第二百八話:最適解の戦い



第二百八話:最適解の戦い




 淡く輝くニ刃が、鋼の塊に勢いよく食い込み動きを止める――。


 片や、蜜蜂の牙である双剣の刃が二振り。片や無詠唱によって生み出された魔法による鋼の盾が一枚。

 両者互いに瞳は昏く、一瞬の膠着に藍色と黒灰色の瞳が忌々し気に細められる。


 けれどもその表情はひどく対象的だ。片方は満面の笑みで、もう片方の表情は凍てつく金属のように冷え切っている。


「良心の呵責があるなら大人しく死ね、犯罪者」


 双剣を受け止めながら、セリアは凍える声で指名手配犯に向けての死刑宣告。

 だがそれを受けた蜜蜂は、ほんの一瞬だけ乾いた唇を噛みしめてから、太い唇を歪ませる。


「そンなこと言ったって無駄だってわかってるだろぉ? だって、そうじゃなきゃ――!!」


 言いながら、素早く蜜蜂の右足が上げられる。デミットによる鋼の塊を荒っぽく蹴りつけ、食い込んだ刃をギャリギャリと引き抜きながら大男は喉を震わせ絶叫する。


「――初めから! 誰に言われるまでもなく! もっとマトモに生きられたはずだ! なぁ、そォだろ!?」


 その叫びは蜜蜂として――いいや、蜂谷としての魂の叫びだ。俺だってキチガイに生まれつかなきゃ、もっと楽に息をして生きられたはずだろうという、苦悶にも似た心胆の叫び。


「でも――良いンだ。だって生まれ持ったものは仕方が無い! 何を好むかはヒトの自由さ! これでも現実リアルじゃ我慢が利いてるキチガイなんだぜ俺はなァ!!」


 眉尻は下がり、目元だけ見れば悲痛な表情だ。だが叫ぶ男は満面の笑み。夜明けの太陽に照らされてもなお闇深い、不気味なそれを浮かべて蜜蜂は喉を震わせ吼え上げる。


「だから、そう――〝踊らせよう 我は悪意を捨てられぬ者〟! 〝手綱を持たぬ名馬のあるじ〟! 【藍の毒蜂ヴェネ】!!」


 毒蜂、と。その呼び声と共に蜜蜂が再度構えた双剣に禍々しい色が宿る。無色に輝いていた淡い光は消え失せて、宿るは闇夜に似た暗い藍の光だ。


 剣を構えたまま一歩下がり、二歩下がり、リズミカルな動きでセリアと距離を置いた大男は、次の瞬間、やはり弾丸のように地を蹴り獲物目掛けて突っ込んでいく。


「チッ……これだから嫌だったんだ。雪花のクソ野郎。覚えてやがれよ――【トルネード】!!」


 悪態と共にセリアも動く。自身に向かって迷いなく突っ走る蜜蜂に向け、右手をピストルの形にしながら薄い唇がスキルを叫ぶ。

 と、同時に同じ指先が親指とすり合わされ、高らかに鳴れば世界は鮮やかにひっくり返る。


 疾走する蜜蜂が危険を察知して足を止める。勢いを殺し切れない大男の眼前で、弾けるは風の魔法だ。

 局所的な竜巻が地を抉り、くうを裂き、天へ上りながら敵をみじん切りにしようと吹き荒れる。


「ありゃあ? 威力がちょっーと、おかしいンじゃない、かなぁッ!」


 迫る風の渦を双剣で裂いて散らしつつ、蜜蜂はちらりとセリアの頬に浮かぶ黒灰色の鱗を見る。蜜蜂の知識でいえば、今のトルネードは複数の魔法使いによる多重発動した時のものと同じ威力だった。


 単体での魔法の二重発動。本来ならば不可能とされるそれを可能にするのは、今現在はセリアだけが保有する契約竜由来のアビリティ――〝竜の民メルティ=ロア〟によるものだろうと判断し、蜜蜂はひとまずは単調な突撃を止めて距離を取る。


「アビリティの制約は何だろうねぇ……爆弾魔の時のことを考えると、距離でもない。時間でもない……効果は無詠唱の魔法行使かな? それの対価と考えると、一日に一度だけ発動出来るとかかなァ?」


