74話 『姉はヒーローだから』
「あ、熱いの! 熱いの! 熱い熱い熱い熱いのおお!」
タンクローリーの爆発、雲に届きそうな程に立ち上がる火柱。そしてその炎に包まれるチョコレートガール。
彼女はどうにか火を揉み消そうと巨大チョコレートに変身する……が、それは判断ミス。逆効果だった。熱で炙られる表面積が増え、体の損傷が加速するばかり。
足や手がドロドロに溶け、焦げ付き、身動きが取れない。
まさにカサバの予想通り。
彼女の能力は、熱に弱かった。
熱気で顔が照らされる。チョコ化していても髪が燃える。目を開けていられない。
「燃えるの……の……駄目なの……燃えちゃ駄目なの……チョコちゃんの、可愛い顔……可愛くなくなる……駄目なの……駄目……嫌なの、ママ……チョコちゃんは可愛いの……だからママ、ぶたないで……お迎えに来て欲しいの……ママ……」
上半身の巨大化を解き、足のチョコレートで顔を覆い、首から上を守った。
密閉し髪の炎を消す。その後はとにかく顔の皮膚を保護。
顔を防御するチョコレートがどんどん溶け、焦げ付き、自分のもので無くなっていく。
「嫌なの……燃えたくないの……可愛くない顔は駄目なの……駄目なの……」
足から生成されたチョコレートが、燃え尽きてしまった。
他部位も顔の防御に回す。次は腰。腹。あばら。
それと同時に、炎の外へと向かって左腕で這いずる。
その左腕も燃えないようにチョコレートで表面を保護。ますます下半身が無くなっていく。
そして、なんとか心臓が無事な内に、火炎渦から脱出する事が出来た。
「水……なの……水……」
チョコレートガールは炎から逃れた後も、左腕の力だけで海を目指し進んだ。
上半身を覆うチョコレートを解除したが、もう腹から下が無い。
彼女に残っているのは頭と左腕、そしてその二つを繋ぐ、右半分が欠けた胸。
傷口からおびただしい血が流れ、チョコレートガールが這った後に真っ赤なラインが描かれる。
重度の火傷を負った顔が、苦痛に歪んでいる。
右肺が欠損したため呼吸が荒い。息をするたびに吐血する。
普通ならとっくに死んでいる怪我。
だがチョコレートガールは、生きている。
「ユーは
のんびり近づいてきたカサバ・コナーが、バイクから降りてそう言った。
用心のため、五十メートル程の距離を取っている。
「…………殺すの」
チョコレートガールはカサバの顔を初めて見たが、この男が『自分をこんな目に遭わせた張本人』であると即座に理解した。
血混じりのおぼつかない息で、恨みをぶつける。
「殺すの……殺……ゴひュっ……殺す……の……の……!」
「WOW。元気イッパイだネ、その意気ダヨ!」
チョコレートガールの生命力の強さ。それは『ルート』本来の効能である。
人工超能力者達は、自分自身の生命力を高めているのだ。
特にこのチョコレートガールは、その傾向が強かった。
しかし驚異的な生命力も、身体中ほとんどの血を失った今となっては気休めに過ぎない。
「どうして……こんなイヂワルするの……!」
「ソーリー、えー……あ、ソウソウ『ゴメンナサイ』。ヒトが嫌がる事をしちゃダメだヨネ」
鬼の形相をするチョコレートガール。
その視線を浴びるカサバは、敵の動向を警戒しつつも余裕のある表情であった。
「駄目なの……イヂワルは駄目なの……の! 可愛いチョコちゃんに……イヂワルしちゃ駄目なの……! それが常識……常識なの……!」
「だヨネー」
「チョコちゃんは可愛いの……可愛いチョコちゃんならイヂワルされないの……ママは叩かないの……それが常識……可愛いからイヂワルしないの……常識……ママも……可愛いとイヂワルしないのに……どうして……どうして……」
死にそうな呼吸を押して、ぶつぶつと呟き続けるチョコレートガール。
目は真っ赤に充血しており、まるで炎が乗り移ってしまったかのようだ。
その狂っているようにも見える様子を見てカサバは、
「ナルホド。カワイソーだネェ……」
少女の生まれ育った環境について、おおよそ察したのであった。
「ユーはきっと、ママから虐待されてたか、もしくは偏執的な思想を押し付けるような教育をされたんダネ。それがトラウマになって、あんな無意味に大勢の人を殺して回ったンダ……」
「え……?」
冷静に過去と心理を分析され、チョコレートガールは虚を突かれたように一寸黙る。
「……え? え? え? ぎゃ、ぎゃくたい……?」
思いもしなかった言葉。
いや、今までもソーシャルワーカーや弁護士などから、暗にそう言われていた。
だがチョコレートガール自身は、そのような考えを微塵も持ち合わせていないのだ。
