一章 魔物狩りの少女

魔物狩りの少女 1

 大陸のほとんどの町や村では、ひとつの伝承が伝わっているのだという。偉大なる天上の神エイドルードによって、魔獣とその眷属である魔物たちは、地中深くに封印されているのだと。ゆえに地上には平和が保たれ、民は安寧の中で暮らしていけるのだと。

 ではどうしてこのトルベッタの街には魔物が現れるのかと、幼き日のカイはジークに問うた事がある。それはトルベッタで生まれ育ち、はじめて伝承を耳にした者ならば、誰もが覚える疑問であった。

 屈みこんで靴紐を結びなおしていたジークが答えてくれるまでに、数秒の間があった。ジークは立ち上がり、鋭い視線でカイを見下ろしてから言った。

「エイドルードは地上の民に公平ではないからだ」

 ジークは頬に刻まれた古傷だけで充分な外見的特長を持つ男だったが、それ以上に眼光が印象的だった。焼けた刃のように鋭く熱く攻撃的で、彼にひと睨みされれば、大抵の人間は恐怖のあまり逃げ出したくなるだろう。子供ならば泣きだしてもおかしくない。

 カイがその目に向かって平然と笑いかけられるのは、物心付く前からずっとそばにいる事で馴れたからに他ならなかった。カイの中に流れる血の半分はジークのものであるはずだが、それはジークに対して抱く恐怖を抑えるための役にはまったくと言ってよいほど立っていない。それどころか、ジークが父である事実は、必要以上の畏怖をカイに与える事もあった。思春期の少年にとって、父という存在は絶対のものであるからだ。

「エイドルードは確かに、地上の民の多くを救い、守っているのだろう。だが一部の民は当たり前のように放置し、時に犠牲を強いる」

「神様のくせに不公平なんて、酷いね」

「エイドルードを神と崇めているのは、エイドルードの恩恵の元で幸福に生きている奴らだけだ。この街の人間は、誰もエイドルードを神と呼ばない」

 言ってジークは、愛用の剣を腰に佩いた。

 ずいぶんと古びた剣だが、丁寧に手入れされており、並の剣よりも遥かに優れた切れ味を持つらしい。ジークがその剣を振るえばどんな魔物でもたちまち切り刻まれてしまう事を、トルベッタの民の誰もが知っている。実際にその光景を見た事がある人物は大人の中でも限られているが、彼らが広めた噂を、トルベッタに住んでいて耳にしない事はないのだから。

 民の命や生活を魔物から守ってくれる存在が神であるというならば、トルベッタの民にとっての神は、ジークに他ならない。

 圧倒的な強さから民に恐れられながらも、同時に尊敬されているジークが、カイは誇らしかった。いつか自分もこの父のように、トルベッタの街を守れるような男になりたいと、夢を抱いてしまうほどに。

「また行くの?」

「ああ。街の近くに魔物が出たとの報告があった。被害が出る前に食い止めるが俺の仕事だ」

「おれも連れてってとか言ったら、困る?」

 今にも家を飛び出そうとしていたジークは、振り返ってカイに歩み寄った。硬い手のひらが、カイの頬を、頭を、ざらりと撫でる。

 くたびれた、力強い手。街の誰もが信頼する、神様の手。

 自分の手も、いつかこんなにも頼もしい手になればいい。

「今はまだ駄目だ。だが、もう少し大きく、強くなれば」

「ほんと?」

 カイが満面の笑みで喜びを表現すると、ジークは薄い笑みを口元に浮かべた。

「ああ、共に守ろう。神に見捨てられた、この地を」

 ジークはもう一度カイの頭を撫で、髪をかきまぜると、家を飛び出して行く。

 去り行く父の背を見送る事には馴れたが、これまでのカイにとってそれは、誇らしくも寂しく、辛い事だった。

 だが、今日からは違う。

 父と並び、共に戦える日を夢見ながら、笑顔で送りだせるようになった。


 剣を横に一閃。

 犬のようであり狼のようであり、しかし犬とも狼とも見間違えようがないほど大きな魔物を目の前にしたカイだったが、けして怯まず、よく砥がれた剣を魔物の鼻っ柱に叩きつけた。

 鼻先を陥没させ、血を吹き出した魔物は、低い唸り声で苦痛を訴える。大きく開かれた口から覗く牙は、人肉などたやすく引き千切れそうなほど鋭い。報復をくらってはひとたまりもないと、カイは間髪入れずに魔物へ2撃目を食らわせた。

 ひっくり返り腹を見せた魔物の唸り声は、甲高い悲鳴にも聞こえる。このまま聞いていては耳を貫かれるのではないかと思う。塞ぐ事で耳を守りたい衝動にかられたが、しかしカイは、次の行動を優先させた。

