滴る悪意は粘性で、紳士の形である
炉に焚べられた薪は、ぱちぱちと鳴って火種となる。僕はその薪となっていた。
闘技場が炉で、僕が薪。火は僕の命、観客席の紳士淑女。無責任に囃し立てる人々の声が、無思慮に僕を追い詰めて、火を燃やす。
† † † † † † † †
馬車が停止して暫く経ってから、ユーサーとコールマン、エイハブの三人は護送車両から降ろされた。
直後である。これまで聞こえてこなかった騒音が轟いて、コールマン達は面食らい立ち竦んだ。
凄まじい熱気が肌を打ったのだ。一瞬火を放たれた村を思い出し身構えてしまうも、そんな地獄絵図はここにはない。
発掘闘技都市の都市部なのだろう、まずコールマンの目についたのは天をも衝かんばかりに聳え立つ、高層ビルにも巨大な塔にも見える煙突だ。それが至る所に乱立していた。それは黒塗りの石壁で建築されているようにも、亀の甲羅を長方形の突起物にしたもののようにも見えるが、目にしているだけで不可思議な感覚のする青い煙を吐き出し続けている。
そして見渡す限りの鉄工場。剣や鎧、鉄製のものを鍛造する鍛冶場が見渡す限り連なっていて、どこを見渡してもユーサーに見劣りしない、筋骨隆々の男達が大小の金槌を振るっていた。
赤、青、黒、緑、白の鉄らしきものがあって、それらを種類別に分けて剣や楯、鎧にしている所もあれば。精密機械の部品らしき物を作っている鍛冶場もある。
片時も止むことなく、
コールマンは不意に耳に飛び込んできたフレーズに驚愕した。
『
――魔導銃? 魔導砲……銃があるのに、それがガラクタ扱いか。技術力が足りないのか、それとも銃が必要ないぐらい超人ばかりなのかな……『魔導』っていうのは、魔法の技術か何かなんだろうけど……もしかしてあのルーン文字っぽいのが魔法の
それはいいにしても、『製造
身に付けたばかり故に、日本語の聞き取りへ難儀する場合も多々ある。困るのは日本の一部地方の方言だったり、英単語をつなげた単語だ。日本語を脳内で翻訳していると、急に簡単に理解できる単語が割り込んできて、コールマンは一瞬混乱させられるのである。
――剣や槍よりも、銃の方が遥かに武器として優れているというのがコールマンの認識だった。専門の知識を持っているわけではなくともそれが常識的な見方である。
その射程、連射速度、訓練の習熟の容易さ、どれを取っても優秀な兵器である――というのが軍事関連全般に対しての素人であるコールマンの見解で。それは全ての局面で該当するわけではないにしろ、おおむね事実ではあるだろう。
銃は剣や槍よりも遥かに優越した兵器である。しかしここは異世界。そうした決めつけはよくないのかもしれない。何せコールマンのいた村はあんなにも田舎だったのに、この都市部の光景はまるで、元の世界でも滅多に見ない規模の工業都市のようではないか。遥か先にうっすらと見える城壁は、高さが百メートルを優に越えているようにも見える点で言えば、元の世界でも比類ないものだ。
それに――と思う。どの鍛冶職人を見ても。彼らの扱う工具の類いには、ザッと見ただけでも全てにルーン文字らしきものが刻まれていて、例の青白い光を放っている。どういう仕組みなのかは今一分からないが、巨大な歯車にも同様の青白く発光する文字が刻まれてある。
やはりそれは魔法……なのだろう。きっと。それがどの程度の事柄を可能にするのか、魔法は科学などと比べてどの程度発展しているのか、若干理屈臭いところのあるコールマンにとって興味深かった。場合によっては元の世界のテクノロジーが通用しない世界であることも考えられる。コールマンは早急にこの世界のことを理解する必要があると思った。
「やあ、来たな。護送ご苦労」
ふと無意味に親しげな声がして、コールマンはそちらに意識を釣られる。
視線を向けると、そこには威厳のある中年の男性がいた。
豊かに蓄えられた顎髭は艶やかで、胸先まで伸ばされている。口髭も口を隠さない程度に整えられ、その面貌には穏やかそうな笑みが刻まれていた。顔に浮き出しつつある皺とも相俟って、人の好い紳士にも見える。
艶を持っている黒いステッキを右手に、左手には雅なキセルが握られている。煙を口から吹かす彼は全体的に落ち着いた服装をしているが、上品に纏められていて――その格好とはミスマッチな、派手で華美な赤いマントを羽織っていた。家紋か何かなのか、金糸で羽ばたく鷲が刺繍されている。
護送部隊の隊長らしき男が急いで彼の前まで小走りに向かい、踵を鳴らして足を揃えると背筋を伸ばして、指先を伸ばした右手を胸の中心に当てた。この世界の敬礼なのだろう。紳士が頷くと隊長の男は敬礼を解いた。
「ダンクワース侯爵閣下、このような場へ何用でしょう? 何かご用命であれば、ただちに相応の方へお声掛けさせて頂きに参りますが」
「ああ、ああ、気にしなくて結構。私は単に、この闘技場へ一観客としてやって来たに過ぎないのだからね」
凄まじい熱気と活気が背後から感じるも、コールマンは耳敏く紳士の名を聞いていた。
――ダンクワース
「あ……」
内心首を捻るも、その疑問はすぐに氷解した。
今の今まで発掘闘技都市の活気と迫力に圧倒されていたから気づかなかったが、村人達を逃がさないためか、はたまたダンクワースの護衛のためにか、五十名を数える兵士がコールマン達を囲むようにして立っている。
