キイチゴのせい
~ 五月三日(木) みだりの日 ~
キイチゴの花言葉 うらやむ
後悔は、もちろん先に立つことなどありはしないわけで。
立つことにかけてはエキスパートである俺でさえ。
こればっかりは抗えません。
俺以外の、すべての人に優しいこいつは。
誰かがいそばにいる間は楽しそうに笑っていますけど。
二人になったその瞬間、視線を昔の方にすうっと落として。
寂しそうにため息などつくものだから。
いつもよりも、背が小さく見えて。
いつもよりも、こどもに見えてしまうのです。
そのままこどもに戻って。
後悔の元になったあの日に帰る気なのでしょうか。
でもきっと、あの日に帰ったとしても。
俺は兜の角を折って。
その後、君は俺のひなあられを横取りして。
怒った俺が、卑怯にも君に兜で遊ぶよう促して。
そして同じ思いを繰り返す事になるのでしょう。
だって、後悔は先に立つことなどありはしないのですから。
立つことにかけてはエキスパートである俺でさえ。
こればっかりは抗えないのですから。
だからせめて。
今の君を労わってあげることしかできない俺は。
その痛そうな胸の傷が、君自身の目に触れぬよう。
優しく手で触れて、隠してあげることしかできません。
「……今度ノニジュースを飲ませたら、来年まで口をきいてあげません」
「もう十分反省したの。いつまでも傷口に塩を塗るような言い方しないで欲しいの」
面白いおもちゃを、面白いおもちゃに飲ませて楽しむこいつは。
天使のような笑顔で悪魔のカマを振るうこいつは、
軽い色に染めたゆるふわロング髪を。
今日はお出かけ用に大人っぽく編み込みにして。
ハーフアップと組み合わせた、見たこともない複雑なアレンジになっています。
さすがは元・有名スタイリスト。
おばさんの仕事は、いつも勉強になるのです。
そしていつもの通り。
頭の上には、真っ白なキイチゴの花がアホ毛のように三つ揺れ。
さすがは現・有名いたずらっこ。
おばさんの仕事は、いつも頭痛の種になるのです。
さて、俺たちは今。
ふたつお隣りの、地元より少し寂しい感じの駅を降りて。
どこにでもあるようなレストランでご飯を食べて。
腹ごなしという名目で、かれこれ一時間は歩いているのですけれど。
どうしてそんなことをしているのかと問われれば。
「かーっ! 秋山は、いっつもしけた顔してるっしょ! もっと楽しそうに笑うっしょ!」
「つい今しがたノニジュースを飲まされたばかりなのに。楽しそうにしてたらどうかしています」
苦さって、度が過ぎると涙が出るんですね。
そんな、目を擦りっぱなしの俺の背中をバシバシと楽しそうに叩くのは。
俺たちのクラスメイト。
今時美人の
今日は、彼女が以前穂咲と計画していたバラ園へのお出かけなのです。
そして、どういった経緯でこんなことになったのか思い出せないのですが。
「せっかくのダブルデートに水差すなって感じっしょ! ねえ、健治君!」
日向さんのお隣を歩くのは、ちょっとチャラい感じのイケメン。
隣のクラスの健治君。
こうしてご一緒させてもらうのは、クリスマス会以来なのです。
元々は穂咲と日向さん、二人で出かける計画だったはずなのに。
蓋を開ければ、ダブルデートということになっており。
……いえ。
ダブルデートと、彼女だけが言っており。
「そちらはデートでしょうけれど。こちらはデートではありません」
だって、俺はこいつの事を。
好きでも嫌いでもないわけですし。
だから、デートなわけは無いのです。
だから、君はそんな目で俺の顔を覗き込まないでください。
「デートじゃないの?」
「ごひん! …………違います。断じて違います」
「ごひんってなに?」
「ごひんは、違うにかかる枕詞です」
まったく。
なんでさっきから悲鳴を誤魔化し続けることになっているのでしょうか。
それもこれも。
後ろの電柱に隠れているつもりで、すっかり体がはみ出している巨漢と。
やたらと狙撃の腕が立つ執事さんのせいなのです。
既にお尻が熱を持つほど腫れあがっているのですけど。
ダメだからね、エアガンを人に向けて撃ったら。
お巡りさんに捕まるがいい。
