第百六十一話・半:明滅するスクーニアスⅡ







 ああ、神様。


 正直に告白します。


 私はずっと、睦月が魔術師であることが羨ましくて、彼のことをことあるごとにいじめていました。


 彼が我慢強いことをいいことに、私は何度も彼に嫌みを言っては困らせました。


 枕にムカデを仕込んで泣かせたこともあります。


 庭の池に突き落としてみたこともあります。


 雪山で置き去りにしたことだってありました。


 でも、彼は怪我どころか、服を濡らすことさえありませんでした。


 子供のイタズラでは済まないような、悪意ある意地悪を何度もしました。


 ラズベリーのイバラに突き飛ばし、ナイフ投げの練習台にし、滑り台のてっぺんから突き落として――私は、気がついてしまったのです。


〝何をやったって、どうせ睦月は怪我1つしないんだ〟と。


 それは、魔術師だから。


「守護者」の魔術特性を持つ魔術師だから、睦月は何があっても死なないし、怪我もしないし、服を濡らすことも汚すことも無いのだと。


 1つ、意地悪をする度に、まざまざとその事実を見せつけられて、惨めな気持ちになりました。


〝どうせ死なないんだから、いいじゃない〟と吐き捨てる度に、睦月の青い瞳が曇っていくのを見ていました。


 だから、〝私が守ってやりたかった〟なんて、本当は詭弁だったんです。


 確かに、本当に小さな頃はそう思っていました。睦月が魔術師だとわかる前、私が魔術師ではないとわかるまでは、私もこの小さなイトコを守るお姉ちゃんになるのだ、と思っていました。


 でも、現実はそうではなかった。


 運命は、私に言いました。お前には、特別な力は何もないと。


 お前は一族唯一の、柔皮やわがわの子。ただいるだけで家族の迷惑になり、心の重荷になる存在だと。



 ああ、神様――、



 父が、母が、夜毎涙ながらにどうして、と嘆いていたのを知っています。


 叔父が、叔母が、父と母への負い目と罪悪感から、睦月を守人として生け贄のように私の家に預ける瞬間を見ていました。


 それを見つめる祖父の瞳に、恐ろしい感情が浮かんでいたのも見ていました。


 睦月が、家に来て初めての夜に、隠れて泣いていたことも知っています。


 でも、じゃあ、


「――……私は、どうすればよかったの?」


 どうすればよかったのでしょう。


 擦りきれて、すれ違いすぎて、もうどこにも置き場のない私たちの心は、激情は、


「どうすれば……」



 ――死ぬはずのない睦月は死んだ。



 怪我をしないはずの身体には大穴が開いていた。何にも汚れないはずの服はどす黒い血でべったりと染まっていた。


 魔術師という、絶対無敵の象徴は目の前でうち壊された。


 悪魔は私の心を汲み取り、喰らい、震えるばかりの私の中に無遠慮に潜り込んでくる。


 ほら、ずっとこうやって、無敵のはずの存在を地に引きずり下ろしたかったんでしょう? と。


 そのために、ずっとあんな酷い仕打ちを続けていたんでしょう? と。


 けれど、違う。


 私は、睦月を倒したかったわけでも、殺してみたかったわけでもない。


 ただ、本音を見せない彼がもどかしくて。気弱なふりをして、本当は頑固なくせに、何をしても、何度悪意をぶつけても、文句を言わない様子が、まるで、哀れまれているようで――、



