第79話 ア ニューカマー
少し急ぎ足の春。
桜の花も一斉に咲き、今はもう散り気味…
春の穏やかな風に乗って桜の花びらが舞っている。
街全体が正に“桜色の風の中”である。
そして、新しき出会いの季節でもある。
が、この店の中ではそんな様子はまるで無く、常連の客たちがいつもの様にいつもの席で、それぞれの春を私のコーヒーと共に味わってくれているようである。
この時期のこの時間帯は、大体こんなもの…
実に長閑なものである。
あんまり慣れっこになってもいけないのだが…
そんな春の昼下がり、ひとりの青年が入って来た。
青年は窓際の席に座り、物珍しそうに行き交う人々を眺めている。
私が注文を取りに行くと、
「あっ、コーヒーを」
と、メニューも見ずに私に伝え、すぐにまた、窓の外を眺めている。
誰かと待ち合わせでもしているのかと思ったが、そうでもなさそうで…
ただ楽しそうに窓の外を眺めている。
青年へコーヒーを持って行ったら、今度は逆に神妙にお行儀良く、私がコーヒーを置くのを待つ。
そして、ひと口コーヒーを飲むと、私に、
「あっ、すみません。トイレ何処ですか?」
私が、
「あちらです」
と、指差すと、
「ありがとうございます」
と、そそくさとトイレへ。
テーブルに残されたコーヒーカップが、何か言いたげに、私を見つめている様な気がした。
テーブルに戻って来た青年は、少し冷めたコーヒーをグイッとひと口飲むと、再び、何かアトラクションでも楽しんでいるかの様に窓の外を眺めている。
それからは、スマホを見たり、通りの様子を眺めたりして時を過ごしていた。
よっぽど何か声を掛けようかなと思ったが、余りにもその青年がマイペース過ぎるので、私が声を掛ける余地などは全く無かった。
青年はレジを済ますと、
「あの、すみません。この辺に郵便局はありませんか?」
と、私に尋ねてきた。
この近くの郵便局は小さいので分かりづらい。
私は店を出て青年に郵便局への道を教えてあげる。
青年は少し他所の地方の訛りのある声で、
「ありがとうございました」
と言い、去っていった。
きっと、この街の”新入りさん”なのであろう。
商店街のそれぞれの店を、まるで観光地の出見世でも見るかの様に、珍しそうに眺めながら歩いて行った。
商店街を吹き抜ける4月の穏やか風が、春の香りを乗せて優しく彼に挨拶している様であった…
あの青年もこの街を気に入ってくれるの良いのだが…
青年を見送った後、店に入ると、いつの間にか彼女が友達を連れて来ていて、奥のテーブルを陣取っていた。
彼女の友達も割とこの店を気に入ってくれたみたいで、時々二人でやって来る。
”この店は、人の回転が少ないから落ち着く”らしい…
う~ん…
春―
彼女たちもとっても、一番心が開放されている時なのかもしれない…
屈託のない彼女達の笑い声が時々して、それが私の心を和ませる…
自分用のコーヒーを注ぎ、ひと口…
穏やかな春の陽射しが店の中に差し込んでいる。
カウンターの奥では老犬が、”散歩はまだなのかなあ”と大きな欠伸をしていた…
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