7-94 目覚めよ、双尾の白狐


「ヒグマさん、ヒグマさん!」


 濁流が過ぎ去った後、僕達は地上に戻った。

 そこで見た最初の光景は、倒れるヒグマと彼女を揺り起こそうとするかばんちゃんの姿だった。


「かばんちゃん、ヒグマは…」

「まだ、大丈夫なはずです…!」


 かばんちゃんは手首に巻いたボスをヒグマの体に近づけ、検査をするように頼んだ。


「ラッキーさん、お願いします」


 数秒の沈黙の後、検査の結果が告げられた。


「――大丈夫、気を失っているだけだよ」


 ボスの言葉で、みんなの緊張が少し緩んだ。


 …でも、イヅナだけはずっと険しい顔で海辺のセルリアンを見ている。

 どうやら端からヒグマの容体には興味が無かったみたいだ。


「それで、博士とサーバルは? 確かその2人もいたよね」

「…はい、さっきのことを簡単にお話します」



『だ、大丈夫なのか? 海が揺れているぞ』

『まずい、このままではまずいのです…!』


『もしかして、大きな波を起こすつもりじゃ…』

『だったら逃げなきゃ!』


 ボクたちは急いで海岸から離れました。

 でも、十分に距離を取る前に波が来てしまって…


『あっ…』


『かばん、掴まるのです!』

『でも、サーバルちゃんとヒグマさんは…』


『私は大丈夫だから、かばんちゃんは空に逃げて!』

『安心しろ、私たちも海の藻屑になる気はない』


『お前は巻き込まれたら一番危険なのです、早く!』

『…! はい…』




「ボクは博士と空に飛んで、その直後に水が森を飲み込んでしまいました…その後に辺りを捜したら、ヒグマさんがここに」


「じゃあ、サーバルは…」

「今、博士が探してくれています」


 今は、無事を祈るしかない。

 結果論だけど、地上で戦うフレンズを2つに分けたのは正解だった。

 助手たちが活動している場所に波は届いていないことだろう。


 森の中は波に蹂躙された。

 海水は木の葉っぱの高さまで満ち溢れ、地上の枯れ葉は押し流されて散乱している。

 ついさっきまでの動乱の様子を、この景色は色濃く残していた。



 サーバルを捜して森の中を歩いていると、妙なものを見つけた。


「…溶岩?」


 少し開けた空間に、黒く固まった溶岩が転がっている。

 数はおびただしく、その辺りの地面は黒く染められていた。


 でも、なんでこんなところに?


