五章 守り人の地

守り人の地 1

 神の子として民の前に出る事を、最後までしぶり続けたカイの気持ちを、リタは痛いほどに理解していた。直々に「お願い」に来た聖騎士団長を前に、リタがまったく同じ態度を取ったのは、さほど前の事ではなかったからだ。

「今までずっとひとりだった『神の御子』が、突然増えても胡散臭いと思いますけど。産まれたばかりの赤ん坊ならともかく、シェリアと同い年じゃないですか。今まで何してたんだって、皆は思いませんかね」

 聞いたところによると、カイが並べた疑問や質問、反論のうちのいくつかは、リタが並べたものとよく似通っていたらしい。

 数日程度しか間を空けずに似たような問答を繰り返す事となった騎士団長の苦労は察するが、だからといって同情する気にはなれないリタだった。騎士団長は、相手の言論の穴を冷静に突いて黙らせるような人物であったし、穴の無い反論をしたとしても、「偉大なるエイドルードがなされた事に疑問を抱く者はおりません」のひと言ですべてを押しきってしまう、厄介な人物でもあったからだ。

 結局カイは、しぶしぶ従う道を選んだようだった。長く話し合い、神殿がわとの妥協点を模索したらしいが、その妥協点は、リタと神殿がわの話し合いによって出た結論とまったく同じであった。ずいぶん無駄に時間を使ったものである。教えてやったら面白いかと少し考えたが、再会の日に部屋を追い出して以来、ろくに言葉を交わしていないため、気まずくて声をかける気になれなかった。

 リタが騎士団長に真っ先に提示した条件のひとつは、「神の子としての言葉をけして自分に求めない事」だった。信仰を持たない一市民として育ったリタに、熱い羨望や信仰を向けてくる民へかける言葉を産み出す事など、不可能と同意だからだ。騎士団長も、迂闊な事を口にして民の不審を買われては困ると判断したのか、ふたつ返事で応じてくれた。「元より大司教は神の代弁者だったのです。大司教は今後、神の御子の代弁者となりましょう」と。

 だからセルナーンの民を前にしたリタやカイがすべき事は、神の子の名に恥じないよう飾り立てた身で、背筋を真っ直ぐ伸ばして立つのみであったが、それでも無数の民が向けてくる羨望の圧力は、凄まじいものだった。魔物狩りとして失敗なく仕事をこなしてきたリタは、今までもそれなりに信頼という名の圧力を集めてきたが、その比ではない。

 リタは体中が緊張で硬直してしまい、引きつった表情を整える事すらできなかった。過去に戻り、「たいした事はない」と甘く見ていた自身を、愚かだと罵ってやりたい気分だ。

「笑顔なんて振りまいてやらないからね」と強く言い返したリタに、騎士団長は優しく「構いません」と返してきたが、これを見越しての事だったのだろうか。

 だとすれば自分の未熟さを見透かされていたという事で、妙に腹が立つなと苛立ちながら、カイを挟んで立つ双子の姉の存在を思い出したリタは、ともすれば怒りに発展しかけていた感情を、急速に冷やしていった。

「よそ見をしないでください」との指示に逆らう事ができないリタは、シェリアの現状を確かめられない。だが、ほぼ間違いないと確信を抱ける予想はできた。

 シェリアはきっと、自分たちとは違った理由で笑いもせず、見本のように美しく背筋を伸ばし、注がれる無数の熱いまなざしに怯む事なく、堂々と立っているのだろう。彼女は、そういう娘なのだから。

 突然あたりが騒然となり、リタは周囲に意識を向けた。

 それまで神の子の代弁者として語り続けていた老人が、リタたちの前から立ち去っていく様子が見える。新たに天より使わされた――という事になっている――神の子のお披露目は真っ先に済んでいるので、大司教の話が終わるという事は、無駄に仰々しい式典が終わる事と同意である。神の子をひと目見ようと集まった民が、名残惜しんだあまりのざわめきが、遠くからリタに届いたがゆえに、騒がしく感じたようだった。

 ようやくこの場から逃れられる。安堵したリタは、深く息を吐く。隣に見える少年の肩からも少し力が抜けており、同じように考えているのだと知ると微笑ましかったが、まだ笑みを作れるほどの心の余裕はなかった。

