・・・・殺めた時、人の感情は臨界に達する。覚悟のない、平凡な人間であればなお良い。その者は発狂するほどに激しく猛り狂う。それは鏃の御子の全力を、一度は発揮させ得るエネルギーだ。

 果たして、或る少年とその父の心の揺れ動きに“同調”していたバレットは、はらはらと涙を流し始めた。涙は感情が発生した証である。

 父上、なんで……そう呟く我が子をダンクワースは抱擁した。ああ、愛しているよ、と。また笑っておくれ――また、人々のためにその力を振るっておくれ、と。







  †  †  †  †  †  †  †  †







「は? ……え?」


 コールマンは、ひたすらに困惑していた。

 目の前に倒れ伏している男は誰だ? なんだって、コールマンの愛称を呼んでいる? どうして……ユーサーと同じ顔をして、同じ声をしている……?

 分からなかった。理解を頭が、心が拒んでいた。


 赤いものが、胸の真ん中から噴き出し。口から溢れている。


 じくじくと右肩が痛みを訴えている。折れている右腕が激烈な熱を発していた。遮断していた痛覚が戻っている。マーリンがわざとそうしたのだ。あるいは声が届かなくなった所有者に、冷静になれと叫んでいたのかもしれない。

 しかしそんなものは、コールマンにはまったく届かなかった。痛みも、熱も、全てが無。何も感じない。思考に打ち込まれた空白の楔に、彼の体感時間は完全に停止していた。だが本当に時間が止まったわけではない。欠けた兜から覗く、赤黒く腫れ上がり血だらけの顔が苦しげに歪み、ユーサーが喀血した。


「父、さん……?」

「アーサー……」

「父さんっ!」


 このまま立ち尽くしていると手遅れになる、そう本能的に察して弾かれたようにコールマンは父の許に駆け寄り、彼を抱き起こした。既に手遅れなのだという直感を振り払って。

 兜を引き剥がすと、ユーサーの顔が露わになる。他ならぬコールマンに幾度も殴打され、圧し折れた鼻から鼻血を出し、歯が欠け、吐き出した血で汚れた顔が。

 その醜く変形した顔に息を呑む。胸に突き刺さったままの剣に、コールマンは青褪めた。全身が震えた。なんてことをしてしまったのかなんて、馬鹿げた後悔はない。あるのは目の前にいる父が死に瀕して……間もなく息絶えるであろう現実への恐怖と焦りのみ。


「なっ、なんで!? なんで、父さんが!? なんでだ!?」

「……」


 か細い吐息を吐き出し、ユーサーの口が微かに動く。聞き取れないほど声が小さく掠れていた。なんだ? 何を言おうとしている? いやそんなことはどうでもいい。助けないと、早く助けないと! 早く!

 助けを呼んだ。誰でもいいから父を助けてほしかった。


「誰か! 助けてくれ! 父さんが……父さんが死ぬ……誰かぁ!! マリア、そうだマリア! 助けてくれ!」


 閃いたのは、回復魔術を使える少女の存在だ。彼女なら救えるのではないか、父を助けてくれるのではないか。そうだ、他にも救護班がいるはずだ。死にかけていたコールマンやマイケルを治療してくれたらしい。それなら父も治してくれるはずだろう。

 だが、ここには誰もいない。助けは来ない。コールマンは一刻の猶予もないと悟り、なんとか自分でユーサーを救おうとした。マーリンだ、彼ならなんとかしてくれるはずだ。なんとかできる。だってコールマンの知らない魔力作用で、痛覚を遮断したり、興奮状態にしてくれたり、冷静にさせてくれたりした。だったらコールマンに素養さえあれば、回復魔法だって使えるはず。そう信じる。


「――マーリン! 回復させてくれ! 父さんを!」

『無駄だよ。彼、致命傷を負ってるし。それに君は魔術が使えないだろう? 魔法じゃあ延命が限界だね』

「いいからやれぇ!!」

『……りょーかい。だけどさっきも言ったよね? 君にできないことはわたしにもできない。デバイスってそういうものさ。だから恨まないでね?』


 コールマンは魔力炉心に術式が編まれていくのを感じる。瞬時にそれを行使してユーサーの胸に手を当てた。赤い魔力が流れ込み、治癒を始める。ユーサーが再び血を吐いた。微かに目が開く。


「アーサー……?」

「! と、父さん!?」

「あ、あ……そうか、デバイスを……持っているのか。なるほど、道理で……」

「よかった、回復している! これなら助かる!」

「いや……それは、無理だ。そして、駄目だ」


 ユーサーは、なんとか腕を上げてコールマンの手を払おうとした。それにコールマンは信じられない思いに駆られるも、意地になって強く父の胸を押さえる。無理にでも治癒を続けた。その延命が父に地獄の苦しみを味あわせているのも知らず。

