第百八十九話:それは心の――魂の傷
鈍い音と共に何かで頭をかち割られる――そして鋭い痛みと共に死ぬ。
頭蓋を割り砕いて、冷たい金属が頭の中に潜り込む異物感。
小さな巻き角を避けて撃ち込まれる一撃は正確に額を貫き、呻き声を上げる間さえもなく、死んで一面の荒野に飛ばされる。
濃霧に埋め尽くされた世界にぺしゃりと落とされ、〝【死に戻り優先権】が行使されます〟というアナウンスと共に再び
これで3回目――。
胃の底が冷えるような浮遊感と共に、宙に投げ出された状態での死に戻り――半壊している天井を見た、と思った瞬間に腹が裂かれる。
痛い、と思った瞬間に黒い毛が血に濡れて、ぬいぐるみみたいな四肢が痛みに突っ張った――ぽてっとした腹から内蔵が撒き散らされる直前に、死に戻る。これで4回目。
瞬きの合間に再び荒野に転がされた。恐らくは〝聖地シャルトン〟――濃い霧に包まれた黄色い荒野には何も無く、モンスターの影すら存在しない。
痛みと死の合間に訪れる、この荒野だけが今は唯一の安らぎの地だ。一呼吸分しか存在しない安息の間に、目まぐるしく考える。
打開策を見付けなければ――対抗策を、何でもいい、とにかく現状を打破するための一手を求めて思考を回す。
しかし思い付く暇さえもなく、無情にも再びのアナウンス。
だが、今度はリスポーン地点に戻される前にこう聞かれる。【特例を認めます――痛み機能をオフにしますか?】と。
モンスターアカウントのデメリットなのか、本来ならば一部のモンスターにしか痛み機能のオンオフ機能はついていない。もちろん、〝
だが状況を見ていた監視精霊は流石に不味い、と判断したらしい。いくらモンスターといえども、中身は人権の無い精霊ではなく、プレイヤーだ。
【あんぐら】のシステムでは意外と痛みは強烈で、気が付かない内に攻撃されていたという事態を防ぎたいがためにオンにしているプレイヤーは多いものの、痛すぎるんだけど、という苦情が多いシステムでもある。
そう、こんなことをつらつらと考えていないと発狂しそうなくらいには痛い。マジで痛い。こうも短時間に、無力なまま色んな殺され方をすると厳しいものがある。おのれ榊、許すまじ――なんて思えていたのも、最初の3回までだった。
アナウンスを聞き、当たり前だろ! と叫ぶ自分に監視精霊は無機質な声で了承を示す。【痛み機能をオフにします】との囁きと共に、小さな身体を引っ張られる感覚。監視精霊は痛みを消しても、榊の行動を止める気は無いらしい。
確かに【あんぐら】では性暴力以外の事件で
恨み言と共に、視界は再び舞い戻る。『
「そろそろ掲示板に晒すか――なぁっと!」
鈍器――小さな金属ハンマーが振りかぶられているのを目撃し、思わず両手――両前足? で目を覆った。あれは痛い。絶対に痛い。監視精霊がどうしてこのタイミングで痛み機能オフの提案をしてきたのかがわかってしまった。
視界を塞いだ自分の耳には風切り音。ブォンッ――と鋭くハンマーが振るわれ、頭蓋が砕けた感触と共に死に戻る。
ぱきょっという感じではない。ぐしゃっという湿った音が頭の中に反響して――ヤベェ、ヤバいよこれ! 痛くなくてもトラウマものだよ! と心の中では騒ぎながら、再びの荒野。これで5回目の死だ。
いや、いやいやいや! 死に戻り地点が街の範囲内で死んだ場所に更新されるのはステータス確認した時に知ってたけど、まさかこれいつまでも続くのか? リリアンが動けるようになるまで? 雪花とルドルフさんが異変に気が付くまで?
(冗談じゃないぞ――!?)
痛みが無くなって少しは考える余裕が出てきた自分は思う。これは、本当にヤバいと。モンスターアカウントのデメリットを利用されると、ここまで――と焦りに冷や汗が滲むような気がした瞬間。
再び――引き戻される。
しかし、今度こそ流れるように殺される気は無かった。痛みが無くなり、思考はまとまってきている。今度こそ一撃入れる! と全身に力を込めた。
宙に投げ出される自分の身体。目がイっちゃってる榊の手に、先ほどと同じハンマーがあるのを確認し、自分は渾身の力で尻尾を振り下ろす。
すくい上げるように叩きつけられるハンマーと、尻尾アタックが激突。【
咄嗟に尻尾をクッションにし、どうにかこうにか落下死を回避。そのままバッと跳ね起きて、ぐるぐると唸りながら身構えれば、じっと自分に弾かれたハンマーを見つめる榊の姿があった。
瓦礫の中に榊は棒立ち。一瞬だけ、このまま走って逃げるか、どうにか一撃を入れて逃げるかを考える。――ダメだ。どちらも勝算がない。人間のアバターなら負けるはずもないが、アビリティレベル2の子犬姿では勝ち目はない。
腐っても榊は『
リリアンは未だ動けず、右手に握ったハンマーを見つめていた榊は、ゆっくりと顔を上げてこちらを見る。
虚ろな紫の瞳――そこに渦巻く負の感情。彼女は硬直する自分をじっと見て、
「ああ――そろそろ場所、変えよっか」
にたり、と。不気味に嘲笑った。笑って、そして――、
「ははぁ? こいつがおまえの
「なふ?」
(え?)
