-32話 『神々と人』
「ほほ~う、よう磨いてある石だのう」
ルイが住む洞穴の中。
寝転んで雑談していたヨクモが、ふと、部屋の隅に転がっている十数個の石を発見した。
半透明な乳白色。綺麗な六面体の各面は、傷一つなく滑らかだ。
これは、ルイが霧で加工して作った宝飾品である。
「部族の者達に配っていてね。ジョカの信望者の証と言った所か……これが、中々好評なのだよ」
丁寧に磨き光ってはいるが、現在の価値で言うなら一つ三千円のお土産品程度の宝石。ありふれた火山岩だ。
しかし金銭という概念が無かった時代。宝石の希少さや高級さと言った基準は無く、ただ純粋に美しい石ならばそれで充分に宝と言える。
ヨクモは立ち上がり、石を一つ拾い上げた。
するとその白い表面が突然、緑色に濁る。
「おお? これはどういう仕掛けかのう、ルイ
「仕掛けなどでは無いさ。俺の
この時代――現在より約二万年前――には、神々の体内に宿るエネルギーを『
神力という単語。
他の宇宙や他の惑星でも、進化の先取り現象で生まれた神々の力を『神力』と名付けていた。勿論言語は違うので、直訳した場合の話である。
地球もその例に漏れず、一番オーソドックスな名称に落ち着いた。
ただし、ルイ自身はこの呼称にあまりピンと来ていない。
何故ならば厳密に言えば、神とは無縁な人間達の中にも、たまに神力を使える者が現れるからだ。
とは言え、神力という名前が他の神々にも浸透しているので、いちいち反対する理由もあるまいと従っている。
要は呼び方などどうでも良いということだ。
そして、白い石が緑に光った理由。
先程ルイは「予期せぬ時に光る」と言ったが……
「俺の神力と相性の良い者が触れると、先程のように緑色に光るんだ」
と、具体的な条件を説明するルイ。
当然「予期せぬ」と言うのは嘘だ。
そうなるよう、意図して霧の力を込めている。
石を光らせた者は即ち、毒霧の力に適正がある者である。
もし石を光らせる者を見つけたらすぐに自分の元へ連れて来いと、部族の者達に言いつけてある。
表面上の理由は「人間ながらに神力を持つ者かもしれない。力を正しく使えるように指導する」となっているが……勿論本当の理由は、霧の力を暴発拡散するような人材を見つけるため。
なので石を大量に作り、「余所の部族や旅人などにも、友好の証として差し上げなさい」とも言いつけている。
まるでマルチ宗教のようなシステム。
ただしルイも気付いていないが、石が光るのは毒霧の適正者を見つけた時だけではない。
毒霧に
当時の地球上に、そのような人間は存在しなかったが。
「相性か。つまりワシとルイ兄は仲良しさんってトコかのう」
ヨクモは少年らしい笑顔で言った。
ルイも小さく笑いながら立ち上がり、ヨクモへ近付き、落ちている石の中から一際大きい物を拾い上げた。
「そうだな。どれ、お前にも一つあげよう」
「おお、これはありがたいのうルイ兄」
ヨクモは嬉しそうに礼を言う。
この少年は、自分に様々な物事を教えてくれるルイに、心底信頼を置いていた。
ヨクモは神の孫であるため長生きする予定であるが、ルイは神そのものであるため更に長生き。
きっと自分はこれから死ぬまで一生、ルイ兄に導かれて生きていくのだろう。
そう信じ切っていた。
「そうだヨクモ、今日はお前が前々から知りたがっていた、この『霧の力』を教えるとしよう」
「何っ、本当かのうルイ兄!」
そしてこの信望、信頼は、ルイにとって非常に都合が良い物だった。
◇
更に十年後。
ヨクモが青年になってもまだ抱いていた信頼は、突如失われる。
「頭が、割れそうだのう……!」
