ミッションコンプリート


 門からは緩やかな上り道が続く。その先に城内への入口がある。道は一面の芝生の中を伸びていた。

 カール城はグロイス・ウォールと同じく千年前のルチフェル戦役期に建造された石造りの堅牢な城砦である。しかし、時代が過ぎるにつれて砦としての役割は失っていった。元々あった見張り台や門塔の他、見た目重視の尖塔が追加されたり、周囲が手入れの行き届いた芝生で覆われたりと、権威の象徴へ姿を変えていったのだ。

「ハンク、この後はどうするんだ? 馬鹿正直にそこの入口から入るのか?」

 ジョージは油断ない様子で周囲を伺っている。

「試してみれば? ただし、行くなら一人でね。捕まってもハンクに連れて来てもらいましたなんて言わないように」

 スペリアンスの看板俳優が不法侵入で逮捕などということになれば劇団の存続が危うい。

「アグザスとスミスがアホで助かりました、ならどうだ」

「事実だけどそれもダメ。僕が困る」

 アグザスとスミスが警備から外されたら潜入難易度が跳ね上がってしまう。ジョージと違って、ハンクはこれからも城への潜入を続ける理由がある。少なくとも通行証が得られる十八歳までは。

 ハンクは松明で足元を照らしながら防壁沿いに歩き始めた。鎧の音が付いてくるのを聞きながら、歩数を数えつつ進む。

 ちょうど二百歩だった。ハンクは松明を地面に近づけて芝生を検分する。

「どうした?」

 緊迫した口調でジョージが言った。

「この辺りに……あ、ちょっと松明持ってて」

 ハンクは芝生に隠れた鉄のハンドルを探り当てると、両手で掴み、腰を入れた。

 分厚い石の板が持ち上がり、芝生の下に現れたのは、人一人がぎりぎりくぐれるくらいの縦穴だった。

「……いわゆる隠し通路って奴だね」

 目を丸くしているジョージを横目に、ハンクは一旦立ち上がり、手を腰に当てて大きく反った。このストレッチはもはやルーチンである。うっかり腰を痛めてしまったら演技に差し障るので、良く伸ばしておく。

「先に行ってくれ」

 縦穴に手を突っ込み、ロープの一部を引っ張り出した。穴の入口付近に杭が打ってあり、一定間隔に結び目の作られたロープがしっかりと結わえつけられている。先月付け替えたばかりなので切れる心配はないだろう。誰が付け替えたかというともちろんハンクだ。半年に一度くらいのペースで交換するようにしている。うっかり落ちてしまったら、やはり演技に差し障るだろう。安全には気を付けている。

「下で待っててね」

 ハンクは松明を穴に放り込んだ。木が石を転がる音が響く。

 ロープは上端が固定されていて、あとは重力に任せて垂れ下がっているだけなので、慣れていないと降りるのが難しい。ロープが揺れて、結び目にうまく足がかからないことがある。だがハンクの予想を裏切り、ジョージはそつなく鮮やかに降下していった。

「おーい、いいぞ。来い!」

 縦穴の下から声が反響する。

 ハンクもロープで降下を始めた。降り際に石の板で蓋をすることを忘れない。

 ジョージは松明を拾って待っていた。壁や床は石。足音が反響する。ここからは横穴だ。

「天井低いからね。頭打たないように」

 ハンクは身をかがめた。

「背のお高い人は大変ですな」

 ジョージは背筋を伸ばし、颯爽とハンクを追い越していった。自虐込みの挑発が面白くて、ハンクは笑いを堪えながら追いかけた。

 あとはひたすら道なりに進むだけである。

「よくもまぁこんな抜け道を見つけたものだな」

 ジョージは壁を拳で軽く叩いて感心したように言った。

「お城からの非常用脱出通路だったらしいよ」

 カール城が建てられた時代はルチフェル戦役期である。この時代、王の身も危険と隣り合わせだったはずだ。城に攻め込まれた時のために脱出通路は重要となる。

 しかし今のカール王国は平和そのものである。何か平和を脅かすものがあるとすれば、たまに魔物が街の近くに出没するくらいだ。王の安全も、第一守備隊、特に隊長のドゥーレム・バグマンが控えている以上担保される。そういうわけで、脱出通路の存在はごく一部の人を除いてすっかり風化していた。

 ハンクがしばしば城に侵入するのは、この非常用脱出通路を教えてくれた人物のもとに通うためである。

 カール王国王女ミーユ・ヴィクティーリアに会うために、今宵もハンクは地下を進む。城に入りたくて困っていた芋臭い友人を連れて来たのは、ほんの気まぐれだ。


 狭くもにぎやかなバースの町並み。

 白く輝くような白烏の森。

 面倒を見てくれたニーニャおばさんや村長ガッド。

 キユリやパックのことを話すのは正直鼻白んだが、ジョージは得意になってプレーリー村のことを語った。物知り顔のハンクの鼻を明かしてやった。何しろハンクはプレーリー村の存在すら知らなかったのだ。「どうだ!」と腰に手を当てて仁王立ちしてやりたくなったが、どんどん細くなる抜け道に腕がつっかえてしまいそうなので自重した。

