39.揃いの羽織
もともと殿内の懇願で残留を決めたであろう浪士たちは、殿内が姿を消すと芋づる式に浪士組を離れていった。根岸友山に至っては、自身の門人を引き連れ「伊勢参りに行く」などと見え透いた嘘をついてそれきり帰ってこなかった。
「ふん、もともといけ好かねえやつだと思ってたから、いなくなってむしろせいせいしたぜ」と、歳三はこの状況をむしろ歓迎していた。派閥は少ないに越したことはない。壬生浪士組は近藤派と、芹沢派に、きれいに別れた。ちなみに斎藤はどちらかといえば近藤派、佐伯は芹沢派といった具合だった。
さくらは歳三の発言には一理あると思っていたが、一方でこういうことが続くのは由々しき事態であるとも思っていた。
「これから入る者には、浪士組の脱退を原則認めないようにしてはどうだろう。もちろん、のっぴきならない事情があれば都度考えるとして」さくらはそんな提案をした。殿内の死を無駄にしないためにも、浪士組の盤石な体制、そして何より人数が必要だという考えからだった。
「そうですね。人が定着しないと、なかなか浪士組として安定した活動ができませんし」山南も同意した。
そうして、「脱退禁止」の条件下で、さくら達は再び仲間集めに精を出すことにした。
それと同時に喫緊の課題として持ち上がったのが、資金集めだった。
何を隠そう、夏物の着物を手に入れなければいけない。
江戸を出発した時はまだ桜が咲くか咲かないかといった時期で、夜などは冷えることから冬物の着物で過ごしていたが、今となっては季節は初夏。山に囲まれた盆地に位置する京の町はいったん夏が来ればその暑さは江戸をしのぐ。ちなみに冬も同じく冷え込むそうだが、この時点ではさくら達はそこまで滞在する気はなかったためあまり気にしていなかった。
とにかく、今は夏物である。
「せっかく誂えるんならよ、揃いの羽織なんてのはどうだ」
そう提案したのは芹沢だった。
「いいですね。”身ボロ”の汚名を
京の町人たちは壬生浪士組のことを略称として壬生浪、さらには狼の字をあてて
「それなら、だんだらの文様を染め抜くなんてどうですか。赤穂浪士みたいに」勇が言った。
「赤穂浪士?」芹沢は驚いたように勇を見たが、少し考え込むとニヤリと笑った。
「いいじゃねえか。そうなりゃ、早速金集めだ」
壬生浪士組の面々は、京に残って仲間を募る者と、大坂に下って仲間集めや金策を担当する者の二手に別れた。大坂は商人の町。不逞の浪士に資金を提供しているという話もあり、そういった行為をけん制するねらいもあった。
大坂に向かったのは、さくら、勇、総司、新八、芹沢、新見、野口の七名である。
京に残った面々は相変わらず、二人組もしくは三人組で町のあちこちを回るというやり方を取って仲間集めに奔走した。
斎藤と組んだ歳三は、道場破りができそうな道場を探して町を歩いた。
「斎藤、お前なぜ浪士組に入った」
道中の世間話のつもりで歳三は尋ねた。斎藤がすぐに答えないので、歳三は続けた。
「お前が入った時、俺たちはまだ会津の預かりですらなかった。誘っておいてなんだが、よくそんな胡散臭い連中の仲間になろうと思ったな、とな」
「島崎さんです」斎藤は淡々と言った。
「あの人は、俺が人を斬って逃げてきた男だと知っても、顔色ひとつ変えずに、浪士組に誘ってくれました。吉田
「そうか」歳三は嬉しそうに微笑んだ。
「なかなかの女だろ」
「ええ。女だというのを知ったのは入ってからですが。大したお人です」
それから歳三は、飛脚問屋に立ち寄った。
「文ですか」斎藤が尋ねた。
「ああ。郷里の
一見かっこいいことを言っているようだが、要するに彦五郎に金を貸してくれと泣きつく手紙である。斎藤はそれがわかり、わずかに口角を上げた。
一方で、伏見から舟で川を下って大坂に到着したさくら達は、町の様子見も兼ねて往来を歩いていた。
京都とは雰囲気こそ少し異なるが、大坂もまた、活気に満ち溢れた町であった。
事前に船宿「京屋」の主人・忠兵衛から得ていた情報をもとに、「平野屋」という両替商を目指す。両替商というのはその名の通り銀行の前身になったような商売で、金を貸してその利子で儲ける商売形態だ。平野屋は、大坂で最も有名な両替商の一つである。
