65.ながい、ながい夏の日 ―朝


 長い、長い一日だった。

 梅雨明けの空はどこまでも高く、雲一つない爽やかな青がずうっと続いている。ひきかえ、地上はべったりと湿っぽく、午前中だというのにのぼせるような暑さだった。

 しかし、暑い暑いと文句を言っている場合ではなかった。この日、新選組の屯所は異様な緊張感に包まれていた。


 尊攘過激派の志士と繋がりがあるとみられた、桝屋の主人・喜右衛門が捕縛され屯所に連れてこられた。斎藤、武田らが中心となり改めたところ、護身用というには少々苦しい量の鉄砲や弾薬が押収されたのだった。

 さくらは、そんな物騒なものたちと共に発見された大量の書簡に目を通していた。山崎と島田も、それぞれひとつずつ手に取り内容を確認している。

「これは……あの桝屋の主人、かなりいろいろな人物と連絡していたようだな」さくらは書簡を見てハアとため息をついた。

「もしかしたら、かなり大物の尻尾を掴んだんじゃ……?」島田が小さな声で言った。いつもハキハキと威勢よく喋っているのに、珍しいことだ。

吉田稔麿よしだとしまろ宮部鼎蔵みやべていぞう……まあ、もともとは宮部の隠れ家っちゅうことでつきとめたとこが始まりやからなぁ。それに、これ」

 山崎は書簡をさくらに差し出した。そこには、「北添佶摩」の名前があった。

「ってことは、堂々と本名で女遊びしてたのか……」さくらは驚きながらも、書簡に目を通した。

「土佐なら長州ほど目立たへんとか思っておおかた気が緩んだんやろ」

「まさか、島崎先生が女中としてその場に居合わせてたなんて、露ほども思わなかったでしょうなあ」島田は痛快だとでも言わんばかりに笑顔を見せた。

「まあな。今回ばかりは役に立った言うことやな」

「山崎、今回ばかりは、なんて島崎先生に失礼だろう」

「構わん。今回も、次回もその次も、私が使える密偵になればよいだけのこと。さて、私は結果を土方副長に報告しに行く。二人はもう一度町に出てくれ」

「承知」島田はすぐに返事をした。

「そやったら私はもっかい最近事件があったあたり当たってみますわ」山崎は気だるそうに言って立ち上がった。存外素直にさくらの指示を聞いた山崎の背後で、さくらと島田は驚いたように目を見合わせ、微笑んだ。


 ***


 同じ頃、蔵の中では怒声と呻き声がこだましていた。

「名前と、生国。それしか喋ることがねえってことはねえだろう」

 歳三はふう、と息をついて額の汗を袖で拭った。閉めきられた蔵の中は、小さな物見窓からわずかに入る光と風しかなく、薄暗くて蒸し暑い。目の前には、同じく汗、そして血でまみれた男――桝屋喜右衛門・もとい古高俊太郎が天井から吊り下げられている。

 斎藤たちが捉えてきたその男は、口を真一文字に結んだまま、ひゅうひゅうとわずかに苦しそうな息をするだけだった。最初に本名と生国を話したきり、だんまりを決め込んでいる。

 だが、この「だんまり」がそもそも何かがあることを物語っている。やましいことがないのなら、洗いざらい話して身の潔白を証明すればよい。それをしないということは、何かがあるに違いない。

