第百三話:さて、これは奇跡の種です
第百三話:さて、これは奇跡の種です
懐に大切な命を抱えながら、木馬は草原を全速力で走っていた。竜爪草原。白く巨大な竜爪岩が所々に突き刺さっているからと、プレイヤー達に俗称でそう呼ばれる草原には、今はもうモンスター達の影も形も無い。
木馬が通って来た時には、もうどこにも命が無かった世界。もう通りたくないと思いながら通過したそこを、今度は命のために逆走する。
人の影も、モンスターの影も無い。どこかの掲示板で、死の草原と呼ばれたそれを体現するかのようだった。
風のように走る木馬は自身に風の魔術をかけて走っていた。〝見習い魔術師〟から〝魔術師〟へと派生することで覚えることができるスキルで、木馬は正しく風のように足を動かして草を蹴り、地面を蹴り、時に竜爪岩を蹴り付けて加速していく。
そして、ずっと遠くから望遠鏡で見えた後ろ姿に、ようやく追いついていた。
「――〝ノア〟さん!」
呼びかけられた巻き髪の男は最初こそ警戒した様子で振り返ったが、視線だけで人を射殺せそうな眼光は、木馬の懐を見て途端に和らいだ。
状況と様子から見て、木馬はノアに敵だと認定されなかったことに安堵。すぐに、呼び止めた理由を話そうと、流石に荒くなった息で口を開く。
「可愛いな、どうした?」
「俺もっ……参加することにしたんです。こいつらの親が、
「ああ、落ち着け。その陸鮫なら、さっき【
「え? あ、見てませんでした。急いでたんで」
「〝狛犬〟が契約石を叩き割ったんだ。ただ、急いで行ってやった方が良い。〝
「?」
生放送を見ていないという木馬に、ノアが説明をしてくれていた途中で言葉を飲みこんだ。その視線は、中空、恐らくは生放送の画面を見ていて、ノアはその映像に絶句しているようだった。
これだけの美丈夫が絶句していると、見事な
「あの、ノアさん?」
思わずさん付けにしてしまうんだよな、と思いながらも急に黙ったノアに問えば、ノアははっとした様子でこちらに向かって向き直り、生放送を開いているウインドウを公開設定にしたのだろう。
途端に木馬の耳にも生放送の音声が――
「……悲鳴?」
それは、音声と言うよりも、悲鳴とか絶叫と呼ぶべきものだった。ひたすらに上がる絶叫。痛みと混乱に悲鳴を上げるそれがあんまりにも物悲しくて、木馬は息を呑んでその映像に齧りつく。
「ニブルヘイムが……」
生放送は2画面によって行われているが、その内の片方が真っ暗になっていて、もう片方の画面ではニブルヘイムの様子を遠くから映していた。ニブルヘイムに乗っていたはずの
良くて大怪我、悪くて死に戻りか。いやそれよりも、ニブルヘイムの怪我が酷かった。立派な胸筋からは真白い肋骨が突き出していて、絶叫する度に血が吹き出している。痛ましいニブルヘイムの映像はすぐに上に向かって動き、そこに目を疑うような存在を映し出した。
「――赤いドラゴン」
その竜は、すぐに自ら名乗り上げた。
「いやっ……ドラゴンは、ちょっとっ!」
反則だろう! と思わず木馬は声を上げる。今の木馬のスキルで、あんな怪物に効果がありそうなスキルは――いや、あるにはあるが、ドラゴンにダメージを与えるような魔術となると、当然その詠唱時間も長くなる。
レベックやブランカなどと協力すると言っても、互いに今日初めて会う者同士だ。確かに掲示板では仲良く話すし、ある意味では他ゲームにおいてもランカー常連として見知った仲ではあるが、それだけで完璧な連携が出来るかというと話は別だ。
それなりの連携は出来るだろう。組めば、誰にも負けない自信はあった。あったけれど、それは相手がプレイヤーだという前提のお話だ。
間違っても、正規サービス一日目でドラゴン相手に戦うことが前提の話ではない。これだけ装備も、アイテムも、スキルも、アビリティも足りない中で、ちょっと無謀すぎると考えることが出来るくらいには、木馬は頭のおかしいトップランカー共の中でもかなりマシな方だった。
