7-95 虹色を届けよう
吐き気がするほど静かな
不安と一緒に強く抱き締めた
嬉しいほどに止まらない
そのどれもが、ボクを何処かへ駆り立てていた。
…ううん、何処かなんかじゃない。
その先には、必ずノリアキがいるはずだ。
「~~っ!」
「キタキツネさん、落ち着いて、ゆっくり座りましょう?」
そう言われて何度座ったことか。
そして何度立ち上がったことか。
柄にもなく、じっとしていられない。
不安で、怖くて、ここにいたくない、ノリアキに触れたい。
大丈夫かな、怪我なんてしてないかな。
……まさか、負けてないかな。
最後の可能性だけは、絶対にあり得ない。
首を振って振り払おうとしても、根強い不安は簡単に抜けてくれない。
「はぁ……」
『ため息をついたら幸せが逃げていく』……昔、ギンギツネがそんなことを言っていた。
でも、違う。
だから、いくらため息をついたって関係ないよね。
今すぐ帰ってきてくれるなら、息が切れるまで続けていてもいいのに。
「ため息ですか? 幸せが逃げちゃいますよ~」
「…関係ない」
どうして、ギンギツネと同じことを言うんだろう?
ギンギツネはあの時、最後の最後にボクを止めた。
二人とも眠らせて、イヅナちゃんは雪の中に埋めて、ノリアキも逃げられないようにして、完璧だったはずなのに。
…どうして、ギンギツネまで?
「アリツさん……」
貴女も、ボクの邪魔をするの?
「そろそろ何か食べませんか?」
「…いらない」
全然お腹が空いていない。
もしかして、結構時間が経ってるのかな。
ずっとノリアキのことだけ考えてたから、わかんないや。
「心配するのもいいですけど、疲れちゃいますよ」
断ったのにアリツさんはボクにジャパリまんを差し出してくる。
「…いただきます」
仕方ないから食べることにした。
別に、味なんてしないけど。
あーあ、ノリアキが口移しで食べさせてくれたらな。
つまらないジャパリまんを食べ終わったら、赤ボスを抱き締めたままベッドに転がった。
赤ボスには何の思い入れも無いけど、ノリアキがボクに預けてくれた。
だから、それだけで何よりも嬉しい。
そう、それだけで。
…えへへ、ボクって本当にバカだなあ。
「……でも」
まだ不安だ、どうしてだろう?
そうだ、きっとイヅナちゃんのせいだ。
イヅナちゃん、ノリアキに変なことしてないかな。
戦いに行ったから多分してないと思うけど…
イヅナちゃんってちょっとおかしいから、やっぱり怖いな。
それに、てれぱしー…っていう名前のもの。
何処にいてもノリアキとお話できるみたいだけど、ずるい。
ボクも欲しいな。
そうすれば、眠っててもノリアキとお話できるのに。
「はぁ……」
今日二回目の大きなため息をついた。
ノリアキ…どうして、ボクは一緒に戦えないのかな?
ゲームだったら、ボクもとっても強いのに。
「……」
うーん、いつからだろう。
ゲームをしてても、ノリアキのことを考えるようになったのは。
ボクの記憶にはっきり残っているのは、雪山でセルリアンから僕を助けてくれたノリアキの姿。
かっこよくて、きれいだった…あの真っ白なお耳と尻尾。
イヅナちゃんとお揃いなのは気に入らないけど、ノリアキのそれを見ると安心する。
…そうだ、真っ白なら、ボクと同じ色にできるかもしれない。
赤ボスみたいに、ペンキに漬けて。
寝てる間にできるかな?
起きて変わった色に気付いたら、怒られちゃうかな?
「…むにゃむにゃ」
なんだか不思議、思い出が蘇ってくる。
――一緒に、ゲームをした。
ギンギツネも、他の子もそのうち飽きたりついていけなくなったりして止めちゃうのに、ノリアキだけはずっとボクに付き合ってくれた。
ボクがコテンパンにしちゃっても、笑って悔しがるだけだった。
ボクが難しいステージをクリアしたら、一緒に喜んでくれた。
…じゃあ、イヅナちゃんには何をしたの?
「…前に聞いたような」
ノリアキは、外の世界にはいない…って。
カムイとかいう変な奴が、ノリアキの元々の姿だった…って。
じゃあイヅナちゃんは…初めて会ったような人にずっと、あんなに強い想いを向けてきたの?