短い木が生い茂る丘の上。
ヨクモは膝を付き、息を荒くした。
「この力……その、
それは、いつものように二人で毒霧の術の練習をしている最中だった。
ルイが持ってきた、禍々しい空気を纏った木彫りの赤ん坊像。
ヨクモがその像に触れた瞬間、体と意識に、霧の住民達が流れ込む。
「こんにちは、ヨクモ。ずっと見てたよ……あははっ。ようやく会えたね」
「お、おぬしは……!?」
「あたしはリオ。よろしくね」
首から上と、膝から下が無い少女。
地面に這いつくばったまま、切断された頭を手に抱え、その顔が歪んだ笑みを浮かべてヨクモを見ている。
少女の奥にいる、黒く巨大で首の長い怪物。
そして化け物の周りを漂っている、大量の亡者達。
彼らは皆、苦痛に満ちた言葉を呟き続けている。
「グロリ……オサ……!? なんだ、この言葉は! 何が起こっておる! ルイ兄! ルイ兄、どこだ!?」
ヨクモは霧のエネルギーに圧倒され、一時的な失明状態になっていた。
意識内の『黒い霧』しか見えない。
ただし、かろうじて耳は聞こえている。
「申し訳ないねヨクモ。しかしお前はやはり見込み通り、亡者達の声を聞く事が出来た」
「何を……何を言っておるのだ、ルイ兄! どうして謝る!? それではまるで、まるで、ルイ兄がワシを……!」
ヨクモは地面に膝を付いたまま、黒い霧を掻き分けるように、両手を振り回した。
右手がルイの足に当たり、掴む。
ルイはその手を、わざと強めに蹴り払った。
「ルイ兄! ルイ兄ぃい!」
「どうだいリオ。居心地は?」
「うん。うーん……何か微妙だよ」
「ルイ兄いいいいい! ワシに返事をしろおおお!」
ヨクモは半狂乱で両手を上げ、持ち前の神力を放出しようとした。
しかしそのエネルギーは、霧の力に比べてあまりにも無力。
制御出来ない霧が、苦痛を伴いながら神力の流れを阻害している。
霧のエネルギーに圧され、ヨクモ本来の神力が行き場を無くす。
指令を出している脳へと力が逆流。
本能が危険を回避しようと、神力を髪の方へと受け流す。
ヨクモの後ろ髪が急激に伸び、蛇のようにうねりを上げた。
「うがあああ!? ルイ……ルイ兄いいい! 何が起きておるのだ、教えてくれ! 助けてくれ! ルイ兄!」
「うるさいな。ルイを……他人を、そんなに信用しちゃって」
リオが苛つきながら、ヨクモに語りかける。
「早く気付いてよね、ヨクモ。ルイはあなたを……」
と、その時。リオの台詞の途中。
少年の悲鳴を聞きつけ、部族の者達、ヨクモの従者達、そして、
「フッキ……ヨクモ……? な、何を……やっているのですか……?」
ジョカが駆け付けて来た。
いつも優しいルイが、苦しむ少年を冷酷に見下ろし蹴っている。
その信じられない光景に、目を疑う。
「やあジョカ。今忙しいんだ、後にしてくれるかい?」
「忙しいって……ふ、フッキ……?」
ルイの言葉に戸惑うジョカ。
そして、リオは先程の台詞を続きを口にする。
「ルイは、あなたを裏切ったんだよ。ううん、最初から利用してたんだよ。あたし達の『入れ物』としてね」
「……!? ル……イ……!?」
混乱するヨクモに、ようやくルイが返事をする。
「すまないなヨクモ。そういう事だ」
「……ッ!!」
信じていた者から裏切られた失意。
それはオーサが暴走した時と同じ。
ヨクモは黒い霧と化し、星を包み込んだ。
◇
ヨクモの黒い霧は、瞬く間に大陸全土を覆い尽くした。
突然の闇に、人々や動物達が逃げ惑う。
しかし、霧の濃度が薄い。
「どうやら失敗のようだねリオ」
ルイは体に纏わり付く『ヨクモの黒い霧』を通し、ヨクモの意識内にいるリオと会話をしている。