 どうしようもなく、心が逆立ったのです。



 喉をかきむしりながら叫びたくなるような激情があったのです。



 叔父に、叔母に、父に、母に、祖父に――哀れまれても、私は平気だった。


 何とも思わなかったわけではないけれど、彼等は最初から庇護者であり、対等な人々ではなかったから。


 でも、睦月は違う。


 彼に哀れまれるいわれなんてない。


 対等なはずだ、対等な存在のはず。



 魔術師か、そうでないかがわかるまでは、同じ場所にいたはずの、私の対の魂。



 睦月だけは、いつでも私に怒る権利がある。


 けれど彼は怒らない。怒鳴り声1つ聞いたことがない。どう考えても私が悪い時だって、絶対に怒らない。


 それは、私が睦月を羨んでいることを、彼がよく知っているから。



 ――ああ、神様。


〝我慢してあげなきゃいけないんだ〟と、彼が掠れた声で言うのを聞いたのです。


 辛そうな声で、彼はそう言ったのです。その青い空のような瞳に――哀れみを滲ませて。







 ……〝守ってやりたかった〟なんて、詭弁です。



〝魔法使いになりたい〟本当の理由は、




 本当は、本当は――、




「同じ場所に立ちたかっただけなんです……ッ」




 だから、神様、お願いです。


 もしもこの暗闇から帰ることが出来るなら、私は正直に睦月に話します。


 無言で、嫉妬を込めて睨み付けるのではなく、心から思っていることを伝えます。


 次こそは、何にも怯みません。


 次こそは、必ずあの大蛇に立ち向かうと誓います。


 だって、まだ、何も出来ていない。


 魔法使いになると、強くなると誓っただけで、まだ何も為していない。


 だから、


 だから、神様、お願いです。


 ……


 …………



 ――……ああ、ああやっぱり、ダメなのかしら。



 祈ったこともない神様に、誰とも決められない神に願いを捧げても、叶うものなどないのかしら……。


 でも、助けてくれる人は此処にはいない。睦月は殺され続け、動けない。


 此処には、あの大蛇に敵う人がいるようにも見えないものね。


 ああ、たくさんの人達が悲鳴を上げている。怖がっている。

 私の意思とは関係なしに、首は動くし相づちもうつし……、



『――ちゃん』



 私、もう、この暗闇から出られないのかしら。此処で、死ぬこともできず、心が朽ちていくのをただ待つだけなのかしら。



『――弥生ちゃん』



 ようやく気持ちが定まったのに。浮わついていた身勝手な心に、ついに答えが出せたのに。


 これで終わり? これでおしまい?



『今日は〝とってもいいこと〟があるんでしょう?』



 ええ……ええ、そうよ。私は今日、魔法使いになるはずだったの。



『今日は、君の夢が叶う記念日だったはずでしょう?』



 そう――最終試験で砂漠の魔術師に打ち勝って、厄介事の爆心地グラウンド・ゼロのデータバンクをぶち壊して、晴れて衝撃の魔法使いデビューを果たす予定だったの。



『そう――でも、まだ、君の夢のことを聞いてない。〝週末のお出かけの時に教えるわね〟って言ってたじゃない』



 そう、そうなのよ。初めて出来たお友だちと、週末にお出かけする約束もしているの。


 一緒に美術館に行こうね、って。お買い物もしようね、って。


 内緒の話も教えて上げる、って……約束していたのよ。



『そうでしょ、だから――』



 ……だから?



「諦めちゃ、ダメだよ」



 優しい声に、思わず顔を上げた。気がつけば、暗闇なんてどこにもなくなっていた。


 柔らかなオレンジ色の炎が私の周囲にベールのように浮かんでいて、それが静かに周囲の暗闇を押し広げていた。


 目の前には右手を差しのべる狛ちゃんの姿がある。


 全身に赤の紋様を這わせ、まるでVR世界で猛威を振るったあの時のように、不敵な笑みを浮かべながら。


 思わず、どうして、と問えば、狛ちゃんは不思議そうに首をかしげてこう言った。


「だって、呼んでくれたでしょう? ――神様、って」


 だから、に来られたんだよ、という狛ちゃんの真意とか、その言葉の意味なんて、その時にはもうどうでもよくなっていた。


 ただ――ああ、神様。私は――



「やるよ、弥生ちゃん」



「勿論よ、狛ちゃん」



 誓います――。



 私は、もう2度と迷いません。



 私の夢は、魔法使いになって、睦月と対等の存在になること。



 対の魂の傍らに、背筋を伸ばして立てるようになる力こそが、私が本当に欲しいもの。



 だから――、






【Under Ground Online】――第百六十一話・半






 私は、戦います。






 ――【明滅する対の魂スクーニアスⅡ】







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