129話 『兄妹とご先祖様』
「……知らない。知らないもん……そんなの、知らない」
リオが、絞り出すような声で呟いた。
自分の過去を教えられ、混乱している。
頭が地面に落ちたままだが、胴体はそれを拾おうともしなかった。
「リオ……あなたの憎しみの大部分は……人工的に、植え付けられた……もの。ってゆーか、正確には……元々あった、小さな憎悪を……肥大させられた……的な?」
「やめて……やめてよ! 黙って!」
莉羅のダメ押し説明に、リオの生首は黒い霧を吐き出しながら叫んだ。
何だか気の毒になったテルミは、莉羅の手を握り、
「これ以上は何も言わないであげましょう」
と囁く。
莉羅としても別に責めるつもりは無かったので、無言でコクリと頷き了承した。
しかし、リオの気は晴れない。
「嘘……違う……でも……ああ……何でよ……」
目を見開いたまま小声で呟き続ける頭。
それから少し離れて、自分の胸を掻きむしっている胴体。
呪いで植え付けられた憎しみ。しかしそれに支配されたまま、何億何兆年も宇宙を漂っていたのだ。
負の感情とはいえ、既に自分の心の中核となっている。
それが偽物であったとは、今更受け入れられない。
「……そもそも……いやでも……違う……魔王……魔王……?」
と前後不覚になっているリオを横目に、莉羅はテルミの顔を見上げた。
「この隙に、帰ろう……よ」
「……そうですね。時間が経てばリオさんも落ち着くでしょうし、ここはそっとして……」
どこまでも少女を気遣うテルミの言葉に、莉羅は「それは、そうだけど……そうじゃ、なくて……」と首を横に振った。
「リオの事、よりも……早く、逃げないと……そろそろ、来ちゃう……」
「そろそろ? 一体誰が……」
説明する暇も惜しいとばかりに、兄の手を引っ張る莉羅。
するとそこへ、
「まあ待ちたまえ、莉羅くん」
頭に直接響く、老人の声。
テルミはその声に聞き覚えがあった。
「今の声は……」
そう言いながら莉羅を見ると、いつもと同じ無表情ながらも、少しだけ焦るような顔になっている。
「……九蘭」
と莉羅が呟くと同時に、パチリという指を鳴らす音が聞こえた。
◇
気付くとテルミは、畳の上で布団に入っていた。
自宅自室の使い慣れた寝具では無い。
新品同様に白く清潔な布団。
慌てて上半身を起こし、辺りを確認する。
立派な和室。床の間に掛け軸や木像と言った美術品が多数。
その木像の前に、莉羅が立っていた。
「にーちゃん……」
「莉羅、無事でしたか!」
テルミは立ち上がり、莉羅に駆け寄り手を繋いだ。
莉羅も強く握り返し、そして兄の
「リオ達は、大魔王とやらに呪いをかけられていた……などという悲劇のお話だったかな、莉羅くん」
老人が莉羅に尋ねた。
テルミはハッとして後ろを振り返る。
そこに立っていたのは、着物姿で白髪の男。
「ルイさん!?」
「やあ輝実くん。目覚めは良いようだね」
祖父の友人。
テルミも良く知っている、ルイ老人だった。
「ルイさん、どうしてここに……」
尋ねるまでも無い。
この状況。このタイミング。そして先程のルイ老人の台詞。
分かり切っている事だ。
だがテルミは、尋ねずにはいられなかった。
対してルイ老人は、事も無げに返事をする。
「ここはわしの家だからね。申し訳ないが、部下に輝実くんを誘拐させここへ運ばせたのだよ」
あのクイズ忍者が部下。
となると当然、この老人も組織の一員という事になる。
百合が以前属していた、一族経営の暗殺組織。
「わしも実は『殺し屋さん』なのだよ。言ってなかったかな? 隠していたつもりは無いが……大地には話していたはずだがね」
「……そうですね。祖父から聞いていましたよ。まさか本当だとは思っていませんでしたけど……」
「だろうね。ああ、つまり百合もわしの部下で家族なのだがね。いつも輝実くんのお世話になっているようで、改めて礼を言っておこうかな」
小さく会釈し笑うルイ老人。
彼は裏社会で、九蘭
そしてテルミも莉羅も知らないが、真奥家の遠い先祖でもある。
「そうそう、話題を元に戻そうか。なあ莉羅くん」