その部隊の隊長らしき者は一目で判じられた。その男の兜には孔雀の羽のような飾り羽がつけられているのだ。黒地のマントを翻し、兵士達の統率を取っている。
古代の剣闘士の出てくる映画で見たことがあった。彼らはそれに似た鎧を着ている。コールマンのいた村を襲った兵士達とは部隊が異なるらしい。この部隊は闘技場付きの治安維持、暴徒鎮圧のための部隊なのかもしれない。
"シンプルな強さ"というのものが視覚によって分かりやすく伝わってくるような、強壮な肉体と面構えをしている。誰を見ても一流アスリートのように無駄がなく、鍛え上げられた体格をしていた。
コールマンは今更のように周囲に目を配った。護送車両の車輪は回転を止め地面についている。静止している今、これにも青く光るルーン文字らしきものが刻まれてあるのが見て取れた。五台の護送車両から降ろされた男達はコールマン達を入れて二十七人。下は十四歳のコールマン、上は四十代らしき男。コールマンと同年代の少年は二人しかいなかった。元の世界でも見知っている顔である。近所に暮らしていたエイデン、ディビット……。コールマンは彼らと然して親しいわけでもなかったが、彼らもいるのに対して複雑な思いに駆られる。元の世界で同郷だった人間の集まっている村なのかと思うも、他に知っている面々はディビットやエイデンの父がいるだけで、他は見たことのない面子である。
武装していない二十七人の村人。十代の子供が三人、二十代と三十代が十八人、四十代が六人……対して長剣と小さな丸楯で武装した、精強な兵士達が五十人。どう足掻いても逃げられそうもない。
しかし兵士達を睨む父ユーサーの目は険しかった。手に武器があれば、多勢に無勢であっても襲い掛かりそうなほどに殺気立っている。なんとなく兵士の一部がユーサーに注視している気がした。
――母さんだけじゃなくて、父さんまで殺されたら僕はどうしたらいいんだ。父さんが殺されるところなんか見たくない、お願いだから今は落ち着いて……。
そう願い、父の手を握る。ハッとした顔でユーサーはコールマンを見た。気まずげに頷いて兵士達を睨むのをやめる。
ユーサーはコールマンの父親だが、異世界のユーサーならコールマンの実父というわけではない。しかしコールマンは元の世界の父に向けるものと同じ、親愛の念を抱いていた。それはこの世界のアルトリウスが持っていた感情なのかもしれない。それを疑問にも思わないほど、自然に別世界のユーサーを受け入れている。
「ふむ……」
ふと不気味な視線が村人達を見渡しているのに気づいて、コールマンは身震いしそうになった。ダンクワースが嘗めるようにしてそれぞれの顔を値踏みしている。
コールマンと目が合った。顔が引き攣る。ダンクワースのこちらを見る目は、悍ましいほど愉悦の色に染まっていたのだ。
「っ……」
ダンクワースはすぐに他の面々へ視線を移したが、その視線に込められた色にコールマンは鳥肌を立てていた。なんだというのか、この感覚は……。
「きみ、名前は?」
「は。ゴライアスと申します、閣下」
紳士に訊ねられたのは、コールマン達を護送してきた部隊の隊長だ。ダンクワースは意味深に問いかける。
「彼らは罪人ではないようだ。ユーヴァンリッヒ伯の領民だね。先がないと見切られた村の者達だと思うがどうだろう」
「その通りです」
「なるほど、可哀想に……」
言葉の上では憐れんでいるが、表情はその真逆だった。
彼はあくまで愉しげにしている。心なし声が弾んでいた。
「帰る村を無くしたか。ふむ、ふむ……それでは闘技場で生き残ったとしても、軍に入るか冒険者になるしかない。しかし彼らの身の上では軍に入るのは忌避するだろう。かといって危険な冒険者稼業をおこなっていては、遠からず命を落とすであろうし……ふぅむ。ところでゴライアスくん、少年が三人いるね。彼らの父親は無事かな?」
「は。村にいた健康な男と、十歳以上の男子も連行してあります。少年達の父親も無傷です」
「そうか。分かった。私は少々行くところが出来たようだ。ああ、ああ、可哀想だからね。有効に利用しようというユーヴァンリッヒ伯の方針に乗っかるとしよう」
ダンクワースは愉快げに笑いながら踵を返し、闘技場の方へと歩いていった。コールマンはそれで、やっと悟る。
前方にある巨大な壁が闘技場なのだと。スケールが余りにも大きい。発掘闘技都市の中にもう一つ城があるかのようであった。
白亜の外壁に覆われたそれは――微かに脈打っているようにも見える。目を凝らせば血管のように細い線が白亜の壁に走っていて、これが一つの生き物であるように感じられた。
巨大な生物。ダンジョンが生きている。その生命力の強さに気圧された。
「歩け」
護送部隊が纏まって去っていく。任務を引き継いだらしい剣闘士じみた装備の部隊がコールマン達を促した。
抵抗する者もいるが、如何ともしがたい腕力差で連行されていく。村人達の列に押される形で闘技場の方へと歩かされてしまう。体を強張らせるコールマンの目には、外壁が唐突に裂けて横に開いた入り口が――地の底まで続く地獄のそれに見えて。
漸く、今になって事の深刻さを実感した。
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