 父は曖昧に微笑んだ。その裏に苦痛を押し隠して。噛んで含めるように、我が子へ伝えねばならないことがあると、彼は悟っていたから。


「やめろ……もう、助からん」

「そんなこと!? そんなこと、あるものか!」

「……試合の、ルールを……忘れたか? どちらかが、死なねば……ならない」

「そんなものは知らない! 私は父さんを助けたい! 私に父さんを殺させる気か!?」

「では……おれが、お前を殺さねば……ならなくなる」

「――」


 一瞬、固まる。コールマンの手を掴み、ユーサーは激情に塗れた瞳で、コールマンの目を覗き込んだ。


「ルールは、絶対だ。これでいい……おれが、死ぬ……お前の、代わりに……」

「そん――な、馬鹿な……」

「いいか……アーサー。おれは、もうすぐ死ぬ。……ふ、はは、まさかな……鳶が鷹を生んだか……おれから、お前のように、才能のある子が、生まれるとは……」

「……」

「一ヶ月……たった、一ヶ月で、お前は……おれよりも強くなった……なら、もっと強くなれる。強く、なれ……弱者は、生き残れない世界、だ。……理不尽に、抗えない……。……アーサー、おれの……」


 痛いほど、手が握り締められる。コールマンの顔に、ユーサーが咳き込んで吐いた血が掛かった。もう喋らないでくれ、そう思うのに、コールマンは回復魔法を止められない。永遠の離別を、死別を体験したくないがために。無理だと、助けるのは不可能だと分かっていても。

 ユーサーには、わなわなと震える我が子の精神が揺れ、均衡が崩れようとしているのが分かった。この一ヶ月間の過酷な訓練と、行動の自由の束縛で溜まっていた心的負担が、父を手に掛けた現実によって心の防波堤を決壊させようとしている。このままでは壊れるだろう、コールマンの心が。それは――駄目だ。ユーサーは残された時間で、すべきことをする。伝えねばならない。


「……いいか、アーサー……よく聞け。お前は……悪くない・・・・。悪いのは……あの、男だ」


 コールマンは、のろのろと視線を上げる。ユーサーの視線が向く先にいる、ダンクワースを見て。あ……と声を漏らした。


「おれが、死んだのは……あの男のせいだ……」


 ユーサーが死ぬのは、あの男のせい。


 父の死に昏い絶望に陥っていたコールマンに、その言葉が呪いのように浸透していく。心の傷に刷り込むように、父は続けた。


「お前と、おれを……殺し合わせたのは、あの男だ……」

「奴が……私と、父さんを……」

「如何なる大義があれ……被害者に、その道理は通じん……恨め、憎め……全部、あの男のせいなんだ……」


 心の均衡を保たせるためだけに。己の死で我が子の心が崩れ去らないために。

 ユーサーはその精神を支えるものとして、憎しみを植え付ける。それしか思いつくもののない、己の無能を呪いながら。他に残せるもののない無力を嘲りながら。

 だが、これでいい。こうするしかない。ユーサーはどろりとした呪詛を吐き出して、それを息子に刻印する。


「生きろ……生きて、生きて、生き抜いて……おれの、代わりに……あの男を、殺してくれ……仇を、討ってくれ」

「――」

「は、はは……まったく、なんて……。……おれは、こんなことの、ために……生まれてきたのか……? ああ、畜生め……糞、クソ……ク、ッソ……が……ぁ!」

「ぅ、く、グゥ……!」


 コールマンは歯を食い縛る。父の意識が遠退いていくのが目に見えてはっきりと分かった。うわ言のように繰り返されるのが、掛け値なしに本音なのだと、その怒りが本物なのだと理解できた。

 憤怒が伝播する。末期の父の呪詛が、少年に深く焼印を押す。視界が滲んだ。父が死のうとしている。助けられないまま死んでしまおうとしている。このまま意識をなくせぱ、二度と目を覚まさない。涙が流れ落ちた。情けなく咽び泣いた。涙が滴となって、地面に落ちる。


「アーサー……」

「クッ、ぅ、ぐ」


 必死に声を押し殺して泣く少年に、父は虚ろな目で囁いた。


「お前の、演奏……を、また――聴きた、かっ……続けて、く――」


 ギュゥ、と、手を握られる。コールマンはその手を握り返した。

 だがユーサーは最後まで言葉を続けることはなく、その手から力が抜け落ちた。だらりと落ちた腕に、コールマンは目を見開く。はらはらと流れる涙に、ふ、と赤いものが混じる。


「ぁ、ぁあ、」


 炎が灯った。少年の心に、ドス黒い炎が灯った。


 そっとユーサーの体を地面に横たわらせる。悲しみ、絶望、全てを沸々と煮え立つ憤怒で塗り潰す。そうしないとどうにかなってしまいそうだった。気が狂いそうだったのだ。

 狂え、狂ってしまえ、狂えば楽だと感じる。しかし狂えない、狂ってしまったらそれは自分じゃなくなる。狂うな、だが猛ろ、膝を折るな、立て、立って、生き続けろ、そして――殺せ。殺せ!


