第一章 黒き大地 2

「ならば、ルチフェル戦役の時とは原因が異なるということか?」

 ルチフェル戦役とは千年前に勃発した大戦である。悪の召喚士が喚んだ冥王ルチフェルと、人間・エルフ連合軍の戦いであったと伝えられている。「いくつかの大陸が沈み、いくつかの大陸が生まれるほどの戦いであったそうな」などと大仰に語る者もいるが、どこまで本当なのかは定かではない。

「思光体の蓄積が進行している以上、イグドラシルの機能不全は明白だ。今日のデータでどこまで悪化しておるか……」

 思光体、すなわち魂。死ぬと肉体から魂が離れる。肉体から離れた魂はほんのひと時だけ肉眼で見える程度の淡い光を発しているため、人の思いを乗せた光という意味で思光体と呼ばれる。

 かつて聖地を拠点に君臨した冥王ルチフェルは、思光体を力として用いた。イグドラシルの機能を奪い、死者の国ニブルハイムへ向かうはずの思光体を聖地に滞留させることで自らの糧にしたという。

 果たして、連鎖魔法陣は冥王ルチフェルに対する封印術であった。連鎖魔法陣は二本の棒――白龍の杖と緑龍の杖に埋め込まれ、杖が楔となって冥王ルチフェルを聖地に縫いとめている。この封印術によりルチフェル戦役は終わりを迎えたのだ。

 今二人が行っていたのは、埋め込まれた連鎖魔法陣を現出させ、封印術が正常に機能し続けているかを確認する作業であった。

 プーゲンはふーっと深呼吸して気持ちを落ち着けた。

「さて、封印術が正常だとして、しかし此度の思光体蓄積と冥王との関連を切り離して考えることは難しい。我々の思いの寄らぬ方法で力を取り戻そうとしているのかもしれぬ」

「すでにイグドラシルを抑える程度にまで力を取り戻しているのだとすれば、あまり時間はない 」

 二人はしばらく無言で魔法陣を見上げていた。やがて、再び杖に近づき、手を乗せた。連鎖魔法陣は、展開を逆再生するように収束していった。プーゲンはふう、と首をさすった。上を見上げ過ぎて首を痛めたのだ。

「なんだプーゲン卿、じじくさい」

 初めてシャカの表情が緩んだ。

「じじくさいんじゃなくて、老い先短い紛うことなきじじいじゃよ。じゃから面倒ごとはもうわしには寄こさんでくれよ? 若いもんでなんとかしてくれ、わしは回ってくる書類にぽんぽんハンコ押すだけがいい」

 プーゲンはしゃんと伸びていた背中を丸め、しわがれ声で言った。

「何を言うか。お前にはまだまだ最前線で働いてもらわねば」

「え? なんて? 最近耳が遠くての。目も見えんし手の震えは止まらんし、最近なんて尿漏れに徘徊に……。もはやハンコも押せるかわからんわい」

「……お取込み中申し訳ありません。シャカ様、プーゲン様」

 シャカとプーゲンの両卿は、さっと真顔を取り繕って振り返った。ラムが気まずそうに立っていた。ラムは三人のなかで最も若い三十三歳。シャカとは十五も違う。

「いつからいた?」

 プーゲンの背筋が急に伸びた。頬が若干紅潮している。

「お二人が魔法陣の展開を閉じたくらいからですが。いかがでしたか、封印は?」

 ラムは努めてプーゲンの茶番には触れなった。気を遣っているのが明らかだ。かえってノリノリで「尿漏れジジイにハンコのお願いなのですが」くらい言ってのけたほうがプーゲンにとっては気が楽だろうが、まだ若い神官、しかもプーゲンの元部下であるラムにそこまで求めるのは酷だろう。

「問題なかった」

 仏頂面のプーゲンに代わってシャカが答えた。

「だが準備を進めておく必要がある。ユネハス訪問の件、早められるか? 必要ならばプーゲンも連れて行け 」

「えぇ?」

 プーゲンがうめいた。

「聞いとらんぞ」

「今考えた」

 シャカは軽い調子で言った。

「良いか、ラム……卿」

 呼び捨てで呼びそうになったのをぎりぎりで取り繕う。ラムがまだ一人の役人であったころの癖が抜け切れていないが、今の彼は白い羽根を身に着ける立場にある。

「この耳が遠くて老眼が進んで手足が震えて尿漏れ頻発の徘徊ジジイはだな」

「酷い。パワハラじゃパワハラ」

「老い先短いがまだまだ役に立つ。使えるうちに使っておけ。遠慮していると肝心な時にはこの世におらんぞ」

「わかりました」

「わかりましたじゃないわ。小童が言うようになりおって」

 プーゲンはラムを小突いた。一同は声をあげて笑った。

 辺りが少し暗くなった。太陽が雲の影に入ったのだ。

「シャカ様、これを」

 ラムはシャカにタブレット端末を渡した。シャカは画面に指を滑らせた。

 彼の表情が険しくなった。

 プーゲンがシャカの背後から画面をのぞき込んだ。

「あちゃー。だいぶ悪化しとるの」

 表示されているのは、とある右肩上がりのグラフだった。測定を始めた十年前からの推移に今回の測定結果を加えてある。最初は徐々に、そしてここ二、三年の伸びが急だ。今回の結果も傾向は変わらず、頭打ちの気配はない。

「のんきに笑っている場合ではなかった」

 シャカが毅然と言った。

「早急にこの地を離れる」

 プーゲンとラムは無言でうなずいた。


 ローターが再び高速回転を始め、スヴァンフヴィートは飛び立った。シャカは振り返り、遠ざかっていくイグドラシルを窓越しに見据えた。

 シャカの祖母が亡くなったのは三年前のことだ。齢百を超えた大往生だった。願わくは、無事に死者の国に旅立っていますように。三年もの間、生命の息吹のかけらもないこの地で足止めはむご過ぎる。さすがの祖母もイグドラシルなど見飽きるだろう。



 ちょうどその頃。

 聖地西の海、西大怒海を挟んだところに位置するカール島プレーリー村で、一人の少年が死の淵から生還した。

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