守り人の地 7
リタも、ハリスも、ジオールも、魔物対策のために慌ただしく動きはじめる。その中で、ルスターは戸惑っているのか、それとも何か考え込んでいるのか、立ち尽くしたまま動き出そうとしない。
突然身内を失った衝撃がまだ遠い記憶になっていないカイにとって、ルスターの凍りついた表情は、痛々しいものだった。
この悲しみや苦しみに、生きてきた年月は関係ない、とカイは思う。相手を大切に想う強さが同じならば、同じだけ痛く、辛いもののはずだと。父を失ったばかりのカイに比べて、今のルスターのほうが平然として見えるのは、生きてきた年月の違いが、耐える力や装う力を鍛えてきたにすぎないのだと。
「葬儀の準備を、しないといけませんね」
力なくこぼれ落ちたランディの腕を持ち上げ、彼自身の胸の上に戻しながらカイが言うと、ルスターはゆっくりと振り向き、カイを見下ろした。はっきりと開かれた瞳は、驚いているように見える。
「葬儀、ですか?」
「あれ? この辺りでは、そういう風習がない、とか?」
ルスターは静かに首を振った。
「いいえ、もちろん、ございますが……ランディは魔の力に囚われ、恐れ多くもシェリア様に危害を加えようとした者です。そのように、普通の人間として弔う事を、許されるとは思いませんでした」
今度はカイが驚く番だった。カイの感覚では、ルスターの言葉の意味は到底理解できるものではなかった。戸惑いながらもしばらくじっくりと考え、そういう考えかたもあるのだとなんとか受け止めたカイは、ルスターを見上げて強く肯く。
「ランディが自分の意思でした事ではないでしょう。大丈夫ですよ」
根拠はなかったが、カイははっきりと言い切った。
「ただでさえ哀れな死を迎えたんです。これ以上悲しい目にあうなんて、おかしいじゃないですか」
自分よりも幼くして人生を終える事となった少年に、少しは救われてほしいと願ったカイは、固く拳を握り締めた。もしもランディを弔う事を許さない誰かが現れたならば、戦うだけの覚悟を決めて。
「ありがとうございます。カイ様のお許しがいただけるならば、これ以上心強いものはありません」
「そんな、大げさな」
「大げさではありません」
ルスターの瞳はいまだ親族を失った悲しみに満ちていたが、どことなく輝きを取り戻していて、彼が言葉にした通り、けして大げさではないのだと、カイは思い知る事となった。先月突然神殿に現れたばかりのカイでも、ルスターの目に映るのは、やはり『神の子』なのだ。
自分が何気なく紡いだ言葉がルスターを支え、多少なりとも悲しみを癒したのだと知り、カイは少しだけ怖くなった。神の子として気取った言葉を産みだすつもりは元よりなく、求めないでほしいと事前に話をつけてあるが、普通の言葉ですら力のある言葉になってしまうとは。
「申し訳ありません。少々、お付き合いいただけますか」
「構いませんけど、どこに?」
「まずはランディの部屋に彼を運び、それからレイシェルたちのところに。ランディの事を、妹たちに任せる必要がありますので……こうして抱いたままでは、いざという時、カイ様をお守りする事ができません」
ルスターの言葉の中に引っかかるものを感じつつも、カイは反射的に「判りました」と返した。自分の声から気が抜けている事に気付いたのは、音にして伝えた後だった。
ゆっくりと歩きはじめたルスターに遅れないよう、隣に並ぶ。まるで眠っているように穏やかなランディの死に顔を見下ろしたカイは、恐る恐るルスターを見上げた。
「ルスターさん。その、いいですよ」
「何が、でしょうか?」
「俺の護衛。俺は魔物狩りとして何年か生きてきましたし、神の力を除いた単純な剣の腕なら、リタよりも強いはずなので、自分の身を守る事くらいは出来ると思うんです。だから、ルスターさんは、自分やランディのために、時間を使ったほうが」
「いけません」
ルスターは穏やかながら強い口調でカイの言を遮った。
