59話 『姉と弟の汗だく熱帯夜』

「……スターダスト、何……りら、知らない……よ」

「莉羅ちゃんも知らないの? じゃあチョコレートはお預けね」

「ええー……しょっく……」

「うそうそ、あげるわよ。はいあーん」

「あーん……くふふ」


 ベッドの上に腰掛けている莉羅りらの口へ、桜が小さなチョコレートを一つ入れた。幸せそうに頬張る莉羅。


「それにしても、あの火男やひや女は何だったのかな?」


 桜は床に寝転がり、天井を見ながら呟いた。


 ここは莉羅の部屋。

 桜は先程出会った『膝から火を吹く男』と『冷気のビームを出す女』、そして星の力云々の『星屑英雄スターダスト・ヒーローズ』。この三点について、莉羅に尋ねたのだ。

 そしてその答えは「知らない」。


「……話を聞く、限り……火や、冷気を出す程度……大したことは、無いよ……その冷女は、赤鬼さんにも、勝てなかった……んでしょ……?」


 そう言って莉羅はチョコレートを飲み込んだ。

 つまりは莉羅や桜、柊木いずな達が持っているような、遥か昔の別宇宙に存在していた強大な力……では無い。という意味だ。

 持ち主が死んだら一緒に消えるし、当然宇宙や次元を越えたりも出来ない。その程度の力。


「……地球産の、力かも……それなら、りらは……っていうか、ライアクは……知らない、もん」

「ふーん、地球産ねえ。妖怪達みたいに?」


 そう言えば、莉羅には伝え忘れていたが、あの冷気女は「星に選ばれて力を授かった」とかなんとか言ってたような気もする。

 星というのは、たぶん地球だろう。


「でもまあどうでもいっか。あいつら弱かったし、深く追求する必要はないわね」

「そう……かも、ね……ふああ……」


 話が終わったところで、莉羅が大きなあくびをした。

 小学生はそろそろ寝る時間なのである。


「莉羅ちゃん、チョコ食べたから歯磨きして寝なさいね」

「う、ん……ふあ……」


 莉羅は眠気を堪え、よろよろと立ち上った。


「まあ莉羅ちゃん、すっごく疲れてるみたいね」

「……うん……今日は……チャカ子ちゃんの、散歩に……付き合って……三時間くらい、歩いて……」

「チャカって誰だっけ。莉羅ちゃんの新しいお友達?」

「うん……んんん……」


 莉羅はむにゃむにゃ呟き、とぼとぼと洗面所へ向かっていった。

 妹の後姿を見て、桜は呟く。


「あの様子じゃ、莉羅ちゃん今夜はぐっすり眠っちゃいそうね……ぐっすり朝まで、起きる事無く……うふふ」




 ◇




「暑い……」


 深夜。

 体の火照りに耐え切れず、テルミは目が覚めた。

 と言っても、思考はまだ半分夢の中。


 左向きに寝ていたようだ。

 ぼんやりしたまま目を開けるが、部屋の中は真っ暗で、枕さえも見えない。


 テルミは寝返りを打とうとして……打てなかった。


 左腕が重い。動かせない。

 胴体も、まるで誰かに掴まれているかのように動かない。

 どうしたことか。これが金縛りという現象か。


 いや、だが全身動かないわけでは無い。どうやら右手だけは難から逃れているようだ。

 こういう場合、手足の一本だけ動かせるようなものなのだろうか。

 テルミは金縛り初体験だったので、そのあたりを判断する事は出来なかった。


 とりあえず排熱のため、腰の辺りにかかっている布団をずらそう。

 テルミは右腕を、自身の下半身へと移動させようとし……



 むにっ。



 と、何かを掴んだ。

 腰の前に、柔らかいものが置かれている。

 寝ぼけた頭で考える。これは一体なんだ。


 そこでようやく気付いたが、そう言えばずっと体の前面に『柔らかい何か』が密着している。

 腰から腹にかけて、そして胸の辺りの圧が特に強い。

 というかそもそも起きた時に、その何かを抱き枕にしていたような気がする。


 テルミは指を動かしてみた。吸い付くような弾力を、手の平に感じる。

 更に指と、ついでに手首も動かす。

