長兄の役目
四方八方に吐き散らされた無数の凍てつく光芒が敵を薙ぎ払う。
大地を氷が覆い、木々は容貌を白く変えた。
空気中の水蒸気が細かい氷の結晶となって、まるで水晶の欠片を散りばめたかのようにキラキラと瞬いていた。
目の前まで迫っていた戦鬼は、三日月刀を振り上げたそのままの姿で絶命していた。まるで純白の樹氷のようだった。やがて、腕が三日月刀の重みに耐えられず肩から脱落した。落下した腕は光り輝く細かい粒子となって、やがて砂のように崩れ消えた。
カラハリが強引な手法で発動させた「雪月華」は本来の威力には遠く及ばないものだ。それでも目の前の軍勢を一撃で消し去るには十分だった。本陣に立ち並んでいるのは純白の雪像が約千。弓弦をぴんと張ったような静寂の中で、屋根に積もった雪が地面に落ちるような音がどこからともなく響く。雪像の腕や胴体が次々と崩れ落ちているのだ。
丸太の指揮台に目をやると、こんもりとした白い小山の中に甲冑が
終わった――。
体を放るように横たわった。ひび割れた腕は黒く変色していて、灰だが煤だかのような物が落屑のようにぼろぼろと剥がれ落ちていく。自分の腕ではないみたいだが、これが肉体契約の代償だとしたら想定よりはずっとマシだ。もっとこう、腕がちょん切れてどっかいくとか竹を割るみたいに足が裂けるとか、惨たらしい光景を想像していた。
瞼が重くなっていく。
役目は果たした。本陣を葬り去った今、残るはすでに村に差し向けられた軍勢のみだ。数こそご立派だが、信念なき雑兵の寄せ集め。すぐに散り散りになるだろう。
少し休もう。カラハリは遠のく意識に身を預け、鉛のような瞼を閉じた。
だが、カラハリの意識をかろうじて現実に繋ぎとめたのは、突如として炸裂した物凄い破砕音だった。
「いい加減にせんか……眠いんだこっちは」
カラハリは、両手に甲冑を持ちながら白い小山を突き破って現れ雄叫びを上げている戦鬼を眺めながら呟いた。
両手に掲げている甲冑、それに戦鬼が装備している甲冑のいずれも、呪紋が浮かび上がっていた。鉄仮面は剥がれ落ちていて、霞んだカラハリの目ではどのような顔立ちかはっきりと分からないが、明らかに戦鬼のものではない別の顔が貼り付いていた。
魔技を掻き消す甲冑の呪紋も高位呪文を完全防御するには至らなかったが、減衰させることはできたのだろう。あの最後の一人は、仲間の甲冑戦鬼を盾にして生き残ったのだ。
ひとしきり吠え終えるころには、呪紋は薄れて消えていた。甲冑戦鬼はノコギリ刀を引きずり歩き始めた。地面に刻まれた刀の軌跡が向かう先は、言うまでもなくカラハリだった。まだ数十メートルは離れているというのに、深くて荒い鼻息がまるで耳元で吹きかけられているような音量で聞こえてきて、戦鬼の怒りを表象している。
カラハリは内心苦笑いしながらも、剣士の誇りである愛剣、水月を探った。ただやられるまま、何もしないでいるのは矜持に反する。例え勝ち目がなくても、抗える限り抗ってやる。
だがそんなカラハリの精神に反旗を翻すがごとく、肉体は石と化したかのようにぴくりともしなかった。腕どころか指すらわずかにも動かない。これではまるで息する置物だ。
目と鼻の先まで至る甲冑戦鬼になす術なく――。
甲冑戦鬼は切り立つ刃のノコギリ刀を両手で振りかぶった。
元々力量に合わぬ大役。よくぞと称えられこそすれ、よくもと罵られることはあるまい。
「勝手に諦めるなや、若人よ」
―
甲冑戦鬼はノコギリ刀を振り上げたまま小さく痙攣した。そしてどうっと倒れた。人の顔をした戦鬼は人と同じ目を大きく見開き、こめかみから血を流して動かなくなった。
―
カラハリの体を温かい光が包む。カラハリに触れる手は、柔らかな光とは対照的にごつごつと固くて乱暴だ。
「危なかったな、一度もわしに勝てなかったくせに棚ぼたで村の長兄役に収まったカラハリ・ローランよ?」
「やかましい。俺に追い越されるのが怖くてグロイスへと勝ち逃げしおったドゥーレム・バグマンめが」
「減らず口を叩く余裕があるなら、ちょっと休みゃあ死にはせんわ」
ガハハと大笑いする男こそ、かつてパック、ラーラルドに継ぐ三番手の実力者として君臨し、現在はカール軍将軍の座に就くドゥーレム・バグマンだった。何であんたがここにいる!?