「へんなの…」
イヅナちゃんはおかしいよ。
『カミサマ』とか何とかおかしなことを言ってるのがその証拠。
ノリアキがずっとイヅナちゃんと一緒にいたら、ノリアキまでおかしくなっちゃう。
今は仲良くしててもいいけど、いつか必ず――
頭に浮かぶ昔の景色が、ボクを段々と悔しくさせる。
「あの時、ちゃんとやっておけばよかった」
今思うと、本当に絶好の機会だったんだ。
生き埋めにするだけなんて、もったいないことしちゃったな。
「でも、次は大丈夫」
今度はちゃんと考えて、もう逃がさないようにしよう。
ノリアキも…イヅナちゃんも。
どうすればいいんだろう?
お薬は前に使ったから、2人とも気を付けてるかもしれない。
でも、コッソリ入れればバレないかも。
縄は赤ボスに切られちゃったから、別のモノで縛った方がいいかな。
ああもう、イヅナちゃんがやるなら不思議な魔法でちょちょいのちょいなのに。
セルリアンも作れて、戦う力もあって、空も飛べて…いくらなんでも強すぎる。
…ボクは、イヅナちゃんに勝てないの?
「ねぇ、赤ボス…」
「……」
赤ボスは無い首を傾げるだけ、本当に使えない。
何でノリアキはこんなものを大事にしてるのかな。
……違う。
むしろ、赤ボスのようにポンコツで一切使い物にならないモノでも、ノリアキが気に入れば大事にしてもらえるんだ。
だから、ボクがイヅナちゃんに力で勝てなくても関係ない。
ノリアキの心さえ奪っちゃえば、ボクの勝ちなんだ。
「ありがとう、赤ボス…!」
キミのお陰で、ボクの勝ち方が分かったよ。
無理やりなアプローチも、暴れることも、力で押し潰すことも、全部イヅナちゃんにやらせておけばいい。
ボクは、いい子になる。
ノリアキが疲れたとき、癒してあげられるように。
ノリアキが困ったとき、助けてあげられるように。
ノリアキが寂しいとき、その傍にいられるように。
ノリアキがボクに依存するように。
ボクがノリアキ無しで生きていけないのと同じように、ノリアキもボク無しで生きていけなくなるように。
えへへ、完璧。
「こういうゲームは、今までやったことないけど…」
やらなくてよかった、無くてよかった。
ボクの
抱き締めた赤ボスが、悲鳴を上げちゃった。
「キタキツネさん、いますか…?」
コンコンとノックをする音がした。
無視したら扉が開けられて、アリツさんが入ってきた。
「なに…?」
「ちょっと、様子を見に…」
そんなことを言いながら、アリツさんはベッドに腰掛けた。
場所が取られて転がりづらくなって、邪魔だな。
「キタキツネさん、変わりましたね」
「…前に会った?」
「いえ、見掛けただけです…でも、その時と雰囲気がまるっきり変わったように思えて」
「ボクは…ボクだよ」
変わったなんてとんでもない。
前と同じでゲームは好きだし、ダラダラするのも好きだし、ノリアキも…
そっか、それだけは変わったって言えるのかも。
でも、『まるっきり』だなんて、心外だな。
「なんて言えばいいんでしょう…元気が、無いみたいで」
「言いたくないけど…多分、前からそう」
「そうですか? その時よりもっと、暗い…暗い目をしてるように見えます」
「…暗い?」
「悩み事でも、あるんじゃないですか」
「ない…ないよ…!」
心に差した大きな影を、閉じ込めようと否定した。
もっと暗いところに入れて、見分けがつかなくなるように。
ボクだけの問題、ボクと、ノリアキ以外には解決できない。
アリツさんなんて、必要ない。
それにたった今、地面を揺らす波音が教えてくれた。
『ノリアキが危ない』って。
「っ! 今の音は…海の方?」
「とっても、大きい音…」
まだ少し残る振動が、ボクの心まで動揺させる。
行かなきゃ…でも、ボクには戦えない。だから、ノリアキもボクを…
「赤ボス、ボクに出来ることはないの?」
フルフルと体を横に揺らす。
違う、喋って、ボクが欲しいのはこんな答えじゃない。
「あるでしょ、ノリアキの助けになる方法が…!」
また、横に揺れる。
「キタキツネさん、私たちはここで…」
「違う、ノリアキを助けなきゃ…! ねぇ、教えて!」
まだ、赤ボスは答えない。
「赤ボス……」
「ほら、私たちはみんなを信じて―」
耳を鷲掴みにして…
「壊されたいの…?」
赤ボスは、声の代わりにブルっと震える。
ボクらしくない方法だけど、効いてよかった。
赤ボスは扉を押し開け、足早にどこかへと向かっていく。
きっとその先に、ノリアキを助けるための方法があるはず。
もしなかったらその時は……ふふふ。
「…って、遅いよ赤ボス」
いくら早足になっても、この短足じゃ仕方ないか。
抱え上げて、赤ボスの向く方向で案内をさせよう。
さあ、早くボクを連れてって?
