2章 第14話 後悔

 深い森の中、その一角。理由はわからないが、ぽっかりと穴が空いた秘境のような場所に、少年は居た。


 辺りに光源などなく、あるのは空で煌々と輝く月や星々の光と、遠く輝く学園、そしてそれらを取り巻くように並べられた家々から漏れ出す人工的で無機質な明かりのみ。


 しかしそれだけとは言え、地へと寝転び、空へと目を向ける少年──ルトが、物思いに耽るには十分な明るさであった。


「…………」


 口を開かず、空を眺める。

 決して辺り一帯に回復魔術がかかっている訳ではないのだが、ただここに居るだけでルトの心は癒されていた。


「久しぶりだな、ここに来るの」


 以前訪れたのは、ルティアへとこの場所を教えたあの日。


 ルティアやアロンと出会う前は結構な頻度で訪れていたここも、気がつけば久しぶりと感じる程度には来ていなかったようだ。


 ──きっと、ルティアやアロンと出会ってから充実した日々を過ごしていたからだろう。


 あの日、アロンが話しかけてくれたあの日から自身の悩みは減っていって……。


「ねぇ、ハデス」


 と。ルトが突然小さく口を開く。


『なんだ』


 脳内に響く低い男の声。安心感よりも先に恐怖を覚えそうなその声に、ルトは思い詰めたような表情のまま、


「アロンの事なんだけどさ……」


『お主もわかっているのだろう? 彼が何故ああも気を落としていたのかを』


「まぁ、予想はつくよ」


 初めてルトに破れたのだ。それも自身のミスが原因という最悪の理由によって。


 あの時、アロンはどうにも勝ち急いでいる様な印象を受けた。


 恐らく、いや間違いなく、アロンは格下だと思っていたルトが纏術の力を得た事で、自身との差が縮まっていると考え、焦りを覚えていたのだろう。


 それも自身の努力を怠った訳では決してなく、愚直に努力を重ねたというのに、じわりじわりと差が縮まっていく。

 その事にある種の恐怖を感じていたのではないか。


 もし自身がアロンの立場だったら、きっと耐えられない。

 焦り、恐怖を覚え、取り乱す。

 まず、間違いなく。


『ならお主は何を悩んでいるのだ』


 ハデスが問う。


 悩み……なのかわからない。


 ただ、一瞬だけ考えてしまったのだ。


 ──努力もせずに強大な力を手に入れた自身は卑怯な人間なのではないかと。


 そしてそれをハデスに伝えようとして、すんででぐっと口を結んだ。


 その言葉を口にしてしまえば、デーモンと対峙したあの時や、オーガと対峙したあの時の自身の選択を蔑ろにしてしまうような気がしたからだ。


 だから、ルトは一度フーと息を吐くと、


「何でもないよ。……それよりも僕は明日アロンに何て声を掛ければ良いんだろう」


『そっとしておく事だな』


「え?」


『今お主の方から関わって良い方向へ傾くとは思えん。それにどうであれ恐らく明日向こう方からアクションがあるだろう。お主はそれに対応すれば良い』


「そういうものなのかな」


 それっきりハデスの言葉は途切れた。後は自身でどうするか決めろという事だろう。


「……うーん、どうするのが正解なんだろう」


 やはりルトも今の3人の関係は壊したくなかった。


 故に、最善を求め頭を悩ませる……が、そもそも幼馴染であるリアリナを除き友人と呼べる存在が出来たのが初めてである為、最善も何もわからないのである。


 だからこそうんと悩み、ひとまずハデスの言うように明日学校で向こうから何かあるのを待つ事にした。

 もし明日何もなければ、その時は明日の放課後もしくは明後日にでもこちらから行動を起こせば良い筈だ。


 ルトはそう考えると、ぐっとその場で立ち上がった。

 そして、商会で手に入れたランプへと火を灯すと、魔物を警戒しつつ自宅のある街の方へと歩いていった。


 ◇


 広々とした部屋に置かれた家具の数々。

 決して派手という訳でもなければ、特段地味という訳でもないその部屋の一角に、1人の少女の姿があった。


 湯浴みをしたのだろう、上気した頬と少し乱れた金色の髪のまま、大きなベッドへと横たわる少女。

 そんな彼女の姿からは、思春期の少女らしからぬ色気を感じられる。


 ……恐らく要因として、お風呂上がりであるというのもあるだろうが、それ以外にも少女──ルティアの表情が気難しげである事も一因であろう。


 彼女の表情が優れない原因はもちろん一つ。


