EPⅢ×Ⅴ【偽物の道具《replica×tool》】

 霧雨が静かに降り注ぐ中、裏路地に蛇の尾を引きずる音が響く。それは重く、得体のしれない恐怖を湧き起こさせる。

 石畳の上にできた水溜まりに映るのは醜い女。動き回る二つの眼は餌を探す捕食者。そんな女に抱えられた平凡な男は気絶したまま目覚めようとしない。

 右手に首狩り鎌のような剣、左手に赤い黄金の天秤。しかし天秤に付属していたはずの目玉のような宝石は姿を消していた。


「集めなくては……祭りの日までに、この器に必要な罪悪を手に入れなければ」


 女の声に呼応するように幾百の蛇が掠れた音をだす。蛇達は女の頭皮から生えており、美しい黄金の鱗を冷たい雨に濡らしていた。





 惨状。その二文字で表すに相応しい借家内部の荒れ方に、ユーナは目の前で深々と土下座している自称メイドのナギサを見下ろす。

 恐らく制作ギルド【唐獅子】に実験用として渡された煙突不要の小型暖炉のために用意されたであろう薪。それが壁紙に見事に突き刺さって前衛的なアートになっている。

 他にも散乱した小麦粉、洗濯したばかりのシーツに付着した生卵と牛乳、和国に伝わるまきびしの如く破片が床を埋めるほど多い皿の残骸。トドメは疲れ切った様子でソファに寝転がる美しい双子。


「あ、あわわわ……ご、ごめんなさいぃいいい……ヤシロさんがいない間、僕だけでも頑張ろうとしてその……み、見捨てないでお姉さまぁあああああ!!!!」


 頭の奥まで響く大声の懇願に、ユーナは怒る気力も呆れる感情も奪われる。ユーナの腰に縋りついてくるナギサは大きな黒い目を涙で濡らし、上目遣いで許しを乞う。

 二階の居間パーラーだけでこの状況なのだ。厨房や浴室の様子は見るのも恐ろしい。コージがユーナの背後から魔法でなんとかできないかと見つめてくるが、そんな都合のいい魔法はない。

 部屋の片づけ程度に『壮大な神々レリック』の力を借りるなど罰が当たってしまう。なにより失敗を無にしても、誰のためにもならないのは目に見えていた。


「チビ助がいないだけでこれかよ……姫さん、早期解決を試みた方が良さそうだぜ」

「そうですわね。経費関係に借家の管理と接客もヤシロさんの仕事でしたし……わたくし達でもカバーするのには限界がありますわ」

「いや、ヤシロは他にも全員の食事準備や備品補充に買い出しご近所付き合いや掃除など、あらゆる雑務をこなしてくれていた」

「でも一番は天使ちゃんのフォローだよなぁ……」


 失ってから知る大切さに、思わず涙ぐみそうになる。と思ったユーナだったが、普段からヤシロに頼りすぎていることが発覚し、少しだけ申し訳ない気持ちも抱いた。

 それだけの物事を全てこなせるヤシロが優秀とも言えるが、その苦労を表面に出した事例はあまりない。小さな体からは想像できない仕事量。目覚めたら少しは優しくしてあげようと、ユーナは密かに誓う。


「とりあえずナギサさんは罰として椅子の上に大人しく座って動かないこと。会話と御手洗いは自由ですが、決して手伝おうと考えては駄目ですからね」

「はぁい……」


 落ち込んだ様子で人形のように愛らしく座るナギサ。これで彼女が動くことで発生する混乱はほぼ防げたと言っても過言ではない。

 破壊天使とはいえ腰を落ち着けながらなにかを壊すのは難しいからだ。その間にアルトとコージに塵取りや室内箒を渡し、ソファの上で寝転がっている美麗双子には新しい壁紙を手渡す。

 全員が手慣れた様子で室内を片付けていき、少々時間はかかったものの、少し遅めの夕食時間には室内はほぼ元に戻っていた。ただし壁の穴は壁紙で隠しただけである。


 煙突を必要としない小型暖炉の試作品に薪を入れ、火を点ける。小さな煉瓦の箱に近い形で、箱内部に設置された貯水槽に熱と煙を吸い込ませることで室内への黒煙を防いでいる。

