Chapter 003 Side コカムイ
3-29 けんきゅうじょ
ロッジの南、緑の葉をつけた木が生い茂る森の奥。海岸線のすぐ近くに、その建物はあった、まるで、周りの目を遮るように隠されて。屋根には緑の覆いが掛かり、壁の周りにツタがびっしりと行き渡り、保護色になって空からは見えなかった。そのツタの張り付き方も、おおよそ自然にそうなったとは考えづらい。
「ここがその研究所、みたいな場所?」
「ええ、詳しくはそこにいるヒグマに聞くのです」
ヒグマさんに説明を丸投げした博士は、壁の周りをグルグルと回って調べている。聞くところによると助手は図書館に残っているそうだ。とりあえずそっちは任せて、ヒグマさんに話を聞こう。
「じゃあ、聞かせてください」
「分かった、私たちが紫のセルリアンを探していたことは知っていると思う」
「それはまあ、僕たちが見たやつだからね」
遊園地の帰りに見たセルリアン、今までにない腕を持ち、おそらく新種、と赤ボスは言っていた。……あ、一応赤ボスもここに連れてきている。
「別に大したことがあったわけじゃないが……探してたら、あった。……えっと、まあ……それだけだ」
「随分ざっくりしてるけど、そんなもんだよね」
さて、見つけた経緯に大事そうな話はなかった。あえて挙げるとするならこれほどまでに分かりにくい建物を見つける目の鋭さくらいかな。
ひとまず、この建物がどんな役割を果たしているのか調べよう。研究所かもしれないし、もしかしたら何もないっていう可能性も考えられる。
「コカムイ、これを見るのです」
「どれどれ……」
博士が指さしたところを見ると、看板らしきものがツタに隠れている。この近くに入口があるとみていいだろう。看板には『ジャパリパーク中央研究所 キョウシュウ支部』と記されている。
「やっぱり、研究所みたいだね」
「やはりですか、では入口を探すのです」
「探すって言っても、ツタ取るだけでいいんじゃない?」
さっきも言ったようにこの建物の外壁をびっしりとツタが覆っている。ツタの間からも別のツタが見えて、何重にも重なっていることが分かる。こんな状態になるのに一体何十年かかるというのだろう? いっそ火でも放ってやろうか……と考えていると、イヅナの狐火は引火するのかな、と取るに足らない疑問が頭に浮かんできた。
当然火を放つなんてことはしない。僕はそういう危ないことをする人間では……あれ、フレンズだっけ? まあいい、とにかくツタは切り刻んで取り除くことにしよう。
「入口は多分看板側にあるはずだよ」
「では、看板側はお前に任せるのです」
「博士は?」
「他の場所に入口がある可能性もあるので、近くの探索をするのですよ」
「そう、じゃあよろしくね」
ツタを切り刻みたいんだけど、僕は刃物の類は持ってきてないしサーバルのような立派な爪があるわけでもない、かといって引きちぎるのも手が痛そうだからやめておきたい。だがここにはセルリアンハンターの3人がいる……んだけどヒグマさんとキンシコウさんは博士についていったみたいだ。
「リカオンさーん、手伝ってくださーい!」
「あ、はい、オーダー了解です!」
リカオンさんは爪やらなんやらを駆使してどんどんツタを捌いていく、しかし一向に建物の壁は見えてこない、一体どれだけ厚い『緑の壁』なのやら、しかし夏でも涼しそうで省エネにはちょうどいいと言えるだろう。そもそも自然にこんな厚い壁ができるはずはないのだが、何があったのだろう。
さておき、僕も何もするわけにはいかず、控えめにツタを引っ張ったり絡まったツタをほどいたりしてささやかな支援を行っている。
続けること数分、看板側の外壁に張り付いていたツタは取り除かれた。取り除かれたのだが……ない。
「い、入り口がない……?」
「確かにただの壁ですね」
こっち側ではなかったというのか。だったらこっち側に看板を立てないでほしいものである、でもよく思い出せば看板もツタに飲み込まれそうになっていた。もしかしたら片づけた看板を立てかけておいただけだったのかもしれない。
「仕方ないか、じゃあ右回りにツタを外しましょう」
「分かりました」
一部を取り除いてしまったらあとは結構楽なもので、巻き付いているものをゆっくりほどく感覚でのんびりと作業ができるものだ。
「リカオンさんは、セルリアンハンターの中ではどんな仕事してるの?」
「私は、偵察が得意ですね、セルリアンの様子をうかがって有利に戦えるような位置や方向を探りますよ」
「そうなんだ、セルリアンが相手だと危ない目に遭うのも少なくないと思うけど、そういうことってあったの?」
「危ない目、ですか……最近だと、巨大な黒いセルリアンのときですかね、目の前でどんどん大きくなるところは特に恐ろしかったですよ」
とこんな風に、話している内容は別としてほのぼのとした雑談を繰り広げることができたのだ。
黒セルリアンか……僕は話に聞いただけだけど、硬く、大きく、強い、滅多にないほど大きい脅威だったみたいだ。
