夜の光柱

「しかしそのためには船も新調せにゃならん。ビクトリー号もいい船だが遠洋航海に耐えるかっつーと……ちと不安だな」

「モリアーティーに行くのは遠洋航海に入るのか?」

 ビクトリー号でモリアーティーまで行けるならこのまま連れて行ってもらった方が話が早い。

「何じゃ小僧、前のめりになりおって。モリアーティーに興味あんのか」

 ベアードは毛でもじゃもじゃの腕を組んだ。「いや別に……」と口ごもる。

「モリアーティーはユネハス以外と交易してないって、さっき言われたばっかでしょ」

 つっけんどんに言うのはハンクである。

「ハンク坊ちゃんの言う通りだ。カールの船はモリアーティーに入国できん」

 ほら、とハンクは笑った。ジョージは全くもって面白くない。

「ま、どの道ビクトリー号じゃモリアーティー行きは無理だがな」

と、ベアードは腕を組んだまま開き直り、大きい顔をした。

「遠洋航海って奴か? やっぱ遠いのか」

「最短ルートだと西大怒海、東大怒海を抜けて、ゴスペル諸島で補給しながらモリアーティーの港町ポートを目指すことになる」

 ベアードは世界地図を広げ、指で辿って見せた。

 西大怒海はカール島の東側の海である。そこから十字型の島「聖地」を挟んでさらに東に広がるのが東大怒海だ。ちなみに、カールの東の海が「西大怒海」となっているのは、聖地を基準にして東西の大怒海が命名されているからだ。

「ゴスペル諸島まで到達すればゴールしたようなもんだが、東西の大怒海をビクトリー号くらいの規模の船で踏破しようなんてのは自殺行為だ。その名の通り、荒れ狂った海域だからな。どんだけ時化しけても負けないくらいでかくて重くて水や食料も山ほど積める船が必要だ」

「こっちは?」

とジョージが指差したのは中央大陸の北側の海、北サイレス海である。カール島から見ると西に広がる海域だ。

 コーラリに到着した後、そのまま中央大陸の北の海岸線を辿って西へ進めばすぐにモリアーティー領土に到着するのではないかというのがジョージの見解だった。

 カールのヴィクティーリア王も、コーラリで馬車を雇って西へ、まずはモリアーティーとの国境に一番近いドンティーという町を目指すように言っていた。東の大洋へ乗り出すよりも西へ進路を取る方が道理に思えた。

「意外と勘がいいじゃねぇか」

 ベアードはにやりと笑った。だろ? とジョージも釣られて口角が上がる。

「確かに昔モリアーティーからカールへ行くのに使った航路は、お前の言う北サイレス海ルートだった。だがこの航路は今は使えねぇ。何でか分かるか? ヒント、世界地図」

 ジョージは地図に目を凝らした。気付けばハンクも隣で身を乗り出している。

 中央大陸北東部沿岸、リアシー共和国首都コーラリ。

 そこから西へと海岸を辿ればドンティーがある。

 さらに西へと目を動かす。

 中央大陸北西の端にエソリスと書いてある。モリアーティー公国の首都だ。港町ポートはエソリスのすぐそばである。

「あ」

 先に答えに届いたのはハンクだった。さっぱり分からないジョージは密かに歯ぎしりした。

「ドンティーから先、補給ができない」

「さすが坊ちゃん、大正解」

 ベアードは大げさに手を叩いた。

「かつてはモリアーティーの北の海岸沿いにいくつか街があって大型船が入れる港もあった。だが、いつの間にやらモリアーティー政府が街を内陸部に移し、港も閉じられちまった。ドンティーからポートまで、ほとんど大陸横断みたいな距離を補給なしで行くのはビクトリー号じゃ無理だ」

「何でモリアーティーは港を閉じたんだよ」

「んなモン俺が知るわけねぇだろ」

 ベアードは切り捨てると、そろそろメシにすっか、と船室に降りていった。

「随分食いついてたね」

 ベアードが階段を下りていくのを見届けた後にハンクが言った。

「何のことだ」

 はぐらかすの下手かよ、とハンクは笑った。

「モリアーティー公国。謎に包まれた大国だよね」

「みたいだな」

 カールとモリアーティーは交易を行っていないので、謎に包まれた大国というのは言い得て妙である。

「本当はモリアーティーに用があったりして? 武闘大会はただの大義名分で」

 当たってるわ。鋭い。

「何のことだ」

 もはや意味を成しているとも思えないが、一応ごまかしておく。しかし語彙力不足のせいで虚しさに拍車がかかった。

 ハンクは肩をすくめた。


 わずかに欠けた月の明かりが水面みなもに反射し、暗い海はほのかに輝いて見える。

 ジョージは不知火を抜いた。下段に構えた直後、刀身が黄金色に輝く。

 甲板を蹴った。真上に五メートルほど跳躍する。

 黄金色の輝きも空中へと尾を引いた。

 剣を左に斬り上げるや、海から水柱が噴き上がった。船がぐわんと左右に揺れる。水柱の高さはビクトリー号のメインマストをゆうに越え、やがて海水が滝のように降り注いだ。

「あとで掃除しとけよ」

 誰もいないと思ってたのに。

 苦言を呈したのは船首の獅子像に座っていたベアードだ。彼は肩にひっかかった海藻を海に投げ捨てた。甲板には打ち上げられた魚が数匹跳ねている。

「てかすげぇ技だな。大砲みたいだ」

 全然すごくない。

 臥竜天星。

 大地を割り、足元から間欠泉のように噴き上がる奔流で敵を飲み込み滅する。

 しかし未完成の秘剣だった。未完成なのにすごいなどと褒められるのは不本意だし、殊更にプライドが抉られる。

「その技でドゥーレム・バグマンを倒したのか?」

 ドゥーレムを仕留めたのは確かに臥竜天星だった。だが、当たったのはまぐれだ。

 ドゥーレムが繰り出したのは、「万象切り裂く白き乱刃」の呪文を応用した千刃白翼剣というオリジナル技だった。生半可な攻撃では撃墜できないと判断し、未完成なのを承知で無我夢中に臥竜天星を放ったのだ。

