追想 4

 永遠に続くかのように長く伸びる白い道。並木は計算されつくした美なのだろう、昼の光を浴びて緑が若々しく輝き、短く伸びた影が道の中心に灰色の絵を描いている――それが、カイに与えられた部屋の窓から見える風景だった。

 清廉かつ優美なその光景は、自分自身には不似合いに思え、居心地が悪い。カイは入り口近くに立っているルスターに救いを求めて視線を向けたが、ルスターは「お気に召しましたか?」とでも聞きたげに微笑んでいるだけだ。

「外からこの塔をはじめて見た時、何だろうと思ったんですけど、丸ごと俺のものだったとは驚きです」

 ルスターは力強く肯いた。

「この建物自体が、神の御子のために建造されたものですから」

 つまり、約16年前に造られながら、誰も使う事なく埃を積もらせ続けていたという事か。無駄な事をと思う心が半分、無駄にしたのは他ならぬ自分たちだと思う心が半分で、カイはいたたまれなくなり再び窓の外を見る。

 遠くを見やると、白い道に映る灰色の影に塔の姿が見つかった。ひとつ、ふたつ、みっつ。周囲にある何よりも背の高いその影に思わずため息を吐いたカイは、直後に浮かび上がった素朴が疑問を素直に口にした。

「なんで、ですか?」

 カイはルスターに振り返った。

「なんで……と申しますと?」

「南と、東と、西と。塔は3つあるじゃないですか。東西のどちらかはシェリアのものなんでしょうけど、あとひとつは誰のために?」

「それは」

 ルスターは口を噤んだ。明らかに答えを知っている、という顔をして。

「言えないような理由があるんでしたら、別に無理して教えてくれなくでもいいですよ」

「いいえ、言えない訳ではないのですが、この場で私の口からお伝えしても良い事かと……」

「――様!」

 すべて語り終えないうちに、突如騒々しくなった窓下をカイは見下ろす。ルスターも何か思うところがあったのか、カイと同じ窓に歩み寄った。

 静かな光景を台無しにする複数の乱暴な足音が響いたかと思うと、走るいくつかの人影が姿を現した。ほとんどは聖騎士団の男たちのようだが、彼らを後ろに従えて先頭を進む影は小柄で、どうやら少女のようだ。

 少女の割にはずいぶん足が速いようだが、シェリアが着ているものによく似た裾の長い白い服が足に纏わりつき、走りにくそうにしていた。動きやすい格好をしていれば逃げ切る可能性も残されていたかもしれないが、あれではそのうち追いつかれるだろう。

「今回は門を封鎖するまでもないようだな」

 難しい顔をしたルスターのひとりごとはやや掠れていたが、意味を理解できる程度には聞き取る事ができた。

 どうやらあの少女こそが、昼日中から門を閉鎖し、カイたちを待たせた真犯人らしい。

「不法侵入者、って感じの格好でもなさそうですね。なんとか様って呼ばれていたみたいですし」

「はい。神殿の門は基本的に、陽の光がある時分は常に開かれ、誰でも自由に出入りが可能です。不法侵入の扱いを受ける者はおりません」

「じゃあなんで追われてるんですか?」

「あの方は……」

 風を切るように走る小柄な人物の、女性にしては短い金の髪が、陽の光を反射しカイの目を焼いた。

 シェリアと同じ眩しい髪だと、カイは思った。だが当然、シェリアではない。シェリアの髪はもっと艶やかで長いし、あのシェリアが走り回り聖騎士に追い駆けまわされる姿など、想像もつかない。

 むしろ――

 カイは窓から身を乗り出した。慌てたルスターが肩を掴んでくれなければ、そのまま落ちていたかもしれないほどに勢いをつけて。だがカイはルスターの支えに気付かず、食い入るように小柄な影を見つめ続けた。

 少女に追いついた聖騎士の手が少女を捕えようとすると、少女は地面を蹴り、聖騎士との距離を一瞬だけ広げる。その一瞬で振り返ると、身を屈める事で聖騎士の腕を避け、代わりに自身の腕を伸ばした。

 小さな白い手は狙いを定めて聖騎士の顔に触れる。

 聖騎士の体が、宙に浮いた。

 はじかれるように吹き飛んだ聖騎士の体を、後続の聖騎士は受け止めきれず、ふたりが白い道に倒れ込む。共に走っていた別の聖騎士は、仲間の様子にわずかに足を止めたが、少女を逃がすまいと再び走りはじめた。