 後ろに控えていたジオールが、そっとリタに歩み寄ってきた。いつも通りの見飽きた真面目顔だ。彼の顔の筋肉は、先ほどまでのリタたちのように、動く事を忘れてしまっているのかもしれない。

「リタ様」

 差し出される皮手袋に覆われた手に戸惑ったリタは、上目遣いでジオールを見つめ、声をひそめて言い放った。

「柄じゃないんだけど、こういうの。逆に歩き辛いし」

「実用性の問題ではなく、形式美です」

「あんたが美学を語るとは思わなかった」

 だが、無理に理由を捻りされるよりは納得がいき、リタは大人しくジオールの手を借りる事にした。可憐かつ高貴な少女――実際は違うのだが、民の目にはそう映っているはずだ――が騎士の手を借りて歩く姿は、間違いなく絵になる。民の目に美しいものと映り、良き記憶として残る事だろう。

「ねえ、美学の問題なら、あんたとルスターさん、役目を取り替えたほうがいいんじゃない? あんたみたいな男を従えたほうが、カイに威厳が出て、多少は格好良さが増す気がする」

「ルスターのような美丈夫が貴女の手を引く様は、更に美しいでしょう」

「うん。あんたを目の前にして言い辛かったから言わなかったけど、それも考えた」

「しかしもう決定した人事ですので、よほどの理由がない限り変更になる事はありえません。貴重なご意見、次の機会の参考とさせていただきます」

 半ば冗談のつもりで口にしたリタとしては、真面目に流されるとどうして良いか判らず、相手に聞こえないよう「つまらない男」と呟くしかなかった。

 小さなため息を吐きながらジオールから視線を反らすと、ルスターを従えるカイの肩の向こうに、微動だにしないシェリアの姿を見つけた。

 3人の中で最も古くから大神殿に在り、民を見守り続けてきたシェリアは、明言こそされていないが、リタたちより格上に扱われている。日常においても式典などにおいても最優先されるのはシェリアであり、ゆえに真っ先にこの場を離れるはずだ。だというのに、まだ残っている不自然さが目に付き、リタはシェリアを凝視した。

 静かな眼差しは、差し出された手を見つめたまま動かなかった。小さな唇は引き締められ、何も言葉にはしなかったが、だからこそ余計に、強い拒絶を感じる。

「シェリア様」

 シェリアの傍らに立つ男が、優しい声で名を呼ぶ。

「いつも通りで構いません」

 同じだけ優しい声でハリスが言うと、シェリアはゆっくりと手を伸ばした。

 リタは目を放せなかった。自分やカイに見せるものと大きく違うハリスの態度もだが、それ以上にシェリアが気になったからだ。

 傷ひとつない白い手は、男の手を借りるふりをしながらも、けして触れようとしない。

 歩き出す姿は優雅で、緩やかな風に小さくなびく金の髪は、天から降りそそぐ光のように煌めいていた。凛とした横顔はため息が出るほど美しく、おそらく多くの者が、ささやかな異常に気付く事もなく、シェリアに見惚れているのだろう。

「どうかなされましたか?」

 様子がおかしい事に気付いたのか、ジオールがリタの顔を覗き込んだ。

「仲、悪いの? シェリアたちって」

「シェリア様と……ハリスの事でしょうか」

 リタははっきりと肯いた。

「申し訳ありませんが、存じません。そのような報告は受けておりませんし、個人的な会話を頻繁に交わすほど、私とハリスは親しくありませんので」

「そう」

 ジオールが本音を口にしているかどうかの判断は難しいが、どちらにせよ、この男の口から知る事は不可能だと理解したリタは、名残惜しみながらもシェリアから目を反らした。

 同時に、リタは無意識に指先を動かしていた。

 指の腹から伝わる皮の感触は、どこか空々しく感じてしまうので、好きではない。それは、人に触れる事にすら気を使わなければならない事実を思い知らされる事によって、エイドルードから与えられた力を疎ましく思ってきた過去が蘇るからである。

 だが、シェリアは違うだろう。幼い頃から神殿で育ち、神に対する考え方が根本的に違う彼女が、リタと同じように考えるわけがない。むしろ誇るべき事だと思うのではないだろうか。

 ならばなぜ、あれほどまで頑なに、だが静かに、拒絶するのだろう。

 不思議な娘だ。はじめて見た時から幾度も思っていた事を、改めて思いながらリタは、いまだ歓声を上げる民衆を背に歩き出した。

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