「違うの……! 違うの……違うの! ママは悪くないの悪くないの……チョコちゃんにチョコちゃんって可愛いあだ名も付けてくれたの。チョコちゃんを愛してたの。だからママが叩くのはチョコちゃんが悪いの。それが常識なの。ママは悪くないの常識なの。チョコちゃんが悪いの。でもチョコちゃんは可愛いからもう悪くないの。それも常識。ママは悪くないの。悪くないの。チョコちゃんも悪くないのでもチョコちゃんが悪いのママ」
「ヘイ、リラックス」
カサバは優しい表情で落ち着かせるように言った。
距離を保つのは忘れていないが。
「デモ、ボクとは正反対ダネ。ボクはパパとママにとても愛されテタ。一緒に遊んダリ、勉強を見て貰っタリ。お手伝いなんかも進んでやってサ。休日は友人達とのバーベキュー。そんな家庭デ、親子お互いに尊敬し合える関係を築きながら育ったんダヨ」
「ママ……ぱ、パパ……」
カサバの言葉を聞き、チョコレートガールは不安気な表情を見せた。
両親……それは彼女がずっと欲しかったものの一つ。
彼女は、母親から「父親が出て行ったのはお前のせいだ」と何度も何度も言われながら育った。
カサバは昔を思い出すように腕を組み、言葉を続ける。
「ある日パパとママが仕事でジャパンに行ってネ。気に入ったカラそのまま移住したい、ナンテ言い出しテサ。愛する二人のため、ボクも傭兵をやめてここジャパンに移り住んだんダヨ」
この突然の身の上話は、チョコレートガールを動揺させるためである。
だが全て実話。
彼は、彼自身が『崇高で綺麗な想い出』として心に秘めている、両親との記憶をそのまま語っているのである。
「ボクもこの国を気にイッテネ。言葉も覚えたシ、文化も学んだヨ。でも問題はお仕事。ボクの性に合うようなジョブを探している内に、ジャパニーズマフィア、ヤクザの仕事に関わって、ズルズルと裏家業に浸ってサ。結構有名な便利屋さんになったんダケド……そのせいである日、ボクの大切な両親が人質になったんダヨ」
いつしかチョコレートガールは、カサバの話を真剣に聞いていた。
自分と同じ裏の人間……しかし自分と違って家族に恵まれているらしい、この男。
「もちろんパパもママも、ボクがすぐに助け出したヨ。二人は『知らない男達に襲われ、拉致された』と、とても怖がっていタ……可哀想にネ。ボクは謝ったンダ。こんな目に遭わせてしまってゴメンナサイ。もう大丈夫だからネ」
当時のカサバは心の奥底から申し訳なさを痛感し、泣いて謝った。
「ボクが両親を絶対に守る。そう心に誓ったノサ」
「そうなの……なの……チョコちゃんも、ママを守りたくて……」
そしてカサバは、
「そしてボクは、パパの首をねじ切って、ママの背骨をへし折って、二人を殺してあげたンダ」
「…………え? え?」
チョコレートガールは、カサバの言った意味が分からなかった。
喉に絡む血を吐いて、尋ねる。
「ぱ……パパとママが邪魔になったから、殺したの……?」
「え? なんで? 違うヨ。愛するパパとママを守るためダヨ」
それは『死ねば苦しみや不安から解放される』と言った思想では無い。
「だって二人は、『見ず知らずの男達に殺される』って危険に怯えてたんダヨ。そのせいで心の平穏が無かったんダ。だから『ボクが殺した』ノサ。分かるダロ?」
「わ……分からない……の……」
「うーん、簡単な事なんだけどナア。僕が殺せば、他の殺し屋に殺される心配は無くなるダロ? Do you understand?」
カサバはあくまでも『見ず知らずの男達』が重要な点だと考えたのだ。
それさえクリアしてしまえば、どんな方法を取ろうが、例え死んでしまおうが、両親はすっかり安心出来る。
両親が『見ず知らずの男達』から絶対に襲われないようにする。そう決めて、それを完璧にやり遂げたのである。
カサバは一度決心した事を、最後までやり遂げないと気が済まない。
「分からないの……分からない……の……」
「どうやらユーは、人の心を理解出来ないみたいダネ。サイコパスってヤツだヨ。でも育った環境が悪いンダ。ユーは悪くないヨ!」
自分を差し置いて笑うカサバ。当人としては、差し置いているつもりは微塵もないのだが。
チョコレートガールは自分以外の狂気――それも環境で歪んだ等ではない、生まれつきの純粋な狂気――に初めて触れ、表情に弱気が宿った。
「マア、ボクの事はこれくらいにしようネ」
カサバはニコリと笑い、相変わらず距離を置いたままチョコレートガールに向かって顎をしゃくる。
「ユーの超能力は、他の
チョコレートガールは妖怪や怪物などでは無い純粋な人間だが、突発的な生来の超能力者である。
超能力と言っても、体内に溜まっているエネルギー(桜が言う所の魔力)が人よりも少し強いという程度。
それが『ルート』と掛け合わさり、巨大チョコレート人間の能力を得たのである。
「サテ、そんなユーの今後だけどサ」
ここでカサバは、
先程までずっと距離を保っていたのだが、敵が弱っている今ならチャンス。
多少リスクを冒してでも、カサバには確かめておきたい事があるのだ。