「お心遣いはとてもありがたいものですが、相手の実力がまだ判らないのです。他にも城内に、魔物の手の者が潜んでいないとは限りません。ひとりふたり相手にするならば問題ないかもしれませんが、10人、20人に一斉に襲われたらどうされます」
「でも」
「カイ様が、護衛が私では不安だとおっしゃるのでしたら、ハリス殿に相談いたしますが」
「いやっ、そういうわけじゃ!」
カイが慌てて否定すると、ルスターは小さく微笑んだ。わずかだが、いつものルスターの様子が垣間見えた気がして、少しだけ安堵する。
「誠心誠意、勤めさせてください。おそらくは、これが最後になるのです。私が聖騎士としてカイ様にお仕えするのは」
「え?」
ルスターは再び小さく微笑んで、それきり何も言わなかった。カイも何も訊かず、無言でルスターの隣を歩き続けた。
訊かずとも、答えはルスターの腕の中にある。ルスターの兄はすでに亡く、彼のひとり息子であるランディまでもが亡くなった。空いた当主の座を継いでザールを治めるべきは、ルスターなのだ。
ルスターはカイにとって、セルナーンに溢れる人々の中で唯一、悩む事もわだかまりを抱く事もなく接する事ができる人物だった。だからこそ、そばから失われる事を想像するだけで、途方に暮れるほど虚しくなる。この先も、あの神殿で、無事に生きていけるのかと。
「寂しくなりますね」
長い沈黙を砕いたのは、カイが吐露した本音だった。
「光栄です」
柔らかな声は耳に心地良い。声の主が優しい表情を浮かべているだろう事は、見なくともたやすく想像できた。
「大丈夫ですよ。カイ様はお優しい方です。聖騎士たちも、優しい者たちばかりです。すぐに打ち解けます」
「優しい、ねえ」
「きっ……気まぐれな者もたまにおりますが」
誰とは定めずルスターは言ったが、カイの脳裏にはただひとりしか浮かばなかった。関わっていない時はあまり思い出したくない人物であったため、首を振る事で素早く脳内から消し去る。
長い通路を進み、階段もいくつか昇り、やがて辿り着いた部屋は、城の最奥とに近い場所だった。
開け放たれたままの扉から、部屋の中の慌ただしい気配が漏れ出していたため、ランディの部屋である事は容易に予想できた。意識不明だった当主が起き上がって部屋を抜け出したとなれば、まともな使用人なら大騒ぎするだろう。見れば、通路のはるか向こうや、窓から見下ろせる庭の中に、探しものをしている様子の使用人たちの姿があった。
部屋の中から飛び出してきた使用人と目が合うと、カイは気まずいあまりに息を飲んだ。
「ああ、ル……ランディ様!?」
使用人がルスターの腕の中にある少年の亡骸を見つけ、金切り声を上げると、声を聞いた者たちが次々と姿を現した。
強い混乱と悲しみが通路を支配すると、ルスターは静かな声で「通してもらえるか?」と声をかける。戸惑う使用人たちが壁際や窓際に寄り、道ができると、部屋の中へと足を踏み入れ、ランディを寝台に横たわらせた。
後を追って部屋の中に入ったカイは、入り口近くで足を止めた。ルスターがランディの傍らで祈りはじめると、静けさが部屋の中に生まれ、優しい空気が満ちたのだ。近寄ってこの均衡を壊してはならないと、本能的に察した。
端整な横顔を眺め続けてから、どれほど過ぎただろう。伏せられた睫がわずかに揺れ、開かれた瞳がカイを見つめた。
何事だろうと一瞬驚いたカイだったが、よく見ると、ルスターの双眸はカイを捉えておらず、素通りしていた。カイは振り返り、自身の背後、開かれたままの入り口に立つふたりを見つける。
「ランディ!」
レイシェルは床を蹴り、カイの横をすり抜けて、ランディのそばに駆け寄る。力ない手を握り締め、すでに命がない事を確かめると、冷たい手に頬を寄せて嘆いた。
嗚咽と共に、杖が地面を突く冷たい音が響く。自由が利かない体を引きずるように歩みを進めた男は、ルスターの正面で足を止めた。
「どういう……事です?」
ルスターは一度目を伏せ、再び開いた。ただの瞬きと変わらない一瞬の間であったが、秘められた強さと輝きが増したように、カイには感じられた。