「考えられるのは、セルリアンだね」

「イヅナ…」


 確かに、セルリアンは海水に触れると固まって溶岩になる。

 目と鼻の先に例外がいるのは置いておくとして、海水が辺りを満たしていたこの状況なら溶岩が転がっていても不思議ではない。


「だけど…流石にこの数はおかしいよ」


 この量の溶岩ができるとなると、相当な大きさか或いは大量のセルリアンがいたことになる。


 一応相当な大きさのセルリアンはついさっきまでいたが、それもあの例外に食べられてしまった。


「なら、セルリアンは沢山いたんだよ」

「…まさか、一体どこから?」

「火山…とかかもね」


 それはもしかしなくても、今日起きたセルリアンの大量発生のことを言っているのだろう。


「でも、イヅナたちが全部やっつけたんでしょ」

「分からないよ、もしかしたらいくつか見逃しちゃったかも」


 そう考えれば、有り得ない話じゃないのかな。


「もういいでしょ、みんな固まっちゃってるんだから」

「…そうかもね」


 今はサーバルを探すことにしよう。

 それと、海のセルリアンをどうするかも考えないと。


「今日ここで、倒すべきかな」

「無理はダメ…だけど、アレはこれからもっと強くなるかも」


 そうだ、セルリアンを食べられるってことは、フレンズを食べるより楽に力を付けられるということだ。

 いずれ、地上でも活動できるようになるかもしれない。

 可能性の話でしかないけど、手が付けられなくなる前に倒さなければいけない。


「今は、大人しいね」

「むしろ、不気味だな…」


 少し怯えているようだ。

 …珍しいな、イヅナがこんな様子を見せるなんて。



「――コカムイ!」


「あ……ヘラジカ、久しぶり」


 念の為に平原から呼んでもらっていたけど、今回ばかりはそれでよかったと思う。

 ヘラジカだけということは、多分僕たちを探しに来たのかもしれない。


「大体の話は聞いている、サーバルが見つかったから合流しようとなってな」

「分かった、博士たちは何処?」

「こっちだ」


 ヘラジカについて行くと、横になるサーバルとヒグマ、そして2人を看病するフレンズたちの姿があった。

 助手たちもいるから、離れて活動していた4人とも合流を果たしたみたい。


「サーバルは大丈夫?」

「多分…サーバルちゃんも、気を失っているだけみたいです」


 そうは言っても、全身が潮水に濡れていてとても寒そうだ。

 ロッジに連れて行って休めてあげるべきかもしれない。


 丁度ヘラジカとライオンの軍勢も到着したから、2人が抜けても戦力に問題はないだろう。

 勿論、2人を運ぶフレンズの分も差し引く必要はあるけど。


「博士、ヒグマとサーバルは…」

「今は戦えないでしょうね…ここは危険なのでロッジに戻すのもアリでしょう」

「じゃあ、ボクがサーバルちゃんを連れていきます」

「ヒグマは私が」


 かばんちゃんとキンシコウが名乗りを上げ、そのまま彼女たちに任せることとなった。



 

 その後、海岸沿いの森に残った者たちでこれからどうするかを話し合うことにした。


 場は重苦しい空気に満ち溢れる。

 黒いセルリアンを超える脅威海のセルリアンがすぐそこにいるという事実は、恐怖を覚えるのに十分すぎる理由だった。


 後から駆け付けたヘラジカ達や、離れて仕事をしていたオオカミたちはまだ実物を見ていない。

 でも、目撃者たちの様子から何かを察しているようだ。


「…戦うのですか?」

「放ってはおけないだろう?」



 ヘラジカの言うことは事実だ。

 博士が尻込みする気持ちも理解できないわけではない。


 しかし、どちらかの言い分を叩き折らなければ議論は平行線を辿るだろう。


 どちらにせよ、いつかは海のセルリアンと戦わなければいけない。

 なら、今が戦う時なのか。

 

 ほぼ作戦通りに黒いセルリアンとの戦いが進んだおかげでみんなの消耗は少ない。

 もちろん無い訳じゃないけど、それでも戦えないほどの疲労じゃない。


 だから、焦点は『海のセルリアンを逃がしてもいいか』という所に当てられる。


 海のセルリアンは、いともたやすく大波を起こすことができる。

 そして、この波による被害は非常に大きい。

 今周りの様子を見れば、そんなことはすぐに分かるはずだ。


 更に、海を渡れるセルリアンは何処へでも攻撃出来て、何処に現れるか分からない。


 それを考慮に入れれば、答えは自ずと決まってくる。



「戦おう、博士」


「っ!」

「ノリくん…!?」


 やっぱり、見過ごせない。

 博士が断っても、イヅナが止めても、コイツ海のセルリアンだけは今日、ここで打ち倒す。


「今やらなかったらきっと、もっと多くのフレンズが傷つくことになる」

「それは、そうだけど…」


 イヅナが目を伏せて、僕に縋りつく。

 珍しく、何も言わない。テレパシーも送ってこない。

 だけど、分かる。


「行かないで」、「危ないことしないで」、

「そこまでして救う意味なんてない」って、声を聞かなくても、目を見なくても、イヅナがそう訴えていることが分かる。


 また、勝手な想像かな?

 でもどうでもいい、我儘な話だけど、僕の考えは変わらないから。



「…ごめんね、僕は戦わなきゃいけない」

「なん…で…?」


狐神祝明が、そういう人間だから、だよ」


 記憶も無くて、本当に0からの始まりだったから。

 

 僕に与えられたのは、イヅナが付けてくれた名前だけだったから。


 どんな人間でもなかった僕だから。


 ――せめて、どんな人間でありたいかくらいは、心に持っていたい。


 ……あはは、キツネの姿この見た目じゃ、もう人間なんて呼べないかもしれないけどね。




「コカムイ…」


「博士にも、協力してほしい…今、海のセルリアンと戦えるのは空を飛べるフレンズだけだから」


「…確かに、陸上のフレンズではあの大波の前に成す術もありません」

「助手の言う通り、なのですが…うぅ…」


 博士は唸る。

 きっと、責任感と恐怖との間で葛藤しているのだろう。


「…いえ、覚悟は決めました」

 