次の瞬間――自分は榊に尾をがっちりと掴まれて、逆さに吊るされていた。一瞬、何が起きたのかわからずに困惑の声を上げる自分に、榊はにこにこと微笑みながらハンマーを捨て、腰から大振りなナイフを引き抜いた。
銀色に光る刀身が崩壊した天井から差し込む幻月の光に照らされて、鈍く輝く。開いた穴からは冷気がひやりと滑り落ちて、榊は微笑む。そして銀色が閃いて――、
「じゃあ、落としてから移動しようか?」
身体と同じくらいの大きさの尾が、容赦なく切り落とされた。痛みは無い。痛みは無いが――こいつ! マジで正気じゃない!
(――ッッ!)
ぼとりと尾が床に落ちる音に、恐怖が背筋を貫いた。ぞわぞわとした違和感が這い上がり、即座に捕まれた首根っこからは冷やりとした榊の手のひらの冷たさが沁み込んでいく。
そのまま榊は丁寧に尾の根元を縛り上げた。血止めをし、そしてそのまま走り出す。螺旋階段を駆け上がり、瓦礫を踏み砕きながら崩落した天井近くの大穴から飛び出した。
掴まれたまま浮遊感を感じる自分は恐怖に丸める尾すらも無く、無力なアバターに絶望しながら運ばれていく。
視界の端にルドルフさんと雪花の姿――だが、彼らは戦闘に夢中でこちらに気が付かない。榊は何事かを言いながら掲示板に繋いでいるようだ。
数軒の屋根を超えた所で、スナック菓子でも食べるような手軽さで殺された。
7回目――榊が何か叫んでいるが、もはや自分はその言葉を理解する余裕などない。榊は止まらない。何度も何度も、殺す、殺され――舞い戻る。
怖い、怖い――ただひたすらに、無力なまま殺されることが怖かった。ログアウトのことなど、混乱する頭にはちらりとも浮かばない。ただ、狂乱の中にいるのは分かる。正気じゃない――榊も、自分も。
痛みは無い――。だが、文字通り手も足も出ない。死に戻るたびに空中で掴まれて、尾を切り落とされては首を絞められ殺される。もう50は超えた気がする。
終わりは無い。こんなことがいつまで続くのだろう?
移動しながらも榊は手を休めない。粛々と、ただひたすらに。飽きもせずに首を五指に掴まれて、引きずられ――……、
――〝ほら、もう一度〟
不意に……声を思い出す。脳裏に響く、猫撫で声。
――〝ほら死んだ……戻った? じゃあもう一度〟
猫撫で声? そう、猫だ。黒い猫。猫が、
――〝また死んじゃったね。でもまだだよ、頑張ろうね〟
呼んでいる、叫んでいる。
――〝まだ生きてる? そっか、じゃあもう一度〟
笑っている、叫んでいる。
――〝狛乃――まだ生きてるの? じゃあもう一度〟
見たくない――見たくない! だって、サメみたいな虚ろな目が自分を覗き込んで、何度も、何度も――!
――〝しぶといね。じゃあもう一度〟
何度も、何度も、その手で首を絞められる。死人の手のように冷たい五指が首を掴んで、締め上げて、その度に――!
――〝もう一度〟
「――――――――ッッッァァァァ゛ァ゛ァ゛ァ゛!!」
気が付けば、自分は悲鳴を上げていた。
第百八十九話:それは心の――魂の傷
【該当プレイヤー――悪質行為への警告を無視】
【セーフティースキルを起動します】
【SS効果】――【死亡回数×2のアビリティレベル加算】
【警告より5分後にカウンターを停止します】
【残り30秒――現在の死亡回数67回】
【報告】――【被害プレイヤーの精神状態に異常が見られます】
【プレイヤーの生体情報参照】――【人外プレイヤーの強制ログアウトはリスクが高いと思われます】
【ログイン状態のまま――精神を鎮めることを推奨します】
【30秒経過】
【現在の死亡回数73回、カウンターを停止します】――【……回数が異常です、本当にSSを適用しますか?】
【適用後、
【流石にゲームバランス的にギリギリですが……】――【いえ、該当プレイヤーの精神保護を優先します】
【適用】――【【SS】――【
【〝コンバート〟】
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