 じりじりと間合いを取りつつ、ねェ、あってるかなァ? とニヤつく蜜蜂に、セリアの返事は威嚇とも本気ともつかぬ無詠唱の魔法が一つ。

 指先がすり合わされ、高らかに鳴る音と共に撃ち出された氷柱が、大男の頬を切り裂いて虚空に飛びかけてから儚く散って消えていく。


「……毒と選定の妖精ヴェネか。アンタの適応称号だな。名前にマッチした素敵な称号っスねぇ。今までの被害を見るに、呪い付与か、デバフ型か……榊のスキルといい、フェアリー・ホルダーってのはどいつもこいつも……」


 言いながら、セリアも相手の手の内を探って動かない。

 【Under Ground Online】――その異様なゲームシステムの果てに無数に存在するスキル群は、適応称号というコンテンツを付け足して、未だなお肥大化し続けている。


 すでに考察厨にも設定厨にも、把握できる範囲を軽々と超えるアビリティにスキルに適応称号――特殊武器などのイレギュラーをも含めれば、それらをふんだんに活用する戦闘行為には、オンラインゲームでありながら〝型〟も〝セオリー〟もありはしない。


 故に、この世界での手練れは誰もが自らのスタイルに合わせた最適解を繰り出してくる。

 それぞれが繰り出してくる最適解の組み合わせをかいくぐり、命を繋いで勝利を掴むのに最も必要なのは鋭い洞察力と柔軟な対応力だ。


 相手は常に何をしてくるかわからない。それは未知のアビリティに由来するスキルかもしれないし、特殊なアイテムの効果かもしれない。

 あるいは人並み外れた発想からくるスキルの運用法かもしれないし、策謀を得意とする者は存在しない条件をあたかも存在するかのように装うこともある。逆もまたしかりだ。


 けれども、全てに嘘はつけない。


 セリアが行った無詠唱による魔法行使。指を鳴らす動作、口頭による魔法と合わせた単身での魔法の二重発動。公式掲示板で公開しているアビリティ群。


 蜜蜂が唱えた詠唱とスキル名。適応称号の由来から推測される効果。過去の所業。双剣が纏う光の色から推察される潜在属性。二度繰り返した、躊躇いのない突撃の意味。


 このうち、どれが事実でどれが虚実かは完璧には断定できない。けれどもつけない嘘もある。

 セリアが無詠唱で魔法を使えることは事実だし、蜜蜂がフェアリー・ホルダーであることもまた事実だ。


 両者、目まぐるしく思考を巡らせつつ、くだらない会話や目線の動きからでさえも情報を汲み上げようとする。

 そんな忙しない沈黙を破ったのは、蜜蜂の方からだった。


 長く――感嘆にも似た吐息と共に、頬から滴る血をぬぐい、双剣を逆手に握り直して蜜蜂は言う。


「まだまだ楽しもう。時間ならあるだろう?」


「いいや、討伐っつーのはタイムアタックが一番っしょ。付き合わねぇよ」


 呼応するようにセリアも身構える。左手に艶消しされたナイフを構え、腰を落とし、右手の先はいつでも指を鳴らせる構えで動きを止めた。


 ――互いが互いの出方を探り合い、数瞬だけだが先程とは違う意味で場が停滞する。獣が獲物に飛びかかる直前の、一瞬のにそれは似ていた。


 オブジェと化した優美な竜の眼下で、悪意の権化と正義の使者の一騎打ち。


 当然、周囲の目を引かぬわけもなく、教会に死に戻り、よろめきながらも這い出してきたPKプレイヤー達は誰ともなしに立ち止る。


 いつまにか出来上がっていたのは、南端ログノートの中央広場を取り囲む人の生垣だ。その数、十数人。それを蜜蜂が横目で見るのと、セリアがその思惑に気が付くのはほぼ同時のことだった。