「……そうね、ルイ。爆発してから広がるまでの時間が速過ぎるもん。ただ黒いだけの霧……」
そしてリオは寂しそうに「こんなの、許さない」と小さく呟いた。
ヨクモの霧には、毒性が全く無かったのである。
「フッキ……そなた……どうしたのですか……?」
人々が逃げ散ってしまった中、ジョカは涙を流している。
自分は何をすれば良いのか分からず、ただ狼狽えている。
「泣くのをおやめ、ジョカ」
ルイは優しくジョカへ囁き、人差し指で涙を拭いた。
「ほら。俺の神力で遠くの部族まで見えるだろう? 人々が逃げ、そして神々が被害を食い止めようと躍起になっている」
「……」
ルイはテレパシーで、ジョカに映像を見せる。
現在で言う中国を発端とし、日本、ロシア、東南アジア、西アジア、欧州、アフリカ。
地球上に住む半数以上の神々が、その神力を持ってヨクモの霧を抑え込もうとしていた。
本来、進化の先取り現象程度の
しかしヨクモの霧は……
「……駄目だね。失敗作。ヨクモは器じゃなかった。早く次を見つけようよ、ルイ」
リオは冷酷に見切りをつけ、ヨクモの意識の中から抜け出し、ルイの意識へと戻って来た。
黒い霧の怪物も、ヨクモと共にいては満足に暴れられないと悟り、赤子像の中へと帰る。
怪物が去ると同時に、ヨクモの黒い霧がさっと晴れた。
元の姿に戻ったヨクモは、遠いギリシャの地にて倒れている。
息はまだある。死んでいない。怪我も無い。
後ろ髪が妙に伸びてしまった以外、体は無事だ。
ただし抜けてしまった神力の代わりに、数万人分の霧の亡者が居ついてしまった。
霧の力はもう使えないが、元々所持していた神力を遥かに上回る莫大なエネルギーだけが、体内でくすぶっている。
「おやおや。またやり直しか」
ルイは苦笑する。
それを間近で見たジョカは、今まで愛おしくて堪らなかったルイの笑みに、初めて背筋を凍らせた。
「フ……フッキ……」
「おっと、少し待っててくれジョカ。今の件でお客様がお見えだ」
ルイはジョカの唇の前で人差し指を立てた後、後ろを振り返った。
そこには、筋肉質な体をもつ中年の男が立っている。
神力を消費し、
瞬間移動に使うエネルギーは、神々にとっては莫大な量。そのリスクを顧みず、決死の覚悟で赴いた。
「やはりルイ、お前の仕業か」
そう言った男の口の形は、ルイやジョカ、ヨクモと同じ。頭の形も同様。
つまり神。それも子孫では無く、進化の先取り現象で生まれた本来の意味での神自身だ。
「ほう知識の神と名乗るだけはあるようだな、ブラフマー。すぐに俺の仕業だと気付いたようだね」
「昔から気付いていたさルイ……お前は危険だ。大人しく捕まってくれ」
知識の神が手を挙げると、空に雷鳴が轟き、そして同時に辺りが眩い光に包まれた。
他の神々も、遠くの地から神力を使ってルイを脅しているのだ。
「どうするルイ。逃げる? 全部殺す?」
リオが意識の中で尋ねる。
逃げるにしろ殺すにしろ、どちらもルイには容易な選択。
しかし、ルイはまたもや嘘をつく。
「ここは大人しく捕まろうリオ。大勢の神々を同時に相手するのでは、流石に分が悪い」
「……そう。分かった」
リオは、「ルイは霧の力を存分に引き出せない」と信じ切っている。
悔しそうに呟き、這いながらルイの意識の片隅へと帰って行った。
頭の中から少女がいなくなるのを見届けた後、ルイは地面に座り込み、降参の意を知識の神へ伝えた。
「さてブラフマーよ、どうぞ俺を捕まえてくれ。そしてどうする? 殺すのかな?」
「お前も古き神だ、殺しはせん。ただ投獄させてもらう」
「これはまた寛大な処置だな」
ルイは別に安心する訳でも無く、ただ皮肉な笑みを浮かべる。