「吐け!あそこで何をしようとしていた!あの武器はどう説明する!護身用たあ言わせねえぞ!」

 激しく問い詰めながら、古高の体を鞭打つ。だが、古高は呻くばかりで何も言わない。

 一緒に蔵に入っていた左之助が、桶に入った水を古高に浴びせた。古高はうわぁっと声を上げると、ぜいぜいと浅い息をした。

「土方さん、こいつ吐きそうにないぜ」

 歳三は苦虫を噛み潰したような顔をして左之助を見た。そうだな、と呟くとその顔は一転して不敵な笑みに変わった。

「斎藤。五寸釘と蝋燭持ってこい」

 斎藤は何も聞かずに承知、とだけ言って蔵を出ていった。その時入り込んだ光で、歳三は古高が想像以上に重傷ふかでを負っていることに気づいた。

 ――敵ながら天晴と言ってやりたいところだが。

 吐かせるまでは、容赦しない。これは、新選組発足以来の大ごとであると、歳三は予感していた。


 ***


「まだ終わらないのか」

 さくらは前川邸の蔵の前に野次馬然として集まっていた総司と数人の隊士に声をかけた。

「島崎先生。そろそろ半時経ちます」総司が神妙な顔を見せた。

「何か吐いたのか」

「名前は古高俊太郎、生国は近江。それだけです」

 その時、この世のものとも思えない呻き声が蔵の中から聞こえてきた。

「土方副長はいったい何をしておるのだ」さくらは嫌な予感を覚えつつもポツリと言った。

「さあ。でも土方さん、絶対に吐かせてやるって言ってましたよ」総司はいたずらっぽい笑みを浮かべた。

「沖田先生!し、島崎先生も!た、大変です!」

 さくらと総司が声のした方を振り返ると、一人の隊士がぜいぜいと息を切らせて走り寄ってきた。

「木内さん、どうしたんですか」総司が尋ねた。

 木内と呼ばれた隊士は一度深呼吸して息を整えると、驚くべきことを報告した。

「押収した武器が、何者かに奪われました」


 桝屋から押収した武器は、屯所の裏手にあった空蔵にすべて収めていた。

 木内と奥沢という隊士が蔵の前で番をしていたのだが、突如として数人の浪士が現れ、武器を奪おうとしたという。二人はもちろん応戦したが、多勢に無勢だったため、対峙しきれなかった浪士たちが倉に入っていくらか武器を持ち去ったというのだ。

 さくら達が駆けつけてみると、先に来ていた武田が蔵の中を検分していた。

「全部を奪われたようではなさそうです。持ちきれなかったんでしょう」武田は苦々し気な顔をして言った。

「まさか、古高の仲間が……?こんなに早く……」さくらは眉間に皺を寄せた。

「木内さん、奥沢さん、全部で何人くらいいたんですか?」総司が尋ねた。

「ざっと七、八人は……」

「そんなに大勢で。お前たち、よく無傷で済んだなぁ」さくらは感心して言ったつもりだったが、二人の顔からは俄かに血の気が引いた。

「あの、島崎先生、俺たち切腹でしょうか……」奥沢が、おそるおそる言った。

「なんでそうなる」

「敵を逃がしました。士道不覚悟、でしょう」

 顔面蒼白で肩を震わせている奥沢の背中を、さくらはバシンと叩いた。

「切腹になんてするもんか。お前たちはここを守ろうとしてしっかり戦ったのだろう?もともと人数に不利があったのだ。それに、今は身内で切腹だなんだと言ってる場合ではない」

「とにかく、連中は相当焦っているようですな。やつらはどちらに逃げていったのだ?」

 武田の問いに、木内が「あちらの方、東方面です」と答えた。

「沖田、何人か見繕って早速市中探索に出てくれ。私は局長に報告する。武田さんは、検分の続きを」

 さくらが指示すると、総司は木内と奥沢を引き連れて足早に屯所の方に戻っていった。残った武田が、「ここの見張りはどうします」と尋ねた。

「わざわざ二回目に来ることもないでしょう。まあ、無人というわけにもいかないでしょうから誰か連れてきますよ」

「ほう」

 武田はさくらの顔をまじまじと見た。そして、にやりと嫌な笑みを浮かべた。

「やはり、あの時の『桜木天神』というのは島崎さんでございますな」

 さくらはギクリとしたものの、つとめて冷静に「なんの話ですか」と返答した。

「いや、あまりに普段のお姿と違うから気づきませんでしたけどね、どこかで見たことあるなあ、くらいのもので。しかし、今合点がいきました」

 肯定すべきか否定すべきか。肯定して口止めしてもよいのだが、弱みを握られるようでなんだか癪な気もする。そんなことを考え、黙り込むさくらに、武田は続けた。

「岩木升屋の一件の時も、おなご姿で急に現れましたものな。あの時はたまたまかと思いましたが、あなたが女隠密としてあちこち探っているというのは本当だったんですねえ」

「……私は、新選組のためならなんでもします。男装も女装も、必要であれば丸坊主にでもなりましょう」

「なぜそこまでするのです」

「私の生きる道は、ここにしかありません。女子だからというだけで、あなたのような人たちにとやかく言われる隙を与えたくはありませんので」

 さくらはそれだけ言ってその場を去った。口止めするのを忘れてしまった、と少し後悔したが、したところで言いふらす時は言いふらすだろうと思い、武田のことは考えないようにすることにした。

