第百十九話:劇場型プレイヤー

 



第百十九話:劇場型ドラマチックプレイヤー



 秋の太陽が傾き始める午後3時。再ログイン直後の妙な高揚感に上がる息を整えながら、自分は静かにメニュー画面を確認する。


 ついさっき、見たことも無いほど慌てた顔で緊急ログアウトをした雪花から、詫びと説明の連絡が届いていた。


  私用で、今日はもうログイン出来ないこと。明日もダメそうなことと、申し訳ない、と書かれたそれを読み、自分はすぐにメニューを閉じる。


「――雪花は向こうの事情で、今日はもうログインできないそうです」


 ごめん明日もダメかも、という報告が届いていることを伝え、自分はそっと『ランナーズハイ』のメンバーを見やる。各自の反応は仕方ないね、というあっさりしたもので、その様子に何とはなしにほっとした。


 音声ネットで聞いた話では、一部のランカーは現実の都合よりもゲームを優先しろ、などと困ったことを言い出す人達もいるという。

 まあ、話してみた限りそういった人達ではないからギルドを組んだのだが、人は事が起こるその時まで、本性というものはわからない。


「じゃあ、残念だけど雪花君抜きで攻略することになるね。戻って来るまでに終わっていないとい……あ、いや。ダメだ。2日で終わらないって地獄に突入したってことだ」


 木馬先生は「それはそれで……」と言いながら腕を動かし、自身のメニュー画面を確認しつつ、もう少しで来るはずだよ、と表示される時間を見て他のメンバーに声をかけた。


 ブランカさんは第一印象は大事なんだからしゃんとしてレベック、とまだ膝を抱えて地面に座り込んでいるレベックの背中を優しく叩く。


 じめじめとキノコでも生えそうな暗い雰囲気のレベックは、どんよりした顔を上げながら、だって俺の防具が……、とぼそぼそと繰り返していた。


 1回目の修正――パッチ65の追加で、死に戻りの際に防具が消えることはなくなり、死に戻り前に剥ぎ取らなくともその場に防具も残るようになったことで、レベックの装備も消えずにすんでいる。


 しかし、彼の装備は、今や一歩でも踏み込めば真っ暗闇のオーバー大樹海地帯の中。見つけるのは難しい上に、すでにモンスター達の玩具として、バラバラにされていないとも限らない。


 唯一の救いは、プレイヤーもしくはNPCによるPKではないため、3つの特殊装備はレベックと一緒に死に戻ってきたことだ。一緒に死に戻ったのに特殊防具は丁寧に畳まれ、強制的にダサい初期装備を着せられていた部分に、運営の仄かな悪意を感じる。


 しかも、レベックの不幸は終わっていないらしく、更に追い打ちをかけるように喜々として突撃インタビューを敢行かんこうする朶さん。


 アドルフの毛皮で作られたお気に入りのもふもふ防具を紛失し、涙目のレベックに「ねえ今どんな気持ち?」と満面の笑みで質問し、次回はトップランカー、レベックさえも返り討ちにする、【あんぐら】のボスモンスターの実態に迫ります! という引きで締めくくった。


 鬼かあの人、とドン引きしながら目をそらせば、師匠とデラッジが真面目な顔で、掲示板で反応があった適応称号保持者の来訪を待っている。


 師匠とデラッジは交渉役を務めるために、先程から少し緊張した面持ちだ。ぴりぴりとした空気は、今回の打診が上手くいかなければいやが応でも、攻略組との連携を考える必要があるからだろう。


 何故といえば、攻略活動において個人的な感情で動くのは初動のみ、というのが、最近の良識あるよいVRプレイヤーという通説があるからだ。


 攻略組が最初だけ利益を独占しようと情報を抱え込み『美獣フローレンス』に挑み、どうにもならなくなってから周りに広く情報を開示、連携を求めたように。


 攻略の初動は個人もしくは個別の団体の欲望で動いても良い。ただし、それで上手くいく様子が無いのならば、意地や欲をはらずに皆で協力するのが良い、というのが基本理念らしい。


 確かに、意地と欲のために攻略が滞るのは、最終的にはプレイヤー全体の不利益になるので、合理的なルールだといえる。

 けれど、『ランナーズハイ』の誰もそのルールに逆らう気は無いとしてもだ。だからといってすぐさま笑顔で攻略組と握手できるかと言えば、それはまた別の話だ。


(もう少しで、適応称号持ちが来る……)