 同時に貯水槽の水を蒸気に変化させて、管に繋ぐ小型蒸気機関を動かす原動力として再利用。煙に含まれた塵は濾過紙フィルターによって付着回収され、定期的な交換は必要になるがほぼ無駄のない構造を成立させている。

 頻発する街の破壊のせいで蒸気を運ぶ管が破壊されている。最近では室内の灯りも蒸気灯に頼ることが多いため、その対策として作られた試作品であった。


 人助けギルド【流星の旗】の借家には煙突がない。今までは暖炉も増設せず、室内を温めるのは蒸気機関暖房器だった。それもかなりの老朽化により、寿命は近い。

 十一月頭まで借りる契約により、試作品の暖炉を使っている。それを過ぎれば返却しないといけないため、ユーナ達は借家の支払いだけではない予想される出費に少しだけ悩んでいた。

 しかし今は近付く冬への備えではなく、聖ミカエル祭に関係した事件の方が重要である。アルトが小型暖炉の上に置いた寸胴鍋に適当に肉と豆を投げ入れ、水を入れるのを見てからユーナはソファの柔らかな背もたれに寄りかかる。


「さて……問題は鵞鳥男だけではなくなりましたわね。まさか『偽物レプリカ』と女神が出てくるなんて……」

「ユーナくん、なぜ女神が相手だと? それに分類としては『女神レリック』ではないのか?」

「あらん……アタシ達が接客用衣装を考えてながらナギサちゃんの混乱に巻き込まれている間に、色んなことが進んじゃったのん?」

「まずはハトリさんの質問に。かなり進行しましたわよ。ヤシロさんを攻撃したと思われる犯人に遭いましたもの」


 甘えるようにユーナの膝上に頭を乗せるハトリに対し、ユーナは優しい声で説明する。ちなみにいつの間にか移動したナギサが、ハトリとは反対の方向からユーナに寄り添っていた。

 美女と愛らしい少女の二人に囲まれたユーナだが、その表情が晴れることはない。華やかな様子を横目で眺めているアルトが、目分量で塩と胡椒を入れて鍋の中をかき混ぜる。


「次はコージさんの質問に。女神と言っても『本物レリック』ではないのですわ。というか……それだったら、こんな悠長にできませんわよ」

「そうなのか? いくら『女神レリック』とはいえ、人の魔力で呼べる物には限度がある……ならばユーナくんが本気を出せば対処できると思ったのだが」

「おほほほ。面白いことを言いますわね。はっきり宣言しますと……本気を出した上に奥の手を使ってこの世界から弾き出すので精一杯ですわよ」


 わざとらしく笑ったユーナに対し、コージは突いてはいけない藪に手を入れた気分だった。さらに続いた言葉に目を丸くし、ユーナの次の発言を待つ。


「それだけ『女神レリック』は厄介なのですわ。特にマグナスさん制作の魔道具である機械仕掛けの神代デウス・エクス・マキナまで関わってきたら……想像したくないですわね」

「駄目よん、コージくん。女の人が怖いのは男の人が一番知っているわよねん? その神様よん、嫉妬で同じ神様を化け物に堕としたりしちゃう存在なんだからん!」

「そうだな……俺と姉貴は緑魔法と黄魔法を連携させるからわかるが……ああいう『恐ろしい女レリック』には慎重に法則を選んでいる。力を借りれたならば心強いんだがな」


 皿やスプーンを用意し始めたチドリの捕捉に、コージはなんとなくだが納得する。特にハトリが口にした女が怖いのは男が一番よく知っている、という部分に説得力があった。

 コンソメの香ばしい匂いが部屋の中に広がっていく。パンやバターも人数分が用意され、遅めの夕食としては申し分ない内容にユーナは少しだけ強張っていた体の緊張をほぐした。