「ボクはユーを、ギリギリ死なないけどチョコレート化はもう出来ないってくらいに痛めつけるヨ。そして意識が朦朧としている中、橋の下のホームレス達にプレゼントしようカナ。ボランティアってワケだネ」
そう言って笑顔を崩さず、少女に近づくカサバ・コナー。
チョコレートガールは恐怖で引きつる。
「えっ……? な、なんなの……プレゼントって……」
「きっとみんな喜ぶヨ! ユーは自分で言ってたように、可愛い顔ダカラ! 下半身と片方の
カサバは、本当にホームレスへ引き渡そうと思っているわけではない。
やったとしても、何の利益も生まないからだ。
これは敵を怯えさせ、逆上させるための話術。
ただ、今はそのつもりが無くとも……カサバの性格上、一度口にした言葉はどうしても実行したくなってしまうのだが。
「や……ヤなの……嫌なの……やめてなの……」
「右手とお腹にも大きな穴があるネ。他ニ新しく作ってもGood」
「やめ……やめろなのおおお!」
チョコレートガールの残っている上半身が、チョコレートの巨人へと姿を変えた。
それを見たカサバは、用意していた耳栓と鼻栓、ゴーグルを急いで装着する。
体内への侵入防止策だ。肛門も事前にダクトテープで塞いである。
「WOW! 気に障ったカイ?」
襲い掛かる、下半身と片手が無い巨人。
カサバはそれを、嬉しそうな顔で迎える。
「ソーリー。グロリオサ対策のテストに使わせて貰うヨ」
というカサバの呟きを聞き、遠い海の上で様子を伺っていた桜の眉がピクリと動いた。
「へー、なるほど。同じ『固体じゃなくなる能力』相手に、修行ってわけね」
脱獄犯のカサバがこれから裏社会へ戻る上で、どうしても対面してしまう脅威が二つある。
一つはカラテガール、もといキルシュリーパー。
これは完全に無視して逃げた方が良いだろう。
カラテガールを倒せ、なんて無茶な依頼も多く来るだろうが、「無理ダヨ」と全て突っぱねる。
別のもう一つは、毒霧暗殺集団グロリオサ。
商売敵となる彼らとの戦いも、今後起こり得る。
カサバは、カラテガールと違いグロリオサならば、自分は充分対抗出来るはずだと考えていた。
気体と液体で違うが、少なくとも固体では無いチョコレートガールを実験台にし、準備を整えたい。
この新しく得た超能力が、裏世界でどれほど通用するのか……
カサバの能力は、『振動』。
「本当に小さな小さなパワー。大地震どころかスマホのバイブレベル……デモ、こうやって」
そこまで言って、カサバは口をつぐんだ。
チョコレートが口を通じて体内に侵入する事を警戒したのだ。
体にまとわりついてきた巨人の左腕……それを構成しているチョコレートに、指で触れる。
小さな振動を数種類、断続的かつ波状的に発生させ、振動の波が物質のある一部分で集中して混じり合うようにする。
そうすると範囲こそ狭いが、強力な振動による破壊エネルギーを引き起こすことが可能となる。
それを利用すれば、ビルの支柱を砕いて床を抜く事も出来る。
心臓や脳に深刻なダメージを与える事も出来る。
金属の亀裂を大きくする事も出来る。
そして今やっているように、巨人の首を発熱させ『脊髄を燃やし潰す』事も出来る。
「あ……あ……あぅ……なん、なの……」
チョコレートガールには、叫ぶ元気も残っていなかった。
巨人が大きく震えて縮み、少女の姿に戻り、地面へ倒れる。
顔の筋肉以外が動いていない。
「オーゥ……
カサバはチョコレートガールを、冷たい目で見下ろした。
「あぅ……ぅぅぁ……うぅぅぅ……」
チョコレートガール――黒井千代は、悟った。
文字通り手も足も出せないまま、浮浪者達に強姦され、そして死を迎える……そんな、すぐ先の未来。
「……あーあなの……カラテガールの……素顔……見てみたかった……の……」
「へーソウナんダ。ボクは見たくないナ」
「……ママ……ごめんなのママ……」
少女の瞳に、涙が溢れてくる。
「嫌なの……死にたくないの……死にたくないの……誰か……」
「人は誰でもいつか死ぬんダヨ。死を恐れる事には意味が無い、ってインドの偉い
「誰か……」
「…………誰か、助けてなの……」
その直後。突然砂埃が舞う。
一人の女性が空から降って来て、カサバ・コナーと黒井千代の間に立った。
「はぁぁ~。ったく、しょうがないわねー」
その女性はフルフェイスのヒーローマスクを被り、スタイルが強調される黒いライダースーツを着こなしている。
ファスナーラインのピンクが可愛さポイント。
「……カラテガール。どうしてチョコレートガールを庇うんダイ?」
「誰か助けて~ん、なーんて頼まれちゃったからね」
降臨したのは、カラテガール改めキルシュリーパーの名を持つ女。
彼女は……
「だってあたしは、ヒーローなのよ」
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