 場所は〝光を称える街、エフラー〟の中心部。神聖な世界樹の若木が生えているその根元で、自分達は掲示板で反応があった適応称号持ちのプレイヤーを待っていた。


 名前は偽名らしいが、〝スタンプ好き〟という可愛らしいハンドルネームの人らしい。世界樹の若木を見上げつつ、どんな人が来るのだろうかと夢想する。


 適応称号保持者達は掲示板でもそこ以外でも、最近はちらほらと名前が上がってきている。別名で劇場型ドラマチックプレイヤーとも呼ばれる彼等は、一様に厳しい条件の下に適応称号クエストをクリアした猛者もさ達だ。


 適応称号クエスト化するまでが一苦労。更に、クエスト化した無理ゲーとも言える難易度のそれをクリアするのも一苦労とくれば、適応称号保持者は自然と注目を集めることになる。


 適応称号クエストは発生した時点で統括ギルドの特殊掲示板に張り出される。その上で、失敗か達成か。達成されたならば、クエスト化の経緯と、簡単なクエストの内容が。更に、適応称号名が発表される。


 ただし、適応称号名一覧はスレに記載されていても、誰がどの適応称号を持つかまでは発表されないし、例え目撃したとしても大っぴらには書かない、という暗黙のルールがある。

 そのため、〝スタンプ好き〟さんが本当に適応称号持ちか。本当だとしたら、どの適応称号保持者なのかはわからないのだ。


 まあ、自分のように生放送であそこまで大々的にやると、大っぴらには書かないも何も無く、普通に適応称号スレにて名前付きでスキル内容などの考察をされるのだが、そこは有名税のようなものだろう。自分的には嬉しいので問題ない。


「本当に来ますかね?」


「来てくれなきゃ困るんだがな。約束の時間はそろそろだが――」


 若木と言っても、現実世界で樹齢1000年を超える巨木と同じ大きさがある世界樹のふもとで、自分は師匠に問いかける。師匠はちょっとだけ眉をひそめ、溜息と共にそうこぼした。


 師匠の言葉に頷きつつ、巨大なそれが落とす影の中で高揚感を抑えるために深呼吸をした瞬間――懐かしい声が聞こえて、自分ははっと振り返った。


「――狛ちゃん! 久しぶり、ねえ聞いてちょうだい!」


 話したいことがたくさんあるの! と言いながら、正規サービス開始以降、徹底して鍛え上げていたはずの自分の隙をついて、首に抱き付いてくる柔らかい身体。


 ふわりと甘い匂いと共に温かさを感じるそれを咄嗟に抱き留め、くるりと半回転して衝撃を逃がしながらそっと地面におろす。


弥生やよいちゃん、久しぶり! ますます速くなってるね!」


 師匠達も驚いた様子で、全員の隙をついて飛び込んできた彼女を見つめていた。桃色のケープをひるがえし、弥生ちゃんは花が咲くような笑みを浮かべて自分の手を握って来る。


 澄んだ淡い黄緑きみどり色の瞳と目を合わせ、そしてどちらからともなく、えへへ、と笑いあう。

 掲示板での呼びかけに唯一答えてくれた〝スタンプ好き〟は、別に可愛らしい名前ではなかったということが今わかった。どっちかっていうと、破壊の方のスタンプだったようだ。


「スタンプじゃなくて【スタンプ】か。気付かなかったよ」


「可愛いハンコも好きよ? でもそうね、こっちではそういう意味での名前ね」


 微笑む弥生ちゃんは、腰に固定したモーニングスターを撫でて笑う。ふわりと薄金色の柔らかそうな髪が風に揺れて、ほっそりとした指がそれをさっと振り払う。


 彼女と初めて会った時には、その髪型を表現するボキャブラリーの無さに歯痒い思いをしたが、あの後、ネットに頼りまくった自分は前回までの自分ではない。


 弥生ちゃんの髪型は、おそらくガーリーボブというものに、編み込みなるものを組み合わせた、実に女子力の高い髪型だと思われる。どうやったらガーリーボブで編み込みが入るのかなどという、非常に高度なテクニックについてはわからないので、まあいいだろう。


 とにかく、そんなゆるふわな髪型と輝く大きな瞳に、何ともミスマッチな輝くモーニングスターが、隠されもせずに細い腰に固定されている――それが、〝弥生〟という名の自分の大親友だった。