「聖ミカエル祭を誘導ミスリードにしているかと思えば、ちゃんと手掛かりヒントも残している……なーんか作為を感じますわね」

「どういうことだよ、姫さん。敵は『偽物の女神レプリカ』だろ。天秤も剣も誤認目的のはずだ」

「流石はアルトさん。そこまで見通しているならば、あと一歩でしたわね。聖ミカエル祭にて重要な三つのGまで行き着くと、もう少し違う見方もできたのに」

「G……Gorgon……ゴルゴン三姉妹かよ!? おいおい、一級品の怪物神話じゃねぇか……」


 寸胴鍋を持ちながらも驚いたアルトだが、それを落とすことはなかった。ただしバターナイフが落ちる音が響く。食器類の準備をしていたチドリは顔を青ざめさせていた。

 コージとナギサはお互いに視線を合わせて首を傾げた。白魔法だけが得意な二人にとって『神話レリック』というのはどこか馴染みが薄い物である。

 しかし先程までユーナの膝枕に甘えていたハトリが跳ね起きたことにより、いつもは優雅でマイペースな彼女すらも驚く事態だというのだけは理解した。


「コージさん達に向けて説明しますと、ゴルゴン三姉妹は複数神によって構成される世界の女神達です。特に末っ子のメデゥーサは美しい髪をしていたと言いますわ」

「だがメデゥーサはその美しさに驕って他の女神を侮辱する。そして怒りを買い、彼女は怪物に貶められる。それに怒った次女と長女の女神は抗議するが、結局は同じ怪物になってしまう」

「それが同一個体なのか、複数体なのか……詳しいところまでは明かされていませんが、怪物にされた姉妹の女神達……彼女達をゴルゴン三姉妹と呼ぶのです。ゴルゴンとは恐ろしい者という意味がありますわ」

「でもねん、女神って基本は不死身なのよねん。それは怪物になっても変わらない……そこで困ったのは神様達。不死身の怪物を倒そうと、多くの英雄を送るんだけど……」


 少し含みを持たせたハトリの語り口調に、コージとナギサは生唾を呑み込む。いつの間にか窓硝子越しに響く強めの雨音が、まるで誰かの足音のようだ。


「全員石にされちゃったのよん。生きたまま……動けない、息ができない、いつしか心臓まで石のように固くなって、永遠に苦しんだ姿で神殿に飾られてしまったのよん」

「メデゥーサには不死身の力がない代わりに目で捉えた対象を石に変えることが可能でしたわ。まあ諸説ありますけど、あまりにも醜いために彼女の姿を見た者は血まで凍りつく、という話も論説の一つですわね」

「不死身なのは姉二人だけ、という話もな。ただメデゥーサの能力ならば神殺しが可能になると言われている。心臓や呼吸が必要なくても、神だって石のように動けなければ置物と同じだからな」

