5-67 ひとつだけ


 その日の夜、雪山の宿を抜け出した僕は図書館に足を運んだ。

 今夜は、イヅナともキタキツネとも一緒にいたい気分じゃなかった。


 だからイヅナにはロッジに行って待っているようにお願いしておいた。

 僕が翌朝図書館で寝過ごしても、きっと迎えに来てくれるはずだろう。


 そして、図書館に来たのはなにも二人の手から逃れるためだけじゃない。


「やれやれ、ようやく身の上を話す気になったようですね」

「それと、相談したいことができたから……」


 博士に、僕とイヅナの間に起きた出来事について洗いざらい話し、そしてキタキツネとの話もして、これからどうするべきか助言をもらおうと考えた。


「私もやっと信用されるようになったということなのですね、感慨深いのです」

「それはいいけど、助手は……?」


 僕と博士は向かい合って椅子に座っているけど、そこに助手の姿はない。


「この話は私だけが聞くべき、とか言って先に寝てしまいました」

「……そっか」

「別に構わないでしょう、それとも、私では不満ですか」


「……いいや、博士を信じてるよ」

「嬉しいことを言ってくれるのです」




「じゃあ、どこから話せばいいかな……?」

「お前はどの時点の話から知っているのですか?」


「この島に来る前のイヅナの記憶なら、一度見せられたから話せるよ」

「ほう、それで外でのお前の記憶は?」


 そっちはまだ記憶にを掛けられている。

 分からないと言い首を振った。


「おかしな話ですね、イヅナの記憶は持っていて自分の記憶がないとは」

「あはは……自分でもそう思うよ」


「まあこの際構わないのです、そのイヅナの記憶を、話してください」

「分かった、まず、イヅナの生まれたところから――」



 イヅナの記憶を見手から時間が経っている、もしかしたら記憶が曖昧になっているかもしれないから、今一度確認しなおそう。



 イヅナは、千年以上いた狐の霊魂だった。

 もっと眠り続けると思われていたが、ある日何故か突如イヅナは


 イヅナが目覚めたのはとある神社で、そこは幽霊や妖怪が集まりやすい場所だった。


 しかし妖魔に対抗する力を持つ人も、イヅナと同じ妖も彼女に殆ど近寄ろうとしなかった。

 イヅナが長い間眠っているうちに手に入れた力、『記憶を操る』という強すぎる力故に恐れられたせいだった。


 そんな中普通に接してくれたのは年老いた神社の神主と狸の妖怪のポン吉だけだった。

 イヅナが目覚めてしばらくの後、神主はイヅナの修行のため神社から彼女を送り出した。


 イヅナが放浪の末にたどり着いたのがこのジャパリパークキョウシュウエリア。

 そこにいた”フレンズ”の皆に憧れて自分もフレンズになろうとしたけど、存在が希薄になっていたせいか霊体ではサンドスターに触れられず断念。

 しかし偶然その噴火の日に”かばんちゃん”が生まれ、イヅナは彼女について行って島を旅した。当然、かばんちゃんたちは気づかなかったけど。


 その旅の終わりに出現した黒セルリアン。

 イヅナも立ち向かおうとしたけど一切の攻撃ができなかった。


 イヅナの強い力は、それを保つために多くの妖力を消費するせいで他の術に力を回せなくなっていた。

 加えて能力も術も発展途上で、その時点では太刀打ちできなかった。

 結局フレンズの皆の手でセルリアンは海に沈められ、イヅナは何も出来なかった。


 そんな失意の中で、イヅナはある報告書を見つけた。

 それを読んで、『ヒトに取り憑くことでフレンズになれる』という希望を見つけたイヅナ。


 彼女は取り憑き先を見つけるために神社に戻ってきた。

 しかし神主はイヅナがジャパリパークにいる間に急死していた。

 悲しみを背負いつつ、イヅナはかつて見た『カミサマ』を『外の世界の僕』の中に見つけ、ポン吉と神主に別れを告げて僕に取り憑いてジャパリパークに戻ってきた。



「……結構端折ったけど、大体こんな感じだよ」


「そしてこの島に上陸した後、あの噴火の日にお前と共にフレンズになり、何も知らないふりをしてお前たちの目の前に現れた、と言う流れでしょうか」