「そのセルリアンは、海に沈めたんでしたよね」
「はい、ボスが自分ごと船に乗せて……沈めた後は、固まって小さい島になったんです」
「島に、って言ってもその上を歩きたくはないかな……あはは」
そこまで恐ろしいセルリアンが海に落としただけでやられるとは信じがたいけど、
現にやられちゃってる訳だからまあ、そういうものなんだろうね。
そして、すべてのツタを取り除いた。扉は看板があった面の左側――つまり一番の遠回りをして扉を発見したのだった。
扉に取っ手は見当たらず、自動ドアであると思われる。何かの間違いで動かないかなとノックしたり強めに叩いたりしたが、うんともすんとも言いはしない。とにかく入口を見つけただけでも十分な収穫だ、博士たちを呼びに行こう。
そう思い辺りを見回したその時気づいた。ツタが、周りの木々に絡みついていることに。幹にはグルグルと巻き付けられ、枝々からもツタが垂れ下がっている。その様子は、まるでここがジャングルではないかと錯覚させてくるようだ。
「今まで気づかなかったけど、ツタまみれだね……」
「ええ、そういえばそうですね……ってどこに行くんですか?」
「入口は見つけたから、博士たちのところにね」
「私も、ついていきます」
研究所から少し離れ、森の中で博士たちを探すが、ツタが先ほどよりも密集し、気を抜けば足をとられかねない。
「博士ー! ど……んんっ!?」
後ろから口を塞がれた。見ると博士がいて、口に指をあてて『静かにしろ』と僕に示している。
何が起こっているか分からないからおとなしく従って、小声で状況を確認することにした。
「博士、なにがあったの?」
「紫のセルリアンが現れたのです」
「……! どこ?」
「ここからは……死角になっているのです、それよりも、大事なことがあるのですよ」
大事なこと、今この状況でこれより大事なことなんて、イヅナがどうなった、くらいしか思いつきそうにない。
「あのセルリアンですよ、あいつは、ツタを出してくるのです」
「……ツタ?」
「ええ、胴体からビューっと生えてきて、周りに絡みつくのです、奴自身に絡まりそうなときは、鎌の形の腕で切り裂くのです」
なるほど、あの時見たあの腕はそういう目的だったんだ……ともあれ、ツタとなれば研究所にも関わっているだろうし、ただの新種で片づけられる話ではなくなった。
「……今は?」
「ヒグマたちが別方向から様子を探っているのです、我々も見える位置に移動するのですよ」
促され、博士についていく。移動すると、木々の間の少し開けた空間にそのセルリアンがいた。その周りを見てみると、ヒグマさんとキンシコウさんがそれぞれ離れた場所に隠れているのがチラリと見えた。
「セルリアンは日向の光に寄ってきた、って感じかな」
「……どうしましょうか」
リカオンさんはジロリと観察している。
「ツタに足を引っかけられたら厄介か……」
セルリアンは現状こちらには気づいていない様子。だが放っておく訳にもいかないだろう、僕は戦う力はないので、今はとにかく観察を続けて何かいい考えを……
「仕方ないですね、私が気を引いてやるのです」
「博士……?」
博士はおもむろに立ち上がり、飛んで木の上まで昇った。そして音もなくセルリアンの後ろから近づき、一撃、一撃で腕を一本持って行った。一瞬見えた博士の目はサンドスターで輝いていた。
その攻撃を博士の合図、そして畳みかける好機と見たか、ヒグマさんとキンシコウさん、そしてリカオンさんが木の影から飛び出し攻撃を加える。ツタを放ち腕を振り回し抵抗するも、瞬く間にセルリアンはその石を砕かれバラバラになってしまった。
「……気を引くってレベルじゃないよ」
そうだ、入口を見つけたと教えなきゃ、と僕も茂みから出て博士に話しかけようとした。博士もこちらを向いて、
「……っ! コカムイ、後ろに!」
突然の警告にたじろぎながらも後ろを確認する。そこにはさっきのとは比べ物にならないほど小さいセルリアンだった。しかしその色はさっきと同じ紫。本能的に発された頭の中の警告通り、その個体もツタを伸ばし、僕の足に絡めてきた。
「……っ、ていやぁ!」
思わずその足を大きく振る。するとセルリアンはその力に持ち上げられ、けん玉の玉のごとく大きく振り回されて木に激突。石が砕けたらしくバラバラになってしまった。
「あ、危なかった……かも……」
体から力が抜け、ペタリとその場に座り込んだ。
見ようによればシュールな光景であったかもしれないが、僕の心臓はこれでもかというほどバクバクと動き、僕の第六感は未だ命の危険を報せ続けていた。
そしてここだけの話であるのだが、セルリアンを振り回した時のコカムイ、その目は数分前の博士と同じようにサンドスターに輝いていた。そして、その瞳がイヅナと同じように紅くなっていたことは、その場の誰一人気づくことはなかったのである。
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