「だから彼女達を怪物に堕落させた女神様自身も大慌て! 一人の男にあらゆる道具と知恵を授け、怪物殺しの英雄に仕立て上げる! だけど俺様が思うにさ、やっぱ……」


 そこからは神話に関する考察が広がってしまい、コージとナギサは不死身の定義や神の能力としての矛盾など、彼らからしてみれば異次元のような話題を聞くことになる。

 しかし話しながらもスープを皿によそい、最終的には議論を続けながらも食卓が完成される。温かい湯気が立ち上る皿を前に、ナギサは大きな腹の虫を鳴らした。

 顔を真っ赤に染めたナギサが慌てて誤魔化そうと体を動かそうと立ち上がったが、ユーナが条件反射のように彼女の肩を強く押さえて事なきを得る。


「……こほん。とりあえずアルトさんの食事をいただきましょう。どれだけ『本物の神話レリック』を語っても、今回はその全ては適用されませんから」

「ああ、そうか。確か『模倣品レプリカ』は前にも関わったことがあったな。あの時に判明した事実と言えば……」

「要は『原型オリジナル』には敵わない。再現できないの方が正しいけどよ……代わりに『原型オリジナル』にはない特性を付与できる、だよな? 姫さん」

「ええ。結局は模造……必ず価値は一緒になりません。しかし『偽物レプリカ』が『本物オリジナル』と同じ土俵に立つ必要もなく、負ける要素は確定ではない」


 作法マナー違反しない程度に食べながら話を続けるユーナは、相変わらず器用な男だとアルトに視線を向ける。

 適当な目分量で作ったコンソメスープのはずなのだが、美味なのである。見た目に関しては男の大雑把な料理なのだが、味に関してはヤシロを超えている。

 ただしヤシロの場合はレシピ通りに調理を行うため、失敗がない。代わりに味も普通に美味しいと言える類に完成させる。この人助けギルド【流星の旗】において、男性陣の方が料理は上手だった。


 というか女性陣の極端な料理下手と、適度に料理はできるが気分ではないから作りたくない、という二通りの流れがあるせいで男性陣が料理担当する羽目になったわけだが。

 ちなみにハトリとナギサは前者であり、ユーナは後者であった。ナギサはドジっ娘パワー炸裂するが故の爆発付き大失敗であり、ハトリの場合は愛情という名の行き過ぎ調理法が問題なのだが。

 意外と下手だと思われているユーナなのだが、家庭料理くらいなら作れる。ただし味に関しては可もなく不可もなく、本人もそれを承知している。


「むしろ『原型オリジナル』から価値を下げることにより、余裕ができる。製法は不明ですが、その余裕に別の要素を詰め込む工程で『偽物レプリカ』は付価値を手に入れるのですわ」

「今回でわかったのは、天秤に付属していた目玉。あれが『模倣品レプリカ』っていう事実だけだ。そしてあれの視界の捉えられると、体が動かなくなる。ここまでは『本物オリジナル』と同じだ」

「ただし対象外もある。コージさんは動き続けていましたものね。ではなにを基準に相手の動作を止めていたのかしら……それにあの剣の形を考えれば、繋がっているような気もしますわね」

「それこそ誤解させるための餌じゃないのかよ? メデゥーサの首を斬ったと言われる伝説の武器、その形を真似ることで思考を狭めようという具合にな」


 考え込むユーナは難しい顔のままパンを口に入れる。頭の中では様々な推察が渦巻いており、一度は捨てた考えも再度拾い上げて考証を重ねるほどだ。

 最初に『司法の女神レリック』だと疑ったのは、季節の星座と天秤を関連付けしたからだ。特に聖ミカエル祭には独自の法廷が予告もなく現れることがある。

 埃にまみれた足の法廷パイ・パウダー・コートと言われるそれは、聖ミカエル祭の市にて規則を破る者を罰する。名前の由来は市を目当てに公道を長く歩いてきた者達の靴が汚れているからだ。


 鵞鳥の頭も『司法の女神レリック』を宿すための材料と感じていた。何故ならば多くの『司法の女神レリック』を象った銅像は目隠しをしているのだ。

 天秤は正邪を量る正義の象徴、剣は邪を屠る力の象徴。なき天秤正義は無力であり、天秤正義なきは暴力と伝わるように、この二つを手に裁く者は公正な判断を求められる。

 だからこそ『司法の女神レリック』に目隠しが施されたのは、外見や権力などに惑わされないためと言われている。ユーナはてっきり鵞鳥頭はその象徴だと考えていた。


 しかし鵞鳥の頭には視界を確保する穴が開けられていた。これでは緑魔法の成功率を高めるために施した、という線は薄くなる。

 緑魔法は魔力を使って『別世界の存在レリック』を体に宿す魔法だ。これには密かな成功率を引き上げる方法が存在し、簡単に言えば『望む存在レリック』に自身を近付ける、という点だ。

 例えば美しい外見の『女神レリック』は醜い男には宿らないと伝えられている。肌が黒い『神々レリック』はそれを誇りに、白い肌をしている者には中々難しいなどの噂まで流れるほどだ。


 色々と口うるさいと思うこともあるが、ユーナとしても、もしも自分が宿主を選択するならば、と考えれば相手は選びたいものである。大体は魔力で解決する場合も多いが、暴走の危険性を減らすために相応の努力が必要という教訓にも近い。

