7-91 目を覚まして

 

 …体が痛い。

 何かに縛られているみたいで動くことが出来ない。


 目を開けた。真っ暗だ。だけど…少し暖かい。

 ゆっくりと、頭に血が通うようになってきた。


「…なに、これ」


 身をくねらせてみても、ちょっとやそっとでは何も変わらなかった。

 手首と脚に圧迫されている感覚があるから、そこが縛られているのかな?


「ぐ、うぅ……!」


 がむしゃらにジタバタ暴れると、視界を覆っていた何かは取れた。よく見ると、それは布団だった。

 ようやく見えるようになった周囲を見回す。


「医務室…そういえば、頭に何か…」


 ぶつかった記憶があるような、ないような。


「それより、この縄を外さないと…」


 …前に、キタキツネによってこんな風に縛られたような気がする。そのとき僕に抱きついていたのは、布団じゃなくてキタキツネだったけど。


 また、キタキツネの仕業なのかな。

 でも研究所には僕以外いなかったはずだし、キタキツネなら眠り薬を使うような気もする。


「赤ボス、いる?」


 いったん考えることを止めて、赤ボスを探すことにした。赤ボスは縄を切ることができて、前にも助けてもらった。

 …もちろん、別のこともできる。


「……」

「いない? 向こうの部屋かな…」


 なら自分で頑張ってみよう。刀を上手く使えば切れるかもしれない。ついでに服とかも切ってしまいそうで怖いから慎重にしなければ。

 でも先に、縛られた状態で刀を持つ方法を考えなきゃ。


 キツネの姿になって…もうなってた。

 そうしたら…テレキネシス? 残念なことにまだ妖術は習っていない。

 じゃあ刀を噛んで…やめよう、汚れてしまうし、首が変な方向に曲がりそうだ。



「うぅ、どうすれば…」


 どうも八方塞がりで何もやり様がない。キタキツネったら、何故かとても上手に縄を縛るんだ。ああ、どうしよう。

 しばらくの間悩んでいると、医務室の扉が開く音が聞こえた。


「ノリアキ、起きた…?」

「あ…!」


 部屋に入ってきたキタキツネは、どこか覚束ない様子の足取りでこちらに向かってくる。顔を見ると、ほのかに赤らんでいた。


「えへへぇ、やっと戻ったね…」

「戻ったって…それより大丈夫なの? なんか、不安定だけど」

「ノリアキ、大丈夫? カムイに変なことされてない? 突然変わっちゃったから心配だったよ…」


 薄々察してはいたけど、やっぱり話を聞いてくれない。話を聞かないままキタキツネは僕の膝の上に乗ってしまった。

 …まあ、これくらいは仕方ないか。それより詳しく話を聞こう。


「神依君がどうしたの、それに”変わった”って?」

「よく分かんないけど、ノリアキの体にノリアキじゃないのが入ってたんだ」

「それって…」


 砂漠の時みたいに、人格が交代してたんだ。きっとあの時頭を打ったせいだ。何が当たったのか覚えていないけど。


『そりゃ、聞かない方がいいってもんだ』

『…そっか』



「…それは分かった。で、この縄は?」

「えへへ…ダメ?」


 …随分返答に困る質問だ。言うまでもなく、許可なく人を縄で縛るのは…ダメじゃないかな。


「ダメというか何というか……はうっ!?」

「むぐ、ふふふ…!」


 突然のことに変な声が出てしまった。

 これってもしかして…首を、噛まれてる?


「ね、ねぇ…くすぐった…ぅ…」

「はむ、むむむ…んぐ…」


 甘噛みだから痛くは無いけど…あぁ…力が、抜ける…


「むふ…ぷはぁ」

「はぁ…どうして…?」


 そう聞くと、キタキツネはいつかのように首を左右にコクコクと傾けた。長い髪がつられて揺れて、僕は不思議と見入ってしまう。

 光が抜け落ちた彼女の瞳も、この時ばかりは綺麗に見えた。


「だって、最近してなかったもん」

「…初めてなんだけどな」

「いいの! それよりボク、まだ足りない…」


 ただでさえ近かった互いの顔がさらに近づき、もう目と目が触れあってしまいそうだ。


「た、足りないって?」

「わかるでしょ…もういっかい♡」


 これが終わるとき、僕の首はまだ繋がっているかな。




 それから、どれだけの時間が経ったことだろう。

 時計でその時間を計ったとすれば、大して長い時間でもないと思う。しかし、僕にとってそれは途轍もなく長い時間に感じられた。

 

 恐怖のせいか喜びのせいか。

 それもよく分からないけど、キタキツネが満足したことだけはその表情から読み取れる。

 ああ…頭がくらくらする。世界がぼんやり、まるで寝起きみたいだ。


「あう…うぅ…」

「えへ、えへへへ…」


 いつの間にか、手足を縛っていた縄は無くなっていた。

 