「うん、そう……だね」


「なるほど……その後のことは私も大方把握しているので、確認はいらないのです」

「……うん」


 話してみれば何のことはないもので、なぜ今までひた隠しにしてきたのか分からない。

 でもそれは今だから言えることで、この瞬間になる以前は話す勇気も必要もなかったんだ。



「では、次は今日のことを聞きましょうか、それを話しに来たのでしょう?」

「やっぱり……言わなきゃいけないよね」


「ええ、今すぐに話すのです。ここに来て日和るようなら締め上げてでも聞き出すのですよ」

「あはは……怖いな」



 キタキツネの錯乱した様子を鮮明に覚えている。

 二度と剥がせないほど脳裏に堅くこびり付いている。


 雪の中に埋まっていたイヅナのこともはっきりと思い浮かぶ。

 冷たくて、真っ白で、力のない様子が二度と溶けない氷のように頭の中で凝り固まっている。


 ……まだ、怖い。


「でも、言わなきゃ始まんないよね……」


 きっと、今ならまだ逃げることができる。

 だから今のうちに話しておきたい。

 いつか追い詰められて選べなくなる前に、選択肢が残っているうちに、立ち向かいたい。




「……そう、そこまでの事態になってしまったのですね」

「一体どうすればいいのか、分かんなくなっちゃってさ」


 博士は手を口元にやって考えていたが、何か思い付きを得られたようで少し口角を上げていた。


「コカムイ、お前は今の関係をどうしたいのですか?」

「関係を、ってどういう……?」


「漠然とでいいのです、大方今の関係を壊したくないのでしょう? どちらかを心に決めたなら、もっと別の顔をしているはずなのです」


 博士の言う通りだ、判断を付けられなくて宙ぶらりんになった結果、今僕はここにいるのだから。


「もう、あんなの見たくない、あんな、恐ろしいいがみ合いなんて」


 僕がそう言うと、博士は「予想通りなのです」とでも言うような表情を浮かべた。


「だったら、これ以上ない方法があるのですよ」

「最善の方法ってこと……?」


 そんな方法があるなら、是非ともご教授願いたいものだ。


「この方法を出来れば、小さな諍いがあったとしても大きな目で見れば丸く収めることができるのです」


 博士は「継続」という部分を強調した。

 つまり、もう一時の策ではどうにもならない事態に発展してしまったということだろう。


 しかしそれも仕方ない、僕がそれをして少しでも解決に向かうなら……


「それで、その方法って?」

「なに、難しい話ではないのです、一度しか言わないのでよく聞くのですよ?」


 すると博士はテーブルに身を乗り出し、僕の眼前に人差し指を突き付けた。



「コカムイ、お前が二人ともしまえばいいのです」

「……え?」



「……やれやれ、何故固まっているのですか?」

「いや、だって……」


「まさか考え付かなかったのですか? それとも、考えないようにしていた……とか」

「いや、でも、他にもやり方は――」

「存在しないのです」


 無慈悲にも博士は断言してしまった。


「お前はさっき『最善の方法』と言いましたが、それは違うのです」

「違う? ならどういうこと……?」


「今私が言ったのは『最善』ではなく『唯一』の方法なのです。事態を穏便に収めることを目的とした場合、ですがね」

「なっ、これしか選択肢はないって言うの!?」


「コカムイ、もしお前が片方を選べば、選ばれなかった方が必ず……ええ、必ず荒事を起こすでしょうね」

「それは、そんなこと……」


「あり得ない? あの二人の言動を見て一体なぜそんなことが言えるのですか?」


 確かに、博士の言う通りだ。

 イヅナも、キタキツネも、最後には手段を選ばなかった。


「なら、事態が収まるまで雲隠れでもすれば……」

「そうなれば、間違いなく二人の潰し合いが始まりますね」

「どうしてさ……」


「片や相手のもとにセルリアンを送り込み、片や相手を雪の中に埋めてしまった……そんな二人がもっと直接的な対立をしていないのは、互いの感情がお前に向いているからなのです、そのお前がいなくなれば、感情の矛先は……」