 今回の鵞鳥男は剣と天秤を用意していたのと、被り物をしていた点から『司法の女神レリック』と当初は案じていた。季節的にも都合のいい時期であったのも要因だが。


 占星術に使う事例も多い黄道十二星座。その中には天秤座という物が存在する。秋分点との関わりや、乙女座の横で輝いていると本にも記載されている。また誕生日に合わせて黄道十二星座を当てはめた際、天秤座は丁度良く聖ミカエル祭と被るのである。

 何故『司法の女神レリック』が女性なのかも、この黄道十二星座が起源と言われているほどだ。乙女座の横に天秤座があるため、乙女が天秤を持つことになったのだ。

 もちろん諸説が語られているので確定的ではない。それでもユーナが一番に『司法の女神レリック』関連を疑ったのは、そんな根拠が納得できたからだ。


 しかしどうにも鵞鳥の被り物が胡散臭すぎて、次に思い描いたのは聖ミカエル関連だった。聖ミカエル祭に乗じて騒ぎを起こしていることから、そこに繋がるかと考えた。

 聖ミカエルも剣と天秤が象徴であり、鵞鳥の被り物も祭り関連ならば納得できた。聖ジョーギアの場合は『司法の女神レリック』よりも関連が薄いと除外している。

 問題は一つ。たとえ最高位魔導士だとしても聖ミカエルなどの天主に繋がる存在に接続することはできない。彼らは『別世界レリック』ではないのだ。


 おそらく天主の御子と呼ばれる存在が起源にあるからだ。彼はユーナも想像ができないような方法で、彼らをこの世界の者にした。だからこそ『別世界の存在レリック』ではなくなった。