「全然治らねぇな。お前やっぱ死ぬかも?」
肉体契約による体の損傷に対して治癒呪文は効果が薄いらしい。「うぇ、何か灰みたいの付いたんだけど。汚ね!」と眉を八の字にしながら手にふうふうと息を吹きかけている。助けてもらってなんだが、普通に殺してやりたい。
「もういい。お前の大雑把な
「
「死んでもいいとは思ったがな。死ぬ気はなかったぞ。敵が我々の常識を超えていたのだからやむを得なかった。戦鬼がどこからともなく際限なく湧き出てきて、統制の下で進撃していたのだ」
「で、こいつがその指揮官かい」
どこかで見たような
「村にはまだ戦鬼軍が大挙している。今日を最終決戦と位置づけ、パック流剣士全員で大いに討ちのめしているはず」
カラハリはよろめきながらも体を起こした。ドゥーレムの治癒呪文も全く無駄ではなかったらしいが、まだ立ち上がることはできず膝をついた。
「残党を掃討する」
「その体でか。やめとけ。どうしてもと言うなら行く前に遺書を書いとけ。何ならわしが代筆してやろうか。『ドゥーレム・バグマンに一生勝てなかったことを認め、全財産を譲ります』とか」
と、ドゥーレムは挑発しつつ手を差し出した。誰が一生だ、その内勝つわ。カラハリは差し出された手を取り立ち上がろうとして――。
ドゥーレムの手を強く引いた。
「伏せろ!」
倒れていた戦鬼の甲冑に呪紋が稲妻のように走った。戦鬼の背中が千切れんばかりに反り返る。伏せろと叫んだはいいものの、この後何が起こるか分からない。カラハリとドゥーレムは、狂ったようにのたうつ戦鬼に言葉を失って眺めるしかなかった。
そして戦鬼は爆ぜた。
肉塊が飛び散り、臓物の一部がカラハリの頬にも跳ねた。
空中には、甲冑に描かれていた呪紋と同じ魔法陣が本陣に蓋をするかのように赤く現出していた。どろりと滴るその赤は戦鬼の鮮血だ。
地響きを立てながら次々と魔法陣から降り立つのは、新たな戦鬼たちだった。魔法陣から吐き出される新たな軍勢はみるみる広場を埋め尽くした。その中に一際大きな戦鬼が二体いた。甲冑戦鬼だ。
ここに至りカラハリは、甲冑に施されていたもう一つの仕掛けを悟った。原理はカラハリが行使した肉体契約と類似している。まず甲冑に転移魔法陣を埋め込んでおく。そして戦鬼の生命そのものを贄として転移魔法陣を起動し、無数の軍勢と甲冑戦鬼を送り込んできていたというわけである。甲冑戦鬼は指揮官である他、増援を送るための媒介という役割も負っていたのだ。
二体の甲冑戦鬼。つまりこれを転移魔法陣が起動される前に倒すことができれば、敵の増援はない。……というか、
「さっきお前がきっちり殺しておけばこんな二度手間にはならなかった」
「こめかみぶち抜いたのに意外と頑丈だったやな」
と、ドゥーレムはガハハ笑いである。
「まぁ、お前なんぞよりはるかに強いドゥーレム様に全て任せておけば安心じゃ」
「馬鹿な、一人でやる気か」
「死にかけのお前なんぞ足手まといじゃ。大人しくしとれい」
ドゥーレムはカラハリを囲うように四本の短剣を突き立てた。
―パック流『狂咲』大輪之陰―
何物をも寄せ付けぬ四角錐型の防御壁がカラハリを包む。
「ちょいと行ってくる。もしも、いいかもしもだぞ。わしが死んだら大輪之陰も消える。そん時ゃ何とかしてこの場を逃れろ」
準備を整えたドゥーレムは夢現を肩に担いだ。
「刮目せい!! ドゥーレム・バグマンが
―
大! 精! 霊! ドゥーレム!!
一音一音区切るように、そしてその区切りごとにいちいち謎のポーズを決めながらドゥーレムが叫んだ。背中に霜雪がごとき純白の大翼が花開く。何の精霊のつもりなのだろう。タヌキ面だからタヌキの精霊だろうか。
「ふおおおおおおぉぉぉぉぉぉおおお!!!」
ドゥーレムの絶叫は戦鬼軍の真っ只中へと消えていった。
長兄役は元々性に合わん。お前に返す。カラハリはそう呟いたが、間違いなくドゥーレムに聞こえてはおるまい。それでいい。
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