 今はとにかく、勇への報告が急務である。


 屯所に戻ると、古高が捉えられていた蔵は静かになっていた。入り口の前で歳三、左之助、斎藤が何かを話している。さくらに気づいた斎藤が声をかけてきた。

「何か吐いたのか?」さくらが尋ねた。

「サク、これは大ごとになったぞ」歳三が答えた。

「大ごと?」

 歳三がこれから局長に報告するというので、左之助を見張りに残してさくら達三人は連れ立って局長室に向かった。

「何か吐いたか?」勇の第一声もそれだった。だが、前のめりになった姿勢を正して咳払いをすると、「まず島崎君の話から聞こうか」と言った。

 さくらは弾薬がいくらか盗られたことを話した。また、さりげなく「木内と奥沢が応戦したからそこまで大量に盗まれてはいない」と彼らに大きな責任はないことも強調しておいた。

「弾薬が盗まれただと!?」この報告に驚いていたのは勇よりも歳三であった。

「ってことは、奴ら、相当焦ってやがるな……」

「焦るって?」さくらが尋ねた。

「局長。古高が自白したぞ。あいつら、直近の風の強い日を狙って御所に火をつけ、帝を長州に連れていく、どさくさに紛れて容保公はじめとする要人を暗殺するなんていうとんでもねえ計画を立てているらしい」

 一瞬、すべての音が消えたような静寂に包まれた。が、勇がわなわなと拳を震わせ、口を開いた。

「なんだと……!奴ら、正気か!?」

「そんなことしたらやつらだってタダでは……それに、火を放ったら、京の町はどうなる……」さくらもぽつりぽつりと自分の意見を述べた。

「そんな京の町がどうこうまで考えてねえんじゃねえか。とにかく、奴らは攘夷の名の元に自分たちの目的を遂行することしか考えてねえ。そんな計画は、断固として阻止しなきゃなんねえ」

「当たり前だ。すぐに黒谷へ使者を出して応援を呼ぼう」勇が鼻を鳴らした。

「それにしても、よくそこまで白状したな。総司が言うには名前と生国以外なかなか口を割らなかったという話だったではないか」

「それは……」

「土方さんが、古高の足に五寸釘を刺しました」

 斎藤の発言に、えっとさくらは声を漏らし聞かなきゃよかったと後悔した。斎藤は淡々と続けた。

「そこに蝋燭を立てて火を灯しました」

 さくらは想像してしまって気分が悪くなった。うええ、と声を出して汚い物でも見るような視線を歳三に向けてしまった。勇も「トシ、お前……」と顔を歪ませていた。

「ふん、さっさと吐かねえからだ」歳三はバツが悪そうに顔を背けた。

「まあ、やり方はともかく計画を聞き出せてよかったよ。それに、早々に武器を奪い返しに来たってことは土方君の言う通り、向こうは焦っているんだろうな。でなければわざわざ新選組の屯所近くに現れる必要もない」

「焦っているということは……」斎藤が考え込んだ。

「計画を早める可能性も十分考えられるな」歳三がその発言を受けて答えた。

「早く親玉を一網打尽にしないと、まずいんじゃないか」

 さくらの言葉を聞いて、歳三がポツリと呟いた。

「祇園祭……」

 京都三大祭りのひとつ、祇園祭。本祭を明後日に控え、すでに祇園の周辺は祭りを楽しむ人々で混みあっているという。

「まさか、祭りの混乱に乗じてというわけですか」

「斎藤、その可能性もないとは言えねえぞ。となると、明日明後日には……」

「すぐに会津藩に応援を要請しよう。土方君、今動ける隊士の人数を確認してくれ。斎藤君、市中に出ている隊士らに一度屯所に戻るように伝えてくれ。島崎君、山南さんを呼んできてくれ。一緒に黒谷に行ってもらう」

 三人は同時に「承知」と答えると、勇の部屋を出てそれぞれ散った。

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