そこに、芹沢を筆頭に大の男が六人、そして到底女には見えない女が一人、ぞろぞろと入っていく。
「主人はいるか。
芹沢が声をかけると、奥から男が出てきた。明らかに「主人」ではないことはわかる。
「へえへ。なんの御用でっしゃろか」
「あんたが主人か」芹沢は舐めるように男を見た。
「いいえぇ。生憎主人は留守にしとりまして、ご用件ならわてが承りまっさかい」
「それなら主人に伝えろ。俺は会津藩御預壬生浪士組組頭の芹沢鴨と申す者。金子百両を借り受けたい。月末には返す」
「ひゃっ、百両!?」
使用人の男は飛び上がらんばかりに驚いて、さっと奥に引っ込んでいった。
「居留守なのではないか?主人というのは」新見が舌打ちした。
さくらも新見と同意見だった。引っ込んだ、ということは誰か相談する相手が奥にいるということだ。
程なくして、使用人の男はさくら達の前に戻ってきた。手には小さな包みを抱えている。
「えろうすんまへんなあ。今日のところはやっぱり主人がおらんよって、決めかねるんですわ。また出直してくれはりまへんやろか」
使用人は、芹沢に包みを差し出した。
「なんだこれは」
「ご希望叶えられんよって、せめてものお詫びにお持ちくだせえ」
芹沢は包みを開けた。中には一両小判が五枚入っていた。
「あんた、舐めてんのか」芹沢が凄んだ。
「俺たちは京阪の治安を守ってるんだぞ。こんなはした金で何ができるってんだ」
「せやから、今日は主人が留守にしてるよって…」
「馬鹿にすんのもいい加減にしろ!」
芹沢は小判を男に投げつけた。チャリンチャリン、とむなしい音が響く。
使用人は、再び「ひいぃっ」と悲鳴を上げて奥に引っ込んでいった。
程なくして、先ほどの男よりは年嵩に見える男が現れた。ガタイがよく、目つきが鋭い。用心棒のような役目も兼ねた使用人であることは明らかであった。
「えろうすんまへんなあ。下男がご無礼を」言葉ではそう言いつつも、警戒心むき出しである。
「奥の間に、ご案内します」
そうして、さくら達は一応客間らしき部屋に通された。
だが、ただ待たされるだけで誰も来ない。しびれを切らし、さくらと総司が偵察に行くことになった。
庭づたいに、建物の奥へと進む。話し声が聞こえたので、さくらと総司は縁側の下にしゃがみ込んだ。
「なんやて!?ほな、そんな得体の知れない連中に百両も貸せいうんか」男の声だ。先ほど会った二人の使用人とは違う人物のようである。
「なんでも、奉行所の話やとれっきとした会津藩のお預かりやさかい、丁重に扱いなはれと」最初の使用人の声が答えた。
「お役人がそう言うならそうなんやろうけど。それを騙った無法者やったらどないするんや」
「せやけど旦那様、あの芹沢とかいう男、金を貸さんとてこでも動かんいう素振りで…」
「うぬ…仕方あらへん…今回限りや…」
さくらは総司に目配せした。旦那様、ということはやはり主人である。居留守を使われていたのは癪だが、一方で彼らの反応も当然のことだというのもわかっていた。二人はまた庭づたいで元の部屋に戻った。
「どうだった?」勇が尋ねた。
「どうやら、私たちが本当に会津藩お預かりの壬生浪士組なのか、わざわざ奉行所に走って確認してきたらしい」
「そうか。まあ、無理もない。おれ達、まだ大した名も実もないからな」勇は苦笑いした。
「近藤殿は甘いですな。ここは金貸しを生業にしている商家だ。あのように客を選り好みするような真似が許されるはずがない」新見がフンと鼻を鳴らした。
「まあ新見さんの言うことにも一理あるが、やはり私たちの借りようとした額が、
そうしているうちに、ついに主人と思しき男が現れた。
「手前どもがとんだご無礼を。何しろこちらにはまぁだ壬生浪士組いうもんは耳に入ってなかったもんやって、堪忍や。今日のところはこれで」
そう言って、主人は先ほどよりも随分と大きな包みを差し出した。
「ふん、話のわかるやつじゃないか」芹沢は満足げににやりと笑うと、遠慮なく金子を受け取った。