今度は逆に木馬が絶句し、ノアがその肩を小さく小突く。
「――なっ、これ勝てるんですかねっ!?」
思わずビビりになってしまった木馬に、美丈夫は余裕たっぷりの笑みを浮かべてみせた。映画のヒーローのように笑うノアに、木馬はビビりも忘れて息を呑む。しかしすぐに気を取り直し、木馬はがっし、とノアの肩を掴んでアンタ正気かと揺さぶろうとしたのだが、
木馬は即座に自分の背丈の低さを呪い、そしてすぐにノアの身長がおかしいことに気が付いた。いや正確には、足の長さだったが。木馬がノアに対し、格好よくて尊敬できる人、以外の感情を抱いた初めての瞬間である。
「え、いやそんな爽やかに笑われても、これランカーでもキツいですよね!?」
「そうだ。だから――」
胸元を掴んで揺さぶる理由が、別にアンタ正気か、じゃなく、何でこんなに足長いんだよアンタ! になりつつあった木馬の腕を掴んで止め、ノアは言った。
「――俺達も、竜を呼べばいい」
「……ふぁっ!?」
掲示板でのブランカではないが、木馬は今度こそ意味が分からずにそう叫ぶ。ノアは丁寧に自分の胸倉を掴むその手を外しながら、まるで洗脳するかのように今度は木馬の肩をがっし、と掴む。
ああ、そうですよね。背が高いとそういうこともやりやすいですよね、とか思いつつ、木馬はその発言の意味を必死になって脳内で
竜を呼ぶ? 竜を呼ぶって言ったか?
「ニブルヘイム以外の竜を? え、いやいやいや、どうやって!?」
「〝
〝才能持ち〟。どこかの掲示板でそう呼ばれ始めた、いるかいないかもわからない存在。サポート妖精の口からだけ伝えられた、その未知の存在が目の前にいるということを、木馬はすっかり失念してしまっていた。
「召喚する竜にはちゃんと印をつけさせてもらっているし、彼はニブルヘイムの友だと言っていた。必ず力になってくれる」
「――――」
竜に印、ニブルへイムの友達、正規サービス1日目にして、竜と知り合いって奴が3人以上。しかもそれを召喚するというではないか。
ここでもう、木馬の常識がキャパシティオーバーで動きを止めた。
続けて、ノアが言った
「大丈夫だ。この程度、問題ない」
「――そーですね! どうってことありませんでしたね!」
こうして、また一人。常識をはき違えた真のトップランカーが誕生した。
白煙に埋もれた世界の中から飛び出した時、真っ先に目についたのは、ニブルヘイムに駆け寄り、血と泥にまみれた
「雪花! ニブルヘイム! デフレ君、もう少し寄って!」
デフレ君はすぐに指示に従い、トルニトロイを気にしながら空を駆けるが、トルニトロイは自分達とは逆に白煙の中に突っ込んでいっていた。
セリアに呼ばれたか、好戦的な性格がそうさせたのか。とにもかくにも、ニブルヘイムを見張る存在がいなくなり、自分とデフレ君はスムーズに雪花に接近出来ていた。
一度地面に下りてもらい、そのまま地を蹴って走り寄れば、周りからもギリーや陸鮫が走り寄って来る。モルガナだけが険しい目つきで上空を睨んでいた。
「雪花、朶さん、無事ですか!」
「ニブルヘイムが……庇ってくれたからね――額を切るていどの怪我で済んでるよ」
顔の右半分を真っ赤に染めて、朶さんは雪花に支えてもらいながらふらふらと立ち上がる。出血が派手だが、額を切っただけで他の外傷は無いらしい。
逆にいえば、その分だけニブルヘイムが朶さんを庇ったようだ。朶さんが言うには、なんだかんだ言いながらも義理堅い砂竜は、トルニトロイの攻撃に気が付いた瞬間。頭にしがみつく朶さんを庇って頭を翼で覆い、そのせいで翼がへし折れたのだという。
「私を気にしなきゃ躱せていた――私のせいだ」
未だ地に這いつくばり、痛みに短い悲鳴を上げ続けながらのたうつニブルヘイムの巨躯を見上げ、朶さんが言う。
その目には普段の穏やかさも、呑気で子供のような好奇心も残っていなかった。後悔と、怒りに燃える
「墜落する時も私を庇って左腕を折ったんだ……ネブラは? 無事なのかな?」