「ごめんねノリアキ、苦しかったでしょ?」


 視界の外に縄を投げ捨てながらキタキツネが言う。


「ううん、大丈夫」


 他にもっといい言葉はなかったのか。でも、それしか言えなかった。きっと疲れていたんだ。

 不思議と、キタキツネがことを嬉しく思うようになった。この状況に安らぎを覚えるようになった。


 …そして、イヅナに対しても同じ感情を抱くであろう自分に、嫌気が差した。



 ともあれ、安らぎの時間は長く続かなかった。

 けたたましくなるサイレンが、夢の空間から僕たちを悪夢のような現実へと引き戻した。


「な、何があったの!?」

「っ、ノリアキ…!」


 錯乱して縋りついてくるキタキツネを落ち着けながら、赤ボスを呼んだ。

 大声を出したら赤ボスはすぐに来てくれた。キタキツネは大きな音を嫌がっていたから、フォローが必要かもしれない。


「赤ボス、状況を教えて」

「検索中、検索中……!」


 いつもの機械音が、突如として緊迫した。


「緊急事態です、研究所のサンドスター保存施設が破壊されました。高濃度サンドスターの流出により、セルリアンの大量出現が予測されます。職員は近隣にいるお客様の避難を最優先とし、早急に事態の解決に当たってください」


 同じような警告が、いつもと違う流暢な声で何度も繰り返された。


「こ、怖いよ」

「…大丈夫、大丈夫だから」


 現場は”サンドスター保存施設”、つまり研究所からは近い。解決に向かうならすぐだけど、キタキツネをここに置いていくのは危険だ。

 そうだ、まず具体的に何が起きたのかを把握しよう。


「現場の状況を知りたいんだ、できる?」

「ジャア、現場ノ”ラッキービースト”カラ映像ヲ送ッテモラウネ」


 赤ボスは元のカタコトな機械音で答えてくれた。こっちの方が馴染みがあって安心する。

 そして間もなく、研究所の大きなモニターに映像が流れだした。


『……』


 そこには、以前見に行ったときとほとんど変わらない景色があった。青々とした草に葉に、天に向かって伸びたいくつもの木の幹。異質なものがあることを除けば、至って普通の景色だった。

 …いや、むしろそのが、ごく普通の景色を非日常へと塗り替えてしまうのだろう。


「…これが、あの黒いセルリアン?」

「…!? なんで…」


 ボスの高さの視点だからか、ただでさえ大きいセルリアンは更に巨大に、より脅威に見える。


「保存施設は海に近いから…足止めできれば海に沈めることも…」

「嫌、危ないよ、行っちゃダメ…!」

「キタキツネ…今すぐ行く訳じゃないよ、まずイヅナに知らせないと」

「イヅナちゃんに…?」


 ギュっと強く、今までで一番と感じるほど強く袖を握られる。


「一緒に逃げよう? イヅナちゃんなんていいから…」

「それは…できないよ」


 僕も怖い、だけどこの島を見捨てられる訳がない。

 イヅナも、僕が付いていなきゃいけないんだ。


「お願い、キタキツネ…」


 僕には、このまま逃げることなんてできない。


「…わかった。じゃあ、キスして?」

「え? …ああ、うん」


 それだけでいいのか…とは思ったけど、まあキタキツネが望むなら…


「ん…」

「ふふ…んー♪」


 医務室の時とは違う、唇が触れ合うだけの優しい口づけ。袖を握る手も、少し緩んだように感じられた。


 できるなら、もう少しだけ――


「ノリくん! 黒いセルリアン…が……」


 部屋に、重い沈黙が立ち込める。


「あ、イヅナちゃん…?」


 前触れもなく開いた扉からイヅナが入ってきたのだ。

 …とても、悪いタイミングで。


「ノリくん…ノリくん…?」

「イヅナ……」


 名前を呼ぶ以外、僕にできることはない。

 謝罪? 釈明? そんなものは無意味だ。


 自分の思いを突き通すために、僕は全てを受け入れるしかない。


「ねぇノリくん…! ん、はむ…!」

 

 イヅナはキタキツネと違って、暴力的な、貪りつくすようなキスをする。

 でも、も幸せだ。



 そして…長く短い舌の交わりが終わり、ようやく本題に入れそうな感じだ。


「イヅナ、サンドスターの保存施設に黒いセルリアンが…!」

「私も、火山からそのセルリアンを見掛けて来たの…」


 火山に…?

 火山に行く用事なんて思いつかないけど、寝ている間に何かあったのかな。


「…その話は後、行きましょ、ノリくん」

「ど、どこに?」


「ロッジだよ、今博士と助手が討伐隊のみんなを集めてくれてるから」

「分かった。赤ボスも行こう」

「ワカッタ。ヒトマズ、セルリアンノ監視を指示シテオクネ」


 赤ボスは研究所のシステムにアクセス。映像を送ってくれたボスに引き続き記録をするように頼んだようだ。


「ノリアキ…」

「心配しないで、予想外の事態だけどきっと乗り越えられるから」


 イヅナはキタキツネを抱え先にロッジに向かった。

 赤ボスを抱えた僕は研究所の明かりが消えたことを確認し、すぐにその場を後にした。

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