「実際に会うのは砂竜モドキの件以来だね。適応称号どこでとったの?」


「……それも聞いてほしいことの1つなの」


 あの後も、ちょくちょくゲーム内でメールをする仲ではあったのだが、1週間ほど前に現実でのアドレスも教えてもらい、現実世界でもメッセージをやり取りし合う仲となっていた彼女は曖昧な表情でそう言った。


 弥生ちゃんは周りに簡単な挨拶を済ませると、まだ驚きの余韻に浸っているギルドメンバーは置いておいて、自分の髪型をチェック。現実世界で鏡を相手に四苦八苦しながら整えたそれを見て、うん、可愛くなってる! と笑顔で及第点をくれた。


「そうよ、狛ちゃんは素は良いんだから、もう少し身だしなみを整えること!」


 カップ麺生活はちゃんと改善したんでしょうね? と首を傾げる弥生ちゃんに、自分は苦笑しながら頷き返す。


「うん、ちゃんと少しは料理するようにしてるよ。野菜も冷蔵庫にいるようになった」


「ならよろしい。少しずつでいいから、頑張ってね」


 弥生ちゃんは自分が両性だと告げた後にも少しだけ悩んだようだが、狛ちゃんの女性の部分と楽しくお話しできるようになりたい、と言ってくれた。


 両方味わえたほうがお得でしょう? 嫌なら両性として扱うけど、それは雪ちゃんがやってくれてるみたいだし、と言う弥生ちゃんは、自分を気づかいながらも離れていったりはしなかった。


 正直、おずおずしながら申し出てくれた弥生ちゃんの言葉は嬉しかったのだ。自分は両性、という性自認を持っているが、やはりそうではない人達と好みのタイプについて話したりする時には、自然とどちらかに偏るし、気を使うのも疲れるから。


 男性、女性共に、性別を特に気にせずにそういった対象として見ることもできる自分としては、胸と太ももの話で拳を握って盛り上がりたい時もあれば、筋肉と低い声についての話できゃーきゃー言いたい時もあるのだ。


 特に矛盾なく両方の気持ちがあるので、なおさら性自認は両性なのだが、言っていることがその時々で偏るのは致し方ない。語る時の大抵の対象は、男か女、どちらかなのだから。


 だから今では、自分は弥生ちゃんといる時は、自然と女性寄りの発言が多くなる傾向にある。今もまた、はたから見ていたら、女友達の楽しそうな再開にしか見えないだろう。


 自分の食生活の改善を確認して、弥生ちゃんは満足そうに頷いてから、うっちゃっていた『ランナーズハイ』のメンバー達を振り返る。

 殺気でも感じたのかデラッジが一歩下がり、ブランカさん達が面白がるように弥生ちゃんを見つめる中、鈴を転がすような声で彼女は大袈裟にお辞儀をする。


「それでは改めまして、『ランナーズハイ』の皆様方。わたくし、ソロプレイヤーの〝弥生〟と申します」


 自分との再会を喜んでいた弥生ちゃんは、後でじっくり話を聞いてね、とウインクと共に囁いた後、他のメンバー達にも優雅に自己紹介をしてみせる。


「適応称号《悪魔――緑の目の怪物リヴァイアサン》保持者です。掲示板での呼びかけに応じ、参上いたしました」


 桃色のケープをひるがえしながら、その可愛らしい唇から全く可愛くない名前が躍り出る。華麗なお辞儀と共に顔を上げた彼女の目は、ちらりとも笑っていない。


「――少しは噂でご存知でしょうけれど、詳しくお話ししておきますね」


 静かに語り出した弥生ちゃん曰く、適応称号《悪魔――緑の目の怪物リヴァイアサン》は、リュウグウノツカイのような色合いの優美な海竜種、『妖竜ようりゅうキルケー』と争い、とある男性プレイヤーを取り合った際に得たものだという。


 キルケーの伝説の通り、気に入った男性プレイヤーを海の中に連れ去るのを日課としていた妖竜キルケーだが、ある日、運の悪いことに海岸で弥生ちゃんが粉をかけている真っ最中だった男性プレイヤーを気に入ったらしく、いつもの通りに海からざばーんと飛び出してきて、さらっていこうとしたらしい。


 しかし、そこは我らが弥生ちゃん。黙って見過ごすわけもなく、「人が口説いてる男に横からちょっかいとか、ふざけてんじゃないわよ!」という宣戦布告と共にモーニングスターを装備。躊躇いなく海に飛び込み、キルケーと壮絶な一騎打ちをしたらしい。