 セリアの脳裏で思い返されたのは、蜜蜂にPKされた被害者達からのレポート。

 世界警察ヴァルカンの情報室がまとめたそれには『蜜蜂の適応称号スキルは、プレイヤーやモンスターを操る効果があるのではないか』とあった。


「ッ――【ボルテッド】!」


 見物人を操られると厄介――そんな思考でセリアは即座に指を鳴らし、スキルを叫び、二重となった雷の魔法が地上近くを掠めるように走り抜ける。狙うは蜜蜂――ではなく、見物人と化していたPKプレイヤー達だ。


 蜜蜂の背後、大男から最も近い位置に固まっていた野次馬が3人、セリアに狙い撃ちにされて一瞬で倒れ付す。

 雷撃系の強みはその速度だ。野次馬連中に視線をやり、一瞬で笑みを消した不気味な大男が思考を行動に変える前に、セリアはその企みを阻止出来たはず――だった。


 瞬時に己の策を見抜かれたことに気が付いた蜜蜂が、目的のための最短ルートを切り捨てて、セリアの真横を抜けていったりしなければ。


「ッッ――ん、の、野郎ッ!」


 蜜蜂の予想外の動きに、ほんの一瞬だけセリアの思考に空白が混じる。けれど現実でも仮想でも戦いに身を浸し続けた魂は、たとえ仮初の肉体であろうとも合理的に指示を出す。すなわち、


「【自己加速ルッツ】――ッ!」


 ほぼ無意識で発動する自己強化の魔法と共に放たれる、目にもとまらぬ速さの裏拳打ち。

 ナイフを握る左手側を避け、セリアの右側を抜けようとした蜜蜂のこめかみに、バネで弾かれたような右拳の一撃が叩き込まれる。


 肘を引き、手首をしならせ、雷撃系の自己強化魔法で元より高い瞬発力を最大まで引き上げて。

 最短最速のはずの一撃は、確かに蜜蜂の横っ面を強打する――強打した。したけれども。


「あはぁ……正確だね。でも、だからンだよ」


「……っ」


 何故かその一撃は、何の手応えも無く振り抜かれることになる。右拳による裏拳は、蜜蜂の横顔を完全に捉えてはいた。直撃すれば相応の手応えと共に男の頬骨を打ち砕き、こめかみ辺りの頭蓋を陥没させて死に戻りさせるはずだった。


 けれどすり抜けたのだ。拳は文字通り空を切り、蜜蜂は難なくセリアの右隣を走り抜けて目的を達成する。

 え? と間の抜けた声を出したのは誰だったか。少なくとも、昏い藍色に光る双剣に切り付けられ、太い足に蹴り飛ばされ、瞬く間にセリアが放つ魔法の効果範囲外に転がされた5人の内の、誰かだったのは間違いない。


 その間、わずか2秒たらず。きっちり攻撃魔法の待機時間クールタイムを意識した動きで、蜜蜂自身も流れるようにセリアの射程圏内から逃れ出る。


 裏拳を放った勢いのまま半回転し、セリアが舌打ちと共に蜜蜂に向かってナイフを投げた。投擲された鋼の塊は回転しながら獲物目掛けて飛んでいき、しかし難なく双剣に弾かれる。


 そのまま蜜蜂は脱兎のごとく走り出し、手近な瓦礫の影に紛れて消える。いつの間にか、蜜蜂に切り付けられた5人も姿を消していた。恐らくは、蜜蜂と同じように半壊した家屋や瓦礫の影に隠れたのだろう。


 追撃は――しない、出来ない。何故なら憎たらしいことに、蜜蜂が蹴り飛ばした5人も蜜蜂本人も、全員が放射状にセリアから離れたせいで、下手に1人を追えば背後から回り込んだ他の5人に強襲を受けかねないからだ。


「……〝呪術師〟系統、やりずれー」


 ぼやくセリアは銀縁のジャケットの裾をまくり、がりがりと後頭部を掻き毟る。


 蜜蜂の目的は、強者との戦闘を出来るだけ長く楽しむこと。そのための努力は惜しまないし、リスクだって抱えてみせる。正々堂々の〝真っ向勝負〟を好むが、それは互いが互いを敵として認識し、戦っているという状況を重視しているだけだ。