 カイは無意識に窓の淵を強く握り締める。指先の赤くなるほどの力を込めていたのだが、痛みを感じ取る事ができないほど、意識が少女に集中していた。

 あの身のこなし、あの力。

 間違いない、あの少女は――

「リタ!」

 カイが叫ぶ。

 すると少女は走る速度をそのままに、振り返った。はじめは後方を、次に周囲を探すように見回し、最後に顔を上げてカイを見つけてくれた。

「カイ!?」

 名前を呼ぶ声には強い驚愕が混じり込んでいた。遠ざかろうと動いていた足は徐々に止まり、やがてカイを見上げる形で立ち尽くす格好になる。

 カイは息を吸い、リタに告げるべき言葉を叫ぼうとしたが、何も音にならなかった。もどかしさに耐え切れず、ルスターの手を振り切って、塔を駆け下りる。

 ルスターと共に昇った長い階段を下り、ルスターに案内されて通った長い通路を賭け抜け、カイは扉を開く。白い道に、ひどく懐かしく感じる少女に、繋がる扉を。

 立ち並ぶ聖騎士たちが壁となり、リタの姿が見つからず、カイは更に走る。聖騎士たちをかきわけて前に出ると、ようやく探していた少女の姿が見つかった。

 相変わらず細い体に、清楚な白い服を身に付け、金の髪や白い肌を空色の宝石で飾り立てた少女は、傍らに立つジオールをきつく睨み上げている。しかし、カイの到着に気付くや否や、瞳を優しく変化させ、振り返った。

「カイ、あんた、なんでこんな所に居るの!?」

 カイは切れ切れの息をできる限り整えてから返した。

「それはこっちの台詞だ! どうして君が、こんな所に……」

「あたしは、ほら、別れ際に言ったでしょう。父親かもしれない男の事を調べるために、王都に行くって。聖騎士団の関係者だって事は判ってたからここに来て、例のメダルを見せて話を聞いてみようと思ったら、いきなり捕まって軟禁されたんだから!」

「軟禁とは、誤解を招くお言葉かと」

 興奮気味なリタの言葉に冷静沈着なジオールの言葉が続くと、リタは再びジオールに向き直り、眼差しをきつくしながら反論した。

「あたしは自力で脱走しなければ、あの塔から1歩も出してもらえなかったんだけど!? 軟禁じゃないならなんだって言うの。監禁?」

「神殿内であればご自由に、と当初はお伝えいたしました。しかし貴女は誰に告げる事もなく神殿を出ようとなされました。ですから、落ち着かれるまでの間、少々行動範囲を狭めさせていただいたまでです」

「少々!? 塔の中限定のどこが少々だっての!?」

 ジオールは瞬きをするのみで、リタの問いに答えようとはしなかった。しかし揺るぎない眼差しが、姿勢が、暗にリタを責め立てている。

 視線のぶつけあいに負けたのはリタのほうだった。リタは悔しそうにジオールから目を反らすと、カイのそばに歩み寄り、縋るようにカイの腕に触れる。

 しかしカイも、ジオールと動揺に、無言でリタを見下ろす事しかできなかった。

 もともと美しい少女だと思っていたが、動きやすい皮鎧を脱ぎ捨て、飾り立てた今は、違った美しさがある。つい見惚れてしまい、上手く言葉が探りだせないのだ。

「まあ、よく判らないけど、カイに会えて少しほっとした。軟禁されるし、せっかく脱走したと思ったら、真昼間なのに門がきっちり閉まっていて外に逃げられないし、たまに会う顔といったらつまらない話しかしない女官とか、お堅い聖騎士とか、自分が正しいと信じ込んでいるような男とかばっかりで、気が狂いそうだったんだよ。それで、カイは? カイはどうしてここにいるの? トルベッタはどうしたの?」

「ああ、それは……」

 カイは無言で立ち続けるジオールを見上げた。リタの傍に立っていた、本来ならばカイの護衛隊長になるはずだった男を。

 気にかかる点はそれだけではない。リタを神殿から出さないためだけに、予定外に閉じられた門。神の子のために建設された塔に、リタが閉じ込められていたという事実。リタが生まれながらに持っていたと言う、原因不明の力。

 そして――ああ、どうして今まで気付かなかったのだろう。表情も性格も違うせいで印象が完全に食い違っているが、リタの容姿は、シェリアのものによく似ている。髪の色も瞳の色も、まったく同じ色ではないか。

「ジオールさん。貴方はリタの護衛隊長なんですか? 彼女が、後ほど聖騎士団長から説明される予定だった、『重大な事』なんですか?」

 カイの問いかけに、ジオールは静かに、だかはっきりと肯いた。

「はい、おっしゃる通りです。リタ様は、天上の神と森の女神の御子。シェリア様の双子の妹君であらせられます」

 どうやら、再会の喜びに酔う余裕すら与えてもらえないらしい。予想はしていてもなお衝撃的な事実に、カイは無意識にリタの手を探し、握り締めた。

 カイ自身の手よりもわずかに冷たい、小さな手。その温もりだけが、今のカイの心を支えてくれる。

「カイ? 一体どういう事?」

 見上げてくる空色の瞳は、言葉以上に強く、カイに問いを投げかけてきた。

「君にとってどうだか判らないけれど、俺にとっては幸運なんだと思う」

「何が」

「この大地に溢れる男たちのなかで、俺だけが君に触れる事ができる理由。それが、偶然なんかじゃなかったって事がさ」

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