「ぅ、ぉお、」


 渾身の魔力を練り上げる。全力で術式を編む。全身全霊を賭し魔法を行使した。デバイス、マーリンが唱える。


FlammaTonitrus――融合Fusion


 全魔力を注ぎ込む。命を擲たんばかりに。

 左腕に炎の螺旋が発生し、真紅に帯電する。それを複合させ、組み合わせ、複合魔法が発生した。


 Qui  parcit  malis,  nocet  bonis. 

『“悪人を許す者はクィー・パルキト・善人にマリース・害を与えるだろうノケト・ボニース”』


「ぉぉおおおおお――ッッッ!!」


 咆哮した。尽きることのない赫怒に魂を燃やし。

 解き放たれたのは地上の太陽。真紅に燃える雷の砲弾。“天稟増幅グロウス・ブーステッド”によって二乗化したそれは、あたかも一都市を粉砕する誘導弾の如く、術者の照準した怨敵を殺さんとした。

 その傍らにいる少年の命など視野にも入れずに。

 しかし闘技場を飛び越え、怨敵目掛けて飛来せんとした太陽の如き炎弾は、観客席を防護する結界に阻まれる。第五位階魔術“結界”だ。この場に設置された設備の護りが、コールマンの憤怒を遮断する。青白い光が微かに閃き、コールマンの猛りを止めた。


 ビシ、と結界に皹が入る。コールマンの全霊を賭した一撃は、結界に小さな亀裂を刻んだだけだった。未熟な少年は屈辱と怨嗟を込めて結界を睨む。

 そんなコールマンに――拍手が、送られた。


「素晴らしい」


 ダンクワースだった。彼は手を打ち鳴らしている。優雅に、上品に。

 赤く充血した目を見開くコールマンを、彼は讃えていた。


「たかだか魔法如きで結界に皹を入れるとは、魔道位階も遠くないほどの力ではないかね? それに――その憎悪、まさしく私にとっては福音だ! もっと怒れ、憎め! そうしてこそ、きみに父殺しをさせた甲斐があるというものだよ」

「ッ……!!」


 ただでさえ沸騰していた意識が白熱する。目の中で火花が散った。歯を噛み砕かんばかりに食い縛り、目を限界まで開いて男を凝視する。傍らの少年は、怯えたようにダンクワースの裾を掴んだ。

 彼は少年の手を引いて、踵を返す。全魔力を燃焼させての一撃で、精神疲弊マインドダウンを引き起こしていたコールマンは、これ以上何もできることなどない。しかし何もしないという考えは有り得なかった。少年は落ちていたグレイヴを拾い上げると、結界の皹の入り目に目掛けて擲った。しかしそれは、難なく弾き返され、微かに一瞥を寄越しただけで去っていくダンクワースの微笑が――無力な少年を嘲笑っているように見えた。


「……ぅうおおおおぁあああああッッッ!!」


 やりきれず、少年は絶叫した。声も枯れ、喉が裂け、血を吐いても叫び続けた。

 誰もいない――父の遺体の傍らで。自らの手で殺めてしまった父の遺した言葉に従って。崩れ去りそうな心を保つために。何より、父を殺した剣の手応えを忘れたいがために、少年は体力の限界を超えて意識を失くしてしまうまで、ただただ叫び続けた。







  †  †  †  †  †  †  †  †







 勝利し生き残った少年は、自室で目を覚ました。


 すっかり馴染んでしまった白い部屋。ピアノとヴァイオリンがあるだけで、後はベッドと机、椅子があるだけの無機的な空間だ。ベッドから起き出たコールマンは椅子に腰掛けてこちらを見ていた少女を一瞥する。


「目、覚めたのね」

「……」

「……試合のこと、聞いたわ」


 マリアから目を離す。そして自身の右腕に触れた。一度目の試合では切断され、二度目の試合では右肩を刺され、折られた。しかし今はもう、なんともない。

 健常な右腕。コールマンは折られた腕を見詰める。そして、父を殺めた左手で触れた。こうして治せるのなら、もしかすると父も治せたかもしれない。そう思うと憎しみが増幅する。