 すると中指が、もっと柔らかい場所につぷっと挟まれ……


「あっ……ん……」


 艶めかしい溜息が、テルミの唇に吹きかかった。


「やぁん……もう、テルちゃん急に……えっちなんだから」

「……姉さん!?」


 テルミは一気に頭が覚めた。


 瞳が暗闇に慣れる。

 すぐ目の前には、見慣れていてもドキリとする程に整った顔があった。

 わざとらしい嬌声を上げた人物は、実姉の桜だったのである。


 桜はテルミに抱きついている。そしてテルミの左腕は、桜の腰に敷かれていた。これが金縛りの原因だ。


「一体何をして」

「静かにテルちゃん。ふふっ」


 桜はテルミの口に手を当て、妖艶に微笑む。


「それにしてもテルちゃんったら。いつもあたしがお尻揉んでるからって、そのお返ししてるのかな~?」

「えっ……あっ、すみません姉さん」


 テルミは桜の言葉で状況に気付き、右手を離した。

 触っていたのは、桜の下半身だったのだ。

 ふわりとしていて、きめ細かく、汗で少々湿り気があり……


「……姉さん、また服を着ていませんね?」


 桜は全裸であった。


「うん。テルちゃんもだよ?」


 テルミも脱がされていた。


「……怒らないので、どいてください」

「え~嘘だ~。絶対怒るんだもの」

「そう思うのなら、最初からやらないでください」


 顔と顔が触れ合いそうな距離で、裸のまま抱きつき会話している姉弟。

 官能的な光景であるが、少なくとも弟にそんな気は無いのであしからず。


「この暑さは、姉さんのせいでしたか」

「季節のせいよ。ほら、こんなに濡れちゃってるよ。ふふっ……」

「確かにシーツがビショビショですね。姉さんがくっ付くから、汗まみれになったんですよ」


 テルミは左腕を桜の腰から引き抜き、やっと起き上がり、明かりを点けた。

 桜は「きゃあん!」と嬉しそうに叫び、毛布で肌を隠す……ような素振をしつつ、あまり隠していない。


「姉さん。服を着て自分の部屋にお戻り下さい」

「ヤダ!」

「お帰り下さい」

「お願いテルちゃん。寂しいの……」


 桜は急にしおらしい台詞を口にして、テルミの胸に飛び込んだ。

 これは作戦だ。弱弱しい態度を見せれば、母性の化身である弟は……


「姉さん、何か辛い事でもあったのですか?」


 と、こうなる。

 テルミは桜の背中を軽く撫で、あやすように「僕で良ければ相談に乗ります」と言った。


「あのね、テルちゃん……」

「はい」

「添い寝してぁ~。添い寝、添い寝~!」


 桜は更に態度を一転させ、小さな子供のように懇願した。テルミの胸に頬ずりをする。


「……服を着るのなら、良いですよ」


 弱っている子に甘えられると、テルミはなんでも許してしまうのだ。

 桜は弟の弱点を知り尽くしているのである。


「やったあ。じゃあ一緒にベッドインしよっ!」

「その言い方はやめてください」


 とにもかくにも。

 これで堂々と、二人で寝ることが出来る。


 ……はずだったのだが。


「あっ。隙あり」

「……っ!?」


 桜はテルミの首筋に口づけした。同時に体をねっとりと撫でた。

 我慢出来なかったのだ。仕方がなかったのだ。



 そして結局、部屋から追い出された。




 ◇




 そんな色々な意味での熱帯夜から、時は前後する。

 テルミ達の学校が夏休みに入る、数日前。


 都内。繁華街に近い大きな駅。


「腹減ったなあ。でも金ないなあ」


 ベンチに座り、元気無く呟く一人の中年男性がいた。

 ぼさぼさの髪に、ぼろぼろの服。一見するとホームレスだが、住所にしている部屋はある。

 が、家賃を滞納しているため、そろそろ追い出される。ホームレスに内定しているようなものだ。


「やれやれ。気が乗らないが、またスリでもやるか」


 気が乗らないと言うのはスリに罪悪感を持っているからでは無い。ただただ、動くのが億劫なだけだ。