しかし、タイミングの悪い事。
愛しの孫娘に会いに来て、泊って行ったおじいちゃんが。
朝になったら、彼女がティアードのギンガムチェックスカートにお揃いのジャケット姿で出かける様子を見かけたら。
そんなの、悲しいに決まっているのです。
口では成長を喜んでも、心はしょんぼりとしてしまうのです。
……でも、そんな一般論。
この人には通用しないようですね。
そして、おじいちゃんのアクティブさにも驚きですが。
俺の周りの三人が、あの怪しいコンビに気付いていないことにも驚きです。
すっかりはしゃいで楽しそうに。
バラ園への道を歩いているのです。
「ふう。まだお腹空いてこないの。お昼、食べ過ぎたの」
「あはははは! そりゃそうっしょ! 穂咲、ちょううけるっしょ!」
「……そうですね。パスタ一皿しか注文してないのに、都合二皿平らげてたもんね」
おかわり自由というお店ではなく。
ならば二皿目はどうして生まれたのかと言えば。
粉チーズをおかわりして。
タバスコもおかわりして。
パスタを食べ終えたお皿の上に。
こんもりとチーズを盛って。
その上から、一瓶まるっとタバスコをかけて。
美味しそうに召し上がっていらっしゃいましたけど。
パスタが六百円の所。
あんな事したらお店は大赤字です。
「粉チーズが実に美味しかったの」
「まあ、それは認めますけど。パルメザンチーズを見直しました。コクがあっておいしかった」
「違うの。あれは本物の方なの」
光の加減で、金色に輝く髪をなびかせながら。
穂咲は俺に振り向きます。
本物という言い方はおかしいですけれど。
言いたいことは分かりますね。
「ええと、パルメザンじゃなくて、なんか長い名前でしたよね」
「そうなの。パルミジャーノ・レッジャーノ・って言うんじゃーの」
「今、どこまでが名前でした?」
日向さんも健治君も、笑い上戸なようで。
穂咲の頓狂に、ずっと笑い転げているようですが。
それなりいい距離を歩いて、しゃべりっ放し、笑いっぱなし。
あと、狙撃されっぱなし。
ちょっと休憩したいのです。
「……お? 公園がある。ちょっと寄っていきませんか?」
「いいねえ! 秋山、たまにはいいこと言うっしょ!」
日向さんが、穂咲の手を引いて駆け出して。
あっという間にベンチへ腰かけて。
「自販機ある? のど乾いたっしょ!」
「飲み物なら持ってるの。千歳ちゃん、はい」
「あははははは! ノニジュースはいらねーっしょ!」
当然です。
だというのに。
君は注いじゃったのね、水筒から蓋に。
ベンチの前、健治君と二人でようやく到着した俺に突き出されても知りません。
「道久君、きっとのど乾いてるの」
「乾いてますけどいりません。さっきの面白リアクションじゃ不満ですか、監督?」
「そうじゃなくて、ちっと重いの」
まあ、液体ですしね。
いくら苦い飲み物とは言え。
捨てることなどできない我ら。
俺は涙と共に蓋と水筒を受け取って。
残りを飲み干したのでした。
……だというのに。
「いてえ! このタイミングはおかしいだろ!?」
「……誰かいるの?」
「独り言です」
「痛いの?」
「いてえは、美味しい時の感嘆詞です」
「美味しいの? じゃあ、またおじいちゃんに頼んでおくの」
……こうして。
俺は後日、おかわりをいただけることになりました。
~🌹~🌹~🌹~
バラ園と言っても大したものでは無かろうと。
高を括っていたのですけれど。
なかなかどうして、楽しいのです。
シックな建物がぽつりぽつりといった程度に建つ庭園中に、ありとあらゆるバラが咲き乱れ。
そしてバラ科ならなんでも植えてしまえというコンセプトも俺のツボにピタリとはまり、実に見ていて飽きないのです。
もっとも、俺はお花の勉強をしているから楽しいわけで。
残る三人はそれなりと言った感じ。
どちらかと言えば、おしゃべりで楽しんでいるご様子。
なので、ゆっくり鑑賞したいという俺の意見は却下され。
入園したばかりだというのに売店へと連れてこられました。
まあ、これはこれでいいか。
穂咲と日向さんが腰かけたベンチからはキイチゴの花壇が良く見えるし。
……あれ?
