第10話 無垢とざわめき

 翌日。ルトはいつも通りに支度をすると、軽やかな足取りで学園へと向かった。

 そして到着すると、すぐに1限の行われる教室へと入る。


 そこは中々に巨大な部屋であった。


 大きな黒板と、そこを中心として同心円弧状に並ぶ生徒用の机。


 本日はいつもよりもだいぶ早くに着いたからか、まだ学生の数も少なく、疎らであった。


 しかし少ないとは言え、生徒はいる。

 ルトが教室に入った瞬間、彼らの視線がこちらへと向き、何やらコソコソと話していた。


 大方、無能がどうこうとか、そういう内容であろう。


 コソコソと何かを言われる経験はほぼ毎回の事である上に、こちらに実害がある訳でもない為、最早気にもならなかった。


 くるりと見渡す。するといつも座っている、一番後方の左端の席が空いていた為、そちらへと移動し、席へと腰掛けた。


 そして、特にする事もない為、机に右肘をつき手にアゴを乗せ、左側つまり壁の方向へと顔を向けた。


 無機質な、しかしどこか上品さの感じられる壁が目に入る。


 と同時に、ルトは考えごとを始めた。


 それは、今まで特に話題に上げなかったが、ルトが生活する上で欠かす事ができない、アレ──そう、オーガ戦で見事に真っ二つになった、ルトの得物である短剣についてだ。


 使用する以上、いつかは壊れる。それはわかっているのだが、金のないルトからすれば、この破損がある意味で致命傷となりうる出来事であった。


 再び買う為にはお金が必要。しかし、ルトにはそれを買えるだけのお金がない上に、稼ごうにも得物を失ってしまった為、現状どうする事もできないのだ。


 唯一方法があるとすれば、食費を更に減らし、割の良くない非戦闘系の依頼を受け、何とかお金を貯める事だが、非戦闘系の報酬と短剣の値段を考えると、あまり現実的ではなかった。


「……どうしよ」


 と、ルトが何か他にないかと方法を探っていると、突然教室内にざわめきが起こった。


 何かあったのだろうか。ざわめきの種類から緊急性を要するものではないと判断したルトは、呑気にそう考えながら、ゆっくりと視線を眼下へと向けた。


 すると、講義時間が近づき、先程よりも人数の増えた生徒達の殆どが、とある一点……教室の後方の、ルトとは真反対の方を見つめていることがわかった。


 どこか見惚れているような生徒達の視線。その視線はゆっくりと流れていき──遂には、ルトの方へと視線が向いた。


「…………ッ!?」


 ビクリと肩を震わせる、ルト。

 何かやらかしただろうか。脳内で考え、原因を探る。


 と、そこで。何やらざわめきが大きくなる中。


 何者かが、トントンとルトの肩を叩いた。

 ビクリとしながら、バッと後方へと目を向ける。


 そこには……《天使》が居た。


「……ルトさん、おはようございます。ふふっ、驚きましたか?」


 《天使》はどこかしてやったりといった表情で、小さく笑う。

 ルトはそこでやっと、胸をなで下ろすと、ハハハと笑い、口を開いた。


「ルティアさん、おはよう。……うん、今日一驚いたよ」


「それだとあまり驚いてないように聴こえますわ!」


「いや、ほら昨日あんな事があったからさ……」


 2人の脳内に、オーガの姿が浮かぶ。

 と同時に、ルティアはシュンとした表情を浮かべると、


「確かにそうでした。……戦闘面では勝利をしたのに、まさかここで敗北をするとは思いませんでしたわ」


「……あはは」


 当たり前のように可愛いなと思いつつ、ルトは笑う。

 ここでざわめきは最高潮に達した。


 あの《天使》が何故無能と話しているのか。


 大凡そんな内容の話を、教室中の生徒が口々に言い合っている。


 しかし、ルティアはそんな生徒達の声を全く意に介せずにルトの方へと目を向けたまま、


「隣、よろしいでしょうか?」


「うん、勿論」


「ありがとうございますっ」


 言って、ルティアが隣へと腰掛ける。


 円弧状に並ぶ机のうち、両端は2人用であった為、ルトのほんの数十センチ横にルティアが来る事になる。


 ふわりと、上品なしかし少女特有のどこか甘い香りがルトの鼻腔をくすぐる。


 ルトが右横へと目をやると、近くにルティアの顔があり、サラサラとまるで宝石のように美しい金髪をなびかせながら、彼女は手を口元に当てニコリと微笑んだ。


 ルトの心臓がドキリと跳ねる。


 脳内で小太りの男が、「惚れてまうやろーーー!!」と叫んだ。

 訳がわからなかった。


「そういえば、ルティアさんはいつも一番前に座っていたよね」


「はい。 ……しかし今日は、ルトさんと共に講義を受けたかったので、後ろに来てしまいました」


「…………!」


 再度脳内で小太りの男が、「惚れてまうやろーー!!」と叫ぶ。

 過去を思い返したりもしたが、やはり訳がわからなかった。


 そんなこんなで、2人が談笑をし、周囲がやはりざわざわとしたり、教室に入ってきた教師が、最前列のど真ん中にルティアの姿がないのに気がつくと、キョロキョロと辺りを見渡し、ルトの横に座っているのを発見すると、ギョッとした表情を浮かべたり……。

 などなど色々な事があったが、兎にも角にも本日の一時限目である、纏術論の講義が始まった。

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