「朶さんのモンスターが生放送を続けてて、ネブラは――ボス、映像で見てたけど、ネブラは大丈夫なんだよね?」
「ブランカさんがまだ抱えてるけど、大丈夫だとは思う」
自信満々で、何より見ていて簡単に負けるような人には思えなかった。
「突然、助けに来てくれたみたいなんだけど……雪花、何か知ってる?」
「ああ、ボスは掲示板とか見てる余裕なかったか。俺は悲しくも暇だったんで、下で掲示板と映像で状況を見てたんだけど――」
悲しくも、と強調しながら、空への足を持たない雪花が説明をしてくれた。どうやら、掲示板にたむろしていたトップランカーと呼ばれる人達が、理由はそれぞれに助太刀に動いてくれているらしい。
ブランカさんもその一人らしいが、掲示板は誰でも見ることが出来る分見張られているから、現地集合となったそうだ。
作戦を立てない作戦とか。能力が高い人同士だからこそ出来ると言えることだろう。全て本番ぶっつけ、アドリブで見事ネブラをセリアから奪還したブランカさんを、素直に凄いと思った。
「あんな凄い人があと3人も来るの?」
「わぁ、ボス嬉しそうだね――俺は微妙に嬉しくないけど」
「なんでだよ、助けに来てくれてるっていうのに」
失礼だぞ、と言えば、何やら雪花は小声で、だってトップランカーの非常識って
「ニブルヘイムは――」
あんまりにも酷い怪我の様子に、自分も思わず言葉を濁す。ここまで酷い怪我の場合は、いったいどうしたらいいのか。
昨日まで掲示板を見ていた自分としても、体力を回復――つまり、傷を癒すようなアビリティやスキルは聞いた覚えがない。
いや正確には、医師系アビリティの存在はあるにはあるが、あれはもっとこう、まだ内科的なスキルばかりであって、外科的なものはまだまだ先だろうと言われていた。
それにこの世界では医師系アビリティでも、直接体力を回復させたり、みるみるうちに怪我をスキルで治したりといったことは出来ないと言われている。
実際、そのレベルが可能になってくるのはもっと先の話、それか、いっそ存在すらしないのではないかとさえ言われているレベルだった。
せいぜい、自己治癒力を活性化させるスキルとかが……あるといいね? とプレイヤー間で噂される通り、この世界においても奇跡は奇跡らしい。
ただし、この世界の怪我は体力さえ残っていて、空腹値が0で無いのなら、時間をかければ治るものではある。
どんなに酷い怪我だとしても、腕が取れて紛失していないのならばくっつけさえすりゃ治る、というのはプレイヤー達が身をもって証明したことだ。
だから、ニブルヘイムも曲がった腕を戻し、時間さえかければ治るには違いないが、問題はゆっくりしている暇も無いということと、敵はニブルヘイムの【
「どうする、ボス」
「どうするって……」
今の自分の力じゃ、セリアにもトルニトロイにも勝てないだろう。未だにアビリティから〝見習い〟が取れない自分。いや、もしそれが取れたとしても、ドラゴンに効果があるようなスキルをすぐに得られるとは思えない。
ニブルヘイムは、あれでかなり手加減していたのだ。自分が死なないように、無駄に落ち込んだりしないように、嫌味なふりをしながら随分と気を使ってくれていた。
首に娘がいたから、それもあるだろう。けれど、あれはニブルヘイムなりに自分と
一気に子供が増えた気分です、と。優しさを孕む金色の瞳が見ていたのは、ネブラと橙だけではなかった。自分や、雪花や、朶さんでさえ見つめ、ニブルヘイムは――、
「――ッ、どうするって言ったって!」
ニブルヘイムの悲鳴は止まない。朶さんにも雪花にも、自分にもトルニトロイを倒す力は無い。セリアを倒す力さえあるのかどうかわからない。自分達には何も出来ない。他の助けだって、いつ来るのか、本当に来るのかわからない。
弱い、弱いことが、こんなにも。
「どうしたら……」
――どうしたら、助けられるの。
頭が痛い。聞き覚えのない声が、記憶の中で叫んでいる。痛みに絶叫を上げ続けるニブルヘイムの声が、助けにならない無力な自分が、遠い記憶を呼び起こしている。
