番外編

ある1日の食卓(一部三章読後推奨)

「この辺は羊肉の料理が有名らしいですよ」

 往復で2ヶ月以上に渡る長旅の中で、何かしら楽しみを見つけるのは悪くない、とエアは思う。肉体にかかる疲労は休めば回復するが、心にかかる疲労はそうでもない事を知っているからだ。

 だが、真っ直ぐに目的地に向かい、目的が片付いたらセルナーンに戻るだけの旅路で見つけられる楽しみは限られていた。吟遊詩人の詩を聞いたり、祭に顔を出したりする事もあったが、それらは運良く鉢合わせなければどうしようもない。結局部下たちが見つけた楽しみは、行く先々の食の名産を味わう事だった。

「羊ですか。食べた事ないので、楽しみです」

 持ち前の人当たりの良さを生かして事前に情報収集するのがハリスで、ハリスの情報に真っ先に反応するのがルスターで、ふたりの話が盛り上がっているうちにいつの間にかその気になっているのがエアとジオールのふたり。それが、いつもの光景である。

「そうか。まあ確かに、セルナーンではあまり見かけないから、俺も数える程しか……エア隊長は食べた事あります?」

「何度か。セルナーンではないが」

「ジオールさんは?」

「記憶にない」

「おふたりとも、簡潔な返答ありがとうございます」

 何か文句を言いたそうな口調でこぼした後、ハリスはいつも通り、話し相手をルスターだけに定めた。

 羊以外にも香草がよく採れるらしいとか、じゃあ香草焼きが食べたいとか、他愛のない会話が延々と交わされる中、エアは腹を抑えながら歩いていた。昨日まで続いていた長雨のせいで道が悪く、街に到着するのが予定よりもずいぶん遅れてしまったため、いつ鳴り出してもおかしくないほど空腹だったのだ。

 辿り着いた食堂は、時間帯から考えれば当然の事だが、食事をしに来ているというよりは酒を飲みに来ている客ばかりだった。自分たちは浮いているなと軽く語り合いながら、空いていた端の席に着くと、さっそく給仕の女性を呼ぶ。

 期待に満ち溢れた顔で、羊肉の料理は何があるかとルスターが訪ねると、女性は苦い顔をした。

「ごめんなさい。今日はもうほとんど出ちゃってて。香草焼きが3人前くらいならなんとかあるけど――4人で分ける?」

 給仕の女性が申し訳なさそうに言うと、ハリスとルスターがあからさまに落胆した。疲れていたせいか妙な気分の盛り上がりかたをしていたので、羊肉以外のものを食べる事など考えてもいなかったのだろう。かと言って、少量でしのげる腹具合ではないはずだ。

 さて、代わりに何を食べようか。ふたりにつられて多少羊肉気分になっていたエアは、少々残念に思ってはいたが、冷静に次を考えていた。

「わ……私はいいですから、どうぞ、みなさん、食べてください」

 聞き慣れた声がか細くひねり出され、エアは咄嗟に正面に座る少年に視線を落とす。横目で確認してみると、ジオールやハリスも同様にルスターを見ていた。

「後輩だからと言って、遠慮しなくてもよいだろう。楽しみにしていたのではないか?」

「遠慮しているわけじゃありません、大丈夫です!」

「誰の目から見ても我慢しているのが明らかな顔で言われてもな」と思ったが、ルスターがあまりにも必死なので、エアは口に出せなかった。横目で確認してみると、ジオールやハリスも同じ事を考えている顔をしていたが、やはり本人に向かっては言えないようだ。

「で、でもほら、ルスターはまだ伸び盛りだから、肉を食べたほうがいいと俺は思う。もっと背を伸ばして、体力をつけたほうが……ねえ、ジオールさん」

「そうだな。ハリスの言う通りだ。その点では最も必要のない最年長の私が遠慮させてもらおう」

「いやいや、何言ってるんですかジオールさん。羊食べた記憶ないって言ってたじゃないですか。俺が別の食べますよ。俺はセルナーンで食べた事ありますから」

「でも、名産を調べてくれたハリスさんが食べないのはおかしいですよ。やっぱり私が」

 エアは思った。

 こいつらはどうしてこんな事をまじめな顔で話し合っているのだろう、と。

「つまり、食べた経験があって、伸び盛りでもなく、情報集めもしていなかった私が食べなければすむ問題ではないのか?」

 思わず口を挟んだエアに、3人の視線が集中した。

「隊長はいいんです」

「気を使わないでください」

「我々の問題です」

 エアは思った。

 どうでもいいから早く何かを食べて明日に備えて休みたいと。

「注文いいか」

 不毛な言い争いを早々に片付けなければ、食事にありつけない。エアは決意し、盛大に溜め息をついてから、給仕の女性に振り返った。

「はい」

「彼ら3人に羊肉の香草焼きを。3人前はあるのだろう?」

「ええ、3人分なら」

「ちょっ、隊長!」

 ハリスが何か言いたそうに口を挟んできたが、エアはそれを無視して続けた。

「それから私には、彼らの料理より高くて美味いものを適当に頼む。以上だ」

「はい、かしこまりました」

 女性が席を離れ、軽快な足取りで厨房に向かっていく。

 ひと息吐いてからエアが向き直ると、3人の視線がエアに向いたままだったので、わずかに動揺した。動揺したが、必死にそれを隠す。

「何だ。私がお前たちよりもいいものを食べる事に不満でもあるのか」

 エアは完全に開き直って、足を組み、ふんぞり返った格好で言い切った。すると3人は一瞬間を空けた後、ほぼ同時に首を振るか、否定の言葉を口にした。

「いいえ、そんな事、絶対ありません!」

「それどころか、『隊長かっこいいなー』って思ってますよ。こんな難問をあっさり乗り越えるなんて」

「ええ、思います! 尊敬します!」

 エアは思った。

 こんなくだらない事で尊敬されたくない、と。

「ありがとうございます、隊長」

 はしゃぐふたりはともかくとして、落ち着いているジオールに頭を下げられるとどうも居心地が悪く、エアは姿勢を正し、「気にするな」と小声で返した。

 その日の夕食が、2ヶ月強の旅の中で一番美味いと感じたのは、きっと出費が大きかったせいなのだろう。

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