 体勢を立て直そうとする魔物よりも早く、剣の切っ先を魔物の腹に埋め込む。はじめは暴れていた魔物も、刀身が半ばまで埋まる頃には力を失い、まばらに生える草の上に四肢を放りだしたまま動かなくなった。

 空を覆う厚い雲の隙間から差し込む光が、青黒い血に塗れた魔物の毛並みを照らす。黒にほど近い灰色の体毛は、人とは違う色の体液と混じりあい、暗い色合いをカイの目に示した。

 カイは一度息を吐ききった後、深く吸い込みながら剣を引き抜いた。魔物の血が飛び散り、周囲に広がる緑を青黒く染め変えたが、構っている余裕はない。

「ジーク」

 父の名を呼びながら振り返った瞬間、青黒い血を滴らせる鈍色が光を反射し、カイの目を灼いた。

 カイは目を細め、ジークに飛びかかる2体の魔物と、魔物たちに振り下ろされる剣を見守った。鍛えあげられた鋼が、鍛え上げられた体に操られる事によって、容易く魔物の体を切り裂いていく様を。

 それぞれ両断され、4つに分かれた魔物は、幾度か痙攣した後に動きを止めた。涎と混じりあった血が広がっていく様は醜悪とも言えたが、見慣れたカイにとっては目を反らすほどのものではなかった。

「そっちは終わったか」

 何もないところに剣を振り下ろし、剣に纏わりつく魔物の血をいくらか振り落としてから、ジークはカイに振り返る。

「ああ、終わったよ」

 厳しい顔の父に苦笑で応えながら、カイは肩を竦めた。

 カイの周囲に転がる魔物の遺骸はふたつで、ジークの周りに転がる魔物の遺骸は7つと、誰の目に見ても明らかな差がある。だというのに、ジークは返り血ひとつ浴びず、息ひとつ乱さず、カイに「終わったか」と確認してくるのだ。元より判っていた事であるし、ジークと共に戦うたびに思い知らされ慣れているのだが、こうして歴然とした実力の差を見せ付けられてしまうと、悔しいという思いが強まってしまう。

「今日は随分と数が多かったみたいだ」

「そうだな。その分弱かったようだが。群れなければ生き残れない種族なのかもしれん」

「ま、とりあえず帰ろう、ジーク。ここは臭すぎる」

 人間の血とは根源から違うのか、魔物の血は呼吸を躊躇わせるほどの悪臭で、カイはたまらず顔を顰める。一刻も早くその場を立ち去りたくなり勝手に歩きはじめると、ジークが静かに笑う気配がした。

「どうしたらジークみたいに簡単に切れるんだろう」

 ジークが隣に並ぶと同時に、カイは呟く。

 強くなりたい、ジークのように。魔物に怯えながら生きるトルベッタの街を、守れるだけの力が欲しい。

「俺が剣を振るうようになってから何十年経つと思っている。魔物狩りをはじめてからも15年だ。お前ごときに容易に真似されてたまるものか」

「15年、かぁ」

 カイはため息を吐きながら己のてのひらを見つめた。

 父に剣を習いはじめてから4年。魔物狩りの仕事への同行を許さるようになってからは、2年も過ぎていない。仮に父と同じ年数戦い続ける事で追い着けたとしても、目指す自分になるために必要な時間は、途方もないように思えた。

 だが、諦めはしない。いつか、いつか――必ず。

 この偉大なる父のように、愛する故郷を、トルベッタを、守れるようになるのだ。

「よし」

 カイは無言で両手の拳を握り締め、心の中だけで誓う。そんなカイをジークは無言で見下ろしていたが、引き締めた唇は何も語ろうとはしなかった。

 おそらくジークは、カイが何を考えているのか、何を決意したのか、気付いているのだろう。それでも口に出すのは癪で、カイは何も言わなかった。

「おーい! ジークさん!」

 進行方向から近付いてくる影に名を呼ばれ、足を止めるジークに、カイも倣う。

 近付いてくる青年は、街の衛視たちが身につける鎧を纏っていた。1、2度顔を見た事はあるが言葉を交わした事はない人物で、もちろん名前も知らない。

「お疲れ様でした。いつもありがとうございます」

「どうしたんですか? 別のところからも魔物が出たとか?」

「いや、それは大丈夫です。ただ、ジークさんにお客さんが来ていらして。必死の形相で、『ジークさんに今すぐ会わせてください!』とわめくんですよ。追い返そうかと思ったんですが、隣町の領主の息子さんとかで身元も確かそうですし。お疲れのところ申し訳ないですけど、来ていただけますか?」

 ジークはしばし無言で青年を見つめ、彼を怯えさせたのちに答えた。

「判った」

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