「見ての通りだ。手厚く葬ってくれるだろうか」
「なぜこんな事に! 意識は戻りませんでしたが、今朝はまだ生きておりました」
ルスターは難しい顔で左右に首を振り、ユベールの言葉を否定した。
「ランディの命は、数日前からすでになく、魔物の傀儡とされていたようだ。そして今日、恐れ多くも、御子を襲った」
「そんな」
「御子はランディの身から闇の気を祓って下さった。それだけではなく、不敬は魔物によるものとし、ランディに人としての死をお許しになられた。寛大なお心に深く感謝し、強く祈るのだ」
項垂れたユベールは、硬く目を伏せる。
泣き崩れていたレイシェルは、カイに小さく会釈をしてから、胸の前で手を組み、再び祈りはじめた。
「俺は何もしていない」と言いかけて、祈りを邪魔するのも無粋だと判断したカイは、一族の輪を崩さない程度にランディに近付いてから、安らかな死に顔を眺めた後、目を伏せた。
戦いに赴く際、彼が何を想っていたかは判らないが、理由がなんであれ、逃げずに剣を取り、勇敢に戦ったその精神は尊く、魔物に汚されて良いものとは思えない。ひとり多く祈る度に、少年の死が清められていくのであれば、カイは祈る事をためらわなかった。
長い祈りだった。思考も、心も、何もかもが白く染まり、穢れのない輝きが、世界から闇を消し去る感覚だ。息苦しいほどの白だが、心地良さもあり、名と顔しか知らない少年が、光の向こうで微笑んでいるように思えた。
目を開けると、横たわる少年に変化はなかったが、少年と良く似た面差しの男が、優しく微笑んでいる。彼はカイに対して感謝を表す礼をすると、妹夫婦に向き直った。
「ランディの葬儀の件だが……」
「お任せください。兄上は何にも煩わされる事なく、尊きお役目を果たしてください」
「すまない。任せる」
ルスターは最後に、妹夫婦に眼差しで語りかけ、カイを導いて部屋を出て行こうとした。
「あの!」
ルスターに従い、部屋を出ようとしたカイは、女性の声に呼び止められて足を止めた。
「ランディのためにお祈りを捧げてくださり、ありがとうございました。御子の祈りを頂戴し、ランディは果報者です」
大げさすぎる反応を止めようとカイは口を開いたが、続けたユベールに遮られた。
「よろしければ、ランディを闇からお救いくださった方にも、我らの感謝をお伝えください」
ふたりの、とくにレイシェルの眼差しの中に羨望の光を見つけ、居心地の悪さを感じたカイは、肯いて応えると部屋を出た。誰かに「貴方は神の御子なのだ」と言葉で説明された時、遠くから多くの視線を受けた時よりも、強い重圧を感じて息苦しかったのだ。
「ありがとうございました」
カイの異変に気付いていないのだろうか。ふたりきりになると、ルスターまでもが感謝を言葉にした。
「何もしてませんよ、俺は」
「そんな事はありません。先ほど私は、ランディの冥福を祈りながら感じたのです。闇に埋もれかけたランディが清められ、救われていく様を。死者に祈りを捧げた事は幾度もありますが、初めての体験でした。驚いて顔を上げると、カイ様がランディのために祈ってくださっていた」
ランディは幸せ者です、とルスターは続けた。幼い死はすべからく不幸であるけれど、その中で最も幸せな少年であるのだと。
「やっと俺も、神の御子として役に立てたって事かですかね」
笑いながら返すと、ルスターの笑みはいっそう優しく変化した。
「もちろん、御子のお力の偉大さにも感激し、感謝しております。ですが私は、ランディのために祈ってくださったカイ様のお心に、より感謝をしております」
眉間に困惑の皺を刻みながら、「これは不敬ですかね?」と問いかけてくるルスターに、返す言葉は見つからなかった。正しい応えはカイの中にあったのかもしれないが、少しの驚きと多大な照れ臭さが、見事に隠してしまっているのだろう。
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