すっかり怯えた様子の主人を見るにつけ、さくらは自分たちがものすごく悪いことをしているような気分になった。が、実際問題こうでもして夏物を買わないと暑気あたりで死んでしまう。
とにもかくにも、こうして無事に資金を調達できたため、京に戻ったさくら達は早速呉服屋に向かった。
「ああ、あきまへんなあ。この金額やと袴、
店主は慣れた手つきでパチパチとそろばんをはじくと、結果をさくら達に見せた。
揃いの羽織を作りたい、とは言ったがそれはあくまで「あったら嬉しい」という程度の話で、当座の着替えとなる夏物の着物、そしてこれから会津藩の本陣に行くことが増えるであろう芹沢と勇の正装用紋付きの注文が最優先だった。それらを差し引き、提示された残金は人数分の羽織を揃えるには無理のある金額だった。
「ちっ。もっとせしめてきたらよかったぜ」
「芹沢さんっ、なんてこと言うんですか!」
「島崎、俺は至極当たり前のことを言ってるまでだぜ」
「それはそうかもしれませんけど、仕方ないじゃないですか」
さくらと芹沢の問答を見かねた店主が「あの、でけないこともあらしまへん」と声をかけた。
「あんさんたち濃紺色にだんだら模様、と言うてましたけど、
「浅葱色……?」さくらはオウム返しに聞いた。
「へえ。浅葱色なら藍染一着分の染料で三着は作れますよって」
さくらは勇を見た。眉間に皺を寄せ考え込んでいるようだ。
二つ返事で頼めないのには、訳がある。浅葱色といえば、「浅葱裏」というくらいで本来は裏地に使う色である。そして、そうした着物を地方の侍が着ていたことから、浅葱色は野暮、田舎侍の象徴でもある。
生まれも育ちも江戸城下、いわば都会っ子のさくらにしてみれば、到底首を縦に振ることはできなかった。
「いいじゃねえか。それで行こう」黙りこくるさくら達をよそに、芹沢がそう言ってしまった。
「芹沢さん、ちょっと待ってくださいよ」さくらは小声で芹沢に声をかけた。
「仕方ねえだろ。だったら大坂に戻ってもっと金を借りるか?」
「そういうわけにもいきませんけど……」
「それで頼む」芹沢は念押しするように主人に言うと、主人は「へえ」と言ってさらさらと注文書を書いていった。
こうなっては自分には決定を覆すことなどできないと悟り、さくらはただ成り行きを見守るしかなかった。
とぼとぼと芹沢の後について店を出たさくらは、駄目で元々とわかっても尚、これだけは言いたかったの口にしてみた。
「芹沢さん、私たち、ただでさえミブロミボロってバカにされてるのに浅葱色の羽織なんて着たら余計になんて言われるか……」
「まあ、言われるだろうな」
「ならばなぜ……!」
「お前、切腹裃を知らねえのか」
さくらはぐっと口を結んだ。当然知っているが、こう言われてしまうと一瞬にして何やら敗北感のようなものがこみ上げてくる。
「これから俺たちのやろうとしてることは命のやり取りだ。そういう覚悟を表すのに、いいんじゃねえかと思ったんだよ。別に俺たちゃ町の奴らと仲良しこよししに来たんじゃねえんだ。野暮だのなんだのは、言わせときゃいい」
期せずして浅葱色になってしまったのだからそんなのは後付けじゃないか、とさくらは思ったが、そう思うことで着こなせないこともない、とも思った。認めるのがなんだか悔しくて口ごもっていると、察したのか、勇が応えた。
「確かに、一理ありますね。忠臣蔵でも切腹の時は浅葱色の裃だったそうですし、だんだらを入れるからにはむしろ浅葱色の方が適しているのかもしれません」
笑顔で言う勇に、芹沢は「そうだろ?」と微笑んだ。さくらもなんだかつられて、まあいいか、と口元を緩めた。
こうして出来上がった羽織は町の人から「見たら家の中へ逃げ込め」の合図になるほど「壬生浪士組の象徴」として定着した。一方で百五十年経った世の中では「浅葱にだんだら」をあしらった様々な商品が作られ親しまれている。
むろんそんなことは知らない当人たちは、この羽織を揃って身につけることでようやく「組」としての体裁が整ってきた、と得意顔で町を練り歩くのだった。
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