 その功績を考えると、今も多く崇められているということは納得できる。なにより魔導士はどうにも学問として彼らを捉えるので、そういう意味でも相性が悪いとは言える。

 つまり聖ミカエルを緑魔法で宿した、という線は皆無である。もしかしたら神憑りな偶然で魔法以外の方法があったとしても、聖ミカエルが自身の祭りを壊す意味がない。


 こうして可能性を幾つも潰してきた先で、相手の正体が『偽物レプリカ』を使用した一般人、であるというところまでは突き止めた。

 さらにゴルゴン三姉妹のメデゥーサという情報も手に入れた。どうしてヤシロが無抵抗に襲われたのかも理解し、ある程度の納得はしていた。

 しかし不可解な点が消えたわけではない。むしろ増えているような心地のまま、ユーナは一つ目の謎を口に出す。


「あの剣は天秤の目玉で動きを止めた相手を斬る道具……だとしたらヤシロさんが無傷であることも、目覚めないのもおかしいですわよね?」

「ん? まあ、そうだけどよ……」


 ヤシロが襲われたのは九月二十五日の昼前。ユーナ達が夕食を食べている今の時間は九月二十六日の午後八時。その間にヤシロが目覚めたという連絡は一切ない。

 改めてユーナはヴラドから与えられた資料に目を通す。襲撃されたのは判明しているだけでもヤシロを含めた三十五人。入院している場所や外傷などの情報を見ていく。


「ヤシロさんもそうですけど、被害者全員には切り傷による外傷はありません。そして最初だと思われる被害者は一か月ほど昏睡を続けてます」

「あらん? それはなんだかとっても変だわん。傷もないのに倒れたまま動かないなんて、それこそ石になったみたいねん」

「しかし死亡は確認されてないならば、昏睡の原因は天秤の目玉ではないだろう。話を聞く限りでは、あれは動きを止めるだけのように聞こえるからな」


 チドリは食器を片付けながらユーナの横から資料を眺める。物騒な情報も書かれていたが、警察が集めているよりも正確な内容に少しだけ驚く。

 美味しい食事に満足したハトリは再度ユーナに甘えるように寄りかかり、同じく資料を見つめる。几帳面な字には覚えがあったため、すぐに誰か作成したか思い当たる。


「つまり剣にも仕掛けが施されているはずですわ。独特な形から見ても、おそらくメデゥーサに関係し、天秤と一対なのではないかしら」

「そんなに剣の形が重要なのか? 私が一瞥した限りでは、特別な意味が含まれているとは思えなかったが……」

「男前と会話に入り込めない天使ちゃんのために説明するとだな、あの剣はハルペーと言う種類でペルセウスという英雄がメデゥーサ退治に使用した武器なんだよ」


 言葉に出しつつもアルトは手近な場所から紙とペンを取り出し、気負うこともなく簡易的ながらわかりやすい剣の図を描いていく。

 その形を見たナギサなどは、雑草刈りに便利そう、と言い出す始末である。英雄の武器である事実が霞む発言だが、誰も訂正はしなかった。


「でもこれはメデゥーサを退治する物! 人間を倒すのではなく、怪物の首を狩り取る武器だろ?」

「……それも『模倣品レプリカ』ならば話は変わるはずですわ」

「あ、わかりました! つまり『原型オリジナル』とは違う特性が、その剣に備わったのでヤシロさんは倒れてしまったんですね!」


 ナギサが謎を解いた少女のようにはしゃぐ横で、アルトは珍しく落ち込んでいた。ナギサが理解できる内容を、すぐに気づけなかった自分を恥じるように。


「おそらくは。もう一つ気になることがありまして、それが重要なのですが……杖刀に触れた割に、あの鵞鳥男が特に変化もない様子で動き続けた点ですわ」


 その言葉に現場を知らないハトリ達だけでなく、現場にいたアルト達も驚く。ユーナの杖刀はどんな相手でも問答無用に魔力を吸う物である。

 ユーナの見解から鵞鳥男は魔力は平均よりも少ないはずである。もしもそんな男が杖刀に触れれば、貧血状態のように気絶してしまうのが当たり前だ。

 しかし杖刀が男の肩に攻撃したが、その後も男は動き回っていた。コージが頭突きするまで気を失うこともなかったのを何人も確認している。


「杖刀の様子を見る限り、魔力はいつも通りに吸っているはずですわ。つまりあの男の肩、もしくは体にもなにかあった……と考えるのが妥当です」

「あわわわ、杖刀さんの攻撃を受けても平気だなんて凄いですね。だって杖刀さんって基本は容赦なく打撃を繰り出しますよね? 一般の人だったら骨にひびや脱臼とか、必ず怪我しちゃうくらいですから」

「防具を着けてたとかかしらん? 布越しは問題ないけど、鎧とか金属越しは駄目なのよねん確か。まあ杖刀ちゃんはそれ壊してから魔力を吸っちゃうけどねん!」

「つーか、女神さんにとって杖刀ってちゃん付け要員なのかよ」


 できれば真剣な話にしたかったユーナだが、ナギサとハトリによる杖刀の呼び方のせいで一気に脱力する流れになってしまう。

 しかしユーナが見た限りでは布の下に防具をつけているような姿ではなかった。鎖帷子なら隠れるかもしれないが、あれだけの運動音痴がそんな物を身に着けるとは思えなかった。