 男は有名国立大学を出たのにも関わらず、定職に就くことはなく、ブラブラとその日暮らしを続けていた。

 手先が悪い方向にばかり器用で、貧窮するとスリや万引きで凌ぐ。

 暴力こそ振るわないが、はっきり言って人間として最低の部類である。


「よっと」


 男は立ち上がり、ターゲットを定めるべく構内を見回したが、


「……あれ。なんだこれ……うん?」


 急に首を傾げた。

 傍から見ていると、何が起こったわけでも無い。

 本人にしか分からぬ、妙な違和感。


「ふむ……」


 男の視線先には、スマホ片手にゲームをしながら歩いている、大学生らしき女性の姿。

 別に「歩きスマホは危険だぞ」と注意したいわけではない。

 ただ、あの女性が……


「やあ、久しぶり。元気だったかい?」


 男は女性の背後から近づき、適当に話しかけながら肩に手を置いた。

 本当は久しぶりどころか、今日初めて顔を見たのだが。


 ――窓の外に、昼間でもうっすらと見えるような、明るい流星が落ちた。


 女性は振り向き、知らない小汚い男の姿を見て、怪訝な顔になる。


「誰ですか」

「おっと、これは申し訳ない。人違いでした」


 男はそそくさと退散する。

 女性は再びスマホに目を落とし、歩行を再開した。


「さて」


 男は少し離れた場所で、女性の様子を見ていた。

 すると、


「わあああっ!? な、何、なんで、ええええ!?」


 女性の悲鳴。スマホが落ち、床に叩きつけられる音。

 そして周囲のどよめき。


「誰か降ろして! 降ろしてよお!」


 女子大生は宙に浮いていた。

 天井から皆を見下ろし、助けを求めているのであった。




 ◇




「うん。どうやら間違いない」


 男はアパート自室に寝そべって、頭の中で現状を整理した。


 女子大生が飛んだ後も、何人かに試してみた。

 なんとなくピンと来た人間がいれば、話しかけ、服の上からでも良いので体の一部に触れる。

 するとその人間は、超能力を得る。


 ある者は怪力になり、ある者は足から火を吹き、ある者は口から強酸を吐いた。


「つまりは、『人をにする』ってわけだなあ。言葉にすると少しややこしいが」


 どうしてこんな能力を使えるようになったのか。きっかけは分からない。

 何故か急に、『他人の超能力を目覚めさせる』方法が分かったのだ。そうとしか言いようがない。


 だがそれよりも、今の男にとって重要な点はただ一つ。


「ふうむ。この力を、どうにか金儲けに使えないモノかなあ」


 不思議な現象を嘆いたり喜んだりするよりも、まずは生活していく事の方が大切なのである。


「とりあえずアイツに電話してみるか」


 アイツとは、彼の学生時代の友人だ。

 企画広告系のベンチャー企業を立ち上げ、十年も経たぬ内に、業界内で名が通る程に成長させた。

 やり手の若社長である。


 男は再び外出し、すれ違った男性のポケットから携帯電話をスった。

 都合良く画面ロックは掛かっていない。

 ばれる前に、さっそく友人へ電話をかける。


「はい」


 電話に出た友人は、名乗りさえしなかった。

 知らない番号なので警戒しているのだろう。


「よお、俺だよ根元だ」

「なんだお前か。金なら貸さんぞ」

「いや、今日はその件じゃないんだよ」


 男――根元は、挨拶もそこそこに早速本題へと移る。


「金儲け出来そうな話があるんだよ。だけどな、どうも俺はそういうのに疎くて。そこでお前に相談したい」

「何っ、金儲けだと?」

「とりあえず会って話を聞いてくれるか。この電話は盗品だから、長くは使えんのだ」

「お前とは付き合いも長いし、会うのは構わんが……宗教の勧誘とかじゃないよな?」


 この後、根元とその友人は、超能力ビジネスを始める事になる。


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