「嘘だろ、海で!?」


 海を語るスレでよく言われる、〝海は人間の行くところじゃない〟という言葉にもあるように、それは正直すごいことだった。デラッジが叫ぶのも無理はない。

 現時点での【あんぐら】の海は怪物が跋扈ばっこする上に、船は即行で砕かれ、まともな戦闘にならない場所、という概念を粉々に砕いたのは彼女だった。


「そう、海で適応称号を得たばかりに、こんな名前をつけられたのよ……」


 リヴァイアサン――海の魔物。その名前は女の子的に物々し過ぎるせいか、弥生ちゃんはふっ、と自嘲気味にそう言った。


 どうやって海で戦闘用の足場を確保したかと言えば、弥生ちゃんは正規サービス開始前に沼地で巨大スライムに気に入られていた、という話を覚えているだろうか。


 それ以降、弥生ちゃんが嫌がって契約しなかったものの、水場の近くでは気が付くと奴がいる! というスライムによる地味なストーカー被害にあっていたらしい。


 弥生ちゃんはキルケーが「小娘が色ずいてんじゃないわよ」と鼻で笑って海に逃げ込むのを見て、一瞬で決断。ちょうど海の近くで活動しやすかったのか、その場に居合わせたストーカースライムと契約を交わし、それをサーフボードよろしく乗りこなして海に突撃。


 追ってこれないだろうと油断していて、水面近くを泳いでいたキルケーの後頭部に、跳躍からの渾身の【インパクト】をキめた瞬間、一部始終を見ていた管理精霊が適応称号クエスト化のゴーサインを出した。


 痴情のもつれも極まると適応称号クエスト化する――という、前代未聞の伝説を作り上げたのも、彼女が最初だったそうだ。


 最終的に、得た称号は《悪魔――緑の目の怪物リヴァイアサン


 海中の怪物の名前と、嫉妬の別名を与えられ、彼女はめでたく適応称号保持者となった。


 どちらかといえば、キルケーの方が性質も見た目もリヴァイアサンっぽいのだが、それを仕留めるまでいかないものの、ぼっこぼこにして降伏させた弥生ちゃんにその名が与えられたのは、何の因果か皮肉なのか。


「ふふ……残念ながら、その時のひとには逃げられたけどね……」


 曖昧な笑みを浮かべて更に自嘲する弥生ちゃんに、この場にいる全員が冷や汗と共にごくり、と生唾を飲み込んだ。

 ぴりぴりとした空気に全員が身構える中、一転してほのぼのとした、緊張感の無い声がすぐ近くからかけられる。


「あの……僕は、弥生姐さんに適応称号持ちを探していると聞いて来たんですが……」


 遅れてすみません。〝月影つきかげ〟と申します、と言ったのは、見覚えのある男性。


 茶色い髪をヘアバンドで無理に上げたような髪型の、自信なさげで人の良さそうな顔つきのプレイヤー。

 それは、テストサービス一日目。統括ギルドで演説をうち、ギリーが凍らせた空気をほぐすように、「とりあえず、楽しみましょうよ」と言った男だった。


 シンプルなベージュのシャツと、濃い茶のズボンに身を包んだ軽装の男――月影さんは、あの時と同じようにへらりと笑い、よろしくお願いします、と頭を下げる。


「イトコなの。同じく適応称号保持者だから、連れて来たわ」


 ふふん、と胸をはる弥生ちゃんに頷いて、月影さんはもう一度頭を下げる。腰の低い、丁寧な性格らしく、1人1人に挨拶をし、自己紹介をし、そして最後に弥生ちゃんの隣にいた自分を見つけてゆっくりと歩み寄って来た。


「――〝月影〟です。生放送を見て、お会いしたいと思っていたんです。合同攻略、よろしくお願いします」


 自分と目を合わせるその薄青の瞳が輝いて、心底嬉しそうにそう言った。穏やかな口調に思わずどきまぎしながらも、自分も慌てて頭を下げる。


「こちらこそ、よろしくお願いします。〝狛犬〟です。えっと、」


 いつも、自分が出会うプレイヤーは一見穏やかに見えてもかなりやアクが強く、ぐいぐい来るのを適当に受け流すなり、投げ飛ばすなり、スルーするなりすれば良かったのが、此処に来て初めての人種に出会った。


