91 なすすべもなく憎んだものになる「よるのふくらみ」。
前回が90回でした。
去年の五月からはじめて、毎週水曜日の18時に更新を一年以上をしてきたんだと思うと日常になったなぁと感じます。
実際の文章のプロの人たちからすれば、お粗末なクオリティではある訳ですし、考えが足りない部分や見当違いな部分も多々あることは分かります。
僕自身、最初の方のエッセイを読むと下手すぎて頭を抱えたくなります。
おそらく、更に一年後にこの文章を読んでも同様に、頭を抱えたくなるのでしょう。
それはそれで、文章のクオリティが上がっている、ということで無理矢理に納得しておきます。
なので「オムレツを作るためにはまず卵を割らなくてはならない。」は100で終わらせようと思います。
今回のものを含めて、あと10回ですね。
よろしくお願い致します(どうせ、また新しいエッセイは書き始めると思いますが)。
今回は前々回に書いていた、読んだ小説の話です。
ちなみに僕は女性作家の感性に嫉妬しているタイプの人間です。
小説を読む時に男性、女性という分け方が正しいのか疑問の余地はあります。
ただ、どうしても男性作家だから書けること、女性作家だから書けることはあるようです。
その中でも男女の恋愛や人間関係を書くのは「女性作家」が非常に上手いように感じます。
山田詠美の小説を読んだ友人が、
「男の感情をここまで上手く表現されたら、何を書けば良いか分からなくなるよ」
と言っていたことがあります。
その言葉に僕は頷いていましたが、今は少し違う気持ちを抱きます。
男性の弱さの根幹は、自分の弱さに気付かないことに基づきます(杉田俊介)。
僕たち(と、あえて書きますが)は、自分の弱さや情けなさから目を背ける技術に長けています。
言い換えれば、僕たちはあるがままの自分と向き合うことができません。
向き合うとしても分かり易く、周囲や世間的に理解しやすい言葉に嵌め込んで、自らの問題を簡略化しようとします。
僕たちは自分自身を語る言葉をあまりにも持ち合わせていません。
これはあくまで僕の感覚ではありますが、自分のことが結局一番分からないと無知蒙昧に語って悦に浸っているようなところが、僕たちにはあるように思います。
そして、そんな僕たちを女性作家は冷静な目で観察し、物語に組み込んでくれています。
僕たちが見ようとしなかった無知蒙昧な姿が、そのまま描かれているんです。
数百年後、2010年代の男性の生態を研究する人間が現れた時、参考資料として参照され、重要視されるのは男性が書かれたものよりも、女性が書いたものでしょう。
最近はそんなことを考えながら、女性作家の小説を読んでいます。
さて、少々長くなりますたが、今回は第8回R-18文学賞の大賞を取った窪美澄の「よるのふくらみ」という小説についてです。
よるのふくらみにも自分の弱さに気付かない男性が登場します。
まずは、あらすじから書きます。
――同じ商店街で幼なじみとして育ったみひろと、圭祐、裕太の兄弟。圭祐と同棲しているみひろは、長い間セックスがないことに悩み、そんな自分に嫌悪感を抱いていた。
みひろに惹かれている弟の裕太は、二人がうまくいっていないことに感づいていたが――。
抑えきれない衝動、忘れられない記憶、断ち切れない恋情。
交錯する三人の想いと、熱を孕んだ欲望とが溶け合う、究極の恋愛小説。
この物語は商店街でなければなりませんでした。
古く、閉鎖的な世界だからこそ、一人の男の子は自らの言葉を奪われていったように思えてなりません。
しかし、この物語の主人公はあくまで女性の、みひろです。
小説は六章に分けられています。
タイトルを抜粋します。
なすすべもない(みひろ)
平熱セ氏三十六度二分(裕太)
星影さやかな(圭祐)
よるのふくらみ(みひろ)
真夏日の薄荷糖(裕太)
瞬きせよ銀星(圭祐)
タイトルの下にあります()は僕が勝手に書きました。
にしても、良いタイトルだなぁ。
本編を読んだ後だと、また味わいが変わってきて面白いです。
視点人物はあらすじに出てきた三名です。
最初の「なすすべもない」は何に対してのことか、一読すればすぐに分かります。
――私という人間は悲しくなるほど健康で野蛮だ。昔、誰かが女の人のことを「子どもを産む機械」と言って非難されたけれど、一定の周期でさかる私はまるで、発情する機械のようだ。
みひろは自らの性欲に飲み込まれていく物語が「なすすべもない」です。
そこに娘と母親の関係性が絡んできます。
みひろの母親は昔、家を出て若い男と暮らしていた期間がありました。
狭い商店街の為に、みひろの家庭事情は誰もが知ることになり、
「おまえの母さん、いんらんおんな」
と近所の同級生にはやしたてられます。
そんなみひろを救ったのが、圭祐でした(その後、付き合い同棲します)。
その圭祐とセックスレスになったみひろは、「なすすべもない」のラストで彼にセックスを求めます。
――「……正直に言うと、なかなかそういう気持ちになれない。………小さなころからずっといっしょにいて、家族みたいで」
と圭祐に拒否されます。
みひろはその足で、圭祐の弟で同級生の裕太のもとへ行って、セックスをします。
以上が「なすすべもない」です。なすすべもなく、みひろは自らが憎んだ母親「いんらんおんな」になってしまいます。
その後の「よるのふくらみ」でみひろは圭祐との関係を続けるよう努力しますが、結局それもまたなすすべもない欲望に敗れます。
この物語は、そういう意味で一人の女性が自ら込み上げる欲望に抗い、折り合いをつけるまでが描かれます。
それが主題であることは間違いありませんが、その裏にもう一つのテーマが描かれます。
「家族みたいで」とみひろとのセックスを拒否した圭祐の物語です。
彼の父親は圭祐とは逆にあらゆる女性と行為に及ぶ人間でした。
圭祐はそんな父親を嫌悪しながら、父の浮気相手のマリアさんに恋心を抱いてしまうのが三篇目の「星影さやかな」です。
恋心と書きましたが、おそらく彼はとても単純に父の浮気相手に欲情していただけでした。
しかし、圭祐は父の浮気騒動で傷つく母の味方である為に、母親が若い男と出て行ったみひろの味方である為に、自身の性欲を恋心と言い換える必要がありました。
彼は子どもらしく居られる場所を持てず(あえて、言えばそれこそ父の浮気相手の前だけでした)責任を負って、負わされて大人になる必要がありました。
その結果が、「家族みたい」に繋がります。
当初、僕は圭祐はみひろを性の対象と見れなくなったのだと思っていました。
が、実際は彼は誰ともセックスができなくなったと語ります。
それは圭祐自身の問題ですが、負わされた責任や商店街という狭い世界、父親に対するコンプレックスが何重にも重なった帰結にも思えます。
圭祐が取り戻さないといけないのは根本の屈折であり、それこそ子どもらしく居られる場所だったのでしょう。
ラストの「瞬きせよ銀星」は、その兆しがあって終わります。
それは解決に繋がっているのかは分かりませんが、優しく美しい終わりであることは確かでした。
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