「……フッキ!」
しかしジョカは、笑ってなどいられなかった。
知識の神の前に立ち、両手を広げてルイを庇う。
「に、逃げて……逃げてフッキ……!」
その乙女心に、知識の神は呆れて顔を強張らせる。
「黙れジョカ、目を覚ませ! こいつは」
「分かっています! でも、でもフッキは我の……! 嫌です! 我も! せめて我も、フッキと共に捕まります!」
そう言って、ルイの方を振り向くジョカ。
しかし、
「気持ちは嬉しいが、やめておきなさいジョカ」
「……ふ、フッキ……うう……」
ルイが優しく呟いた言葉に、ジョカは地面へと泣き崩れた。
ルイは視線を上げ、再び知識の神へと語る。
「ではブラフマーよ。投獄される前に、一つだけ言わせて貰おうかな」
「弁明は聞かんぞ」
「言い訳などでは無い。きみ達への忠告だ」
「忠告だと?」
「ああ」
…………
ルイは言葉を紡ぎながら、同時に頭の中で今回の『失敗』を振り返っていた。
そもそも成功するとも思っていなかったのだが、それにしてもヨクモの霧は弱すぎた。
一番アテが外れたのは、『黒い霧を爆発させる助けになるだろう』と思っていたヨクモの神力だ。
助けになるどころか、霧と反発した挙句に負けて消えてしまった。
そこで起きたショックで、黒い霧自体の効力も大幅に弱まった。
どうやら神の力は、根本的に黒い霧の力との相性が悪いようだ。
別種の力がノイズになってしまうのも、当然と言えば当然なのかもしれない。
ルイはいつも『神力』と口には出しつつも、実際に意図して神力を使ったことはない。それより遥かに便利な、霧の力があるからだ。
そもそもルイの微弱な神力は、赤子像を彫った時から徐々に霧に喰われ続け、最初にテレパシーを発動した時点で消えてしまっていた。
そのせいで今までルイは、神力と霧の力が反発する事実に気付けなかったのだ。
神では駄目だ。
人だ。
人こそが重要なのだ。
今までルイは、一応人間達もチェックはしていたが、基本的に神々とその子孫の中から霧への適正者を探す気でいた。
しかし、それは誤りであった。
人間の中から探さねばなるまい。
それも今までのように、緑色に光る石を配って悠長に待っているだけでは駄目だ。
ヨクモのように、ルイ自らが候補者を育て上げる必要がある。
出来れば、ルイに似た体質や性質を持った者。
そしてルイは、ようやく決意出来た。
三万年前に息子が死んでから抱き続けていた、原始人らしからぬデリケートな行動原理を、捨て去る決意。
これからは、子孫を作る。
…………
その結論を、瞬きする間に導き出したルイ。
改めて、神々への『忠告』を口にする。
「いずれ神は、人に淘汰されるぞ」
そう言って、楽しそうに笑う。
知識の神もジョカも、ルイの真意を量り切れず、ただ茫然とするしかなかった。
「さあ、俺を投獄するのなら早くしたまえ。急がないと、逃げるかもしれんぞ? ふふふ……」
ルイは余裕の態度だ。
投獄と言っても、出口の無い洞窟に閉じ込め神力で蓋をする程度の罰。
実はルイには、今までずっと秘密にしていた事がある。
神々も、ジョカでさえも知らない秘密だ。
それは、『ルイ自身が霧に変身する』技の存在。
オーサの技としては初歩中の初歩なのだが、ここ一万年程、意図して使っていなかった。
勿論、ヨクモの特訓中も使っていなかったし、教えてもいなかった。
この霧の体で、いつ何時でも抜け出せるのだ。
だから
もっとも、明日どのような気になっているかは分からない。
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