ルイが莉羅に顔を向けた。
莉羅はテレポートでこの場から逃げようと何度も試みているのだが、失敗し続けている。
部屋の内外に霧のバリアが張られており、テレパシーが遮断され、姉や妖怪達から魔力妖力を借りる事が出来ないのだ。
ルイは莉羅の焦りを察しているのか、「無駄だよ」と言わんばかりに落ち着き払い、好々爺然とした顔になる。
「霧のドラゴンは、大魔王に恐怖を植え付けられていた……という話だったね」
「……うん……そう、だよ……」
「それは、『ドラゴンがテルミくんから逃げた事』と何の関係があるのかな?」
「…………」
わざとらしい質問に、莉羅が珍しく相手を睨み付けた。
この老人は、おおよその事情を察している。
その確認としての問い。
ここで莉羅が素直に答えても、答えなくても、たいした差は無い。
ルイ老人は理解している。
ドラゴンが逃げたのは、テルミに『大魔王の魔力』が染みついているから。
それはテルミ自身の魔力ではなく、あくまでも『別の誰かに付けられた、魔力の残り香』。
そしてその別の誰かとは、テルミの意識内にまで魔力を侵食させる程、親しい仲の者である。
例えば、恋人。
例えば、肉親。
「ルイ! ルイッ!」
三者緊迫している最中、リオの声が三人の意識に響き渡った。
リオは未だ気が動転している。本来ならルイ老人にだけ語りかければ良い所を、テルミと莉羅にも聞こえるように話す。
「こいつら皆、皆、みーんな溶かしちゃうよ! ルイ、手伝ってよ!」
「ふむ……テルミくんを、新しいグロリオサにするのでは無かったのかね?」
「もう良い! 殺して! 早く殺して!」
ヒステリックに騒ぐ少女。
ルイ老人は肩をすくめ、「まあドラゴンがあの調子では、テルミくんに霧の力を注ぐのは無理だろうがね」と呟いた。
一方テルミは『新しいグロリオサにする』という言葉を聞き、冷や汗をかいた。どうやらそれは回避できたようだが……
「でも、溶かされるのは勘弁して貰いたいですね」
「すまないね輝実くん。わしもそんな事はしたくないのだが……しかしスポンサーがお望みでね」
ルイ老人は白い髭を撫で、軽い溜息をついた。
テルミは莉羅を庇うようにし、老人と対峙する。
だが相手はプロの暗殺者。しかも強大な超能力を持っている。
どうポジティブに考えようとしても、悲観的な結論しか出ない。
ハッキリ言って、テルミがルイ老人に勝つ術は無い。
「莉羅。僕がルイさんに抵抗している隙に、なんとか逃げ出してください」
「にーちゃん……あ……」
テルミは莉羅と繋いでいた手を離した。
戸惑い、兄の手を追う莉羅。しかしテルミはそれを拒否する。
そんな決死の覚悟になる子孫を見て、ルイ老人は和やかに微笑んだ。
「ルイ、何してるの。早くあいつらを殺して!」
「まあ待ちなさいリオ」
ルイ老人はテルミに襲い掛かるどころか、腕を組み落ち着きはらっている。
「そうそう、気になっていたのだがね。先程莉羅くんが『早く逃げないと』と言っていたのは……」
そこでルイと莉羅は同時に、部屋入口の障子戸へ顔を向けた。
「桜くんが来て、大暴れするから……かな?」
「……ごめーさつ……」
障子戸が、周りの壁ごと木っ端微塵に吹き飛んだ。
「うおらああああああああっ!」
色々と破壊しながら部屋へ突入して来たのは、もちろん例のヒーロー。
ぴっちりとした黒いレザースーツ。黒い仮面。ところどころにあるピンクのラインが可愛いポイント。
キルシュリーパーことカラテガールこと、真奥桜である。
「姉さん!」
テルミは驚きと同時に安堵した。
こういう時に頼りになる、とにかく強い姉。
安心したら、何だか今更になって足が震えて来た。
「あたしが来たからには、テルちゃん誘拐事件解決編! 必ず助けてあげるわ、お爺ちゃんの名に三千円賭けて!」
「勝手に賭けられては、大地も良い迷惑であろう」
元気に現れたヒーローを見て、ルイ老人は楽しそうに笑った。
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