 頭を振って、何かを捨て去るように博士は言った。


「博士…」

「コカムイ、そんな目で見るのは止めるのです」


 博士は笑った。

 若干ひきつったぎこちない笑顔だけど、いい顔だった。


「私はやるのですよ、この島の…長なので」


 すると、すぐさま助手が便乗した。


「どこまでも博士について行きます、この島の長なので」

「どういうことなのですか…?」


 心なしか、気持ちが緩んだみたいだ。

 これで、博士の想いは決まった。



 あとは、イヅナがどうするかだけど…


「ノリくん…私は…」

「…イヅナが良いなら、僕は一緒に戦いたいな」


 手を握り、目をまっすぐ見据えて言う。


「……」


 イヅナは目を逸らし、もう片方の手で僕の手を払いのけた。


 そして、両腕で、僕の体を、軋むくらいに抱き締める。


「…取り憑かせて」

「え?」


 耳元に口を寄せて、噛みついてしまいそうな距離で囁いた。


「もっと、ノリくんとなりたい、ノリくんと一つになれたら、戦える気がする」

「…分かった、2人で一緒に、戦おう」


 まるで溶けるように、イヅナと僕の体が重なりあう。

 イヅナの魂が僕の中に入ってくるのを感じる。


 真っ白な尻尾が、2本に増えた。

 力が湧いてくるのを感じて、心なしか緊張も解けたような気がした。

 

「……行こう」



 

 僕達は、海のセルリアンの眼前に飛び込んだ。

 

 余程呑気にしていたのだろう、無防備にも奴は弱点をさらけ出していた。

 血のように赤く、宝石のように美しい石を。


 突然現れた僕たちを敵と認めたようで、触手を何本か突き出し威嚇をしてくる。



 しかしまだ手は出してこない。

 この際だ、最後の確認をしておこう。


『1つだけ、聞いていい? この姿で、野生開放はできるのかな…?』

『…ごめん、できないの』

『それは、どうして…?』


『サンドスターが足りない、疲れとかじゃなくて、が不足してるんだよ。それに…』


『それに?』


『きっと、何かが変わっちゃうから』

『…何かって?』

 

 その言葉の意図するところを、僕は測りかねた。

 恐らくイヅナも具体的な『何か』は掴めていないのだろう。


 それでも推測をするのなら、それはきっと…

 初めてキツネの姿になった後に変わってしまった僕の瞳の色のような、そんな取り返しのつかないものなんだ。


『…大丈夫』


 それが、どうしたものか。


『何も変わらないよ。目の前の敵を倒して、また普段の日常に戻るだけ』

『そう…なの?』


『そう。だから、今まで通りに戻るだけ』

『だよね、よかった、そうだよね……怖いの、ノリくんが、私が、これ以上変わっちゃうことが…』


 そうだね、僕も怖い。

 そして、目の前の敵を倒さなければ、日常は変えられてしまう。


『行ける、イヅナ?』

『うん…もう、大丈夫』


 2人分の深呼吸をして、刀を2本、確かに構える。


「脳内会議は終わったようですね」

「ああ、もう準備はできたよ」



 さあ、倒してやろう、海のセルリアンを。

 その紅い宝石に、二度と癒えぬ傷を与えてやろう。


 こんな悪い夢、もう終わりにしてしまおう。








「はぁ、はぁ……もうちょっとだよ、サーバルちゃん」

「ヒグマ、あと少しでゆっくり休めますからね…!」


 2人を背負い、ロッジを目指す2人。

 やがてその視界に、目的地の目印が映った。


「キンシコウさん、あれを!」

「あ、もうすぐなのね…!」


 怪我人とわずかな希望を背負いロッジに舞い戻った2人は、ゆっくりと扉を開く。

 その中でが、彼女たちを出迎えた。



「あれ……?」

「誰も、いない?」



 そこで彼女たちを待っていたのは、底の見えない静寂だった。

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