第六章 餞の剣

船出の時

 早朝の港は慌ただしい。海の男たちが籠や網を担いで行き交っていた。しかし、ジョージは漁師たちに用はないし、海北丸や潮騒丸などの漁船に目もくれない。

 目標はカール港でも一際目立つ帆船、ビクトリー号だ。

「来たな! ジョージ・パーキンソン!」

 豪快に声をかけてきたのは桟橋の前で仁王立ちしていた男だ。雪のちらつく寒空の下、なんとランニングシャツ一枚に鉢巻を巻いていた。そして一体何をやっていたのやら、全身からもうもうと湯気が立ち上っている。

「冗談だろ……」

 とんでもないところに来てしまった。ヤダもう帰りたい……。

 ジョージは何かの間違いであるようにと切に願いながら、改めて船名を確認した。


『ビクトリー号』


 望みはついえた。心底残念だが間違いない。三日前にヘミン通りで出会った髭もじゃ鉢巻武器商人の船こそ、これからジョージが乗る船だった。

「リアシー武闘大会に出るんだってな。お前みたいな小僧がなぁ。珍しい剣を持ってるとは思ってたが、そこまで強いとは思わなかったぞ」

「ベアードさーん!」

 甲板から別の声が響く。

「ジョージ来た?」

「おう、すぐに出航だ!」

と、武器商人は甲板の声の主にも届くようにがなった。

「ぼさっとすんな、来い!」

 どすどすと桟橋を渡る武器商人にしてビクトリー号船長マスル・ベアード。断じてぼさっとなどしていないが、そんな抗議をする暇もなかった。

 こうしてジョージは初めての船に乗り込んだ。


「おはよう」

「おはようじゃねーよ!」

 乗り込んだそばから甲板で吠える羽目になった。

「何でいんだよお前!」

「僕の叔父も選手なんだよ? せっかくだし見に行こっかなぁってさ」

 飄々と答えたのはハンクだ。

「嘘つけ、観戦に行くだけならそれは何だ」

 ハンクは背丈と同じくらいの長さの槍を背負っていた。石突に黄色い宝玉が嵌められている。

 聞けば、ハンクの叔父マーティン・テイラーがドゥーレムから譲り受けた品らしい。元々はドゥーレムがカール守備兵団長への就任祝いとしてヴィクティーリアから賜ったのだが、彼は魔法強化剣「夢現」を持つため槍など無用の長物で、部下のテイラー一佐に回ってきた一品である。

 どうせハンクのことだから、叔父の家からくすねてきたに決まっている。こいつは涼しい顔してあくどいタイプだ。

「どんな危険があるか分からないからね。魔法力だって限りがあるし、護身用に武器の一つくらいないと」

 もっともらしい言い訳もやっぱり上っ面だ。

「リアシーってのは治安が悪いのか?」

「グロイスよりいいくらいだよ」

「……絶対いらないだろ槍」

「備えあれば憂いなしって奴さ」

 ハンクは朗らかに笑った。

「邪魔だどけ小僧!」

 肩に大きな木箱を担いでのし歩いてるのはベアードだ。

「どいていただけますか、テイラーさん家のおぼっちゃま」

対照的に、ハンクに対しては深々と頭を下げる。

「えー、ハンクの扱い全然違うじゃねぇか」

 ジョージは不平を述べたが、

「当たり前だ、大事なお得意様だぞ。お前なんぞとは格が違うんじゃ!」

と、ベアードは大声で一蹴する。

「暇なら手伝え。船倉に運べ」

 甲板には木箱が山積みだ。船員たちもさっきから甲板と船倉をひたすら往復している。

「中身は大切な商品だ。傷つけたら許さん。丁寧に、急いで運べ」

 初心者には無茶な要求を突きつけ、ベアードは船倉に消えていった。かと思えば、船倉からの怒鳴り声が船を揺るがした。

「くぉらー! ロッツ! てめぇ何のんきに爪なんか切ってやがんだ! もうすぐ出港だって言ってんだろ。ちっとは働かんか! とりあえずこれ持ってけ! ……ああ!!」

 ベアードの悲鳴と共に、木箱が落下し中身が散らばる音がした。不憫な船員ロッツ・サンダースにベアードの雷が落ちた。


「すげぇ、ちゃんと浮いてる!」

 その場でドンドンと足踏みするジョージを、ハンクはからかい口調でつつく。

「当たり前だろ、船なんだから」

 湾内を出るや、ビクトリー号の真っ白な帆は風をはらみ、快調に海上を滑り始めた。

「すげぇ! 進んでる!」

 船首が波を切り裂き白波が立つ。

 これが船か!