「──やはりこうなってしまいましたか……」


 予感はあった。

 きっとアロンはルトに負ければ今までの思いが爆発してしまうだろうと。


 だからこそ、アロンの事情を唯一本人から聴き知っているルティア自身が、もう少し早く気づいて何か行動を起こすべきだった。


「──あの時、どうしてアロンさんに声を掛けられなかったのでしょうか」


 大切な2人の友人。そんな彼らとの関係を今後も壊したくはない。


 その筈なのに、アロンが敗北してその場を去ろうとした時、ルティアの口から出たのは、気の利いたセリフでも、気遣うようなセリフでもなく、ただアロンの名前だけだった。


 この友人関係を壊したくない。以前から強くそう思っていながら、いざと言う時に何もできない。

 その事がどうしようもなく悔しかった。


「──明日アロンさんに謝らなくては」


 言ってルティアは、事情を知っていながら手を差し伸べられなかった、自身の弱さにグッと口を結んだ。


 ◇


「ただいま」


 家に帰ると、アロンは小さく口を開く。

 すると、丁度料理をしていたようで、目先のキッチンに立つアロンの母──カザニアがくるりとこちらを向いた。


「あら、アロン。随分と早いじゃないか」


 朝、いつもの友人と遊びに行くと意気揚々と出て行ったのだ。てっきりもう少し遅くなるものだとカザニアは考えていたのである。


 そんな考えのもと吐かれたガザニアの言葉に、しかしアロンは一切返事をする事なく部屋に向かおうとする。

 慌てて、カザニアが口を開く。


「どうしたんだいアロン。……何かあったのかい?」


「別に。ちょっと疲れただけ」


「遊びに行ったってのに疲れたって。……それで、今日は楽しかったかい?」


「楽しかったよ、楽しかった。……でもやっぱ疲れた」


「……そうかい。ま、とりあえず夕飯はまだだから先に水浴びでもしてきな」


 確かに今までも疲れて帰って来る事はあった。そして現在のアロンの態度はその時と殆ど変わらない。

 しかし、カザニアはそんなアロンの姿にどこか違和感を覚えていた。


 が、だからと言ってその違和感の説明は出来ず、またいつもなら幾らテンションが低くとも翌日にはすっかりと回復している為、今回もひとまずは普段通りに過ごす事にした。


「わかった」


 アロンもそこに不満は無いようで、素直に頷くと水浴び場へと向かった。


 ◇


 水浴びを終えたアロンは、その後すぐに部屋へと向かった。

 そして部屋に入ると、崩れ落ちる様にベッドへと倒れこむ。


「…………」


 薄暗い部屋の中へ時計の針の音が虚しく響き渡る。

 その部屋の雰囲気が、何とも言えない憂いを与えている。


 しばらくして、アロンは身体の向きを変えた。

 横向きに寝転び、暗い室内を意味も無く見渡す。

 そしてその視線を一点、自身の装備へと向けるとアロンはグッと口を結んだ。


 ──初めて、ルトに負けた。


 それも『勝てると思い、気が緩み、ミスをしてしまう』という戦闘を生業とする、もしくは生業としようと考える人間が絶対にしてはいけない驕りによって負けたのだ。


「……何してんだ俺は。明後日には序列戦の対戦相手が決まるってのに、なのに気を抜いて負けなんて」


 そう、明後日には自身の今後を大きく左右する大事な試合があるのだ。それなのにこの日得られたのは『敗北』の2文字だけ。


 それに──


「……ルティアちゃん、泣いてたな」


 アロンの内情を唯一知ってるからか、ルティアは目に涙を浮かべていた。

 3人で過ごす日々を大切にしている彼女の事だ。その関係に少しでも亀裂が入ってしまわないかと、そう考えてもいることだろう。


 心優しい彼女の事だ。きっとそうだ。


 それにルトだって混乱していた。原因は間違いなくアロン自身である。


「せっかく楽しい雰囲気だったのに勝手に俺が壊して──2人には、悪い事をしたな」


 ルト、ルティアの2人にとっても明後日は大切な日だ。それなのに、自身の都合だけしか考えないアロンの行動により、2人にいらない心労を与えてしまった。


 情けなかった。申し訳がなかった。


 だからこそ、アロンは強く決意する。


「明日……2人に謝ろう」


 きっと2人ならば許してくれる。アロンはそう確信のままに呟くと、目を瞑りそのまま夢の世界へと旅立っていった。

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