「……私も行きましょう、キタキツネさんだけでは不安です!」
後から飛んで来たアリツさんも加わって、頼りない案内に従いながら足を進めていく。
こっちの方角には、確か研究所があった気がする。
今日もちょうど、この付近の道を通ってロッジに向かって来たんだった。
この速さだと、まだまだ到着まで時間がかかりそうだ。
足を速めよう。
「ちょ、ちょっとキタキツネさん!?」
…呼び止められた。
ついて来られないなら待ってればいいのに、鬱陶しいな。
「そんなに速く進むと、木にぶつかっちゃいますよ…」
「じゃあ、戻ったらいいじゃん」
一刻を争う事態なのに、なんて呑気なの。
「キタキツネさん!」
「…まだ、何かあるの?」
「困ったときは、私もみんなも力になりますよ。だから――」
「邪魔なだけ。ボクの望むことは、ボクにしかできないよ」
「邪魔なんですか…ギンギツネさんも?」
「…?」
なんで、ギンギツネの名前が出てくるの?
むしろ、ギンギツネを引き合いに出せばボクが止まると思ったのかな。
「ギンギツネかぁ…邪魔してほしくないな」
「しませんよ、キタキツネさんのことを一番分かってるんですから」
…一番?
「…そうだといいね。ボクも乱暴したくないから」
特に、ギンギツネには。
曲がりなりにもずっと一緒で、沢山お世話になったから。
「もう、行こうよ」
立ち止まるつもりなんて無かったのに、余計な時間を使っちゃった。
お願い、間に合って…
赤ボスの案内に従うことしばらくして、地面の下に繋がる階段を見つけた。
「ここなの?」
赤ボスが頷くようにモゾモゾと動いた。
もう、本当に律儀なんだね。
でも関係ない。今は…ずっと、ノリアキの方が大事。
「く、暗いですね」
それだけじゃなくて、寒い。
床にも天井にも氷が張り付いて、溶けた水がピチャピチャと規則的な水音を立てている。
ボクは雪山で暮らしていたからこれくらいは平気。
アリツさんは随分堪えているみたいだけど、別にいいや。
それより、ここには何があるんだろう。
目を凝らして観察すると、奥の方に光が差し込んでいる。
その上の天井に、地面を貫く大きな穴がある。
他にも光に照らされて、乱雑に転がっている緑色の塊も見えた。
「何があったんでしょう…荒れてますけど」
「赤ボス、説明して」
でも、説明してくれないよね。
ボクは半ば諦めていたけど、赤ボスは違ったみたい。
明後日の方向を向いて、何か喋りだした。
『サンドスター保存施設…海水デ冷凍シタ植物ノ中ニサンドスターヲ保存スル施設。”巨大セルリアン”ノ破壊活動ニヨリ、機能停止中』
それは話しているというよりも、独り言のような呟きだった。
ボクたちじゃなくて、何もない空に語り掛けるような。
『サンドスターハフレンズヲ産ムダケデナク、活動ノ原動力トナル物質。コレヲ直接投与スレバ、運動能力ノ向上モ期待デキル』
…そうなんだ。
赤ボスはボクに話しているわけじゃないけど、間違いなくボクに教えてくれてるんだ。
『これを持って行け』って、回りくどく教えてくれてるんだ。
途端に、赤ボスが可愛く見えた。
なんでだろう…ちょっとだけ、ノリアキに似てる。
”フレンズと話しちゃダメ”ってルールを頑なに守って、それでもボクの手伝いをしてくれるところが。
ノリアキもそうだ。
自分を勝手に縛って、それに苦しみながらみんなを助けようとしてる。
ボクも、イヅナちゃんも、大事にする…って。
博士が勝手に言い出したことで、どうしてもやる必要なんてなくって、それでも貫き通そうとして。
そっか、だからノリアキは赤ボスを大事にしてるんだ。
冷静に考えれば無駄なことに縛られてる自分を重ねて――
「キタキツネさん……笑ってますね」
「え……?」
「よかった、もうそんな風に笑わないんじゃないかと思って」
「そんなに、仲良かった?」
「…あ、ただの心配です、気にしないでください」
この、緑色の塊だよね。
触ると、確かに植物だって分かる。
「1つ、ノリアキに届けてくる」
「じゃあ私は、ロッジに幾つか運んでおきます」
もしかしたら無駄かも…なんて、今更思っちゃった。
大丈夫、無駄にしない。
そう言い聞かせて、ボクは自分の直感に任せ走り出した。
――でも、無駄なものだって選ばなきゃ。
ボクがノリアキを助けるんだ。
セルリアンからも、イヅナちゃんからも。
待っててね?
いつか必ず、目を覚まさせてあげるから。
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