「……これ以上は情報がありませんわ。とりあえず明日、大樹の館ギルドツリーに家賃を支払いに行きましょう。暇な方はいますか?」

「あ、じゃあチドリちゃんとアタシが同行したいわん! アルトくんにナギサちゃんのフォローお願いしてもいいわよねん?」

「女神さんの頼みじゃ断れないなー……って、今かなり断定的な言い方をしなかった? 女神さん、そんなに今日の一件疲れたの」

「察しろ。俺としても癪だが、頼む。明日はお前がナギサのフォロー担当だ」


 心底悔しいという顔でアルトに頼み事をするチドリを横目に、ユーナは彼ら双子の苦労を知る。そしてアルトは硬い笑顔で冷や汗を流した。


「丁度布地も買いに行きたかったのよん! フーマオさんに依頼されて看板娘用の制服を作ってて……見てーん!!」


 ハトリの言葉を合図にチドリが丁寧にマネキンを数体運んでくる。その忠実な仕事ぶりに、姉弟の力関係は明らかだった。

 様々なドレススタイルを参考に作られた制服は、流行のデザインだけでなく最先端から伝統までも含んでおり、それだけで華やかな装いがあった。


「ルネサンスイメージの樽型スカートは動きにくそうだし、ロココスタイルの袖は引っかかって破れちゃったら嫌だものねん。エンパイアスタイルはハイウエストで素朴さが魅力なのよん! ロマンチックスタイルはお姫さまっぽくて可憐だけど、聖ミカエル祭の場合だとクリノリンスタイルでカントリー人形風もいいわん! でも今の流行はバッスルスタイルで腰回りが飾れるし、最先端のアールヌーヴォースタイルで上品に攻めてみちゃうのも素敵だと思うのよん!」

「じゅ、呪文なのだろうか、ユーナくん!?」

「気持ちはわかりますけど、大体ドレスの形態名ですわよ。ハトリさんはファッションに関しても淑女として優秀ですから」

「本当はもう少し先取りしてボブヘアにミニスカートでギャルソンヌスタイルを実践してみようと思ったのだけど、やっぱりアイリッシュ連合王国らしさが必要なのかと考えて今回はナギサちゃんとチドリちゃんで試作してみたわん」


 ハトリの言葉に対し、ユーナ達はマネキンに装着されている服を見る。全て女性物であり、実際にハトリは看板娘用と言っていた。

 次にチドリに視線を向けるが、すぐに目線を逸らされる。それだけで無邪気な姉に勝てなかったのだろう、というのは容易に想像できた。


 最初に説明されたのはルネサンスイメージドレスである。特徴的な大きな襟は天使の翼を模しており、膨らんだスカートも白や金の刺繍で清潔にまとめている。

 夜会などでも通用しそうなドレスだが、外で行動するのが基本な聖ミカエル祭では汚れやすそうだと思えた。なにより巨大な襟が動きやすさとは無縁であった。

 袖も手首に近い部分が大きく膨らんでおり、全体的にふっくらしたデザインだ。線が太い女性でも柔らかく見えるだろう。


 ロココスタイルは腰回りを絞っており、それと対比するように華やかに広がったスカートが見事である。袖は肘辺りをカフスで留め、フリルを羽根のように見立てている。

 首には襟の代わりにフリルのチョーカーで愛らしく、代わりに胸元を大きく開けている。さらに蘭に似た姿の生姜の造花を飾り付けることで、聖ミカエル祭のGを取り入れていた。