 押しも強くなく、丁寧で、気遣いが出来そうで、変人臭もしない――それでいて、どことなくピュアな香りがする月影さんに、自分は思わず心の声を呟いていた。


「えっと――【あんぐら】でマトモな人に初めて会いました。自分も嬉しいです」


『ちょっとそれどういう意味かな!?』


 『ランナーズハイ』のメンバーと弥生ちゃんからの総ツッコミが入るが、逆に言いたい。


「マトモだと思ってたんですか?」


 誰一人として、普通の人はいなかった。そう断言できる自分は、まっすぐに彼等の目を見てそう言うが、誰もが顔をそむけて黙り込んだ。


 そんな空気に、まあまあ、と取りなす月影さんは、話題を変えようと思ったらしい。唐突に、自分の適応称号は――、と慌てた様子で話し始める。


「僕の適応称号は《幻獣――|銀角の保護ロメ者》です。防衛スキルなので、今回の条件に合うかなと思ったんですが……」


 別名、〝青い目のロメ〟――それは、最初の牡羊おひつじとも呼ばれる、『幻獣記』に登場するとされる幻獣の名前だ。


 の者はオルティバルクの森に棲み、森で我が物顔で狩りをする人間達が振り下ろす武器を受け止められるように、決してその頭蓋が割られることが無いように、と現人神ハブに巨大な銀角ぎんづのを貰った、最初の羊だとされている。


 その角は一角獣の角さえも、魔獣の爪牙そうがさえも弾き、スライムに溶かされることもなく、決して欠けることも無かったという。


 現在でいうところの、ビッグホーン――オオツノヒツジ達は、現人神ハブの乱心で傷ついたロメの血肉から産まれた遠い子孫、というのが『幻獣記』には記されている。


 月影さんの瞳も青いので、もしかしたらそれもロメの名を冠する適応称号となった要因の1つなのだろう。能力は伝説の通りに防衛に特化しているらしく、発動すれば銀に青の大盾がその手に現れ、あらゆる災いを弾くという。


「適応称号スレではあまり話を聞きませんでしたけど……どういった経緯で手に入れたんですか?」


「ああ、それはですね。たまたまというか、成行きと言いますか……」


「あ、自分に敬語はいりません」


 敬語はいらないから、普通に話してくれという自分に、そう? じゃあ狛犬君も無くていいからね? と言って、月影さんはどうやって適応称号を手に入れたのかを語ってくれた。


「僕は基本的にはソロで活動しているんだけど。その日はたまたま、グラウ大洞窟の周りをうろうろしていて――」


 その日、月影さんはソロでグラウ大洞窟を探検してみようか、それとも希望沼地の方に行こうか悩み、洞窟の入り口周辺でうろうろしていたようだ。

 忙しい仕事の合間に、一日だけ休みが取れたから、のんびり遊ぼうと思っていた日だったらしい。


 勿論、探検と言っても、踏破しようとか、攻略しようだとかいう気は無く、ただ死に戻りは覚悟の上で初期装備と簡単な武器だけで、洞窟探検気分を味わおうか、沼地探検気分を味わおうか、を悩んでいたとか。


 要するに、【あんぐら】の世界観や雰囲気を楽しもうと思ってログインした日だったらしく、貴重品は全てロッカーに。武器は安い剣を二振りだけ。防具は初期装備という、徹底してリスクを削った装備だった。


 そうして決めかねてうろうろしている月影さんに、声をかけてくる団体があった。攻略組にも世界警察ヴァルカンにも属さない小規模ギルドだった彼等は、月影さんを見て何か困っているんじゃないか? と思って声をかけたらしい。


 月影さんはわけを話し、それなら、グラウ大洞窟を一緒に探検しないか? と誘われた。

 当日、グラウ大洞窟はすでに攻略組による大規模討伐の後であり、大物は残っていないし、比較的安全だから月影さんが足手まといになることもないだろう、とそのギルドのリーダーは判断したようだ。


 そのギルドは攻略組に属していないため独自に地図を埋めていて、その日はグラウ大洞窟をマッピングしながら、洞窟で獲れる鉱石を採取する予定だった。

 月影さんはありがたくそれに同行し、いくつかの鉱石を採取しながら、しばらくそのギルドと行動を共にしたという。


 しかし、問題なく時が過ぎていったのは、その日の夕方までだった。天然のセーフティーエリアを見つけたり、交代で仲間のアバターを見守りながらのログアウト、再ログインを繰り返しながら、広大なグラウ大洞窟のマッピングをしていった彼等は、その日の夕方になって、ようやく洞窟の出口から外へと出た。