 ジョージは甲板上を右舷に行ったり左舷に行ったりせわしなくうろついていた。

「ジョージ、いい加減中入ろうよ。寒いだろ」

 ハンクの髪が風でめちゃくちゃに振り乱されている。

「もう少し」

 柵から身を乗り出した。白波の飛沫が頬に触れる。

「ハンク来いって! 波が飛んできた!」

「僕はいいや」

 ハンクは呆れたような表情をしたが、一人で船室に引っ込むことはなく、上着の襟をしっかり締めた上で、弟を見守る兄貴分のようにそばについていた。

 グロイスからコーラリまで通常は六日かかるそうだ。最初の三日で到着するのがカール島と中央大陸の間にあるナノリ島である。三時間もあれば徒歩で一周できてしまうくらいの小さな島だが、カールと中央大陸の中継地点として古くから栄えていた。ナノリ島から南がリアシー共和国の領土となる。ナノリに一日滞在し、さらに二日かけてリアシー共和国首都コーラリへ向かうのだ。

 コーラリへの到着が予定通りだったとしても、武闘大会はそのわずか二日後から開幕する。相当にタイトなスケジュールだった。

「ちょっとトラブルがあると間に合わなくなるね」

 ハンクは心配そうに呟いた。

「トラブルだぁ? ビクトリー号に限ってトラブルなんかあるわけねぇだろ」

 腰に手を当てて大笑いしているのはベアードである。もはやランニングシャツも脱ぎ捨て、上半身裸に短パン姿だ。断っておくが、今は真冬である。それも冷たい風の吹く船上だ。ジョージもハンクも厚い上着を羽織っている。

「あんたが一番トラブルメーカーな気もするけどな」

 ジョージが渋い顔をすると、ベアードは「何だと!?」と目を剥いた。

「こちとらウン十年船乗りやってんだ。お前くらいの歳の頃には世界中を回っとった。馬より船の方が自在に操れらぁ」

 そう言えば、とベアードは首を傾げた。

「お前、馬はどうした?」

「確かに」

と、ハンクも同調する。

「楓、賢くていい馬だったよね」

「朝起きたらいなくなってた。多分村に帰ったんだ」

「馬がか? 村に帰った? どっか逃げただけじゃねーの」

 ベアードが厭味ったらしくおちょくる。

「楓がどんだけ頭いいか知らねぇだろ。手綱いらずで、口頭の指示でオッケーなんだぞ。しかも背中に寝転がっても落ちない」

「楓がすごいのは本当だよ」

と援護射撃はハンクである。しかし援護射撃はすぐに裏切った。

「ジョージなんかよりずっと賢い。テスト受けさせたらジョージより点数良いだろうな」

「んなわけ……!」

 ……あるかもしれない。ジョージは顔をしかめた。

「まぁ、馬がいねぇのは好都合だ」

 ベアードが軽い口調で言った。

「ナノリで入国手続きがあるんだが、馬だの牛だの家畜がいると面倒なんだわ。お前はほとんど身一つだし、大会選手って大義名分もある。手続きで引っかかるこたぁねーだろ」

「入国手続きって何やるの?」

「変なモン持ち込んでねぇか積み荷の確認だな。ビクトリー号の積み荷は武器や防具が主で、農具やら作業着やらが少々か。うちは年間何往復もする常連だし、今までいちゃもんつけられたことはねえ」

 ジョージの頭をよぎったのは、背負っているリュックの中身だった。例の白い箱ほど変なモンはそうそうないだろう。中身は風晶石、冥王の断片である。しかし、ベアードが風晶石の件を知っているとは思えなかったので余計なことは口にしない。

「あんた、世界中を回ったって言ってたけど、他にはどんな国に行ったことあるんだ?」

「昔はリアシーの運搬船に乗っとった」

 ベアードは懐かしそうに鼻の下をこすった。指が髭に埋まる。

「東廻り航路っつってな、リアシーの港町を北へ南へ巡っていくんだ。コーラリ、ドンティー、マプート、ファイム、ピサ……」

と、ベアードはリアシーの主要都市を指折り数える。

「ちと遠いがオーングス大島にもよく行ったぞ。コッゴの街は夜市がすごいんだ。通りにずらーっと一キロくらい出店が並んでて、ぱっと見ゲテモノみたいなのが売られとる」

 オーングス大島は中央大陸の南東にある島だ。カール島の三倍くらいの大きさで、オーングス王国が治めている。コッゴはオーングスの代表的な貿易港である。

「そうそう、忘れちゃなんねぇ。船乗りになりたての頃、ほんの数回だが、モリアーティーにも行ったことがある」

「モリアーティー!」

「なんじゃいきなり大声出しおって。しかしレアだぞ俺みたいのは。モリアーティーはユネハス以外と交易をしてねぇからな。モリアーティーに行ったことある船乗りはここいらにはそうそうおらんわ。んで自分の船を持ってからはカールとリアシーを行ったり来たりする日々よ」

 ベアードは苦笑いしながら首の裏を掻いた。

「改めて考えると俺も近場で落ち着いちまったな」

「また遠い国に行きたい?」

 中央大陸を巡っていたのならカール~リアシー航路など味気なく感じそうなものである。だがベアードは、

「どうだろうな」

と、柄にもなく歯切れが悪かった。

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