暗い部屋に、男が倒れている。見覚えの無い部屋。もう覚えていない家。焼け落ちる前の家。居間に、男が倒れていて、その手前に別の男と女がいる。
女は微笑んでいて、自分は倒れている男が誰かをよく知っていた。そう、知っている。だって、その人は。
――自分は、微笑む女に聞いたはずだ。
『なんで、こんな――ひど、ひどいこと――!』
――そしたら、女はこう言ったのだ。
『弱いからよ――』
あなたが弱いから、幸せは取り上げられたの。
『――
「――――え?」
ギリーに呼びかけられて、ギリーの声が聞こえて、ようやく自分の目が目の前の景色を捉えた。今の、今のが、本物の自分の記憶だとしたら。忘れていた記憶の一部だとしたら……どうすればいいというのか。
『主、これを』
「……なに、ギリー」
力の無い自分の声に、ギリーが
中には、色々なものが入っている。必要なもの、必要だと思ったもの、必要かもしれないもの。統括ギルドのロッカーに預ける気にならなかった素材も、幾ばくかの財産も、それこそ、
「ドルーウ――我らが、何故これを宝と言ったのか、本当の意味を説明していなかった」
一抱え以上もある、巨大すぎるせいでロッカーに入らなかった晶石の塊も、ちゃんとそこに持ってきていた。
「……晶石?」
巨大な晶石。一抱え以上あるそれが、何に使えるかはすでにドルーウの長から聞いた話だ。曰く、それは何にでもなれる。
強力な武器でも、防具でも、魔術の媒体にも使える。莫大な力の結晶だと。でも、だからといって、これを使えばトルニトロイが一撃で倒せるというのだろうか?
いいや、そんなことはないだろう。結局は魔術は元のスキルの威力が全てを決めるし、武器を鍛える時間など無いし、それを扱う技量も無い。
今更、こんなもので、と唇を噛む自分に、ギリーは
『これは、純因子の塊だ。そして、体力とは魂が持つ純因子の総量だ。魔術や魔法の威力を決定するのも、純因子の量だ。これはその原石――』
これは、何にだってなれる。
その謳い文句は知っている。何度も聞いた。これは宝だ、これは何にだってなれる。だからなんだ。今、役に立たないのなら、こんなものはただの石の塊だ。
――ニブルヘイムの絶叫は、止まらない。
けれど、辛抱強くギリーは言うのだ。
これは何にだってなれる。高威力の爆弾にも、強力な魔術の媒体にも、強力な防具にも、武器にも、それこそ、
『トルニトロイを一撃で倒せるほどの力を、主の魔術にもたらすこともできる』
「……本当に?」
あの
『だから、我らはこれを宝と呼んだ』
使う時は必ず巨大なそれを、1個丸ごと使わなければいけないけれど。
けれど、とギリーは続ける。
『けれど、これを使って魔術を叩きこめば、トルニトロイだって倒せる。竜を倒す
「そう……竜はすぐに戻るの」
『そうだ。竜種は主と同じように、死してもすぐに戻って来る。何年も暗闇に囚われる野生種とは違い、すぐに生き返る』
「……そう」
たとえ生き返るとしても、いま痛みが消えるわけじゃない。背後では、未だニブルヘイムが苦しむ声が轟いている。
『……けれど』
うつむく自分の頬に鼻面を寄せ、ギリーはだけれども、とその頭を擦り寄せる。
『主の望みが、竜を倒す
――これは、何にだってなれる。武器にも、防具にも、媒体にも、
どんな傷をも癒す薬にだって、なれる。
「――――」
『……これは、傷を治すためだけに使うようなものじゃないけれど。使ったところで、それだけの意味しかないけれど。彼は死んでもすぐに戻ってくるし、これは本当はもっと違うことに使うべきものだけれども――』
ギリーは、自分の顔を見て言葉を切った。そして何かを確信した目で――言った。
『――でももし、
巨大な晶石を抱えて、ニブルヘイムの
『一度限りの奇跡が起きるだろう』
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