 その時には、夕日が地平線の彼方に沈みかけていたという。地を這うようなオレンジ色の陽光に照らされて、は唐突に彼等の前に現れた。


 全長、8メートルほどの巨体。ビロードのようなこげ茶の身体。イタチともラッコともつかない顔にはまる黒目しかないその目には、呆然とした表情のリーダーが映っていた。


 口には、サーベルタイガーに似るつるぎのような牙が二対。それが大きく開かれて、リーダーの腕を食い千切ろうとした瞬間に、割り込んだのが月影さんだ。


 月影さんは二振りの長剣でそれを迎撃。長大な犬歯を重ねたそれで弾き返し、一番リスクも少なく、目的も無い自分が囮になると言い、彼等に逃げろと叫んで剣を構えた。


 サーベルタイガーのような牙を持つ獣――攻略組の藪蛇により、すでに『人喰いガルバン』として名をせ始めていたそのモンスターは、その覚悟を認め、月影さんが死ぬまでは他のプレイヤーを追いかけることはしない、と誓ったという。


 勿論、それだけでは管理精霊は適応称号クエスト化を認めなかった。けれど、誰もが予想しなかったことに、月影さんはそのプレイヤースキルと豪運だけで、その後30分もの間に渡って、ガルバンの攻撃をしのぎ続けた。


 そこでようやく、管理精霊はこの件の適応称号クエスト化を認めた。その後、強制ログアウトまで――つまりは、追加で2時間ほど。ガルバンと渡り合い、もしもまだ生きていたら、クエストクリアを認めるという条件で。


「――その条件でクリアしたんですか!? いえ、したんですね!」


 敬語はいいと言われたのに、思わず敬語で自分はそう叫ぶ。2時間半もの間、2本の剣と自身の肉体だけで、名前持ちのボスモンスターの攻撃をしのぎ続けた。


 どう聞いても、とんでもないプレイヤースキルだ。現状では体力を回復するポーションも、スタミナを回復するそれも無い。一体、どうやったらそんな条件をクリアすることが出来るというのか。


「適応称号クエスト化してからの方が、やりやすかったよ? だって、特別に剣が絶対に折れないスキルを〝お試し〟させてもらったからね」


 適応称号クエストの特徴の1つは、クエスト中は特別にクリア出来たら取得できる適応称号スキルの〝お試し〟が出来ることだ。


 だが、月影さんの場合、成功報酬であるスキルを使用してクリアするのは簡単すぎるとし、管理精霊は〝お試し効果〟を一部変更。条件付きで解放されるはずだったサブスキルの方を使用可能にし、クエストを達成するように言ったという。


 正式なメインスキルは銀に青の大盾だが、その時は代わりに持っていた剣が絶対に折れない、という効果になった。恐らくは、伝説になぞらえた2本の銀角をモチーフにした能力なのだろう。


 銀角の保護ロメ者の〝銀角ぎんづの〟とは、すなわちその手に握られた二振りの長剣のことだったのだ。


 絶対に折れず、溶けず、欠けることのない銀色の〝角〟を使い、月影さんは見事に『人喰いガルバン』を相手に、計2時間半の防衛戦をやりきった。それも、初期装備の上にアイテム0で。


「クエスト化までのほうがキツかったよ。安い剣だったからね。いつ折れるんだろう、ってひやひやしながら戦ってたから……」


 しみじみとそう言う月影さん。ナチュラルにプレイヤースキルがぶっ飛んでいる彼を呆然と見て、自分は同じく話を聞いていたギルドメンバーを振り返る。


 全員が全員、空恐ろしい、というような顔で頷いて、『美獣フローレンス』も倒せそうな人が来たね……と呟いた。これは、空想が現実になってきたぞ、と。


 思わず尊敬のまなざしで月影さんを見つめる自分に、彼は照れたように笑い、それでは、と期待するような表情でこちらを見る。その表情には憧れの色が少しあるが、どう考えても自分より月影さんの方がすごいと思った。


 けれど、月影さんは自分に向かって拳を突き出し、


「――勝ちを取りに行きましょう」


 三人で。と彼は言い、自分と弥生ちゃんは顔を見合わせ、すぐさま力強く頷いた。



 目指すは、初の公式イベント第1ミッション――オーバー大樹海地帯に巣食う、『美獣フローレンス』、初討伐の名誉。



 VR時代ならではの礼儀として、自分達は拳を突き合わせてこう叫ぶ。



『協力、よろしくお願いします!!』





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