俺と健治君はどこに座れば?
「じゃああたし、アイスコーヒーっしょ!」
「あたしはソフトクリームがいいの」
やれやれ。
健治君と苦笑いを交換し合って。
お姫様へご所望の品をお届けです。
俺はノニジュースの匂い消しに食べたグミのせいでお腹いっぱいなので。
ソフトクリームを一つ買って、ベンチに戻ってみれば。
「あれ? 健治君は?」
「まだ戻って来てないの」
穂咲はソフトクリームをひったくるように奪い取って、ひとくち舐めながら教えてくれたのですが。
不満そうに眉根を寄せるのです。
「もちっと、牛乳っぽさが欲しいとこなの」
「……次は頑張ります」
俺には感謝の言葉もなく。
隣の日向さんにおすすめするのですが。
まあ、君が俺にだけ冷たいのは慣れっこですけど。
でも、ちょっとだけ食べたいな。
俺にも分けて欲しいな。
「あーんむっ! ……ん! これ、かなり美味いチームに入れるっしょ!」
「そう? まずい寄りの美味しいあたりなの」
二人が微妙な戦いを始めたようですが。
チャンス到来です。
「なるほど、ジャッジが必要そうですね。ならば俺が判定しましょう」
「じゃあ、道久君もどうぞなの」
よし、うまいこと事が運びました。
でもその前に。
「穂咲。ちょっとそのバッグを貸しなさい」
「はいなの」
バッグでお尻を完全防御。
これで万全。
俺が得体の知れない行動をとっている間に。
ベンチから立った穂咲が、ソフトクリームを近づけて来ます。
「はい、あーんなの」
「あー、ぎゃふっ!?」
お尻に穂咲のバッグを当てれば、間違っても狙撃は無いと踏んでいた俺の顔を。
まさかの鈍器が横から強打。
そのまま地面に叩き伏せられてしまいました。
朦朧とする意識で、俺を殴りつけたものを目で追ってみれば。
ギターケースを斜めがけしたお兄さんが、自転車で走り去っていく姿を辛うじて捉えることが出来たのですけど。
バラ園にいるわけないよね、通りすがりのギタリスト。
とうとうエキストラまで雇い始めましたか。
「……だいじょうぶ?」
「あんまり大丈夫じゃありません」
そんな不幸な俺を指差して。
けたけたと楽しそうに笑っていた日向さんが。
何かを見て、盛大にため息をついてしまいました。
いつも元気な彼女にしては珍しい。
一体何があったのかと首を巡らせてみれば。
「あちゃあ」
お使いをほったらかした健治君が。
売店の女の子と楽しそうに談笑しているのです。
もちろん、日向さんはむっとしているのですが。
それでも怒り心頭という雰囲気でもないようで。
だから、思わず聞いてしまいました。
「……いいの? あれ」
「良くないけど、もてる男を彼氏に選んだんだからしょうがないっしょ」
そういうもの?
釈然としないのですけど。
そんな俺の表情をちらりと見ただけで。
日向さんはすべてを察した様子。
ニヤリと意味深に笑うと、こんなことを言うのです。
「やっぱ秋山はまだまだの男っしょ。付き合うのがゴールじゃねーんだから、ふられないように手を尽くすのが女ってもんっしょ」
えっと、すいません。
何が言いたいのか、難しくてわかりません。
きょとんとしたままの俺と穂咲に、しばらく声をかけないでねと言った日向さん。
売店に向かうと、健治君とはずいぶん離れた所にいる店員さんに飲み物を注文して。
ちょうど売店に来た男性二人組と、楽しそうに会話を始めたのです。
そんな様子に気付いた健治君。
慌てて日向さんの元に駆け寄ると。
「ち、千歳ちゃん! お待たせ! アイスコーヒー!」
「……ありがとね、健治君」
「ゴメン! 怒ってる? ひょっとして、自分でコーヒー頼んじゃった?」
「なに言ってるっしょ? 健治君、紅茶派じゃん」
いつもありがとね。
日向さんはそんな言葉と共に、健治君と腕を組んで。
店員さんから受け取ったアイスティーを彼に渡したのでした。
うーん! すごいなあ日向さんは!