 戦いが始まってさえしまえば蜜蜂は不意打ち、からめ手、騙し討ち――どんなことでもしてみせるとは有名な話である。

 第一、初期アビリティが〝呪術師〟なのは広く知られている話で、呪い、幻覚、支配の3種に大別されるスキル群を内包するそれは、直接体力を減らすスキルこそ存在しないが、中々に癖のあるものが多い。


 先程の裏拳が当たらなかったのも恐らくは〝呪術師〟系統の幻覚スキルの効果だろう、とセリアはあたりをつけていた。あれは躱されたのではない。当たらなかったのだ。

 じっと右手を見下ろして、閉じて開いてを繰り返しながらセリアはむっすりと黙り込む。


「……」


 蜜蜂は直線で走っていた。身を捩ったり、半歩ズレたわけでもない。セリアの方が攻撃位置を間違えたのだ。

 真っ直ぐ走っていた蜜蜂の、半歩隣にその頭があると思って拳を振るい、そして当然の結果として空振りした。


 蜜蜂の言う通り、正確無比な一撃だったからこそのだ。

 もっと大雑把に腕を振るえば当たっただろうが、セリアは寸分の狂いも無く蜜蜂のこめかみを狙っていた。


 問題なのは、その幻覚は恐らくセリアにだけ見えている幻覚で、単なる目視だけでは蜜蜂がいる位置がズレているのかいないのかは分からないというところだった。

 手練れ同士の戦闘において、そのわずかなズレは逆にやりにくい障害だ。


 肘の関節を狙い撃ったつもりで二の腕の中腹に当たっても、それは想定した威力を引き出さない。想定した威力でなければ、相手は想定通りに怯まないかもしれないし、逆に反撃の起点とされるかもしれない。


「チッ――面倒くせぇが、仕方無いっスかねぇ」


 溜息と共に、セリアはがりがりと頭をかきながら周囲を見回した。セリアが動くまで蜜蜂は動く気が無いらしい。完全に気配を消したまま、持久戦の構えを取ったようだ。


 ――しかし、初めに言い渡したはずだ。だと。


「…………あー……こーいこいこいこい」


 未だ低い位置に座す太陽に照らされて、気怠げに何かを呼ぶセリアの影が長く伸びる。隣にはもっと巨大な影があり、その影の持ち主は紺色の瞳で不思議そうにセリアのことを見下ろしていた。


 視線に気がついた金属質に輝く黒灰色の瞳が、すい、とその紺色を見つめ返す。矮小な人間に見上げられ、虹色に輝くフェルトダンパが小首を傾げた。

 疑問を態度で示した竜に、セリアがその美貌でもって薄く微笑む。口角を上げ、薄っすらと瞳を細め、薄い唇をそっと動かし、



「――そこ、危ないっスよ?」



 そう囁いた瞬間に、頭上から聞こえたにフェルトダンパが巨大な頭を跳ね上げる。


 それは、巨大な翼が風を裂く音。


 それは、全身の鎧に風が抜け、勇壮な角笛のように鳴り響く音。


 それは、隕石のように迫りくる――――深紅の竜の大咆哮。



『――――――ッッ!』



 フェルトダンパが血相を変え、巨大な尾を地に打ち付け、四肢を跳ね上げてその場を逃れた、その直後。


 鼓膜が破れんばかりの轟音と共に、地を割り砕きながら巨大な黒爪が南端、ログノートの地に突き立てられる。

 そのシルエットは翼竜に近く、けれどその体躯はそんな生き物などのように華奢では無い。


 発達した後脚は太く分厚く、前脚は退化してすでに無い。代わりに分厚い胸筋から束になった筋肉に支えられた巨大な翼が、威嚇をする猛禽のように広げられる。


 鱗の色は深紅の色。黒鉄くろがねの鎧から覗く瞳の色は晴れ渡る空の青で、短い黒角ごと頭を振りたて、その竜は自慢げに炎を吐き出してみせる。


『お前が呼ぶから、仕方なくな。仕方がないから――来てやったんだゾ!』


 赤竜――トルニトロイ。セリアの契約竜。お調子者で尊大な、世界警察ヴァルカン屈指の愛されキャラマスコットが、南端ログノートの中心で胸を張ってそう言った。

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