-129話 『霧の中の魔王』

 遥か昔。

 こことは違う宇宙。


「……ごめんなさい……ごめんなさい……」


 悠久の時を彷徨う毒霧。

 持ち主であるオーサが元の宇宙ごと滅んだ後も、その『力』だけは『世界』に残り、多くの宇宙を越え旅していた。


「怖いよ……」

「グローリーオーサ……」

「嫌だ……嫌だ……」

「助けて」

「グロリオサ」

「誰か助けて……」


 霧の中にあるのは、巻き込まれた人々の無念。寂しさ。悲しさ。

 そして、


「ごめんなさい……兄ちゃん、ごめんなさい……」


 後悔。


「ごめんなさい……兄ちゃん……皆……」


 何百億年、何千億年もの間、リオは自責の念に苛まれ続けた。

 兄への罪悪感。巻き込まれた人々への悔悟かいご


 彼女にとって唯一の救いは、未だに新たな『霧の力の宿り主』が見つかっていない事だろう。

 誰かに宿らないと霧の力は発動しない。

 つまり、これ以上の犠牲者を増やさずに済んでいる。

 霧の力自身は、宿主を探し続けているのだが。


「ごめん……ごめん……」


 今もまたリオは謝っている。

 永遠なる時の間、繰り返し続けてきた光景。


 ――しかし、いつまでも同じ日々は続かない。


 宇宙を漂う霧にも、ある時突如として変化が起きる。

 そのきっかけは実に単純。

 特別な者との出会い。




「どうして謝っているのだ?」




「……おじさん、誰?」

「吾輩は吾輩だ」


 実体を持たぬエネルギー体として、宇宙空間を漂っていた毒霧。

 その霧の意識へ、一人の男が侵入して来たのだ。



 宿主を持たぬ『力』は、当然目には見えない。音も、匂いも無い。

 五感、いや六感を駆使しても、感知する事は出来ない。概念のような存在。

 遥か昔の別宇宙に存在した冥夢神官や魅惑女帝、それにオーサのような強大過ぎる力を有した者達でさえも、『誰かに宿る前の力』に気付く事は出来ないだろう。


 だが、この男だけは知覚出来た。

 あまつさえ介入まで出来た。



「吾輩は大魔王」

「大魔王?」


 リオの残留思念に、疑問と恐怖と興味の念が湧いた。

 大魔王は筋骨隆々な太い腕を上げ、立派なあご髭をさする。


「貴様らは幽霊か? いや魂を感じない。ただの思念波動の残りカスか。これほど大量の思念が一か所に集まるのも珍しいが」


 そう言って大魔王は、リオの背後に広がる闇を見る。


「しかし驚いたぞ。この宇宙に、まだこのように偉大なる魔力があったとは……ふむ、その異形なひょろ長い化け物が本体か」


 そう言うやいなや、突如として黒い空間に黒い竜が現れた。


「グロロロロロ」


 竜は大魔王の魔力に触発され、獰猛に唸っている。


「ひっ……!」


 リオは竜に驚き、両手に持っていた生首を落としてしまった。どちゃりと肉のぶつかる音がし、血の代わりに黒い霧が立ち上る。

 少女だけでなく、辺りを彷徨う亡者達も悲鳴を上げ逃げ出す。

 彼らがこの黒竜を見るのは、以前住んでいた宇宙が滅んで――つまりオーサが完全に死んでしまって以来だ。

 久方ぶりに現れた、純然たる恐怖の対象。


 その巨大な化け物が大口を開け牙を剥き、大魔王に襲い掛かった。

 しかし、


「ガロロロロロ……!?」

「中々強い魔力では無いか。吾輩程では無いがな、ぐはははは!」


 大魔王が右腕を掲げると、竜の動きがぴたりと止まる。

 超能力で動きを固め、絞めつけていく。

 大魔王はその鋭い目で竜をまじまじと眺め、にやりと笑みを浮かべた。


「無のエネルギーか。思い出したぞ、この黒い力。あの『宇宙越えウサギ』が現れた時、奴隷人形が一瞬感知した力……つまり、別宇宙のエネルギー」


 そう言って大魔王は、竜の束縛を少しだけ解いた。

 竜は「ジュロロロロロ」と恐怖の声を上げ、じりじりと後ずさりし闇の世界へ逃げようとする。しかし超能力での束縛は未だ強く、少しずつしか移動できない。

 もがく竜の様子を見て、大魔王は嬉しそうに笑った。


「ぐはははは、凄いな。この程度手加減しただけで、もう動けるのか。貴様のような強い力と対峙するのは初めてだ」


 そう言いながらも竜を圧倒する大男。

 リオは言葉を失い、唖然として見ている。


 そして大魔王は右手を上げたまま目を閉じ、何やら思案し始めた。


「なるほど、貴様らを見て察するに……。肉体や魂が滅びようとも、強大な『力』だけは『世界』に残る。それは宇宙や時空を越える事が可能……理屈に合っていると言えば合っているし、理屈に合わないと言えば合わない。魂の別宇宙転移は例のウサギがやってのけていた。となると単純な魔力の枠組のみが転移するのは、比較的容易いのかもしれぬが……」