 布地からは少しだけ香水の匂いがほんのりと立ち昇り、甘くも爽やかな香りが鼻をくすぐる。布地だけでなく匂いにまで意識を配らせるハトリに脱帽する。


 エンパイアスタイルでは胸のすぐ下であるハイウエストから自然にスカートが流れており、細長い印象がある。すっきりとした長袖も腕の細さを主張している。

 足首の辺りはスカート裾をフリルに仕立てることで柔らかく見せ、背面を華やかに飾るロングトレーンは外で活動するのを考慮して外している。

 本来ならばショールでもう少し華美にするのだが、やはり外の活動が難点になったらしく着けていない。そのため地味な外見に仕上げていた。


 ロマンチックスタイルはユーナ達がイメージしやすい貴族や姫などのドレスに近く、ハイウエストよりは下だが、腰より少し上からスカートが広がっている。

 リボンや花の装飾にフリルも合わせやすいらしく、肩辺りで大きく膨らんだジコ袖となだらかな肩の対比で、女性らしい首筋からのラインが際立っていた。

 一番華やかではあるが、どうにも給仕や売り子の姿ではない。ユーナの好みではあったが、働く服装としては失格になってしまうだろう。


 クリノリンスタイルは名前の如くクリノリンと呼ばれるスカート補正金具部分が特徴である。傘のように丸く広がる形であり、そのためスカートの形が保たれている。

 今回はティアードフリルという多段に重ねたフリルスカートを採用したらしく、ヘッドピースと呼称される髪飾りと併せることで気品と親しみやすさが増えていた。

 しかしクリノリン自体が金具であるので、人とぶつかれば相手が痛い上に、転んでしまえば起き上がるのも難しい。人通りが多いガウェインガーデンでは致命的だ。


 バッスルスタイルはまさにクイーンズエイジ1881のアイリッシュ連合王国で主流のドレスだ。淑女と言えばこのドレス、と誇らしく語られるほどだ。

 バッスルと呼ばれるお尻部分を膨らませて見せるアンダースカートが特徴的で、流行によって形は変わるが、ハトリは今の流行である細身の筒状スタイルを選んだらしい。

 手袋と七分袖がすっきりとした印象の中、バッスルを中心に盛り上がるスカートの布地やフリルは美しい。しかしこれでは売り子ではなく、観光客の姿だ。


 最後にアールヌーヴォースタイルだが、S字を意識したバストとヒップを突き出すデザインだ。こちらも肩を膨らませるジコ袖を使っている。

 スカートはリボンなどの装飾が減って簡素化しており、代わりにレースで華やかにしている。膝下から広がるスカートはマーメイドを意識した物らしい。

 おそらくこれから流行するであろうスタイルなのだろうが、どうにも馴染みが薄いせいで先取りしすぎるのも問題なのだろうとは思わせた。


「で、完成したのがこちら! クリノリンスタイルなんだけど、クリノリンを外してティアードフリルスカートにして動いた際の広がりを意識! アイリッシュ連合王国なら時計塔をイメージしたくて、そんな模様や素材も入れてみたわよん!」


 濃い茶色のスカートに深紅のフリルを使用し、上は白のエプロンを重ねている。ただし腰の辺りであえて見せることを意識した錆びた金色のコルセットは、歯車や螺旋に似たボタンが使われている。

 袖はロココスタイルの肘でカフスを留めるデザインにしたらしく、そこにも邪魔にならない程度のフリルが華やかに広がっている。もちろん手袋は長めの物を用意し、肌は見せない。

 頭にはヘッドピースをつけており、そちらには実際に動く時計を中心に、時計盤のイメージである白地に金色の刺繍、リボンはスカートと同じ濃茶色に揃えている。


「産業革命メイドのイメージよん! スカートは足首までに整えているのは、やはり多くの人の目があるからねん! 派手な色ではないから、色んな人が着こなせるはずだし、汚れも目立たないはずよん!」

「さ、流石ハトリさん……これならばフーマオさんも太鼓判を押すでしょう。これをあと何着作るのかしら?」

「四着制作できたら良いけど……日数の問題があるからねん。とりあえずもう一着作れればいいかしらん。そのために追加の布地が欲しいのよん!」

「わかりましたわ。ああ、そういえばわたくしの秋用の服もヴラドさんに襤褸切れにされたので、ハトリさんになにか見立てて貰おうかしら」


 ユーナの言葉に嬉しそうに任せてと言うハトリ。ただし背後の方ではチドリがさり気なく小さく溜め息をついている。何故ならばハトリは編み物と刺繍以外の裁縫ができないのだ。

 絵を描く、ピアノやヴァイオリンを弾く、乗馬する、レースを編む、などの淑女としての教育を受けているハトリは、家事全てが苦手な性分なのである。

 すると自然な流れのようにチドリが姉には難しい部分を補うことになる。つまりハトリがデザインしたドレスを全て再現したのは彼なのであった。


 可能ならば既製品で頼むと視線で念を押すチドリに対し、ユーナはあらかじめ了承していると無言で頷く。

 もしもユーナの服を作ろうとなると、そのしわ寄せはチドリに向かうのである。さすがにナギサやドレスの件で疲れている相手にそれをお願いするのは酷である。


「明日は晴れるといいわねん!」


 そんな風に呑気に明日を楽しみに待つハトリは、窓越しで冷たい秋雨を眺める。夜が深まる中、その雨はロンダニアという街を深く闇に沈めているようだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る