 ハンクは興味深げに聞き、いつか行ってみたいと言った。

「本気かよ?」

 ジョージは渋い顔をした。

「はぁ!? なんでそこでその反応!?」

「お前みたいな都会っ子が」

「だからこそだよ。なんもない田舎って面白そう。のどかでさ」

「お前ってさらっと人のことけなすよな。やな奴」

「けなしてないけなしてない。褒めてるって。日の出と共に起きて、日の入りと共に寝る生活って憧れてたんだよね~。永住は勘弁だけど、たまに行くなら楽しそう」

「絞め殺してやりてぇ」

 不景気面で唸ると、ハンクはあははと声を上げて笑った。


 隠し通路は地下数メートルに存在する。石壁の割れ目やすき間から水が染み出している箇所も多い。

「……だいぶ狭くなったな」

 ついに普通に歩くことも困難になり、ジョージは横歩きをしながら言った。鎧が石の壁に擦れて傷を刻んでいく。よく見ると、同じような古い傷がいくつも走っている。ハンクが幾度も通ってきた証だ。ジョージがつけている傷よりも幾分高い位置なのが微妙にむかつく。

「あんまり大きな声出さないでね」

 先行するハンクはほとんど聞こえないくらいの小声だ。

「できれば壁にも触らないように」

 潜入初心者には厳しい要求だ。言ってるそばから背中からギーっと音が鳴った。

 蟹歩きで通路を進んでいると、階段にぶつかった。階段を上がってしばらく平坦な道。そしてまた階段だ。蟹歩きのままなのですごく上りづらい。

「ここ、城の壁と壁の間なんだ」

 ハンクが無声音で囁く。

「壁の向こう、何があるんだろうね。宝物庫だったりして。ちょっとぶち抜いてみてよ」

 静かにしろと言ったくせにハンクは随分とお喋りである。もちろん声のトーンは最小限だが。多分、喋らずにはいられない質なのだろう。プレーリー村にも似たような質の奴がいた。毎朝起こしに来て、一緒に学校に行って、宿題を手伝ってくれていた奴だ。

 ――村を出てまだ二日目だというのに、ひどく懐かしくなった。がらにもなく感傷に浸っていると、

「ぉぃ……おい!」

 ハンクの声だ。無声音はどこやった。

「ここ」

 ハンクは頭上を指差すと、天井を両の手のひらで押し上げた。石の板が外れる。

「玉座の後ろに出る。くれぐれも気をつけろよ、第一守備隊が巡回しているはずだ」

「お前はどうするんだ」

「もう少し先に行く」

 隠し通路はまだ続いている。

「用事が終わったらここで待ってて。松明は置いていく。床を元に戻すの忘れないで」

 ハンクはジョージに松明を渡すと、

火よイグニス

 指先に小さく灯った火が作る背の高い揺らめく影が通路の向こうに消えていくのを見届け、ジョージは天井、もとい玉座の裏の床をよじ登った。

 玉座の間。

 左右の壁は一面ステンドグラスだ。月明りに照らされ無人の玉座の間が浮かび上がる。気配を探ると、玉座の間の扉の向こうに二人が控えているようだ。

 それじゃ、さっさと警備兵を倒して、王様の寝室を探すとするか。

 赤絨毯の真ん中をのし歩き、金の取っ手に手をかけた。


 いや待て。なんか違う。絶対違う。こんなことしなくていいように、こっそり忍び込んだんじゃなかったっけ?

 瞬殺で意識を狩った警備兵二人を見下ろし、ジョージは困り果てていた。とりあえず玉座の間に引きずってきた兵士の胸には、ハンクが持っていたものと同じ第一守備隊の所属章が光っている。第一守備隊はエリート揃いだと聞いていたが、彼我の戦力差がかけ離れているので、同じカール軍のアグザスと比べてもジョージにとっては誤差程度の違いだった。

 王様どこいるんだ。寝室どこだよ。てか寝室にいるかも分かんねぇ。

 気配を探ってみるが、どの気配が誰に該当するかを特定できるほど便利な代物ではない。

 困り果てたジョージは、ひとまず玉座に座ってみた。ふかふかで包み込まれるような座り心地だ。

 最初で最後だろう、こんな機会。せっかくだから堪能しておこう。

 手すりに腕を乗せ、ふんぞり返ってみる。

 王が座る椅子。玉座。

 いっそこのまま座ってようか。朝になったら来るだろ、王様。

 ちょっと待て……朝になったら来る? 思いがけないヒラメキに、ジョージは自分が天才だと思った。



 隠し通路に戻ったジョージはハンクと合流し、来た道を戻る。アグザスには「再調査が必要になった」と適当な言い訳をし、敬礼で見送ってもらった。ちなみにスミスはいびきをかいて爆睡していた。

 ジョージは楓にハンクを乗せてセレスチャルまで送った。

 用事を終え、特に行くあてなどなかったが、楓は何やら確固たる意志があるらしく迷いなく駆けたのでお任せすることにした。

 ジョージは玉座に親書を置いてきた。朝になれば必ずカール王の手に届くだろう。

 一仕事終えたジョージは楓のたてがみに突っ伏し、いつの間にか眠っていた。

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