 力は宇宙を越える。

 数多の宇宙を包括するこの世界の中で、今まで誰も気付かなかった真理。

 この法則に、大魔王が気付いてしまった。


 いや、誰もが気付かなかったと述べると嘘になる。

 正確に言うと、真理それに気付いたのは大魔王が二人目。

 とはいえ一人目は、この世界から少しだけ外れた亜空間に住んでいるのだが……


キミ・・は当然知っているのだろう、観測者みるものよ? 大魔王を越える、超魔王なのだから」


 大魔王からそう問われた存在は、何も言わずにただ彼らを覗き続けた。

 何かを言おうにも、喋る口も伝える手段も無い。


「まあ良い。それよりも吾輩は暇なのだ、ぐはははは! 退屈しのぎに、とりあえず最初の質問に答えて貰おうか。子供よ、どうして謝っていた?」

「あ、あたしは……」


 大男の興味が再び自分に戻り、リオは恐怖でしどろもどろになる。

 そして大魔王は右手を竜に向けたまま、左手で地面に落ちている少女の頭を拾い上げた。


「え……あれ……?」


 リオは驚いた。

 生身の者から触れられるのは、これが初めて。

 あり得ない現象だ。


 以前、生まれ育った宇宙を溶かし尽くしていた最中。まだオーサが生きており、エネルギーとしての実体があった頃。とある惑星に住む少年が、霧の中に意識介入して来た事がある。

 その時は、リオは少年に触れる事が出来なかったし、少年もリオに触れることは叶わなかった。

 少年だけでなく、特殊な力を持つ動物や鉱物が介入して来た時もある。

 しかしそれら全て、触れずにすり抜けた。


 外から来た者だけでなく、亡者同士でもそうだ。

 触れ合おうとしても、ただお互いをすり抜けるのみ。


 だがこの大魔王と名乗る男は、今こうやってリオに触れている。

 リオの残留思念はギュッと固くまぶたを閉じた。言いようの無い不安が襲い掛かる。


「ほう、なるほどな」


 そして大魔王は、触れただけで全てを察した。

 オーサとリオの生涯。霧発動のきっかけ。宇宙の滅亡。

 そして巻き込まれた者達、ひとりひとりの全ての人生。


「貴様のせいで、兄はエネルギーを拡散放出してしまったという訳か」

「……っ! ご、ごめんなさい……」

「どうして謝る?」

「……だって、あたしのせいで……」


 改めて罪状を述べられリオは委縮し、目から黒い霧の涙を流した。

 大魔王は笑い、少女の生首を胴体の上に乗せる。

 リオは慌てて頭を押え、再度落ちないように支えた。


 その様子を楽しそうに見ながら、大魔王は喋り続ける。


「オーサの妹だからだろうか。貴様はこの『霧』の中枢では無いにしろ、亡者達の中で一番発言力を持っているようだ。と言っても、一パーセントにも満たない勢威だが」

「あ、あたしは……」

「これほどの力の中心にいるのだ。後悔に苛まれる必要は無い。もっと堂々としていたまえ! ぐははははは!」


 大魔王は、怯えるリオの顔を左手で指差す。


「とは言え、そう簡単に割り切れるものでもあるまい。どれ、吾輩が貴様を……いや、貴様達全員を助けて進ぜよう」

「助ける……? それは…………あ、が……うあ……」



「グロロロロロロォォォォォッッ!」



 竜が苦痛の叫びを上げた。

 そしてリオも両手を痙攣させ、首を再び地面に落とした。


「こうすれば、罪悪感など無くなるだろう?」

「あ……ああ……」


 霧の中にいる亡者達、全てに異変が起きた。


「怖い……助けて……」

「グロリオサ……」

「どうして僕だけ……こんなに苦しいの……」

「何で私だけ……辛いの……」

「グロリオサ」

「皆は……どうして苦しんでないの……」

「憎い……」

「この苦しみを……誰か理解してよ……」



「兄ちゃんのせいで……兄ちゃんのせいで……もっと、皆……苦しめばいいのに……この苦しみを知ってよ……」



 リオの傷から、大量の霧が湧きだす。

 暗黒の空間が、更に黒く染まった。


「苦しめばいいのに……皆も苦しめばいいのに……あたし達の仲間になって……」

「ぐははははは! そう、その意気だ!」


 豹変したリオ達を見て、大魔王は満足そうに頷いた。


「負い目から解放されるには、憎悪を募らせるのが一番だ。吾輩の魔力で、貴様達の憎しみを増幅させてやった」


 そして大魔王は次に、リオ達から今回の『大魔王と出会った記憶』を消し去った。

 どうして憎しみを抱くようになったのか、というきっかけを忘れさせた方が都合良しと考えたのだ。

 ただ黒い竜はそもそもが好戦的であったため、そのままにしておいた。


「では、さらばだ」


 大魔王はグロリオサの意識世界から去った。

 超能力の束縛が解け、黒竜は慌てて逃げ出す。


 そして毒霧は再び新たな宿主を求め、別宇宙へと去って行った。

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