 昏く、澱んだ目をしている少年に、マリアは掛けるべき言葉が見つからない。自身の父アルドヘルムが彼の村を焼かねば、こんなことにはならなかった。彼はマリアを憎んでいるだろう。友達になったばかりだから、それは酷く辛いことで……何より、少年が正気でいられているのか気掛かりだった。――だがコールマンはその特殊な事情によって、マリアの父がアルドヘルムであることを知らない。

 誤解があった。コールマンがマリアを知っていたのは、元の世界で友人だったからで。マリアの父がアルドヘルムだと知らないのは、元の世界の彼女の父がアルドヘルムではない・・・・からだ。


 しかし、そんなことがマリアに分かるはずもない。自分を知っているということは、即ち自身の父が誰なのかも知っているということなのだから。

 故にそれは小さなすれ違いである。そのささやかな誤解が、マリアにコールマンを誤認させた。


「……私を、怨んでる? 私が憎い?」

「――なんでだい?」


 コールマンは無気力に応じる。否、仄暗い熱情が心の奥底に沈殿しているだけでしかない。故に燃え盛る気炎が薄く、皮膚の下を蠢いているのだ。

 少年の反駁に、少女は言葉に詰まりながらも告げる。


「それは……私は、憎まれて当然だから……」


 自分の父の罪は、娘である自分の罪である――なんて的外れな物言いではない。

 理不尽な行いには、理不尽な感情が付きものである。憎しみとは理屈ではない、憎悪の対象に親類がいれば、そこにまで昏い心が矛先を向けるのは珍しいことではなかった。

 しかしコールマンには、それが的外れな言葉に聞こえた。薄く嗤う。人相の歪んだ顔で。


「何を言ってるんだか。君は関係ない。マリアは悪くないよ。だってマリアが仕組んだわけではないのだろう?」

「それは、そうだけど……」

「なら気にしないでいいさ。……君が気に病んでいるのなら、私から伝えよう。私はマリアを赦す。それでこの話は終わりだぁね」

「――」


 その、言葉に。

 マリアは少なからず感銘を受けた。


 だって彼は、父殺しの原因となった男の片割れ、アルドヘルムの娘である自分を赦すと言ったのだ。それは普通、簡単にできることではない。

 心から、本音で、なんでもないように彼はマリアを赦した。自分ならどうだろうとマリアは思う。父が、仲間が殺されて――彼のように赦せるだろうか。無理だ、と思う。自分にできないことができる少年に、マリアは敬意を抱く。だが……彼は父に復讐するだろう。仕方ないと割り切るしかない。因果応報だ。故に彼が復讐した時は、成せても成せずとも赦そうと決める。それしかできることはないのだ。


「なあ、マリア」

「……?」

「私は、強くなれるかい?」

「……なれるわよ、きっと」


 少年の問いに、マリアは答える。嘘偽りなく、慰めではなく本当にそう思った。


「なら、私を強くしてくれ。あらゆることを教えてくれ。私は強くなる。絶対に。絶対にだ。そして……」


 殺す、と彼は呟いた。囁きなのに、その宣言は痛いほど静かな空間に響く。

 マリアは頷いた。敬意を払うに値する人間に対して、彼女は真摯な姿勢を持つ。


「私がここにいられるのは、後四ヶ月と少し。もしかしたら早まることもあるかもしれない。それまでに、貴方を士道と魔道の位階にまで押し上げてあげる。私に貴方の復讐を止める資格はないわ。でも……友達、だから……」

「……」

「だから、応援はしてあげる。頑張って。悔いなき報復を」

「……ありがとう」


 マリアの言葉に、少年は微かに微笑む。彼女の友情が嬉しかった。強くなれるという確信が嬉しかった。安易に善人ぶり、復讐はやめろなんて言われたら、コールマンは彼女に何をしたか分からないところだったから、尚更に。

 少年は、強く、深く、己の烙印をなぞるように、はっきりと断じる。


「私は強くなる。強くなって――あの男を、殺す。そして、あの男に親しい者も、あの男の目の前で殺してやる」


 純粋な殺意を言葉にした。その顔は、晴れやかなまでにスッキリとしていた。







  †  †  †  †  †  †  †  †







『悲しいね。悔しいね。憎たらしいね。分かる、分かるよ。その調子だ、よく折れなかった。だからね――もっと彼に試練が訪れますように。彼に艱難辛苦のありますように。祝福するよ、君はようやく永い旅路の第一歩を踏み出したんだ』









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