あんな形で持ち上げられたら気分もいいし。
素直にゴメンねって気持ちになっちゃうよ。
ここに、真の女子力というものを見たり。
「やっぱり女子力あるなあ、日向さんは」
感心しきり。
思わずつぶやいた俺が、同意を求めて穂咲を見ると。
あまりの落差に、脱力してしまいました。
「…………おい、女子」
「だって、ソフトクリームが溶けちゃうの」
泣きそうな顔をしたこいつの手はべったべた。
スカートにもぼたぼたとこぼれてますが。
なにそれ?
ほっとけない方向でアピール?
「……女子力あるね、君も」
「そうなの? よく分からないけど、それ、よく言われるの」
「皮肉というものが通用しないのでしょうか、君には」
俺は、ポケットからティッシュを出しながら考えます。
普通なら、女子のスカートを拭くなんて行為、ちょっとはドキドキするものでしょうけど。
情けない思いしか感じないとはこれいかに。
そんな俺がスカートに手を伸ばした時。
誰かに両足をスパンと払われて、地面に叩き伏せられました。
朦朧とする意識で、俺の足を払ったものを目で追ってみれば。
よぼよぼのおばあちゃんがモップを手に遠ざかっていく姿を辛うじて捉えることが出来たのですけど。
とうとう武芸の達人まで投入ですか。
人間、見た目じゃ分からないものですね。
何者なのさ、そのおばあちゃん。
「大丈夫?」
「……あんまり大丈夫じゃありません」
目に見えない巨漢に恨みを抱きつつ。
地面に横たわる俺のそばに。
心配そうな顔で穂咲がしゃがみ込みますが。
自分で出したティッシュで手を拭きながら。
すこし寂しそうに視線を泳がせます。
「……やっぱり道久君、今日はちょっとおかしいの」
「え? そうでしょうか」
「ひょっとして、あたしが落ち込んでたのを慰めようとしてるの?」
そう、小さくつぶやいた穂咲のタレ目に。
少しだけ光るものが見えます。
やれやれ、何を言っているのでしょうね。
大きな勘違いなのです。
「そんなことはしません」
「でも、気を使われてる感じがするの」
「だから、そんなことしませんよ。よく考えてごらんなさい。そもそも、俺も同罪ですよ?」
由緒正しい兜の角を折っちゃったの。
君だけじゃないでしょうに。
「…………やっぱり、道久君は優しいの」
「優しくなんかしてないでしょうに」
地面に倒れたまま正直に言うと。
穂咲はふるふると首を振って。
「だって、今ので重たい気持ちが半分こできたの」
そう言いながら、手を差し伸べてくれました。
――穂咲が伸ばした手。
小さな手。
俺は目を閉じて。
水槽をペタペタと触る穂咲の泥だらけの手を思い浮かべました。
あんなに小さかった手が。
俺を引っ張り上げるほどに成長して。
何となく、胸が温かく感じるのですけれど。
これが、君の持つ女子力なのでしょうか。
少しドキドキしたせいで。
目を開くことも出来ません。
俺はそのまま、小さな小さなモミジの葉っぱを掴むと。
……そのモミジが信じがたいパワーで俺を持ち上げて。
再び地面にたたきつけたのです。
「ごはあっ! なにごと!?」
「穂咲ちゃんの手を握ろうとしたな!? 貴様、何者じゃ!」
「…………道久ですが」
「道久君なの」
「そんなことは聞いておらん」
ああもう。
なんか、もろもろ台無しなのですが。
とうとう自らご出陣ですか。
しかし面倒なことになりました。
納得させなければ、おじいちゃんはこのまま居座ることでしょう。
そうなれば執事さんと合わせてトリプルデートになってしまいます。
「……ご安心を。俺は穂咲のことなんか、別に好きでも嫌いでもないので」
「ん? そうかそうか! ならば安心じゃ!」
ほっ。
一発でご理解いただけたようで何よりです。
穂咲のふくれっ面が気になるところですが。
今は目先の利益の方が大事です。
おじいちゃんはすっかりご機嫌になって。
俺の腕を引いて立たせてくれて。
…………そしてまた、地面にたたきつけられました。
「こんな可愛い穂咲ちゃんを好きでも嫌いでもないとは何事じゃ」
では、どうしたら?
最適解の分からない俺は、この後三回ほど投げ飛ばされました。
そして、お尻と穂咲のほっぺたが。
ぱんぱんに膨れることになりました。
つづく
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