 博士はそこで言葉を切った。

 しかし、そこまで言われてしまえばその先に続く言葉は容易に察することができる。


 感情の矛先はそれぞれに向き、憎しみとなって、血で血を洗うような争いになるのだろう。



「もう、これしかないのかな……」


「おほん、こう言うのもアレですが、いっそのこと開き直って楽しめばいいのです、これ以上自分を追い詰めてもいいことないのですよ」


「……」


 アハハ、『選べなくなる前に』だなんて言える状況じゃなかった。

 そもそも選択肢なんて無かった、もう僕には一本道しか残されていない。


「しかしお前から提案すると言うのも荷が重いでしょう、あの二人には私から話を通しておくのです」

「そんな、別にそこまで……」


「いいのです、相談を受けた以上最後まで責任を持たねばなりませんし、もしかしたら、有耶無耶にされるかもしれませんからね」

「あはは、そう」


 まだ、何が何だかよく分からない。

 頭が真っ白になってしまった。それくらい、博士の案は衝撃的なものだった。



「蛇足ですが、ついでにもう一つ言っておくのです、お前がどうしても片方を選ぶと決めた場合の話ですが……」


 正直に言って、もう聞きたくなかった。

 それでも、耳を塞ぐほど落ちぶれたつもりはない。


「その時はくらいの覚悟が必要だと、必ず覚えておくのですよ」

「……分かった」


 こんな話、もうたくさんだ。

 明日のことは明日考える、今日はもう寝てしまおう。

 今夜は図書館の寝床にお世話になる。


 そこに向かおうとすると、博士に呼び止められた。



「コカムイ……怖いのですか?」

「何……? そりゃ、怖いよ、どんな恐ろしいことが起きるか分かんないしさ」


「いいえ、そうではないのです」

「そうじゃないって?」


 博士はどこか言葉に詰まっている様子だ。


「お前を見ているとその、二人そのものではなく……あの、そう、もっと別のものに、形のないものに怯えているように見えるのです」

「……!」


 流石、博士は賢いな。


「そうかも……きっと怖いんだ、好意を向けられることが」

「……! しかし、それでは……」

「いいよ、これで全部解決するなら――!?」


 目にも留まらぬ速さで博士は僕の目の前まで飛び込み、強く肩を揺さぶった。


「良い訳がないでしょう!? そうしたらお前は、本当に壊れてしまうのです、今でもボロボロではありませんか!」


「あは、アハハ……なんか、分かったような気がするよ」


 外の世界の僕は、全てを忘れることを望んだ。

 その時の気持ちって、きっとこんなものだったんだろうな。


「ああもう、さっきの言葉は撤回するのです、お前を壊してまで解決など出来ません!」

「やめて、それ以外に方法はないんでしょ?」


「なら、心が壊れてしまってもいいと言うつもりですか、私は許さないのです」


「……やだよ、そんなの」

「だったら尚更――」


「だったら、決断する時までに克服すればいい話だよね」


 博士は度肝を抜かれたような呆けた顔になった。


「お前は、自分がどれだけ無茶なことを言っているか自覚しているのですか?」


「十分ね、でも当てはあるよ」

「……一応、聞いておくのです」

「ありがと……僕が思うに、怖いのは分からないからだよ、なんで怖いのか分からないから、だから、何が怖いのかんだ」


「思い出すということは……ですが、頼んだとしてやってくれるのですか?」


「大丈夫だよ、前に『あと一回だけ』って言ってたから」

「……ふふ、”最後のわがまま”という訳ですか」



 イヅナは記憶の封印が不十分と言っていた。

 そしてそのせいで度々発作のような症状が起きるとも。


 きっとそれは、『僕』が忘れたがっていたトラウマだ。

 形の見えないトラウマに、ずっと悩まされ続けてきた。


 だから、そんなのはここで終わりにしよう。



「じゃあ、今日はロッジに戻るよ」


「まさか、今すぐに話をするのですか?」

「善は急げ、ってね」


「……では、おやすみなのです、いい夢を見るのですよ」

「あはは、それは保証しかねるかな」


 例え選択肢が一つしかなくても、結末にたどり着くまでの道は好きに彩ることができるはずだ。

 運命の一本道には、まだ先がある。

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