 撃つだけなら以前からできていたが、狙いが上手く定まらない。噴き上がるタイミングがずれると光の柱を作るだけの曲技になってしまう。

「ホントは向こうに突き出てる小さな岩を狙ったんだ」

 斬撃は海を割り、狙いの小さな岩よりはるか手前で暴発。結果として海水の噴水に魚のオマケがついてきた次第である。

「岩ぁ? どこだよ」

 ベアードは怪訝そうに目を凝らし、やがて、

「夜目がきくんだな」

と、少しずれたコメントをした。

「魔獣バグマンを倒せる技まで持ってて何が不満なんだ、贅沢な奴め。エリート揃いの第一守備隊が束になったってバグマン一人に勝てねぇんだぞ」

「いくら強い技だって当たらなきゃ意味ないじゃん」

 当たったのが偶然だと誰よりも良く分かっているので、ジョージはふてくされる。

「実際そこの岩にもかすりもしなかったし」

「あんま気にすんなや。海は距離感が難しいんだ。だだっ広い海には目印になるモンがねぇから、目測と実際の距離が全然違ったりする」

 この男に慰められると心底複雑な気分になる。

「島影がはるか彼方に霞んでて遠そうだなーって思ったら二時間くらいで着いちまったり、逆にはっきり見えてるのに一向に着かなかったりな。海ってのは難しいんだよ。ましてやわけ分かんねぇ剣の技を当てるなんざ、魚獲れただけでも良しとせぇ」

 そしてベアードはいきなり地響きのようにがなった。

「おいロッツ! 魚持ってけ! 明日の朝飯だ!」

 直後、ロッツ・サンダースが船室から飛び出してきた。甲板を跳ねる魚たちに一瞬面食らった様子だったが、次なる地響きが襲い掛かる前に魚を回収して船室に逃げるように去っていった。

「しかしモリア銀の剣は揃いも揃って強ぇな。いや、使い手が強ぇのか?」

 サンダースが引っ込むのを見届けながら、ベアードが独り言のように呟いた。

「揃いも揃って?」

「魔獣バグマンの剣もモリア銀だろ。グロイスに戦鬼の群れが紛れ込んできたことがあったんだがな、バグマンの剣がばっさばっさと一刀両断していたのを覚えている」

「オレとドゥーレムは流派が同じでね」

 ジョージは不知火の柄を軽く叩いた。

「あいつの『夢現』も、オレの『不知火』も先生に作ってもらったんだ」

「お前の先生、刀鍛冶か!?」

 しまった藪蛇だったか! 頬が引きつった。

 よく考えたら、武器商人たるベアードがいかにも食いつきそうなネタである。

「紹介してくれ! うちの流通経路! 販路拡大! 大儲け!」

と過呼吸気味で単語を並び立てる。このままでは煩わしい方向に話題が向かいそうだ。

「先生の剣は売り物じゃねぇ!」

 話題を誤ったのはジョージだ。早急に話題を逸らしにかかる。

「ところであんた、武器商人だったら武器の一つや二つ心得はあるか? 修行の相手して欲しいんだけど」

 ベアードは一瞬目を丸くしたが、すぐに斜に構えた笑みを髭面に浮かべ、ジョージの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。豪快過ぎて首から左右に揺さぶられる。

「悪い悪い、お前の先生ってのは商売で剣を作るわけじゃねぇんだな」

 ジョージが急いで話題を変えようとしたことはベアードには筒抜けで、ベアードなりにその理由を斟酌したようだ。

「その剣、」

と、ベアードの視線の先は不知火である。

「よほど大切なんだろ。俺だってこういう仕事してりゃあ思い入れのある武具も多い。お前の気持ちは分かるぜ」

「急に殊勝なこと言うな、気持ち悪い」

と、うっかり本音が滑ったところでベアードは目を剥いた。

「てめぇ、人がせっかく! 表に出やがれ、剣の相手してやる!」

「ハッ、言ったな。吠え面かかせてやるから覚悟しろ」

 ジョージは不知火をベアードの鼻先に突き付けた。

「……ところで、表ってどこだ」

 二人がいるのは船の甲板である。表玄関もいいところだ。

「……ここだ!」

 ベアードは開き直った。

「ちょっと待ってろ、剣取ってくる!」

と、振り返り振り返り「逃げるなよ!」と念押しをしながら、ベアードは船倉に走っていった。

 締まらねぇな。

 ジョージは甲板の手すりに寄りかかってパックの手紙を広げた。剣士ではないベアードがどこまで相手になるかは未知数だが、一人で修行するよりはマシだと信じたい。少なくとも動くまととして、岩を狙うよりはいいはずだ。

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